父親の死後もずっと父の名義だった電話の契約を、僕の名前に代えることにした。
その手続きは5月にしたのだが、ようやく「変更手続きが終了しました」という通知文がNTTから来た。随分と時間がかかるものだな、という気はした。


ところが、新契約者の名前の一部分がひらがなだった。
僕の名前は漢字2文字で、最後の漢字は「平」なのだが、それがひらがなの「へい」になっている。どこか陽気な感じがするが、間抜けな気がするのは否めない。


早速、苦情の電話を先週末にしたが「平日の9時から5時まで」しか扱えないということだったので、火曜日の昼に電話をした。


調査をするということで、回答が来たのが3時間ほど経った後だった。
「戸籍の字が、平の点が外の方を向いた八のような字だったので、このような漢字は常用漢字ではないので、ひらがな表記にしました。」
「普通の「平」でいいから、その文字で登録してください。」
「戸籍上の文字で登録しなくてはいけないのでできません。」
穏便に済まそうと思っていたのだが、それで火が付いてしまった。


「戸籍上の字が違うってさっきから言っているけど、そもそも戸籍に勝手な漢字なんか使えない。戸籍法って法律があって、常用漢字と人名漢字以外は使えない。」
「そんなことないです。私、見たことがあります。」
「俺はそんな漢字制限がない時代の人間じゃない。点が曲がっていても、戸籍に載った「平」という字は普通の「平」以外の漢字はあり得ない。」
「そんなはずないです。」
「じゃあ、どんな漢字でも戸籍に載せたかったら載せることができるのか?外側に開いた点を打った「平」なんて漢字は戸籍に登録したくてもできないんだよ。できると思っているのか?」
「できると思います。」
「できないんだよ!」


話しているうちにだんだんエキサイトしてきた。これはよくないと思って、攻め方を変えることにした。

「とにかく、普通の「平」の漢字で契約者名を表記してください。結果としてそうなっていればいい。」
「それでは、戸籍とは違う字ですが、本人の了承を得たと言うことでいいですか?」
「戸籍とは違う?了承?変な話だけど、結果としてちゃんと載ればいいからそれでいいよ。でも、そもそもあなたの言い分は言いがかりに近い。」
「…変更したら、またあなた宛に通知を出さないといけませんか?」
「当たり前だろ!何いってんだよ。」


最後はやっぱり怒ってしまった。NTTの名義変更、遅いばかりでなく腹立たしいこと山のごとし。
夜寝る前に「くっそお。もっと文句言ってやればよかった」と妙にエキサイトしてしまい、20秒くらい怒った。


生まれて初めて美術品を買った。
ボーナスで買ったのだが、その金額は25万円。高い買い物だが、前の持ち主は38万円で買ったということだったので、妙に納得した。
作者は、こういう人だが(http://www.transtructure.com/column/column20110601.html )、僕の祖父でもある。
父の相続のときのゴタゴタで、家にあった作品はすべて市等に寄付をされてしまい、僕自身は祖父の作品を1つも持っていないのだ。


姪が亡くなった翌日に、この話が来たことで、僕は何かの縁を感じて買うことにした。
「フクロウのブロンズで、日展に展示された1点もの。高さは30センチほど。フクロウは不苦労、福老なんていわれて縁起がいいし、作品としては明るい雰囲気の作品で箱書きもちゃんとある」という。


週末に実家に帰った際、姉の家に届いたので、さっそく受け取りにいった。お金は先週、先に渡していたのだ。
でも美術品というのは、こういう買い方をしてはいけないと、教訓を得た。


まず、フクロウじゃなかった。どう見てもミミズクだった。ちゃんと耳が付いている。
箱書きにも「木菟」と書いてある。


日展に高さ30センチほどの1点を出すかなあ?と思っていたのだけど、やっぱり3点もので、今回の買い物は3点のなかの1点だった。ほかの2点はどこにあるのか僕は知らない。


いい話もあった。ものすごく重たい大理石の台が付いてくることになっていて、それは僕が実家にいるときに、美術商が直接届けにきてくれるらしい。


ちょっとがっかりした部分もあったけれど、それでも祖父の作品が手に入ってよかった。
「美術品というのは、作品自身が行く場所を決める」のだと、そんなロマンチックで大甘な話を、僕はどこか信じているところがある。


ブロンズは素手で扱って大丈夫だが、作品が入っている桐の箱に指紋をつけるのは問題があるので、普通は手袋をして扱う。
まだ飾る場所も決めていないので、運んできたままの状態で実家に置いてある。
だから写真も撮れなくて申し訳ないけどそのうちに載せるようにする。


土曜日の夜、友達から飲み会に誘われた。
「俺が中学校に父兄として行ったら俺たちの中学時代の担任がいたんだよ。退職後に数学の講師として、また勤めだしたらしい。「おまえとあいつ(俺のこと)だけは、中学時代に言うことを聞かなかった」なんて言いやがって。それで、一緒に飲むんだよ。おまえも来い。」


家になぜか転がっていたナポレオンのブランデーを2本ほど持って出かけていった。
同級生の男ばかりが7人ほど集まっていたけれど、最終的には10人ほどになった。
ものすごく飲み過ぎて、日曜日は午後3時まで起き上がれなかった。
記憶も飛んでいる。でも、久しぶりに担任とも会うことができて楽しかった。


担任が受験前に自信がなさそうな人を戸別訪問していたことや、受験先で生徒同士が喧嘩になったのを謝りに行ったことなどの話も聞いた。いい話だった。
俺たちは結局、それぞれに一面しか見ていなかったんだな、という気がした。


西村賢太の芥川賞受賞作「苦役列車」(新潮社)を読み終わった。


My Kiasu Life in JAPAN-苦役列車

エピソードの一つ一つが途方もなく痛く、恥ずかしく、孤独でつらい。
しっかりとした文体で、自分を突き放して書いた「私小説」だ。
誰もが隠そうとする部分を、彼は嫌みなほどに精確にあからさまにする。


決して道徳的にいい本ではないし、彼の考え方は間違いなく歪んでいるし間違っている。
でも、彼の感じる孤独は本物で、それが本当に心に響く。
「おはなし」もいいが、こういう「私小説」も実に魅力的で、こういう作品をまだまだ読みたいものだと思った。