スイソテル・ザ・スタンフォード・シンガポールの2階でビュッフェ形式の朝食を食べた。ホテル代には含まれていなくて、別払いだった。ざっと計算したら3000円くらいかかったので、美味しかったけれど、もう明日は来るのをやめようと思った。


マウント・フェーバーまでタクシーに乗り、そこからケーブルカーでセントーサ島に行くことにした。ケーブルカーと言っているけれど、日本のスキー場ではゴンドラと呼んでいるものだ。
かなりの高度を渡っていく。


My Kiasu Life in JAPAN-セントーサ島へ

以前セントーサ島に行ったときには、もっとオンボロのゴンドラだった。各国の言葉でセントーサ島の説明があり、ボタンを押して聞けるようになっている。そのときオーストラリアから来た日本人の友達がいたので「これは何語かわかるか?」と聞きながら英語のボタンを押した。彼はしばらく聞いてから「ドイツ語かな?」なんて言ったので、すごくバカにしたことを思い出した。今回のゴンドラには、そんなボタンはない。


以前よりセントーサ島には建物がいっぱい建っていた。もともと観光用の島を作ることを目標としていたらしいが、今ではユニバーサル・スタジオ・シンガポールやカジノまである。それでも、まだまだ開発中らしく、あちらこちらで工事をしていた。


My Kiasu Life in JAPAN-セントーサはまだ工事中

セントーサ島にはゴンドラ以外でもモノレールやバスでも渡れるようになっているらしい。ピンクのきれいな車体のモノレールがセントーサ島に向けて走っていくのがゴンドラから見えた。この国は発展しているんだ、ということがよくわかった。


シンガポールの海べりには高さ8mほどのマーライオンが立っているが、セントーサ島には巨大なマーライオンが立っていて、観光客はそのなかに入ることができる。


My Kiasu Life in JAPAN-セントーサのマーライオン

以前セントーサ島に来たときには、このマーライオン程度しか見るものがなかった。それよりも野生のクジャクがいっぱいいて、バッサバッサと飛んでいるのに驚いたものだ。
今回、再びこのマーライオンに行くことにした。


そこにたどり着くまで、前回は長い距離を歩いたものだったが、今はエスカレーターなどが設置されていて、それほど時間もかからない。クジャクにも出会わなかった。
マーライオンの内部での演出もずいぶんと洗練されていた。ハード的にも以前はマーライオンの頭部にたどり着くまで長い階段を歩かされたものだが、今はエレベーターで一気に登れてしまう。マーライオンの頭部から、景色を眺めた。


My Kiasu Life in JAPAN-マーライオンから見た風景

マーライオンから出た後、ケーブルカー乗り場まで戻り、それから4Dエクストリーム・ログ・ライドというのを体験してから帰ることにした。
全く期待していなかったけれど、これが意外と面白かった。
15分間があっという間だった。丸太に乗って川を下り、高いところから落とされ、激突する。



セントーサ島のものは、3Dメガネをかけ、さらに激しく上下する乗り物に乗るため、スリルが相当ある。ただ、これを4Dというのは、かなり抵抗がある。あくまで3次元の話しなので、4次元の世界が覗けるっていうわけではない。


http://www.youtube.com/watch?v=6NqGJECeQxY


その後、再びゴンドラに乗って、マウントフェーバーに戻り、タクシーでマリーナ・ベイ・サンズの屋上、スカイパークへ行った。泊まっているスイソテル・ザ・スタンフォード・シンガポールを眺め、まだまだ工事を続けている様々な施設を眺めた。


My Kiasu Life in JAPAN-ここがスカイパーク

【矢印の先がスカイ・パーク】


My Kiasu Life in JAPAN-マリーナ・ベイ・サンズから
【そこから見た景色。手前はF1の観客席】


雷が遠くで鳴っていた。雷の直撃なんか受けたら大変なことになるだろうなあ、なんて思った。


それからまたタクシーでラッフルズ・ホテルに行った。


My Kiasu Life in JAPAN-ラッフルズホテル

【相変わらずの下手な写真ですまん】

以前はあこがれのホテルだったが、71階建てのホテルに泊まったり、巨大なマリーナ・ベイ・サンズを見たりした後だったので、なんだか小さく見えた。
ショップも覗いたが、結局おみやげも買わずに出てしまった。


それからホテルに戻ってシャワーを浴びて少し休んだ。


午後4時40分に待ち合わせをしていた、シンガポールに住んでいるAくんと会った。もう8年ぶりくらいだろうか?


43階の部屋に招待し、それから彼が働いているオフィスまで歩いていった。
彼の働いているオフィスは超高層ビルでもなく、1階に巨大な噴水もなく、とても親しみの持てるオフィスだった。受付のインド人は厳しそうな人で、なかなか簡単にはオフィスに入れなかった。


それからタクシーに乗って、リトル・インディアにあるペーパー・チキンのお店に行った。
ペーパー・チキンは、透明な紙に包まれた唐揚げで、紙を破って食べる。Aくんに言わせると「日本人が好きな味」で、確かにお客さんは日本人が多かった。


My Kiasu Life in JAPAN-ペーパーチキン

ここでAくんにはいろいろなシンガポールの状況を教えてもらった。シンガポールが好景気なこと。でも外貨を獲得する施策があり、理由がある好景気なのでバブルとは違うこと。超学歴社会なので、子供たちはものすごく勉強していること。そして、一度学歴社会から落ちこぼれると、逆転ができないこと、などを聞いた。


好景気と音楽は相関関係があるのだろうか?僕がシンガポールにいる間、ラジオからは主に1980年代の音楽が流れていた。ニルヴァーナ以降の暗いロックというのはまずかからず、むしろ60年代の音楽の方が多いほどだった。最近の音楽はレディ・ガガくらいだった。こんな世界もあるんだなって思った。


リトル・インディアを出てから、地下鉄に乗ってリバークルーズに行った。地下鉄は日本よりも近代的で、落下防止の柵が天井まである。地下鉄を作ったのは日本の企業だということだった。今回、あまり使っていなかったけれど、地下鉄も使い方を知るとなかなか便利そうだった。
ただ残念だったのは、「ドリアン持ち込み禁止」の文字がどこにも見あたらなくなっていたことで、シンガポールらしさがまた一つなくなってしまったと、悲しかった。


リバークルーズは以前も体験したけれど、そのときは昼だった。Aくんに言わせると「川の汚さが目立たないから」夜の方がいいらしい。夜になると、若干、涼しさを感じるようになる。
マーライオンも船のうえから見た。


My Kiasu Life in JAPAN-リバークルーズ

リバークルーズの後、タクシーに乗ってラッフルズ・ホテルのロングバーに行った。
「なんでメイン・エントランスに止めるんだよ。反対側の方が近いだろ?」
「それは、その通りなんですけれど。それだとすぐに着いてしまうので。」
Aくんのこだわりで、ロングバーにはメイン・エントランス側から歩いていった。


ロングバーの2階に行き、そこで生演奏を聴きながらシンガポール・スリングを飲んだ。
生演奏はビートルズやエルビスの曲が中心だった。
「こういう音楽をしている人はフィリピン人が多いんです。才能なんですかね。」とAくんが教えてくれた。



My Kiasu Life in JAPAN-ロングバー
ロング・バーでは、バーに置いてある落花生を自由に食べて、その殻を床に捨てることになっている。
シンガポールに来て、ロング・バーに行かなかったことは一度もない。
以前の記憶では、もっと落花生の殻が散らかっていたような気がするのだが、床はずいぶんときれいだった。


それから、もう1軒、ラッフルズ・ホテル近くの店に行き、ギネス・ビールを1パイント飲んで、Aくんとは別れた。
Aくんは明日からスリランカに行くのだそうだ。
忙しいなか、観光旅行につきあってもらえてありがたかった。

先週は長野県立図書館で朝9時40分から研修会があった。
9時には県庁に車を止めて、県庁内の銀行と旅行代理店で雑用をこなした。ここの旅行代理店だけは、朝9時から営業をしているのだ(通常の旅行代理店の営業は10時から)。
それからゆっくりと長野県立図書館に向かって歩いた。


長野県立図書館がどこにあるのか、僕は漠然としか覚えていなかった。
もうすぐ着くと思われたところまで来たときに、近くに地図看板があったので、位置を確認した。


そこで初めて、僕は自分が目指していた図書館が「長野県立図書館」ではなく、「長野市立図書館」であったことに気がついた。
「くっそう。なんてこった。」


急いで引き返しながら、鞄の中から書類を引っ張り出して研修の担当者に連絡をする。
「遅刻するかもしれません。長野県立図書館と市立図書館を間違えました。」そう携帯で電話をすると「担当は今席を外していますが、そうですか。わかりました。そのように伝えます。」と呆れたような返事がきた。


県庁まで走って戻り、受付で「長野県立図書館はどこにあるのか」聞く。受付のお姉さんが大きな長野市の地図を広げている時間がまどろっこしい。
長野県立図書館は県立文化会館(ホクト文化ホール)の前にあることを初めて知った。


県庁の駐車場に駐めていた車に飛び乗って、今度こそ長野県立図書館に向かう。
ギリギリだったが、何とか間に合った。名簿に載っている僕の名前の隣には、蛍光ペンで「ちこく」と書いてあったが、消してもらった。


この日はとても暑かったので、走ってきたこともあり、研修の間はずっと汗が止まらなかった。


16日と22日には夏休みを取った。
そして16日からシンガポールに行くことにして、ホテルの予約をした。
ネットで、「スイソテル・ザ・スタンフォード・シンガポール」の安い部屋を探して申し込み、特別なリクエストとして「なるべく高い階を」とお願いをしていた。


シンガポールは、今回で3回目になる。
しかしながら、飛行機代もホテル代も今までで一番高かった。円高の恩恵を得ているようには感じられなかった。


My Kiasu Life in JAPAN-出発
【小さな飛行機にびっくり。でも乗り降りに時間がかからなくて、こういう飛行機の方が好きだ。どうせエコノミーしか乗れないんだし。俺の場合は。】


チャンギ空港からいつものようにタクシーに乗って、30分ほどでホテルに到着した。
ラッシュアワーということもあったのだろうか?シンガポールを走る車の数が、以前よりずっと増えているような気がした。


スイソテル・ザ・スタンフォード・シンガポールは70階建ての大きなホテルだが、リクエストをしていたせいか43階に泊まることができた。


My Kiasu Life in JAPAN-スイソテルザスタンフォードシンガポール
【矢印のホテル。これはマリーナ・ベイ・サンズの屋上から撮った写真】


部屋は広く、そして窓からの景色が素晴らしい。マリーナ・ベイ・サンズが正面に見える。


My Kiasu Life in JAPAN-窓からの景色2
【屋上に巨大な船が乗っているのが、マリーナ・ベイ・サンズ】


窓を開けると、外のベランダにも出ることができる。
ベランダから足下を見ると、足がすくむような高さだった。


My Kiasu Life in JAPAN-窓からの景色1
【ベランダからはこんな景色も見える。手前では、F1の観客席を設営中。】


少し疲れていたけれど、その日のうちにナイトサファリに行くことにした。
ナイトサファリを見に行くのも2度目だ。
トラムという連結した車に乗って、放し飼いをしている動物園を見るのだが、前回は目が悪かったこともあって、ほとんどどんな生き物も見ることができなかった。


My Kiasu Life in JAPAN-ナイトサファリ1
【ナイトサファリのエントランス。何を撮ったのかもわからないほどで撮った本人もびっくり。】


今回、僕が驚いたのは日本人向けの日本語トラムがあったことだ。迷わずそれを選ぶ。
以前は、ナイトサファリにはレストランもお土産物屋もそんなになかったように思う。
多くの店が並んでいるのを見て、そしてまだまだ開発中です、という看板を見るとナイトサファリがどんどんと拡張しているのを感じる。
このなかでサテという鶏肉料理を食べたが、あまり安さを感じなかった。


My Kiasu Life in JAPAN-ナイトサファリ2
【このときはまだ物価を把握してなかった。別にぼったくりなわけではないと後で判明】


出発の指定時間までにトラム乗り場まで行くと、もう日本人の長い行列ができていた。
こんなにいるんだと思った。確かにシンガポールは観光地と呼べるところが少ないので、こうなってしまうんだろうな、とは思った。


My Kiasu Life in JAPAN-ナイトサファリ3
【日本語トラムまでに行く通路。トラム自体の写真はひどくぼけていて使えない。残念だ。】


前回とは違って、今回は多くの動物を見ることができた。でも、照明が暗いので、そんなにはっきりとどの動物も見ることができるわけではない。いるのに見えなかった動物もいっぱいいた。


僕が気に入ったのは、シロアリ、フルーツ、ハチミツが好きという「ナマケグマ」と白黒の夢を食べるという動物「バク」だった。
バクは路上にはみ出して寝ていて、トラムに轢かれるのではないかと心配になるほどだった。


ナイトサファリの後は、マリーナ・ベイ・サンズのカジノに行った。
今回、カジノができたことも僕が目的地をシンガポールに決めたひとつの要因だった。


とりあえず座ったスロットマシーンで、でもあっという間に1万5千円ほど負けてしまうと、急速にやる気が失せてしまった。
はじめはやり方もよくわからなかったのだが、わかりかけてきたときに、これは相当運がよくないと勝てないことをようやく見抜いた。
「もう一勝負」とも思ったけれど、こんな気分のまま勝負をしたら、お金がなくなるまで義務的にかけ続けることになりそうで、やめることにした。


ホテルの外に出ると、海に噴水で膜を作り出し、そこに光を当てて映像を作る「WONDER FULL」というショーをしていた。


My Kiasu Life in JAPAN-Wonder Full
【実際にはもっと美しく、楽しい。僕の手にかかるとせっかくのショーも心霊写真に見えてくるから不思議だ】


高層ビルを背景にした光と音楽のショーを座って見ていたら、「カジノにいなくて正解だった」という気がしてきた。初めて見るタイプの美しいショーで、こういうこともできるんだ、という思いがした。そして、これだけの大きなショーを無料で通行人に見せているところに、この国のすごさを感じた。


ショーが終わった後、マリーナ・ベイ・サンズからスイソテル・ザ・スタンフォード・シンガポールまで歩いて帰ることにした。
途中で、ダリの「記憶の固執」に出てくるような柔らかい時計の像を見たり、来週から始まるF1のコースを眺めたりして帰ってきた。


My Kiasu Life in JAPAN-ダリ
【こういうの、好きなんだよなあ】


もう12時近いというのに、マクドナルドには高校生のような学生たちがいっぱいいて、地下道ではダンスの練習をしていた。
シンガポールの治安の良さを感じた。


僕は物価をいつもコカコーラ1缶を目安に把握するのだが、今回、シンガポールのコカコーラは1缶120円を少し超える程度だった。
つまり日本と物価は変わらない、もしくは日本より高いということだ!


シンガポールは発展しているんだ、ということが、だんだんとわかってきた。この国は決して不景気なんかじゃない。
前回来たときよりも、この国ははるかに前に進んでいる。


43階のホテルのバルコニーから、マリーナ・ベイ・サンズの大きな船が見える夜景を眺めて、もし日本のバブルが続いていたら、こんな国になったのかもしれないなあ、という思いでいた。


前回来たときには、この巨大なマリーナ・ベイ・サンズ自体がなかったのだ、ということに思いが至って、それからあの車のラッシュも、かつては一部だった富裕層がかつての中間層にまで拡大している結果なのだと思った。


時計を見たら、1時30分だった。日本と1時間の時差があるので、日本でならもう2時30分だった。「眠いわけだよな」と思いながら、ベッドに潜り込んだ。


〈続く〉

2週間ぶりに実家に帰った。


暑さと花粉症でぐったりしながら、クーラーを入れて部屋で寝ていたら、隣の家のおばさんがやってきた。
「庭木に毛虫がついている」と言うのだ。
あの木にも。それから、この木にも。


いたのはアメリカシロヒトリとよくわからない巨大な毛虫だった。


猛烈な暑さのなか、長袖のシャツを着て、手袋と帽子をかぶり毛虫退治をする。
退治といっても、毛虫にたかられた庭木の葉を枝ごと切って、ゴミ袋に入れていくだけだ。
庭木の葉はほぼすべての葉が毛虫にやられていたので、どんどん切っていたら、枝ばかりが残った寂しい木になってしまった。


ゴミ袋のなかに草刈りばさみを突っ込み、庭木をさらに細かく切ったあと、ゴミ袋の口から大量の殺虫剤を吹き入れてゴミ袋の口を縛る。ゴミ袋のなかが殺虫剤のガスで真っ白になる。
殺虫剤の缶が冷たくなっていくのは、気のせいではなくて、ボイル・シャルルの法則によるものだ。
気体というのは、圧力が下がれば温度が下がる。


ゴミ袋のなかで、大量の毛虫が苦しんでのたうち、蠢いている姿を想像して、吐きそうな気分になる。
「俺自身は、庭木に毛虫がついても関係ないけれど、近所の人が許してくれないんだよ。」
と都合のいい責任転嫁の言葉を毛虫たちに投げかけてみる。毛虫たちが許してくれるとはとても思えないが。


1時間ほどの作業で、体中汗だらけになる。
帽子も手袋もシャツも脱いで洗濯機に投げ込んで、洗濯をする。


一汗かいたら花粉症のことも忘れてしまい、随分と気分がよくなって、それからクーラーの効いた部屋で本格的に昼寝をした。


寝て起きて、テレビを見たがニュースでは「小さなことを大げさに」言っているだけで、本当につまらなかった。


気づいたら11時だった。
あっという間に一日が終わってしまい、「せっかく実家に帰ってきても、結局何にもしなかったなあ」という思いだけが残った。

そろそろ実家に帰るべきだとは思っているのだけれど、今週末もずっと長野にいた。


でも、「ただ、いただけ」だった。何もしなかった。
週末の間、外に出たのは財布を車まで取りに行ったときだけで、あとはずっと家のなかにいた。


なにしろ花粉症で目を開けていることさえつらい。
目は充血して真っ赤だ。
医者からもらった目薬を差すがあまり効いているように感じない。
むしろかぶれてんじゃないかと思ったりする。


冷たい水道水で顔を洗うときが、一番気持ちがいい。
ハンカチを濡らして、目に掛けて寝ていても気持ちがいい。


そうやって寝ていると「俺はなんて怠惰な人生を送っているのだ」と自分が情けなくなってくる。


目がかゆいのを我慢して、なんとか憲法の勉強だけは一通りした。
それでも憲法なんてほとんどの論点はわかっているので、そんなに新たに知識が身についたような気はしない。


それよりも友達と憲法の話しをしているときに「国民の3大義務って何?」って聞かれて「納税の義務」と「勤労の義務」は答えられたけれど、あとひとつがわからなくて「なんだっけ?」って思った。
同じ問題を小学生のときにも解いた気がする。
ネットで調べたら答えは「教育を受けさせる義務」。「確かに」って思ったけれど、俺は憲法の勉強をしているのにこんな問題も即答できないのかと思ったら、情けなさが増した。


食事を作って食べるとき、テレビにDVDをダウンロードして、「アイランド」と「もう頬づえはつかない」を見た。


「アイランド」は、ただ「スカーレット・ヨハンソン」が出ている映画ということで見た。


My Kiasu Life in JAPAN-アイランド

最初は、訳のわかんない映画だなあと思ってみていたけれど、この映画はもしかしてカズオ・イシグロの「私を離さないで」と同じコンセプトの映画ではないのか?って思い始めて、それからは内容がよくわかった。


My Kiasu Life in JAPAN-私を離さないで

スカーレット・ヨハンソンはきれいだったけれど、でもなんとなく洗練されていないような感じがした。



My Kiasu Life in JAPAN-アイランド1


My Kiasu Life in JAPAN-アイランド2

無理にアクション映画にしないで、静かなドラマにしてもいい素材だったと思うのだが、ハリウッドが作ると、どうしても銃撃戦やカーチェースを盛り込まざるを得ないようで、結果的にはほかのハリウッドアクション映画と変わりがなくなってしまっていた。



中学生の頃から、桃井かおりの映画「もう頬づえはつかない」は僕が見るべき映画のような気がしていた。


My Kiasu Life in JAPAN-もう頬づえはつかない

「この映画がすごい」と中学の頃に読んだ雑誌にそう書いてあった。この映画を見ると人生が変わるような気がしていた。でも、機会がなくて、今まで実際には見たことがなかった。


My Kiasu Life in JAPAN-もう頬づえはつかない1

桃井かおりがすごくきれいだったのに驚いた。
あのだるそうな演技がばっちりはまっていた。
森本レオが悪役っていうのも意外だった。


My Kiasu Life in JAPAN-もう頬づえはつかない2

セクハラなんて言葉もなく、男が適当な理屈で女を黙らせていた時代の映画だった。
高田馬場駅も、新宿駅も昔を感じた。バイト先の事務所にはパソコンが一台もない。
「昔はこうだったんだなあ」って思った。
今となってはあまりに遠い世界だった。


映画そのものは、期待したほどではなかった。
そんなにすごさを感じる映画ではなかった。
見終わった後、「無駄に長かったなあ」って思ってそれから「確かに10代の頃に見ていたら少しは人生が変わったのかもしれないな。いい方にか悪い方にかはわからないけれど」って思った。

今週末は実家に帰らずに長野にいた。


どうやら花粉症になったらしく、くしゃみも鼻水もひどい。
それで土曜日は予約をしてから病院に行った。


なんだかやる気がなさそうな病院だった。
医師は大して診察もしないうちから「薬を出しておくってことでいい?」という。
なんて答えたらいいのかわからないので「はい」と答えたら、薬だけはいっぱいくれた。
家に戻って、眠くならないというその薬を飲んだら、急速にすべてのことについてやる気が失せた。


ネットで薬を調べてみたら、副作用にはやっぱり「眠気」や「全身倦怠感」「頭痛」などがあるらしい。


病院に行ったあと、実家に帰って新盆の片付けをするつもりだったのだが、なんだかすっかり嫌になった。
今日は本来であれば、名古屋で昔の職場の仲間と親睦会だったのにと思った。
震災に見舞われた福島や宮城から来る友達もいたので、会うべきだったのにな、と思った。
新盆の片付け等で忙しくなるからと断っていたのだ。


そのままベッドに倒れ込むとずっと寝ていた。
何をする気力も湧かなかった。
中途半端に頭が働くのか、まともな頭で考えれば全く考えなくていいことを一生懸命に考えながら寝ていた。
こんなに俺の体は眠れるんだと思うほどに寝た。


夕方になって起きて、テレビをつけたら世界陸上で女子マラソンを放映していたのでそれを見た。
日本は最高で5位。
これからのマラソンで勝つには、メダルを独占したケニアのように、チームで戦った方が賢いよな、と思った。


夜になっても何も気力が湧かないので、映画「ソーシャルネットワーク」をダウンロードして見た。


My Kiasu Life in JAPAN-ソーシャルネットワーク

この映画は僕はもっと前に見ておくべき映画だった。
予告編にレディオヘッドの「クリープ」が使われていて、そこがすごく気に入っていた。
ずっと見たかったのに、今までなかなか見るには至らなかった。


映画そのものはとても素晴らしく、いつも映画を見ながら感じる「そんなわけないだろ」「ありえないだろ」といったフラストレーションが全く湧かなかった。
確かに、完璧な映画という評価が当てはまるのかもしれない。


My Kiasu Life in JAPAN-ソーシャルネットワーク1

主人公の気持ちが、僕には共感ができた。
僕は彼ほど強くも有能でもないが、彼の弱さには通じるものがある。


My Kiasu Life in JAPAN-ソーシャルネットワーク2

変な話しだがこの映画で、彼を訴えてきたボート部の兄弟や彼自身を見て、僕はとても励みになった。というのは、彼らが仕事や目標に情熱を燃やす姿がとても美しかったからだ。
キーボードを打つスピードにも目も見張ったし、人の数倍働くということがどういうことなのか理解できたような気がした。彼らの努力に比べれば、俺の努力など大したものではない。


翌朝の日曜日、花粉症の薬を飲んでから、友達と松代にある皆神神社に行った。


My Kiasu Life in JAPAN-皆神神社1

ゴルフコースが併設(!)されているというので、幹線沿いにあるのかと思っていたが、実際にはたどり着く道はかなり狭かった。
この皆神神社のある皆神山は古代ピラミッドだという神話があり、パワースポットということだが、日曜日の朝10時でも、参拝客は1人もいなかった。
ブンブンと虫の飛び交う羽音だけがうるさく聞こえていた。


My Kiasu Life in JAPAN-皆神神社2

僕は虫が大嫌いなので、虫を避けつつ神社にお参りをする。
天気はとてもよくて、遠くに見える空がきれいだった。
まだ緑色の紅葉も太陽の光を浴びて輝いていた。


My Kiasu Life in JAPAN-皆神神社4

僕は花粉症の薬の副作用なのか、とても眠くて、おまけに頭も痛くなってきた。
もうあの薬を飲むのをやめようと思った。


My Kiasu Life in JAPAN-皆神神社3

神社の階段を登るとおみくじがあったので、100円を払って引いてみたら、なんとまさかの「凶」。


帰りがけに併設されているゴルフコースも見てきたが、こんなところになぜ?と思うほど距離は短そうだがアップダウンのきついコースだった。


いろんな意味で、やれやれと思った。

職場で「あいつら何やってんだろ?成果が出てこない部署だなあ」なんて、いつも不思議に思っていた部署があった。
先日、部長に呼ばれて、「あそこの部署は今後ますます重要度が増すのに、問題が多い」なんて言われたので「そうですね。僕もそう思います。」なんて脳天気に返事をしていたら「来月1日からその部署の責任者として異動してくれ」と言われた。
「くっそう。やられた」って気分になった。


今週末も実家に帰った。
土曜日は姪の49日だったので、喪服を着て出かけていった。


姪の家までタクシーで行った。
和尚様のお経を聞き、それからバスで老舗の料理屋に行った。
料理はずいぶんとおしゃれで、おいしかった。


まだ昼だし、飲むのはビール程度にしておこうと思っていたのだが、隣に座った初対面の人に「こういうときは場の雰囲気を壊してはいけない」なんて言われて日本酒をかなり飲まされた。かなりうまい日本酒ではあったけれど。


僕の反対側の隣の席に座ったおばさんは、「私は日本酒は飲まないの」ともっぱらビールを飲んでいた。
「それはいいのか?」と思ったが、「私は日本酒を飲むと脱いでしまうの。以前、夫が帰ってきたときに、全裸で、片方の足をソファーの背もたれに掛けて寝ていたことがあって、それから日本酒はやめたの」などという。もう60過ぎのおばさんに脱がれてはたまったものではないので、誰も日本酒を勧めることはなかった。


家に戻ってくると、自分でも酔っぱらっている自覚が相当あった。
まだ午後3時だった。
服を脱いでベッドに倒れ込むと、それから6時まで寝た。
泥のように眠るという表現があるが、本当に泥になったように寝た。


午後6時に起きると、相当気持ちが悪かった。
吐くようなことはなかったが、苦しく、目を開けているのもつぶっているのもつらかった。
それでテレビを見ていた。
「つまらなすぎて痰も出ない」という表現があるが、テレビ番組はどれもこれも本当につまらない。「エネルギー不足なのだから、停波してしまえ」と思うほどだ。


通常のテレビ番組は見ていられないので、劇場版の「パイレーツ」というアニメを見ていた。
子供たちに大人気のアニメだということだったけれど、もうすっかり大人の僕にはどこが面白いのかよくわからない。
相手を倒すと、なぜ倒れた相手が爆発するのかもよくわからない。仮面ライダー時代からの伝統なのだろうか?


夜12時頃、ようやく目をつぶって眠ることができた。


翌朝の日曜日は7時に起きて、新盆の片付けを始めた。
ものすごく時間だけは長時間寝たはずなのに、相変わらず気持ちが悪く、吐き気も残っていた。まだまだ眠りたい気持ちも残っている。
外した障子を元通りにはめたり、行灯や提灯を片付けたり、新盆の後片付けも1人でするのはなかなかやっかいだった。
9時頃には、以前から約束をしていた葬儀社の人が来て手伝ってくれた。


10時頃、すべてが一通り片付いたので、家中に鍵をかけて布団に横になった。
気持ちが悪く、なかなか眠れない。
どうせ寝られないなら、運転して長野まで帰ろうと思って、帰る用意をして長野まで帰った。


運転しているうちにだんだんと気持ちが悪いのも改善されてきた。


家に帰るとやたらと腹が減るので、チキンラーメンを作って食べたり、ソーセージをパンに挟んでサンドイッチを作って食べたりした。
とてもおいしかった。


残念なのは、気持ちが悪いのが改善された今は、もう週末が残り少ないということだ。
予定していたことの6割程度しかこなせなかった。
困ったものだ。

今週末は母の新盆で、実家に帰った。
新盆には、当然和尚さんが来てお経をあげてくれるが、それ以外にも多くの人が家にお参りに来てくれる。
親戚も何人も来るので、夜は宴会だ。


お墓で迎え火を焚き、実家の軒先でも迎え火を焚く。
こうするとお墓から家まで迷わずに霊が来られるのだそうだ。
なるほど。
そして、家に着いたら風呂を用意しておく。
1年分の汚れをとっていただくのだそうだ。
なるほど。


今年は新盆なので、豪華な盆提灯をいくつもぶら下げて、行灯も用意をして、祭壇も用意をしていた。生花もいくつも届く。
盆提灯や生花は親戚の人や多くの方々がくださるのだ。


軒先で迎え火を焚いた後、今度は軒先で灯明に火を点す。
50本近い小さなロウソクに火を点すのだが、屋外なので、当然のことながら火をつけるたびに風に吹かれて消えていく。
点けては消え、点けては消えを何度も繰り返していると、人生がいかにままならないものか実感ができる。


祭壇には、キュウリやなすで作った馬を用意しておく。
先祖の方々はそんな馬に乗ってくるのだそうだ。
でも今ならオートマのカローラやセグウェイなどでも来そうなものだ。
そんな思いもあったりしたし、なによりキュウリやなすに割り箸を刺して馬を作るのが面倒ということもあって、ワラで作った中国製の馬で代用する。スーパーに売っているのだ。
「暇があったら、カボチャで作った馬車くらい用意するよ」などと言い訳もしつつ。


お盆の間は、祭壇にも毎日の食事をお供えする。
ご飯、お味噌汁、漬け物、和え物、煮物の5品を用意しなければならない。
ケロッグに牛乳をかけただけでも十分な栄養がとれていいと思うのだが、それではいけないらしい。


このように、新盆は準備も大変だし、お参りに来る人も迎える人も本当に大変なイベントだ。
それでも僕の家の場合には、組合の人を接待するということがなく、比較的楽な方だったと思う。多くの組合では、組合の方々をお招きして接待をしなければならないことになっている。組合の皆さんは多い場合には10家族にもなるらしい。「新盆は大変だ」と多くの人が言っていた理由がわかったような気がした。


そんなわけで我が家の新盆は比較的楽だったとは思うけれど、それでも1人では到底無理だった。
母を偲んで、100名以上の方々が、お参りに来てくれた。
迎えた側の俺が勝手なことばかり言って申し訳ないが、お参りする人も暑いなか本当に、大変だったと思う。


僕はこの週末に正座のし過ぎで膝がどうしても痛くなり、足を引きずって歩いていた。
ふと母が腰が痛いからと病院でもらった貼付型の消炎鎮痛剤があることを思い出して、自分の痛む膝に貼ってみた。
貼った途端、魔法のように痛みが消えて、笑ってしまった。
「こんなに効いちゃって。これで害がないわけないよな。」なんて思った。


この週末を迎えるまでに、新しい「男たちの挽歌」をDVDで見た。


My Kiasu Life in JAPAN-男たちの挽歌

ジョン・ウーが手がけている映画なので、当然、香港映画だと思っていたら、まさかの韓国映画で、最初は違和感があった。


ベースの話は同じだが、南北朝鮮の問題も絡めて新しい「男たちの挽歌」はより悲壮な脚本になっている。コメディタッチのシーンやロマンスは徹底して排除されている。



My Kiasu Life in JAPAN-男たちの挽歌1

「男たちの挽歌」シリーズはド派手な銃撃戦、飛び散る血飛沫、そして舞い上がる白い鳩が象徴的だが、このシリーズの最も優れている部分は「耐える強さ」なのだと思う。
そういえば、司法試験の短答模試のときには、いつも「男たちの挽歌」のクライマックスシーンに流れる音楽を、頭の中で思い返していた。


My Kiasu Life in JAPAN-男たちの挽歌2

観ながら、俺はジョン・ウーが好きというよりは、結局のところチョウ・ユンファが好きなんだと思った。


My Kiasu Life in JAPAN-チョウ・ユンファ

腐ったような生活の中で男として守るべきところを守る姿、そして最後に怒りが沸点に達したときに見せる超人的な強さは今度の映画にも十分に受け継がれている。
でも、チョウ・ユンファが見せていた極限状態でのユーモラスな仕草や優しさが、この映画には欠けているように思う。そしてそれはチョウ・ユンファの人間としての器のでかさなのだと思う。


どんなに頑張ってもテレビ俳優が高倉健になれないように、チョウ・ユンファも特別な俳優だ。この映画を観ながら、彼のすごさがまたわかったような気がした。

今週末も実家に帰った。
毎年8月7日にはお寺で施餓鬼会という法事があり、そこに行かなくてはならなかった。
この8月7日という日付は、母の日のように5月の第2日曜日というような融通が効いた便利なものではなく、8月7日といったら8月7日なので、平日であっても当然のようにこの日に行われる。


最近は、仕事にも余裕があるので平日の8月7日と言われれば仕事を多少融通すれば行くことが可能になったが、昨年まではとてもそんなことを言っていられるような状況ではなかった。
例年、母が「今年は無理かしらねえ」と言うのを言葉が終わらないようなタイミングで「無理に決まっているだろう」などと冷たく言い、電話口で涙ぐませたりしていたものだ。
今年の8月7日は日曜日だったし、なにしろ新盆を控えた初施餓鬼会というものだったので、僕も行かないわけにはいかなかった。


僕の行くお寺には、祖父の作った観音様が奉ってあり、この施餓鬼会の日だけは、檀家の人であれば見ることができる。
遠い親戚に該る人から、是非一度その観音像を見たいとお願いされていたこともあり、お寺で10時に待ち合わせをした。


前日は夜12時過ぎまで大雨で雷が鳴っていたが、この日は朝からこれでもかというほどに晴れて暑く、9時20分頃からお墓の掃除をしていたのだが、それだけで汗だくになった。


とにかく液体が大好きで、おまけに普段あまり体を動かさないので、たまに動かすと汗の量が半端ではない。ひっきりなしに汗が出て、ハンカチがすぐに濡れて重たくなった。こんな体の状態で山に登り、冷たい雨にでも打たれたら、自分の汗で体が冷えて凍死するだろうなどと作業をしながら思った。
山登りに適した体作りにきっと3日くらいはかかる。


姉が9時30分頃に来てくれて、お墓の掃除を手伝ってくれた。僕の尋常でない汗の量を見て、「何とかしなさいよ!」などと半ば怒ったように声をかけてくれた。
「ネクタイも汗で汚れてる。ネクタイなんて法事の直前にすればいいのに。」
本人は更年期のせいなどと言っているが、姉が怒ってばかりいるのは昔からだ。


10時頃から法事の順番が来るということで待ち合わせをしていたのだが、親戚と会ってからもまだ30分ほど待たなければならなかった。


広いお寺のなかは檀家の方々でいっぱいだった。
とてもなかで待っている気はしなかったので、僕は祖父が配置を決めたという鐘楼のまわりの庭を眺め、それから広い庭を散策していた。
ものすごく暑かった。それでもあちらこちらにある日陰を探しては休んでいた。


門の辺りに立って涼んでいるときに、中学時代に俺たちの悪行を先生によく告げ口をしていた同級生に会った。
悪行と言っても、一般的には悪行と呼ばないようなかわいらしいもので、通学途中にガムを噛んでいたとか、炭酸飲料を飲んでいたとか、ドロップハンドルの自転車に乗っているとか、そんなたわいもないようなことばかりだった。
「あの野郎!」俺たちはよく怒っていたが、久しぶりに会って懐かしさしか感じなかった。


俺たちは、中学時代、写生大会などがあると、2時間ほどまじめに絵らしいものを描き、その後はさぼって俺の家でアイスクリームなどを食べて過ごしていたのだが、こいつは告げ口ばっかりしていたので、俺たちの仲間じゃなかった。考えてみればかわいそうなのだ。
高校入試の直前には、彼も不安で押しつぶされそうになっていたことを、先日の飲み会で中学時代の担任から聞いたばかりだったので「おまえも大変だったんだな」と思った。


物覚えの悪い、特に人の顔を昔から覚えられない僕は、それ以外にも多くの人に声をかけられたが、そのたび「はい。はあ。」などと頭を下げてやり過ごしていた。


自分たちの順番が来て、焼香をして、多くのお坊さんが我が家の先祖代々の方々のためにお参りをしてくれるのを眺めて、それで基本的には施餓鬼会は終わりである。


それから観音堂に行って、観音像にお参りをする。
いつ見ても大きく、そして美しい。
「昔の人の技術ってすごいわね。」と親戚の人も満足そうだった。
姉は「ちょっと美男子過ぎるんじゃない?」と言い、僕は返答に困った。
観音像を見ているうちに「こういう人にならなくてはいけないんだ」という気がしてきた。
いつまでも見ていたかったが、次々と人が来るので、そういうわけにもいかず、いつかまた来ようと思いながら観音堂をあとにした。


お寺で親戚とは別れた。


この地域では、新盆になるとあちこちの家に新盆見舞いというものを届ける。
うちが新盆なので、免除かと思うがそうではない。
お盆になる前に行かなくてはいけないのだ。


そんなわけであちこちの家にお参りをして、そのたびにお茶菓子などを出されて、またついついくだらない話などもしていまい、そのたびに反省をしながら実家に戻った。


実家を出る頃にはもう夕立が降り始め、雷も鳴っていた。
大雨で前がほとんど見えない高速道路を、それでも力一杯スピードを出して走る。


やれやれ、と思った。

先週の土曜日は中学時代の担任を、同じクラスの男たちで囲んで飲んだ。
途中から記憶がない。
月曜日になってもまだ具合が悪く、気持ちが悪くて仕方がなかった。


仕事をしている最中に、飲み会での記憶がフラッシュバックのようによみがえる。
「あの頃さあ、ブルマーの上からおなか痛いって言いながら撫でている女の子がいてさあ、なんか誘われているような気がして「俺がさすろうか?」なんて言ったりしてたんだよなあ。」などと明るく話している酔っぱらった自分を思い出す。
職場の机の上で「ああ。頭痛い。」と言いながら思わず頭を抱え込んでしまう。何を言っていたんだ、俺は!


ふと気づくと職場の周りの女性が心配そうな顔で「大丈夫ですか」なんて声をかけてくれる。
「ごめん。ごめん。本当に痛いんじゃないんだ。独り言が大きくてすまん。」なんて謝ったりする。


よく産後鬱なんて言葉を聞くが、僕は飲酒後鬱というやつで、記憶を失うほど飲んだ翌日からしばらくの間はその圧倒的な恥ずかしさで立ち上がれなくなる。
ハイド氏の行状を聞かされるジキル博士はこんな気持ちだったのだろうと想像ができるほどだ。
最近では後藤田国会議員も、きっとこんな気持ちに違いない。僕は彼を責められない。


今週の週末も実家に帰った。
気が重かったが、飲み会の会費を払った記憶も全くなかったので、友達に電話をする。
そう言えば7人か8人で飲んでいたのに、ふと気がついたときには3人で飲んでいた。
いったい、俺を誘った友達はいつ帰ったのだろう?
「先週は本当にすまなかった。」とりあえず謝る。
「いやいや。先生もすごく喜んでいたぞ。」と友達が言う。
「会費、俺払ってないけど。」
「何言ってんだよ。会費4000円だっていうのに、5000円払って、釣りはいらないって言い張って。俺が持って帰れって言っても言うこと聞かなかったじゃないか。」
「…そうなのか?記憶がない。」
「俺が帰ろうとしたとき、俺の大事な自転車を「こんなものいらねえや」って言って投げたのも覚えてないのか?」
「自転車を投げた?俺が?おまえが帰ったときの記憶がまったくない。いや。本当にすまなかった。」
「でもなあ。おまえ心配しなくていいぞ。俺なんか酔っぱらったとき、もっとすごいことやってるからな。この前なんか、息子の学校の校長先生の頭を「よく頑張った」って言いながらなで回して、最後に叩いちゃったし。」
「まじか。」
「あれからみんなにも会ったよ。みんなすごく楽しかったって言ってるぞ。また飲もう。」
「ああ。次は気をつける。」
「そういえばみんながおまえのこと言ってたぞ。」
「すまん。勘弁してくれ。もう聞きたくない。」
「みんな飲み過ぎたけど、それはおまえが持ってきたナポレオンが原因だって。みんな二日酔いで大変だったらしい。」
「そうか…。それはよかったよ。」
「飲み会の席でのことなんか気にするな。楽しかったからよかったじゃないか。」
彼の言葉に、救われた気がした。
それでもアルコールの怖さが身にしみて、今は飲もうと思う気が全く起きない。


アンジェリーナ・ジョリーとジョニー・デップの映画「ツーリスト」を見た。


My Kiasu Life in JAPAN-ツーリスト

キャストが豪華で仕掛けも豪華だったけれど、心を打つものは何もなかった。


My Kiasu Life in JAPAN-ツーリスト1


My Kiasu Life in JAPAN-ツーリスト2


脚本は相変わらず都合がよく、こういう映画を観るのは本当に時間の無駄だ。


ジェフリーアーチャーの小説「遥かなる未踏峰」の下巻を読み終わった。


My Kiasu Life in JAPAN-遥かなる未踏峰下

はじめからマロリーが亡くなることはわかっているために、マロリーの奮闘を読むのがだんだんとつらくなってきた。
もしゴア・テックスがあれば、きっとマロリーは帰って来ることができたはずだ。
「ゴアがあればなあ。」
読みながら何度も口に出してそう言った。


マロリーの帰りを死ぬまで待ち続け、毎日、彼が自宅に走ってくる様を記憶のなかで見続けた、彼の美しい妻が、たった50歳で死んだことを知って悲しみがまた深くなった。
マロリーの最後は残念でならなかったが、久しぶりに理想的な男の生涯を小説で読むことができて満足した。


暖かく、酸素もふんだんにあるこの世界で、俺はいつまで泣き言を言っているのか。
こんなことではだめだ。俺も頑張ろうという気にさせられた。

父親の死後もずっと父の名義だった電話の契約を、僕の名前に代えることにした。
その手続きは5月にしたのだが、ようやく「変更手続きが終了しました」という通知文がNTTから来た。随分と時間がかかるものだな、という気はした。


ところが、新契約者の名前の一部分がひらがなだった。
僕の名前は漢字2文字で、最後の漢字は「平」なのだが、それがひらがなの「へい」になっている。どこか陽気な感じがするが、間抜けな気がするのは否めない。


早速、苦情の電話を先週末にしたが「平日の9時から5時まで」しか扱えないということだったので、火曜日の昼に電話をした。


調査をするということで、回答が来たのが3時間ほど経った後だった。
「戸籍の字が、平の点が外の方を向いた八のような字だったので、このような漢字は常用漢字ではないので、ひらがな表記にしました。」
「普通の「平」でいいから、その文字で登録してください。」
「戸籍上の文字で登録しなくてはいけないのでできません。」
穏便に済まそうと思っていたのだが、それで火が付いてしまった。


「戸籍上の字が違うってさっきから言っているけど、そもそも戸籍に勝手な漢字なんか使えない。戸籍法って法律があって、常用漢字と人名漢字以外は使えない。」
「そんなことないです。私、見たことがあります。」
「俺はそんな漢字制限がない時代の人間じゃない。点が曲がっていても、戸籍に載った「平」という字は普通の「平」以外の漢字はあり得ない。」
「そんなはずないです。」
「じゃあ、どんな漢字でも戸籍に載せたかったら載せることができるのか?外側に開いた点を打った「平」なんて漢字は戸籍に登録したくてもできないんだよ。できると思っているのか?」
「できると思います。」
「できないんだよ!」


話しているうちにだんだんエキサイトしてきた。これはよくないと思って、攻め方を変えることにした。

「とにかく、普通の「平」の漢字で契約者名を表記してください。結果としてそうなっていればいい。」
「それでは、戸籍とは違う字ですが、本人の了承を得たと言うことでいいですか?」
「戸籍とは違う?了承?変な話だけど、結果としてちゃんと載ればいいからそれでいいよ。でも、そもそもあなたの言い分は言いがかりに近い。」
「…変更したら、またあなた宛に通知を出さないといけませんか?」
「当たり前だろ!何いってんだよ。」


最後はやっぱり怒ってしまった。NTTの名義変更、遅いばかりでなく腹立たしいこと山のごとし。
夜寝る前に「くっそお。もっと文句言ってやればよかった」と妙にエキサイトしてしまい、20秒くらい怒った。


生まれて初めて美術品を買った。
ボーナスで買ったのだが、その金額は25万円。高い買い物だが、前の持ち主は38万円で買ったということだったので、妙に納得した。
作者は、こういう人だが(http://www.transtructure.com/column/column20110601.html )、僕の祖父でもある。
父の相続のときのゴタゴタで、家にあった作品はすべて市等に寄付をされてしまい、僕自身は祖父の作品を1つも持っていないのだ。


姪が亡くなった翌日に、この話が来たことで、僕は何かの縁を感じて買うことにした。
「フクロウのブロンズで、日展に展示された1点もの。高さは30センチほど。フクロウは不苦労、福老なんていわれて縁起がいいし、作品としては明るい雰囲気の作品で箱書きもちゃんとある」という。


週末に実家に帰った際、姉の家に届いたので、さっそく受け取りにいった。お金は先週、先に渡していたのだ。
でも美術品というのは、こういう買い方をしてはいけないと、教訓を得た。


まず、フクロウじゃなかった。どう見てもミミズクだった。ちゃんと耳が付いている。
箱書きにも「木菟」と書いてある。


日展に高さ30センチほどの1点を出すかなあ?と思っていたのだけど、やっぱり3点もので、今回の買い物は3点のなかの1点だった。ほかの2点はどこにあるのか僕は知らない。


いい話もあった。ものすごく重たい大理石の台が付いてくることになっていて、それは僕が実家にいるときに、美術商が直接届けにきてくれるらしい。


ちょっとがっかりした部分もあったけれど、それでも祖父の作品が手に入ってよかった。
「美術品というのは、作品自身が行く場所を決める」のだと、そんなロマンチックで大甘な話を、僕はどこか信じているところがある。


ブロンズは素手で扱って大丈夫だが、作品が入っている桐の箱に指紋をつけるのは問題があるので、普通は手袋をして扱う。
まだ飾る場所も決めていないので、運んできたままの状態で実家に置いてある。
だから写真も撮れなくて申し訳ないけどそのうちに載せるようにする。


土曜日の夜、友達から飲み会に誘われた。
「俺が中学校に父兄として行ったら俺たちの中学時代の担任がいたんだよ。退職後に数学の講師として、また勤めだしたらしい。「おまえとあいつ(俺のこと)だけは、中学時代に言うことを聞かなかった」なんて言いやがって。それで、一緒に飲むんだよ。おまえも来い。」


家になぜか転がっていたナポレオンのブランデーを2本ほど持って出かけていった。
同級生の男ばかりが7人ほど集まっていたけれど、最終的には10人ほどになった。
ものすごく飲み過ぎて、日曜日は午後3時まで起き上がれなかった。
記憶も飛んでいる。でも、久しぶりに担任とも会うことができて楽しかった。


担任が受験前に自信がなさそうな人を戸別訪問していたことや、受験先で生徒同士が喧嘩になったのを謝りに行ったことなどの話も聞いた。いい話だった。
俺たちは結局、それぞれに一面しか見ていなかったんだな、という気がした。


西村賢太の芥川賞受賞作「苦役列車」(新潮社)を読み終わった。


My Kiasu Life in JAPAN-苦役列車

エピソードの一つ一つが途方もなく痛く、恥ずかしく、孤独でつらい。
しっかりとした文体で、自分を突き放して書いた「私小説」だ。
誰もが隠そうとする部分を、彼は嫌みなほどに精確にあからさまにする。


決して道徳的にいい本ではないし、彼の考え方は間違いなく歪んでいるし間違っている。
でも、彼の感じる孤独は本物で、それが本当に心に響く。
「おはなし」もいいが、こういう「私小説」も実に魅力的で、こういう作品をまだまだ読みたいものだと思った。