いつもと変わらない金曜日だった。
2時頃、職場の同僚が走ってきて「床が揺れてる」と言う。
俺は立って動きながら仕事をしていたせいか地震なのかよくわからなかった。
でも確かに言われれば揺れている。
誰かがテレビをつけて、地震速報を確認していた。


余震が続いて、僕も地震だとわかった。
職場の各部署に電話をして安全を確認した。
特に問題はないようだった。
上司が全館放送で「安全です」とアナウンスしろ、と言う。


「俺、無理。」などと言いながら実際に逃げようとするやつを見て、あほかと思った。
いつも「無理」といいながら逃げる同僚を見ていると、そんなことだから未だに何もかもができないんだと言いたくなる。
スイッチ入れて事実をしゃべるだけのことが「無理」なわけないだろ。
やろうとしないだけだ。


全館放送をして帰ってきた。
その後も何度か余震があったが、揺れは小さかった。
しばらくすると、テレビが津波の映像を映しはじめた。


仕事は相変わらずで、あちこちから電話はかかってくるし会議の準備はあるしで大変だったけれど、津波の映像はあまりに衝撃的で息を飲んだ。


夜、長野から実家へ帰る間、地震についてのラジオ放送を聞いていた。
事態が僕が考えていたよりもかなりずっと深刻なことが次第にわかってきた。
死者・行方不明者の桁数がどんどんと増えていく。
精神的にぐったりと疲れて、途中、仮眠を取っていたので、実家に着いたのは夜の11時30分頃だった。


翌朝の土曜日は、よく晴れた一日だった。
朝、和尚様にお経をあげてもらい、昼にはお墓の掃除にも行った。


土曜日の夜になって、ようやく茨城や福島の友達と連絡が取れるようになった。


テレビでは、被害の状況を延々と放送し続けている。
まだ、いわき市の友達には連絡が取れていない。
無事であることを祈っているし、信じている。



弁護士の木山康嗣が書いた「弁護士が書いた究極の法律力」(法学書院)を読み終わった。


My Kiasu Life in JAPAN-究極の法律力

法律を勉強しはじめた頃、法律には「常識」が書いてあるんだと感じていたことがあった。
今回この本を読んで、「究極の法律力」とは「常識の力」だと端的に断言しているのを見て、そしてまたそれがなぜなのかを論理的に説明をしていて、なるほどと思った。
裁判官は国民に選ばれているわけではないので、国民の常識に沿った判決を書くことが求められている。

実際に、価値判断として判決に多用されている「社会通念」と言う言葉は「常識的には」くらいの意味だと。
確かにそうだ。
こういう本に、本当に僕は高校生や大学生の頃に出会いたかった。



今頃だけど「リトルダンサー」というイギリスの映画も観た。


My Kiasu Life in JAPAN-billy elliot

とてもいい映画で、こういう映画を中学生や高校生の頃に観ていたらなあと思った。

My Kiasu Life in JAPAN-billy elliot1

My Kiasu Life in JAPAN-billy elliot2

自分の才能を信じるということはどういうことなのか、教育とはどういうことなのか、誰を信じたらよく、誰のいう言葉に耳を貸さなくていいのか、そんなことがとてもよくわかる映画だ。


もう3月も半ばだ。
そろそろ本格的に勉強を始めなければならない時期だけど、未だに逃げてばかりいる。
逃げてばかりいる同僚を情けなく思う気持ちは、結局のところ、自分自身に対する気持ちの反映なのかも知れないとも感じている。


今回の地震や津波で多くの人が無念の思いで亡くなっていったのだと思う。
残った僕たちは、それぞれの立場で、その方々の思いを受け止めて真摯に生きるべきなのだと思う。
いつまでも逃げていてはいけないと、災害の映像を見ながら、自分自身に対して何度も思った。