そろそろ実家に帰るべきだとは思っているのだけれど、今週末もずっと長野にいた。
でも、「ただ、いただけ」だった。何もしなかった。
週末の間、外に出たのは財布を車まで取りに行ったときだけで、あとはずっと家のなかにいた。
なにしろ花粉症で目を開けていることさえつらい。
目は充血して真っ赤だ。
医者からもらった目薬を差すがあまり効いているように感じない。
むしろかぶれてんじゃないかと思ったりする。
冷たい水道水で顔を洗うときが、一番気持ちがいい。
ハンカチを濡らして、目に掛けて寝ていても気持ちがいい。
そうやって寝ていると「俺はなんて怠惰な人生を送っているのだ」と自分が情けなくなってくる。
目がかゆいのを我慢して、なんとか憲法の勉強だけは一通りした。
それでも憲法なんてほとんどの論点はわかっているので、そんなに新たに知識が身についたような気はしない。
それよりも友達と憲法の話しをしているときに「国民の3大義務って何?」って聞かれて「納税の義務」と「勤労の義務」は答えられたけれど、あとひとつがわからなくて「なんだっけ?」って思った。
同じ問題を小学生のときにも解いた気がする。
ネットで調べたら答えは「教育を受けさせる義務」。「確かに」って思ったけれど、俺は憲法の勉強をしているのにこんな問題も即答できないのかと思ったら、情けなさが増した。
食事を作って食べるとき、テレビにDVDをダウンロードして、「アイランド」と「もう頬づえはつかない」を見た。
「アイランド」は、ただ「スカーレット・ヨハンソン」が出ている映画ということで見た。
最初は、訳のわかんない映画だなあと思ってみていたけれど、この映画はもしかしてカズオ・イシグロの「私を離さないで」と同じコンセプトの映画ではないのか?って思い始めて、それからは内容がよくわかった。
スカーレット・ヨハンソンはきれいだったけれど、でもなんとなく洗練されていないような感じがした。
無理にアクション映画にしないで、静かなドラマにしてもいい素材だったと思うのだが、ハリウッドが作ると、どうしても銃撃戦やカーチェースを盛り込まざるを得ないようで、結果的にはほかのハリウッドアクション映画と変わりがなくなってしまっていた。
中学生の頃から、桃井かおりの映画「もう頬づえはつかない」は僕が見るべき映画のような気がしていた。
「この映画がすごい」と中学の頃に読んだ雑誌にそう書いてあった。この映画を見ると人生が変わるような気がしていた。でも、機会がなくて、今まで実際には見たことがなかった。
桃井かおりがすごくきれいだったのに驚いた。
あのだるそうな演技がばっちりはまっていた。
森本レオが悪役っていうのも意外だった。
セクハラなんて言葉もなく、男が適当な理屈で女を黙らせていた時代の映画だった。
高田馬場駅も、新宿駅も昔を感じた。バイト先の事務所にはパソコンが一台もない。
「昔はこうだったんだなあ」って思った。
今となってはあまりに遠い世界だった。
映画そのものは、期待したほどではなかった。
そんなにすごさを感じる映画ではなかった。
見終わった後、「無駄に長かったなあ」って思ってそれから「確かに10代の頃に見ていたら少しは人生が変わったのかもしれないな。いい方にか悪い方にかはわからないけれど」って思った。

