今週末は母の新盆で、実家に帰った。
新盆には、当然和尚さんが来てお経をあげてくれるが、それ以外にも多くの人が家にお参りに来てくれる。
親戚も何人も来るので、夜は宴会だ。


お墓で迎え火を焚き、実家の軒先でも迎え火を焚く。
こうするとお墓から家まで迷わずに霊が来られるのだそうだ。
なるほど。
そして、家に着いたら風呂を用意しておく。
1年分の汚れをとっていただくのだそうだ。
なるほど。


今年は新盆なので、豪華な盆提灯をいくつもぶら下げて、行灯も用意をして、祭壇も用意をしていた。生花もいくつも届く。
盆提灯や生花は親戚の人や多くの方々がくださるのだ。


軒先で迎え火を焚いた後、今度は軒先で灯明に火を点す。
50本近い小さなロウソクに火を点すのだが、屋外なので、当然のことながら火をつけるたびに風に吹かれて消えていく。
点けては消え、点けては消えを何度も繰り返していると、人生がいかにままならないものか実感ができる。


祭壇には、キュウリやなすで作った馬を用意しておく。
先祖の方々はそんな馬に乗ってくるのだそうだ。
でも今ならオートマのカローラやセグウェイなどでも来そうなものだ。
そんな思いもあったりしたし、なによりキュウリやなすに割り箸を刺して馬を作るのが面倒ということもあって、ワラで作った中国製の馬で代用する。スーパーに売っているのだ。
「暇があったら、カボチャで作った馬車くらい用意するよ」などと言い訳もしつつ。


お盆の間は、祭壇にも毎日の食事をお供えする。
ご飯、お味噌汁、漬け物、和え物、煮物の5品を用意しなければならない。
ケロッグに牛乳をかけただけでも十分な栄養がとれていいと思うのだが、それではいけないらしい。


このように、新盆は準備も大変だし、お参りに来る人も迎える人も本当に大変なイベントだ。
それでも僕の家の場合には、組合の人を接待するということがなく、比較的楽な方だったと思う。多くの組合では、組合の方々をお招きして接待をしなければならないことになっている。組合の皆さんは多い場合には10家族にもなるらしい。「新盆は大変だ」と多くの人が言っていた理由がわかったような気がした。


そんなわけで我が家の新盆は比較的楽だったとは思うけれど、それでも1人では到底無理だった。
母を偲んで、100名以上の方々が、お参りに来てくれた。
迎えた側の俺が勝手なことばかり言って申し訳ないが、お参りする人も暑いなか本当に、大変だったと思う。


僕はこの週末に正座のし過ぎで膝がどうしても痛くなり、足を引きずって歩いていた。
ふと母が腰が痛いからと病院でもらった貼付型の消炎鎮痛剤があることを思い出して、自分の痛む膝に貼ってみた。
貼った途端、魔法のように痛みが消えて、笑ってしまった。
「こんなに効いちゃって。これで害がないわけないよな。」なんて思った。


この週末を迎えるまでに、新しい「男たちの挽歌」をDVDで見た。


My Kiasu Life in JAPAN-男たちの挽歌

ジョン・ウーが手がけている映画なので、当然、香港映画だと思っていたら、まさかの韓国映画で、最初は違和感があった。


ベースの話は同じだが、南北朝鮮の問題も絡めて新しい「男たちの挽歌」はより悲壮な脚本になっている。コメディタッチのシーンやロマンスは徹底して排除されている。



My Kiasu Life in JAPAN-男たちの挽歌1

「男たちの挽歌」シリーズはド派手な銃撃戦、飛び散る血飛沫、そして舞い上がる白い鳩が象徴的だが、このシリーズの最も優れている部分は「耐える強さ」なのだと思う。
そういえば、司法試験の短答模試のときには、いつも「男たちの挽歌」のクライマックスシーンに流れる音楽を、頭の中で思い返していた。


My Kiasu Life in JAPAN-男たちの挽歌2

観ながら、俺はジョン・ウーが好きというよりは、結局のところチョウ・ユンファが好きなんだと思った。


My Kiasu Life in JAPAN-チョウ・ユンファ

腐ったような生活の中で男として守るべきところを守る姿、そして最後に怒りが沸点に達したときに見せる超人的な強さは今度の映画にも十分に受け継がれている。
でも、チョウ・ユンファが見せていた極限状態でのユーモラスな仕草や優しさが、この映画には欠けているように思う。そしてそれはチョウ・ユンファの人間としての器のでかさなのだと思う。


どんなに頑張ってもテレビ俳優が高倉健になれないように、チョウ・ユンファも特別な俳優だ。この映画を観ながら、彼のすごさがまたわかったような気がした。