職場のなかにある道路に、ツバメが1羽いた。
ヒナではないが、まだ飛べない状態で、歩く姿もおぼつかない。
どこかの高い巣から落ちたのだろうか。


犬や猫は保健所が捕まえることは以前から知っていた(知らない人はいないか)。
ツバメはどうなんだろう?保健所に電話をして聞いてみた。
担当者は「犬や猫は保健所ですが、ツバメのような野生の生物は県庁の林務部が所管」なのだという。
そして、簡単に言ってしまうと、野生の生物は人間が勝手にあれこれしてはいけなくて、かわいそうかもしれないけれど、そのツバメのヒナもどこかの木陰に放して、あとは自然に任せるのが正しいのだという。


それで近くの草むらにツバメを放して、手を振って別れた。
そしてそのツバメがどうなったのか?
これは僕の予想だけれど、あそこは結構、人通りが多いので、そのなかの誰かがきっとそのツバメを捕まえて、飛べるようになるまで育てるんじゃないかという気がしている。
そしてそれで僕は全然かまわないし、むしろそうなってくれないかなあって思ったりもしている。


週末はまた実家に帰った。
姉の家を訪問し、姪に線香をあげてきた。
まだときどき姪の夢を見る。
大抵、姪は病室にいて、僕は足下にいて話しをしている。
そしてそんな世界も並行宇宙のどこかにあるのかもしれないと、かなりリアルに感じたりする。


今年、芥川賞をとった西村賢太の「人もいない春」(角川書店)を読んだ。


My Kiasu Life in JAPAN-人もいない春

これは、すごい本だと思った。
主人公は作者を思わせる短気で粗野で、劣等感の固まりのような男。
社会性がなく、誰もが「最低な奴だ」と思うような男だ。


でも、読んでいるうちに、この主人公のような悪い部分を、自分も持っていることに気がつく。
そして、俺ももう少し間違っていたら、この主人公と変わらない男になっていたのかもしれないなあ、と思う。


これが私小説というものなのだろうか。

ここまで人は自分を客観的に、精確に分析し、描写ができるのだろうか。僕は今まで、自分をここまで飾らず、正直にそして残酷に描ききった小説を読んだことがない。
「男がわからない」という女の人はぜひ、この本を読むといいと思う。
男はどんな男も、こんな一面を皆、どこかに持っているように思う。


ジェフリー・アーチャーの「遥かなる未踏峰」の上巻も読み終わった。


My Kiasu Life in JAPAN-遥かなる未踏峰 上巻

エヴェレストに挑んだマロリーの歴史小説だが、面白い。
登山家に求められる資質とは何かがとてもよくわかる。


僕は特に、フィンチというライバルの言動にとても共感を持った。
マロリーは優等生だが(そうはいっても、ケンブリッジ大学の面接に遅刻した際は構内に入れてくれなかったので、高い塀をよじ登ってなかに入ったり、エッフェル塔によじ登って逮捕されたりもしている)、フィンチは権威に対して決して屈服せず、権威が折れるまで耐える。こういう人生の先輩に出会えることが小説のいいところだ。


しばらく、ジェフリー・アーチャーの本から距離を置いていたが、この本は久しぶりに面白く、わくわくしながら読んでいる。

暑い。仕事中でも汗が噴き出てくる。
職場のなかでも僕が働いている場所は特に暑い。
「あそこの席って、暑いですよね?」
「うん。暑いよ。」
「個人的なエアコンとか欲しいですよね。」
「うん。でも、俺はなんていうか…。できることなら俺の席の両側に、大きなうちわを持った若い女性を2人立たせて、ばっさばっさと扇いでもらいたい。」
「…暑くて、おかしくなっちゃいました?」
暑くておかしくなっちゃったのかもしれなかった。


「キック・アス」という映画をDVDで観た。


My Kiasu Life in JAPAN-kick ass

変わった映画だったけれど、僕にはいい映画だった。


主人公はごく普通の高校生。
スーパーヒーローになりたくなって、緑色のウェットスーツを着て、悪者を退治しに行く。
何の能力もないために、当然、ぼこぼこにされたり、命を失いそうになる。


My Kiasu Life in JAPAN-kick ass1

ここからのストーリーの展開が素晴らしい。


My Kiasu Life in JAPAN-kick ass2

僕は本当はこういうストーリーを書きたいのだ、と思った。
こういう主人公巻き込み型のストーリーは、とても楽しく思う。

My Kiasu Life in JAPAN-kick ass3

僕にとっては、目標になるような脚本だった。



会社の忌引きの制度を調べてみたら、4親等離れている「叔父・叔母」は1日休めることになっているのに、同じ4親等の「甥・姪」には忌引きの制度がない。
同じ4親等なのになぜ?という気がする。
よっぽど裁判でも起こして制度の不備を訴えようかとも思ったのだが、面倒なので、勝手に3日間、年休を取って休むことにした。
姪のためだから、それくらいしてやったっていい。


火曜日が通夜で、水曜日が告別式。
告別式のあと、長野に戻って、翌日から仕事に行けばいい。


月曜日に姪の遺影を作ってもらいに写真館に行った。
「遺影の枠は何色にします?」
なんて聞かれたので驚いた。
「黒じゃないんですか?」
「今は、黒はあまりでないんですよ。20本に1本くらいかな?」


見本を貸してもらって、姉貴や姪の妹と相談をして、結局ピンクの枠にしてもらった。
できあがった遺影では、姪が優しくほほえんでいて「本当にかわいかったんだな」という思いで悲しくなった。


日曜日の日、犬を車で運んだせいか、どうも車のなかが犬くさいなあと思っていた。
月曜日には解消したので、やれやれと思っていたんだけど。


月曜日にお見舞いに来た人に、座布団をすすめると、なぜか皆座布団に座らず、板の間に座ったままだった。
遠慮しているのかな?と思っていたのだけれど。


姪の犬はしつけがキチンとできてなくて、うんちを歩きながらあらゆる場所でする。
姪の犬を連れてきたときも、家の中でうんちをして、5カ所くらいで俺が拾った。
どうも座布団の上にもしていたらしかった。
姉が座布団カバーにうんちが付いていたというのだ。


「それでみんな座らなかったのか」と納得した。
「でもね。こすれたような跡があるの。誰か座ったらしいのよね。」と姉が言う。
いろいろと考えてみた。
そして日曜日に、やたらと俺の車が犬くさく、そして俺自身からもなんかうんちの匂いがするなあ、と思ったことを思い出した。
「ああ。それ、たぶん俺だ。」
姉貴と、姪の妹と、3人で大笑いした。姉は「これから葬式をだそうって家でこんなに大笑いするなんて」と悲しそうに、でも笑っていた。


火曜日は通夜で、多くの人が来てくれた。地元では通夜は親戚だけでこじんまりと行い、あまりお参りに来る人は少ないのだが、姪の場合は名古屋にも多くの知り合いがいたために、多くの人が来てくれた。


水曜日。とうとう姪と別れる日がやってきた。
火葬場で見た姪の骨は、若いせいかきれいな白色で、いろんな意味で残念で悲しかった。


告別式には700名もの人が来てくれた。
会場には姪が好きだったEXILEの曲がずっと流れていた。
俺のときは、ベイ・シティー・ローラーズの「バイ・バイ・ベイビー」がかかるはずだ。


同世代の方々の弔辞の言葉がまだ若く、幼さや判断の甘さを感じるものもあったけれど、それも含めて本当に若くて逝ってしまったのだという思いを新たにした。


姉や義理の兄が葬儀に参加してくれた方々に振る舞いをしている間、僕は姉の家で葬儀社の人と祭壇を作っていた。
そのとき葬儀社の担当の人は「今回の葬儀は弔電の数といい、参列者の数といい、社葬レベルですよ」と言った。
そうかもしれないな、と僕は思った。
そして、こんなに多くの人が来てくれるなんてことは、俺の場合はあり得ないな、と思った。

そしてそれは、まあ、残念なことだった。


今週末は、実家に帰らず、仕事の残りをしたり、映画を観たりしてダラダラと過ごした。
どれだけ寝ても、眠くて仕方がなかった。


昼寝をして起きるたびに、姪が死んでしまったのだということに対して「本当?」という気がして、「でも本当なんだ」って思い直して、悲しくなった。



**おまけ**


ベイ・シティー・ローラーズの「バイ・バイ・ベイビー」の歌詞(訳は俺が適当にした)


僕がこう言ったあと、君は僕を憎むかもしれない。
でももう続けることができないんだ。
君に言うしかないんだ。


バイバイ、ベイビー。さよなら。
バイバイ、ベイビー。僕を泣かさないで。


君はこの町で僕が結婚したいたった1人の女の子。
もし僕が自由だったらすぐにでも結婚する。
そうできればよかったんだけど。


僕は君を愛せるけど、別れるのはこの愛に将来がないからだ。
彼女は僕の心をつかまえたけど、僕は自由じゃないんだ。


バイバイ、ベイビー。さよなら。
バイバイ、ベイビー。僕を泣かさないで。


君のことなんか知らなければよかったのに。
彼女に会う前に、君を知っていればよかったのに。
そうだったら、どんなによかっただろう。


でももう僕は続けられないんだ。
僕の指には結婚指輪がある。
彼女は僕の心をつかまえたけど、僕は自由じゃないんだ。

先日、職場に外国の方々が視察に訪れた。
担当ではないので、どこの国の人達なのかはよくわからなかったが、集合写真を撮ってくれと頼まれたので、撮りに行った。


信じられないような話だが、僕は写真を撮るのがうまい、ということに職場ではなっている。職場での写真では、要求される構図がだいたい決まっていて、基本的には言われたとおりに撮ればいい。
そして、その後の加工技術が、僕は少しうまい。
斜めに撮った写真をまっすぐに、暗い写真を明るく、淡い色をはっきりと。
ときには、メモリーカードからうっかり消してしまった写真を取り戻してあげたりもする。
そしてそんなコンピューター上の技術があるせいで、僕は写真を撮るのがうまいことになっている。


撮りに行ったら、カンボジアの名札を掛けた人が英語で話しかけてきたので話をした。
カンボジアの教育の話をしてくれたが、優秀な人なんだなあ、という気がした。


集合写真を撮るとき、やっぱりかけ声は「cheese!」なのかなあ。と思っていた。
笑顔にするには、基本的には「イ」の口の形にするべきだからなあ、と思った。


僕の前にやっぱり集合写真を撮る人がいて、その人が「One、Two、Three!Nelly」と言っていたので、「何、そのNellyって?」と聞いてみたら、その視察の参加者の名前なのだという。
なるほど。
僕も上司の名前で言ってみた。「ワン。ツー。スリー。ヒロシ!」
笑顔なのか失笑なのか、笑いが起きて、成功したのか失敗だったのか、よくわからなかった。


土曜日に、義理の兄が運転する車に乗って、一緒に名古屋の病院へ行った。
姪の表情はこの1週間でだいぶ変わっていた。
1時間ほど、姪の手を握って祈っていた。
ここ何日か、続けて姪が目を覚ます夢を見ていたので、行くのが楽しみだったのだが、顔が腫れて痛々しい表情になっていた。


姪の車を運転して帰ることになっていた。
「明るいうちに帰った方がいい」と義理の兄が言うので、6時頃には姪の服や食器を姪の車に積み込んで、名古屋を出発した。


姪の車を運転しながらトリップメーターを見たら、まだ300キロ程度しか走っていなかった。
やれやれ。という気がした。


その日は、姪の服や食器を義理の兄の家に運び込んで、実家に帰って10時頃には寝てしまった。


翌朝、たっぷり寝たはずなのに、なかなか起きられなかった。
午前10時に人と会う約束をしていたので、「それまでには準備をしなくては」と思っていたが、7時に起きてもまだ眠くて、また寝てしまった。


心臓がズキッと一瞬痛み、それから何事もなく寝ていた。
9時頃にはようやく起きて、人と会う準備をしているときに、姉から電話がかかってきて、姪が7時30分に息を引き取ったと教えてくれた。


考えてみれば、今日は司法書士の受験日で、僕は願書は出したものの、大して勉強もしていなかった。
結局、会場にも行けない運命だったんだな、と思った。実は姪が病気になる以前から、何かが起きて試験会場に行けないような、そんな気がしていた。


義理の兄の家を掃除して、姪が到着するのを待った。
姪は顔の腫れが引いて、少しきれいになっていた。
なにか微笑んでいるように見えた。


動物病院から、姪の飼い犬を引き取って、姪に会わせてあげた。
犬は元気に飛び回って、哀しみに打たれたみんなを和ませてくれた。


ババ抜きをすると、いつも負けて泣いていた姪。
「幼稚園でキスしたの」と、こっそり教えてくれた姪。
俺「どうだった?」
姪「面白かった」


姪は幼稚園のときに、サンディエゴで暮らすことになった。
「サンディエゴで幼稚園に行けるなんて、幸せだね」と僕が言うと、姪は小さな手で僕の手を握りしめて「私は幸せじゃないの。今の幼稚園にいたかったの」と僕に言った。


本当にかわいい姪だった。
世間は、こんなかわいい姪が死んでしまっても、当たり前に動いている。
世間になんらかの影響を与えるほどには、彼女はまだ生き足りていなかったのだ。
姪が死んでしまうなんて、僕にはまだ信じられない気分だ。


運転しながらいつもと同じ、世界を眺める。
そして悲しくなってくる。

昨日の世界と今日の世界は違う。
もう彼女は戻ってこない。

金曜日に、京都に出張に行った。
仕事が終わったあと観光にでも行こうかと思ったけれど、あまりの暑さにあまり気が乗らなかった。そもそも午後4時といえば京都のほとんどの神社仏閣は閉まってしまうものらしい。
清水寺だけは6時まで開いているというので、それでもということでタクシーに乗って見に行った。


清水寺を見るのも中学生以来だ。
中学生の修学旅行のとき、清水寺に行く坂の途中で、試食のシナモン味の八ツ橋を食べていたら先生に怒られたことを思い出す。
苦々しい思いがこみ上げて来る。


僕は「中学生が神社仏閣に興味あるわけない」と中学生のときに思っていた。興味を持つのはきっと大人になってからだ。
実際に、その通りだ。
「うぐいす張りなんて言われてもあんまりピンとこなかったよねえ。俺の友達の家の廊下の方がすごい音がするよ。なんて感じだったもん。」
一緒に行った年配の女性とそんなことを話しながら清水寺まで汗を垂らしながら歩く。


浴衣を着た若い女の子が「写真を撮ってください」とカメラを渡しにくる。ものすごくかわいい女の子の2人組だった。
「俺、世界一写真撮るの下手なんだけどなあ」と心の中でつぶやく。
おばさんたちに「ちゃんと撮ってあげなよ。」などとからかわれながら、それでも頑張って撮った。
ちょっとピントが甘かったような気がしたけれど、きっと気のせいだと思う。


My Kiasu Life in JAPAN-清水寺
※手前の物体にピントが合ってしまい、もう何が写っているんだかわけがわからない素敵な写真になりました。



途中でビールが飲みたくなったけれど、もうビールを売っている店も閉まっていた。
京都はオーストラリア並みに店が閉まるのが早いことを知った。


ホテルに戻り、それからおばさんたちと食事をしてビールを飲んだ。
3軒ほどはしごをしてビール、日本酒、黒ビール、ウイスキーをチャンポンして飲んでいたら、飲み過ぎてしまい、土曜日はまだ仕事が残っていたのに、かなり苦しい思いをした。
土曜日に、具合が悪いなか、おそるおそる記憶をたどってみる。
京都出身のミュージシャンだからと、スナックで沢田研二を歌っていたことを思い出して、「ああ、俺は本当にバカだ」と思って、それ以上記憶をたどるのをやめにした。


出張のなかで、東口高志先生の講演を聞いた。
とてもいい講演で、初めて伊藤真の憲法の講義を聞いたときと同じくらいよかった。
演題は「NSTの果たすべき役割と今後の課題」というマニアックなもので、僕のような素人にはそもそも「NST」がわからない。新しいプロレス団体か?なんて思ったりもしたけれど、そうではなく、「栄養サポートチーム」のことをNSTというらしい。


予備知識が全くなく聞いたのだけど、要約すると「もっと患者に栄養を与えなくてはいけない」ということだった。
患者に適切な栄養を与えると、回復も早まるし、感染症・合併症にかかりづらくなるというのだ。


芸能人やスポーツ界にも顔が広く、冗談交じりで「楽天の山崎に2冠を取らせたのは私です」なんて話しも面白かった。
疲労回復や皮膚の再生に効くというアバンドやインナーパワーといった栄養補助食品を、僕も飲んでみようと思ったりもした。


土曜日は、あまりの暑さと二日酔いで観光をする気は全くなく、4時頃には名古屋まで戻ってきた。
それから姪の病院に行き、面会時間の7時になるまで本を読んで過ごした。


姪の病室は、今は時間制限がある。姪の病室では、45分間ほどまだ意識の戻らない姪を見舞った。彼女の意識は今、どうなっているのか、考えると悲しくなってくる。
それから銭湯で風呂に入ったりしながら、中津川経由で実家に戻った。着いたときにはもう午後11時を過ぎていた。


姪の面会時間まで読んでいた本はジェフリー・アーチャーの「15のわけあり小説」(新潮文庫)だった。


My Kiasu Life in JAPAN-15のわけあり小説

僕のなかでは、ジェフリー・アーチャーは「チェルシーテラスへの道」以降、あまり興味のある作家ではなくなっていた。


でも、久しぶりにこの「15のわけあり小説」を読んで、「俺はやっぱり、この作家が好きなんだ」と思った。
最近読んだ「夜行観覧車」や「箱庭図書館」には、なかなか感情移入できる、応援したくなるような登場人物がいなくて、どこか無理矢理読まされている感があったが、そういう応援したくなる魅力的な人物が、ジェフリーアーチャーの本のなかには出てくる。


この本は短編集だが、バラエティに富んでいる。
僕が気に入ったのは「メンバーズ・オンリー」というゴルフ・クラブの物語と「外交手腕のない外交官」という優秀な外交官一家に生まれながら、優秀すぎるために失言を繰り返し、外交官としては三流の男が人生の逆転を図ろうとする話しだった。


彼の本には「希望」がある。主人公が成功するか失敗するかは問題ではない。
彼の本の後ろに「努力するんだ」「くじけるんじゃない」「弱音を吐くな」といった強いメッセージを感じる。
「頑張ろうとしているのは、おまえだけじゃない」ということを気づかせてくれる。


彼の本を読んで僕は力づけられたし、そして反省もした。


今週はほかにももう1冊、林望の「節約の王道」(日本経済新聞出版社)も読んだ。


My Kiasu Life in JAPAN-節約の王道

全体として「俺(作者)のように生きるのが「節約の王道」だ」という本になっている。
作者は酒も飲まず、たばこも吸わず、家族を大切にし、賭け事はせず、ゴルフもせず、自分で料理をする男だ。
確かに、ごもっともで文句のつけようがない。
書いてあることは、それなりに道理が通っているし、例えば「節約をするのは、浮いたお金で自己研鑽をするためだ」といった内容には、大いに力づけられもした。


しかしながら、作者以外の人が興味を持つものは片っ端から「不要だ、無駄だ」と言いつつ、作者自身に興味があるものについては価値があるという決めつけはどんなものかと思う。


酒も飲まず、女遊びもせず、賭け事もしない。夢は日本文学の研究。そんな男に「俺についてこい」って言われたら、俺はすかさず「いってらっしゃい」って見送る。


確かに、節約に限らず、人生においても彼の生き方は王道なんだと思う。でも、俺は今までも回り道して来たんだし、そして後悔ばかりだけど、きっとこれからだって、いっぱい道草をする。そしてそれが俺の人生なんだって思っているからそれでいいと思う。


さて、21日にトヨタ ソーシャルアプリアウォードの発表があった。僕は、パソコンゲームの原案を考えて応募していたけれど、全くだめだった。
それはいいんだけど、トヨタが大広告主の電通がグランプリ受賞っていうのが、なんだかなあって気にさせられた。


友達に話すと、そんなものに応募していること自体が「くだらない」そうだ。
そうなのかもしれない。
そして必ずうまくいかない。俺の場合は。



**おまけ**


応募したパソコンゲームはこんな感じ。


PCゲーム「ドライビング・キャプチャー」


タイトル
「ドライビング・キャプチャー」


アプリコンセプト
従来、戦闘機ソフトにしかなかったドッグファイトを車でも可能にする。そしてそこに至る経緯のなかで、車の楽しみ方や、車の役立たせ方など車の持つ能力を再認識させる。車があることで人生がより豊かになることも実感として感じられるように様々なイベントも考えた。


概要
自分の車を運転し、ターゲットの車を見つけたら、背後に近づいて、シューター(レーダー発射装置)からレーダーを発射。
レーダーの射程範囲内にその車があれば、ロック・オン(レーダーで捕捉)された状態になる。
ロック・オンされた車に振り切られないように追走し、30秒間ロック・オンし続けられれば、キャプチャー・コンプリート(捕捉完了)。その車の装備品や所持金を手に入れることができる。
逆に、ほかの車にターゲットにされ、背後を取られてキャプチャー・コンプリートされると、装備品や所持金を取られてしまう。
最初は、弱い車しか出てこないが、だんだんと手強い車が現れるので、テクニックを磨き、車をパワーアップして、挑戦をしていく。
舞台は高速道路も含む日本全国の主要道路。ゲームをしながら、道路の名前や地方都市の名前、県の配置など自然に身につくようにする。
それぞれの地方都市で名産品を買い、高い値段でほかの都市で売ったりすることもできる。
また、地方都市で出会った仲間が装備をプレゼントしてくれる、知り合った女性(または男性)と一緒にドライブをする、災害時に、被災時に救援物資を届けるなどのイベントも充実させる。


特徴
 全国をドライブし、名所・旧跡を訪ねるという「桃太郎電鉄」のような地理学習・ボードゲームの側面、車を改造するという育成シミュレーションゲームの側面、取引によってお金を稼ぐというビジネスゲームの側面、逃げられるかそれとも捕らえることができるかという釣りゲーム的な側面、車を素早く操作するドライビングゲームの側面、名所・旧跡等での出会い、それによって運・不運が左右されるという恋愛ゲームの側面を持ち、様々なゲームの面白さを複合したゲームである。


ラフデザイン
1 舞台
ゲームの舞台は日本全国の主要道路と高速道路。ただし、左側通行などの制約はない。
主要な港からはフェリーに乗って、沖縄や北海道に行くことも可能。フェリーに乗っている間は、攻撃されることもないし、攻撃することもできない。
走っているときに見える景色は、その土地らしく見えるようにしたい。
主な名所、旧跡では、車を降りて休むこともできる。また、その土地の市場では、その土地の代表的な産物を購入することもできる。
その土地での出会いも大切な要素。休んでいる間に、声をかけたり、声をかけられて一緒にドライブをすることも可能。装備等をプレゼントしてくれることもある。
災害のイベントでは、できるだけ早く災害現場まで、必要な物資を調達してたどり着くことが大切。それによって、運のパラメータが急速に上昇する。


2 車の改造
それぞれの地方都市には、特徴のある車の改造工場がある。地方によって、改造費用は違っている。
最初は、改造については、ノーマルなエンジンのチューンアップやエアロパーツの装着、タイヤの高性能化程度しかできない。
しかし所持金が増えてくると、シューター(レーダー発射装置)の高性能化(長距離まで届く、レーダーの捕捉する幅が広い、一回目のレーダー発射から次の発射までの間隔を短くするなど)や、ターゲットや迫ってくる敵の装備を解析するカーナビの高度化などの改造もできるようになる。また痛車塗装のように、性能的には無意味な塗装も可能になる。
そして、さらに所持金が増えると、ニトロスイッチを作って瞬間的な爆発的推進力を得たり、ターゲット車のカーナビに映りづらいステルス塗装などを手にいれたりすることも可能になる。


3 所持金を増やす
基本的には、ただ走っているだけで走行距離に応じて所持金が増えていく。しかし、それでは買えるものに限界がある。キャプチャーした相手の車の所持金を手に入れることができるほか、手に入れた装備品を工場に売ることができる(地方によって買い取り金額も違う)。
 また、北海道で買った昆布を沖縄で売るなどして(容量に制限はあるが、実際に車に載るかどうかは無視)、稼ぐことができる。
 全国にある名所旧跡・市場・工場などで、出会いがあり、装備品をプレゼントされることもある。


4 車をキャプチャーする
 自分の車をターゲット車の後ろにつけて、シューター(レーダー発射装置)からレーダーを発射。最初は、シューターの距離も短く、幅も狭く、一回外してしまってから、エネルギーを再充填するまでに時間がかかる。改造を重ねることで、より高度なシューターを装備することが可能になる。
 うまくレーダーで捕捉(ロック・オン)ができたら、その後、その車にぴったりと付いて追走しなければならない。ターゲット車は、ハンドルを左右に切って、ロック・オンした状態から逃げようとするので、逃げられないように自分もターゲット車に合わせてハンドルを左右に切って走る。
 30秒間、ロック・オンし続けられると捕捉完了(キャプチャー・コンプリート)。相手の所持金や装備のすべてを没収することができる。
 逆に、自分の車がターゲットとされ、ロック・オンされた場合には、ハンドルを左右に切って逃げる、急加速や急停車などを繰り返す、などをして30秒以内に相手のロック・オンを外さなければならない。
 相手に狙われて、レーダーを外させることができた場合には、車をUターンさせ、今度はこちらが相手の車を狙って攻撃することもできる。
 レーダー発射に差があれば、早い方がキャプチャーすることになるが、レーダーの発射が同タイミングの場合には、運のパラメーターのよい方がキャプチャーする。
 超高速ドリフト・超高速スピン等、高度なドライビング・テクニックも使うことができる。


5 イベント
(1)出会いイベント
全国にある名所旧跡・市場・工場などで、車をきっかけに女性(ドライバーによっては男性)が近づいてきて、話次第では、それからいっしょにドライブすることもできる。また、ヒッチハイクなどでの出会いもある。女性(または男性)を連れてドライブしていると運の良さが大幅にアップあるいはダウンする。
また、多くの異性とドライブをするか、一人の異性とドライブするかなどの選択、季節に応じたドライブの目的地等の選択によって、運の良さやその後のイベントに差が出るようにしたい。
また、伝説のレーサーや地元の名士、レース仲間、芸能人などから、装備品などをプレゼントされるといったこともある。
(2)災害イベント
災害発生時に、例えば「長野市のスーパーが地震で崩壊。野菜が不足」といったテロップが流れる。ターゲット車を避けながら、できるだけ早く全国の市場で野菜を手に入れ、長野市に届けると新聞やテレビなどで大きく取り上げられ、運の良さが大幅にアップする。


ビジネスモデル
通常の販売方法でPCゲームとして販売する。その後、日程を決めて、県ごとのレースを行い、勝者はさらに全国大会に出場し、47台が激突する壮大な試合となる。
相手の車をキャプチャーできれば、相手の溜め込んだ金額や装備等を総取りできるため、勝ち進めると、モンスターマシンはますますモンスターとなり、性能、テクニックとも超絶なものとなるはず。
最終的には年度チャンピオンを決定。本物の車などをプレゼントして話題を盛り上げる。

カリフォルニアのクリスからメールが来た。
ロサンゼルスの大きなラーメン屋に行ったら、俺たちの共通の友人(日本人)が普通にラーメンを食べていて、互いにすごく驚いたそうだ。
日頃の行いが悪いせいか、俺にはそういうサプライズが少なくて残念だ。


先週末、姪の看病の合間に、知り合いの家に挨拶に行った。
僕もお世話になった93歳で亡くなった方の葬儀が平日にあって行けなかったので、挨拶に行くことにしたのだった。


車を駐めるスペースがとても小さな家だったので、駐めてあった軽トラのギリギリに車を駐めようとしたら、軽トラの飛び出たウインカー部分で、僕の車体をこすってしまった。
軽トラのウインカーには軽いヒビが入り、僕の車は少しだけへこみ、15センチほどのキズが、リアパネルからバンパーにかけてつながっている。


長野に帰ってから修理に出したら、5万円を超える見積もりだった。
板金そのものは7000円だというのだが、僕の車の塗装が特殊で、その料金が高いということだった。


泣く泣く、その修理を依頼した。
修理に出したのが火曜日。完成は金曜日になるということだった。
お金も痛いが、車で通勤しているので、代わりに電車で行くのがつらい。


都会と違って、5分ごとに電車が来てくれるというわけではない。1本乗り遅れたら、20分は待たないと行けない。朝の20分は大切だ。
職場は遠いので、朝8時から始まる会議に出席するためには、朝6時29分発の電車に乗る必要がある。


昼間はそれほどでもないが、夜に近づくにつれて眠くなってくる。金曜日の夜5時45分からの講義では、思いっきり爆睡してしまい、あとから講師に注意された。何やってんだよ。俺は。


金曜日の夜、契約どおり、修理をされた車は僕の宿舎の駐車場に駐まっていた。鍵は郵便ポストにちゃんと入っていた。曇天が続いていたせいなのか、車の塗装の匂いはまだ抜けていなかった。


今週末も実家に帰った。


とりあえず、先週、ウィンカーにヒビを入れてしまった軽トラの持ち主の家に謝りに行く。
「こんなのトラックなんだから、凸凹していてもいいの。このお金もまた返しに行かなくてはならなくなる」という親切な相手の方に「そうはいっても」といいながら1万円ほど置いてきた。
板金屋の親父に「相手の車もけっこういっちゃってるかもしれないよ」と脅されたせいもある。1万円で収まる被害であることを祈るばかりだ。


実家に帰って家の様子をしっかり見るのも久しぶりだ。
庭に出て見回してみたら、ここ1月あまりのうちに草が生い茂り、ジャングルのようになっている。


「これはなんとかしなくては。」
そう思わざるを得ないようなひどさだ。


大きな剪定用のハサミを物置から取り出してきて、草を刈る。
でも、あまり花のことに詳しくないので、本当は切ってはいけないような貴重な花も、雑草も同じ勢いで切る。


僕には何が必要なのかわからないので仕方がない。
さんざん切り刻んで、30リットル入りのゴミ袋が2袋ほどいっぱいになった頃、あたりを見回して、自分の招いた惨状を落ち着いて眺めてみた。


背の高い草が倒れている。地面が拾いきれていない草で緑のカーペットのように覆われている。
「これはやりすぎたかもしれないなあ」と思う。


雨が降り出してきたので、そのままシャワーを浴びに家に入る。


シャワーを浴びたあと、ようやく理性が回復してきて、庭屋さんに電話をする。
庭屋さんは「庭の手入れをしようと思っていたんですが、セコムのシールが貼ってあったので、庭に入っていいのかわからなかった」と言う。

「入っていただいて大丈夫です」と話して、それから「庭をひどいことにしてしまったので、きっと怒られると思いますが申し訳ない」と謝った。


それから、姉に電話をして、やっぱり名古屋に行って、姪の看病をすることにした。
看病と言っても、病室でイスに座って本を読んでいるだけだから簡単だ。


「土曜の夜くらいは、俺が見守っているから、姉貴は少し休めよ。」
夜は個室にエキストラベッドを入れてもらって、姪を見ながら寝ることができる。


姪の意識はまだ戻らない。

夜中に何度も、看護師さんが姪の体位の交換に来てくれる。
そのたびに起きてしまう。それ以外にも姪の意識が戻った夢を見て目を覚ます。
そのたびに「夢だったのか」と呆然とした気持ちで現実の病室を眺める。


姪はスヤスヤと眠っている。
「起きてくれればいいのに」と思う。


病室にいる間に、乙一の「箱庭図書館」(集英社)を読み終わった。


My Kiasu Life in JAPAN-箱庭図書館

最後まで読み切ったが、「ZOO」や「平面いぬ。」を読んだときに感じた「これはすごいなあ」という感想を持つことはできず、面白味も欠けているような気がした。


そのほかに、勉強の本を少しだけ読んだ。
そこに「気分次第でやるやらないを決めるような勉強態度はよくない」ということが書いてあって、それはそのとおりで大いに反省をした。


「そうなんだよな。まったくだ」と思う。
「そういうことだからな。」と自分に言う。
明日からの自分に期待したいと思った。

先週、名古屋の弁護士の先生からkindleを見せてもらった。
英語の本をダウンロードして読んでいるのだそうだ。
主に読んでいるのは村上春樹だという。
ルイス・サッカーの「穴」ももう既に英文で読んだそうだ。
見せてもらったkindleには「華麗なるギャッツビー(もちろん英語で書いてあるんだけど)」なんてのもあってすごく欲しくなった。


それで月曜日に早速注文した。
ところでkindleは日本のアマゾンでは買えない。
アメリカのアマゾンに登録してから買わなければならないのだ。
円高だから、と自分自身に理由もつけて、ライト付きのカバーもいっしょに購入した。


アメリカのアマゾンで購入したのが6月6日。
注文を受けて6日にニューアークを出発した僕のkindleはフィラデルフィア、ルイビル、アンカレッジを経て、8日に成田に到着した。
そして、僕の手元に届いたのは9日だった。いろいろとあったので、僕は集配所まで自分でkindleを取りに行った。
注文をしてから届くまで、kindleが僕を目指して一直線に向かってきているようで、毎日インターネットを見るのが楽しかった。


ネットで英辞郎ver.129もダウンロードして購入した。
これがあるとわからない単語も辞書を引かず、kindleの画面上で調べられるのだ。


それから、最初に何を買うべきかしばらく迷った。
kindleを買うときは、村上春樹を「風の歌を聴け」から英語で順番に読んでいこうなんて思っていた。誰が何と言おうと、村上春樹はあだち充同様に、俺たちの青春の本だからだ。
けれど、実際に買うことができるようになると「俺、本当に村上春樹を読みたいのか?」と疑問を感じてきた。


昔は村上春樹の本は、俺のために書かれたような本のように感じていたけれど、今読んで、彼に本当に共感できるのか少し疑問だった。美しい記憶は美しいままに止めておいた方がいいような気がしてきた。
それで、最終的にはハロルド・ロビンスの「A stone for Danny Fisher」を購入した。


My Kiasu Life in JAPAN-A Stone for Danny Fisher

ハロルド・ロビンスの「ストーリー・テラー」という英文の本を僕は18歳のときに新宿の紀伊国屋で購入した。理由は簡単。表紙がエロチックだったからだ。エロチックな本なら、自分でも読み切るのではないかと思っていた。
でも、当然のことながら、それがたとえエロチックであっても、当時は全く読めなかった。
それでもいつの日か、彼の本を読みたいとずっと思っていた。


今こそ、その当時の思いを実現するときだ。
書評を読んで、彼の本のなかでも傑作と呼ばれる「A stone for Danny Fisher」というこの本をまず読むことにした。
実際に購入して読んでみると、実に深い本だ。


1人の男が、自分の人生について、息子に語る。
「俺は、人間だった。だから間違ったこともしてきたし、弱かった。多くの人を陥れても来た。でも、俺はおまえを陥れたくない。
頼むから、俺の話を聞いてくれ。父親の人生から学んでくれ。」
ストーリーは胸を抉るような話が続く。
少しはエロチックな話も期待していたのだが。そんな話は出てこないのだろうか?まだ途中だが、最後まで読み切ってみたい。


本といえば湊かなえの「夜行観覧車」(双葉社)を読みおわった。


My Kiasu Life in JAPAN-夜行観覧車

最近の風潮なのだろうか?
作品に出てくる男は揃いもそろって問題が起きると逃げようとする奴らばかり。
なぜ立ち向かわないのか不思議でならない。
そして揃いもそろって性格や頭の悪い女ばかり。実際に女はこの程度で、俺が女性に対して夢を持ちすぎなのだろうか?
作品としては、「告白」のような圧倒的な新鮮味はなく、面白かったけど、それだけの小説だった。


最近、職場で卓球が流行っている。
木曜日の夜、僕もアマゾンで1本、780円のシェークハンドのラケットを買って、仕事の終わりに卓球をしていた。


その最中に姉から電話があって、姪が「今から手術」になると聞かされた。
とりあえず、職場に戻って金曜日の休みを取った。
木曜日の深夜までには実家に帰って、金曜日の朝には中津川駅に車を駐めて、名古屋の姪が手術を受けた病院に向かった。


そして姪の手術は成功したものの、詳しいことは正確にはよく僕も理解していないが、脳に出血が起きたのか血管が詰まったのか、あるいはその両方なのか、とにかく何かが起きて、姪は未だに意識を失ったままだ。


姉は疲れ果てているし、ほかに適当な人もいないので、比較的暇そうな僕が、土曜日の夜と日曜日の夜(今夜)、この病院の個室で、姪に付き沿う。
明日の仕事も、もうとっくに休むつもりでいる。
姪がいつ目を覚ますのか、それとも覚まさないのか、僕にはわからない。


彼女がまだ小さな頃、僕の名前を呼びながら、両手を広げて笑顔で駆け寄ってきた姿が目に浮かぶ。
いっしょにバスに乗って旅行したとき、バスの窓から夕日を眺め、両手を合わせて「まあ!きれい!」といって目をキラキラさせていたときの顔。
オチのない長い話を一生懸命話し、誰も聞いてくれなくて、ふくれていたときの顔。
中学校1年生のとき、演劇の長い脚本を書いて自慢気に持ってきたときの顔。


もう一度、あの表情に会いたいなあ、と僕は思う。
今は人工呼吸器をつけた寝顔しか見られない。
奇跡が起きることを、今はただ、祈るだけだ。

日曜日に「八日目の蝉」という映画を観に名古屋の映画館に行った。
弁護士事務所の秘書さんと一緒だった。


My Kiasu Life in JAPAN-八日目の蝉

そのシネコンの購入ブースはかなり混んでいて、僕たちもかなり待った。
ようやく順番が来たので、ブースの人に
「八月(はちがつ)の蝉を2枚」と言ったら怪訝そうな顔をして「八日目(ようかめ)の蝉ですよね」と言われた。確かによーく見てみたら「八日目の蝉」だった。
「あっ。それです。はい。」
今までずーっと「八月の蝉」と友達にも話していた。八日目だったのか。少しだけ恥ずかしかった。


そう言えばその前日は、名古屋のテレビ塔近くにある「神楽家」という懐石料理やで、古くからの友達の弁護士の先生とその秘書さんとお食事をした。
そのときに、秘書さんが「出雲大社に神無月の頃に行きたい」と話していた。
世の中の神様が出雲大社に集まるので、神無月となるこの時期に、出雲大社に行けばたくさんの神様に会えそうだから、というのがその理由らしかった。


それで、どう話が発展をしたのか「とっとり県」という字についての話になって、秘書さんが「鳥取県ですよ」というのを、俺と弁護士の先生とで「ばっかだなあ。取鳥県に決まってるだろ」って大笑いしていた。
「鳥取県」が正しいって、日曜日に秘書さんに会ったときに言われて、本当にそうだったので謝った。
なんで間違えちゃったんだろうか?昔から気をつけているのに。


その店でも、それから後に行った店でも、弁護士の先生が支払ってくれた。

でも大してお礼も言わずに、力一杯酔っぱらって帰ってきた。

酔った後の自分について思い返すと、「わあー」と叫びながら琵琶湖を走って一周したいくらいの恥ずかしさにおそわれる。


「八日目の蝉」はかなりストライクだった。
久しぶりに映画を観ながら泣いた。


My Kiasu Life in JAPAN-八日目の蝉1

永作博美のお母さんぶりが素晴らしくて、井上真央の演技も渋くてうまかった。

ずるい男たちの姿にがっかりとし、強く生きていく女性の姿が美しかった。


My Kiasu Life in JAPAN-八日目の蝉2

子供に「きれいなものをいっぱい」見せたいと願う母の気持ちが痛かった。
そして世の中には、実は「きれいなものがいっぱい」あるんだということをこの映画を観ながら再認識した。
俺も世の中にあるたくさんの「きれいなもの」を観て、おいしいものを食べたいと思った。

そのために、俺は生きているんだとも思った。


おいしいものと言えば、土曜日には名古屋の駅ビルにある「ポール・ボキューズ」でランチを食べた。すごくおいしかった。
昔、リヨンの本店に行ったことがある。
おいしかったけれど食べきるのに必死だった思い出がある。
今回のランチ。やっぱりおいしく、満足した。


映画館を出た後、姉から電話があって、姪が入院したのだと聞いた。
まだ会うことができないからと、面会は許されなかった。
まだしばらくは面会謝絶が続くらしい。
とても心配だ。


「なんで入院なんか…。」
原因もまだよくわからないが、事故ではなく病気のようだった。
突然のことで現実感がなかなかわかずにいて、電話を切ったあとに悲しみがどっと押し寄せてきた。
早く良くなってほしいし、良くなると信じているけれど、もう入院なんてことはやめてほしいなあって思った。

うちの会社の事故で亡くなった方の遺族を訪問するという仕事をすることになった。
事故は7年前の話だ。
僕は今年、突然担当になったので、事実関係がまったくわかっていなかった。
事実を把握するために、分厚いファイルを読んで、遺族に連絡をして、訪問の約束をした。


例年は、訪問をするといってもだいたい先方から断られるので、お墓参りだけになることが多いと聞いていたが、今年はどういう訳かお会いしてくれることになった。


相手方に聞いた住所を確認して、上司と一緒に車で向かった。
先方では奥さんが1人で出迎えてくれた。事故で夫を失ったのだ。


お花をあげて、それからお線香をあげさせてもらった。
「夫が亡くなって、7年になります。」
奥さんの話は聞いていてつらかった。


夫が亡くなってから、自分も体調を崩し、重い病気になったこと。その病気がつらく、実家の近くに移り住んだところ、夫の家から「長男の実家を継げないのなら縁を切れ」と迫られ泣く泣く縁を切ったこと。月命日に、毎月お花を持って行くのだが、夫の家の人たちにお花をお墓の隅に捨てられてしまうこと。今も精神的に、とてもつらい状態にいること。


聞いている間、僕は何も言えずにずっと黙ってうつむいていた。
「もうお墓参りは今年限りで結構です」と奥さんに言われて、上司が「襟を正すためにも私が在職中は来年もまた来たい」と話し、僕は「そうだよな」と思いながらうつむいていた。


人が1人亡くなってしまうというのは、たいへんなことだと改めて思ったし、そしてそれから東日本大震災で死者や行方不明者が2万人もいることに思いが至って、「ああ。どれほどの悲しみや悔しさや、いつまでも続く痛みを多くの人が抱えているのだろう」と思った。


今週末は、実家にも帰らず、旧鬼無里村の奥裾花渓谷に水芭蕉を見に行った。


今頃になって、こんなことを気づくのもかなり遅いと思うけれど、車の運転がスキーに似ていることに気がついてから、コーナリングが以前よりもかなりうまくなった。
スキーと同じように足を少し内股にして、スキーでポールを避けるように上手にカーブを曲がっていく。
「こうやって曲がればよかったんだ」


ただ難点は気がつくとスピードがやたらと出ていることで「これは警察に見つかったらしゃれにならないな」と思うことほどスピードが出ていることも最近はよくある。


奥裾花渓谷につながる国道406号線は、急カーブの連続だと以前から聞いていたけれど、思った以上で、でも、コツがわかってきたので楽しかった。


奥裾花の観光センターに入る直前に大きな橋を渡る。その前にある大きな看板に、現在の水芭蕉の状況が示されている。


「現在の水芭蕉の状況:見頃過ぎ」


ここまで来て、見頃過ぎって言われても引き返すわけにも行かないので、そのまま観光センターを目指す。
観光センターに着いた11時30分頃には雨も上がっていて、曇り空だった。
観光センターから先は自家用車の乗り入れは禁止なので、バスに乗り換える。でも、乗っているのは5分程度だ。
降りるとき、「帰りのバスの時刻表を確認するように」と言われる。
確認してみたら毎時15分と45分に発車することになっている。
「そう言えばいいだろ!」なんて思ったりした。


最後のバス停から、10分くらい歩くとようやく水芭蕉のある自然園にたどり着く。
大きなブナの木がきれいだ。足下には落ち葉がクッションのように積もっていてとても歩きやすい。


My Kiasu Life in JAPAN-ブナ林

水芭蕉は、僕は可憐な花のイメージを持っていたけれど、確かにもう見頃過ぎだった。
葉は巨大化し、白い花のように見える部分は垂れ下がり、「ここは野沢菜畑?」って感じになっていた。


My Kiasu Life in JAPAN-大きく育った水芭蕉

それでも水はきれいで、景色は美しかった。白く可憐な水芭蕉も広大な自然園を歩いていると、少しは見つけられた。


My Kiasu Life in JAPAN-可憐な水芭蕉

1時間ほど散策して、それから帰ることにした。観光センターまで、歩いたって20分程度だ。ちょうどいいバスの時間がなかったので歩いて帰ることにした。


5分ほど歩くと、僕たちを帰りのバスが追い越して行く。どうもあんまり時間に関係なくバスは動いているようだった。
「あのなあ。でもいいや。俺、歩く。」なんて思った。


帰り道の途中、鬼無里温泉に寄って体を洗った。以前、カリフォルニアのクリスが教えてくれたように、「熱いお湯に入って、出てきたら冷たい水をかける」のを何度も繰り返していたら、気分もすっきりした。


その日の夜は、大町の友達の家に泊まった。
信濃大町駅の近くにある「喜多さん」という飲み屋を目指していたのだが、結局、「喜多さん」の斜め前にあるきれいなお店で飲んだ。
店の名前はもうすっかり忘れてしまったが、女将さんに頼んで、普段は「エビやカボチャや山菜」というてんぷらを全部山菜にしてもらった。


コシアブラ、タラの芽・・どのてんぷらもおいしかった。
ほとんど衣のないてんぷらで、揚げ方も本当にうまく、油っぽさが全くないスナック菓子を食べているような軽さだった。
「こんなおいしいてんぷらを食べたことがない」と一緒に行った友達も絶賛していた。


日曜日はダラダラと友達の家でマンガばかり読んで過ごした。
そんなわけで、今週末もまったく勉強をしなかった。動かざること山のごとし。


残念なことだ。

もう誰もが想像がついているとは思うし、僕もどうしようもないことを自覚しているけれど、7月の司法書士試験に対する準備は全く進んでいない。


もし、客観的な僕がいて、今の僕に助言をしてあげるとしたら、「とにかく今は黙って勉強をすることだ。間に合わなくてもいい。集中するんだ」と言うところだが、まったく勉強をしようとしない。
むしろ、本当の僕は勉強から遠ざかっていく。


そしてそんな自分に対して深いところで、僕は自分自身に対してがっかりする。
俺は本当に弱い人間だなあ、と呆れてしまう。


今週末も旅行に行った。
旅館と出発時間だけ決めて、あとは何も決めずに出発した。


いきなり一緒に行くはずの友達が、前を走っていた車に追突したと言って出発が1時間以上遅くなったけれど、「そういうこともあるよな」って思いながら車のなかで本を読みながら、友達が来るのを待っていた。
何も決めていないと、スケジュールの変更も簡単でいい。


目的の宿泊場所は岐阜県の高山市。飛騨牛を食べに行くことにしていた。


梓川ダムをいつものように眺めてから、乗鞍高原の番所大滝を見に行く。


My Kiasu Life in JAPAN-梓川ダム

My Kiasu Life in JAPAN-番所大滝

ダムも何度も見ているし、番所大滝も何度も見ているのだけれど、これらは国道158号線を走るときのお約束のようなものだ。


安房トンネルを抜け、高山市の手前にあるお店で、自然薯ご飯を食べた。
そこで話し合って白川郷にまで足を伸ばすことにした。


今まで白川郷については、世界遺産にもなっているし、藤子不二雄のマンガ「まんが道」にも取り上げられていたこともあって、風情があるところなんだろうなあと思いこんでいた。


実際に行ってみると、ものすごい数の観光客と土産物を売る店や料理店、民宿などで、風情といったものはほとんど感じなかった。


My Kiasu Life in JAPAN-白川郷

地元の方々も、毎日、物珍しそうに観光客に覗き込まれながら生活するのでは大変だろうなあとも思った。


藤子不二雄のマンガにあった白川郷はまだ昭和30年代で、その頃は今とはきっと全く違う状態だったんだろうな、と思った。


My Kiasu Life in JAPAN-和田家

それから高山市まで戻って、旅館に泊まり、ビールを飲み、飛騨牛を食べて寝た。
寝たのは午後8時27分だったが、それから僕は延々と寝続けて、翌朝7時過ぎまで起きなかった。


いろんな夢を何度も見た。
親戚の叔父の家に遊びに行ったり、カエルがハエを捕らえるのを観察していたり、何の意味があるのかよくわからない夢が多かった。


翌日の日曜日は雨だった。
旅館のとても美味しい朝食を食べて、高山市を出発した。
あちこちドライブした後、信州新町でジンギスカンを食べて帰ってきた。


正直、かなり楽しかったし面白かったけれど、「俺、こんなことしていていいのかなあ(いいわけないだろ)」ってずっとどこかで思っていた。
その一方で、僕がまだ勉強しようとしないのは、何かの深い意志みたいなものが動いているからだとも、どこかで感じている。
僕はきっといつか勉強を始めるような気も正直している。


その大波がいつ来るのか、僕にはまだわからないけれど、できるだけ早く来てくれることを今は祈りたい。

ここのところの数週間は、何をしても気分が晴れず、どんよりとした気分だった。
やる気がわかず、やる気が出ても長続きしない。
これが5月病ってやつなのか、と思った。


仕事もちゃんとできているし、遅刻もしない。そこそこ楽しんでもいるし。
客観的にはまともなんだろうと思う。でも、自分が自分でないような気がする。
自分の人生の流れが、滞留しているような気がしてならない。
実際、仕事量は一昨年の半分以下なのに疲れ具合が半端じゃない。
やる気がわかず、勉強なんてまったくしていない。
自己嫌悪に陥る。高校時代の自分に戻ってしまったかのようだ。


佐藤孝幸という人の書いた『「要領がいい」と言われる人の、仕事と勉強を両立させる時間術』(クロスメディア・パブリッシング)と千葉博という人の書いた『1番難しい試験に合格させるプロが書いた! スランプに負けない勉強法 (どんな目標も達成できる!自分をマネジメントする30の習慣) 』(フォレスト出版)の2冊を立て続けに読んでみた。


My Kiasu Life in JAPAN-要領のいい

My Kiasu Life in JAPAN-勉強法

どちらもいい本だとは思う。でも、それでも気分が晴れず、ずっと花粉症のような頭の重さが続いていた。


週末は実家に帰って、お墓に行った。
待ち合わせをしていた業者と、お墓まで一緒に歩いていった。
お墓に向かう途中、首を?マークのように曲げたカラスがピョコピョコと歩いていて、僕たちを見ると歩いて逃げようとする。
親ガラスなのか、心配そうに屋根の上から見下ろしているカラスも数羽いる。
かわいそうなので、回り道をしてあげた。
事故にでもあったのだろうか?
カラスという鳥を僕はそれほど好きではなけれど、それでも飛べないカラスというのはかわいそうなものだ。


戒名を彫ることやお墓のクリーニングをしてもらうこと、それからお墓の枠を金具で固定してもらうことなどの契約をした。
思ったよりは安かったが、それでも安い買い物ではなく「でもまあ。しかたがないな」と思った。


それから、姉と、幼稚園に行ってシスターに会った。
シスターに会うのも何年ぶりだろうか。
彼女はずっとアフリカのシエラレオネの学校に勤めている。
シエラレオネは「ブラッド・ダイヤモンド」というディカプリオの映画の舞台になった国だ。
シスターはもう70歳を超えているのに、バイクに乗って学校に行くのだという。


戦争の間は、生きた心地がしなかったそうだ。


村に突然、兵士がやってくる。
男たちを一列に並べ、「長い方がいいか、短い方がいいか」と聞く。
長い方だと、肘から下を切断され、短い方だと肩から切断される。
選挙で投票ができないようにするためだ。
切られた腕は、地面をポンポンと跳ねるように転がっていくのだという。
逃げた男は殺害される。


それを見て泣く子供がいる。
捕まえられ、ビニールを溶かした液体を目に注ぎ失明させる。
その子ももう高校3年生だが、そんな生徒にシスターは職業教育をしているのだという。


シエラレオネの内戦が、悲惨なものになったのは少年兵に住民を殺させたからだそうだ。
少年は自覚がないままに残虐な行為を行う。


まず少年たちを4人1組にする。
麻薬をかがせ、殺しを行わせる。
1人殺すと4人の階級が1つずつ上がるのだという。
当然、少年たちは競争のように住民を殺していく。


住民たちはどこにも逃げられない。
逃げる手段がなかったからだ。


毎晩、軍靴の音に耳を澄ませていたのだという。
軍靴の音が止まった家が、その日の被害者なのだ。
女性はレイプされ、逆らった者は殺される。


皆、飢えていたが、ときどき市場に肉が出たのだという。
後で、それは脱走兵の肉だったと聞かされたそうだ。


戦争は、もうこりごりだと、今のシエラレオネの住民は感じていて、こそ泥は多いけれど、治安はとてもいいのだという。
ここ10年ほど、強盗はないのだという。こそ泥が多いのは、「見つかった盗みは悪いけれど、見つからなかった盗みはよい」ということわざのせいだとシスターは笑っていた。


シスターの学校は、生徒たちの食事も、トイレも、学校も、皆、日本からの援助で成り立っているのだという。
200円あれば、生徒1人の1ヶ月の食費が賄えることになっていて、日本から援助を受けているそうだ。それでも、肉はほとんど生徒は口にすることができないし、シスターも野菜はイモの葉っぱを食べているのだという。


日本という国に、皆、とても感謝をしていて、ラジオで「日本が地震と津波に襲われた」という情報が入ったときには、皆がカンパをして「私たちを助けてくれた日本が大変なことになっている」と3万円ほども集めてくれたそうだ。
あの国で、3万円という金額は、僕たちが考える以上に重いものだ。
「額は小さいけれど、気持ちが嬉しかった」とシスターは話してくれた。


シエラレオネの写真を見ると、シンプルだけどきれいな校舎で、制服を着た学生たちは恵まれているようにも見える。
でも、実際には制服はもうボロボロで、家に帰れば貧しい生活をしているのだそうだ。
産業がなく、外国資本に搾取され続けているのだという。


話を聞いた後、シスターは僕の家まで来て、母に線香をあげてくれた。
「お母さんにはクリスマスのたびに、背景をきれいに描いてもらったのよ。どうしていないのかしらと、アフリカに行っていてもいつも思うの。」と言った。
それから、僕に「早く愛のある結婚をしなさい」と笑った。


シスターは翌日から東京で目の手術をし、1ヶ月後にはシエラレオネに戻るのだという。
お金がないから、3年に1回しか日本に戻ってこれないのだそうだ。
「次は3年後ね。生きていれば。」
最後に幼稚園の前でシスターと握手をした。
「不思議なものね。教えた子供は、皆、自分の子供のように思えるの。」
そう言ってシスターは幼稚園のなかに入っていった。


シスターの学校の話は、日本に比べて何もかもが劣っているわけではない。
先生は、午後1時といえば自宅に帰れるのだそうだ。
日本人は、働き過ぎなんだと思う。


過労死するくらいなら、シエラレオネで平和にのんびり暮らすのも悪くないなって思う。
そんなことを思いながら、寝ていたら、翌朝随分と元気になった。


日曜日は「100か日」という法事があった。もう母が死んで3ヶ月が経つのだ。
「ああ。早いな」と思うし、「まだ100日か」とも思う。


まだまだ僕にはいろんな人生の選択肢があるんだと思ったら、なんだか本来の自分を取り戻してきたように感じた。
何ができるのかわからないけれど、でも、とにかく前向きにがんばりたいと思えるようになった。