金曜日の夜、7時30分まで残業した。
土木の仕事をしていた頃は、残業で12時過ぎになることが日常茶飯事だったので、7時なんて昼飯の時間くらいにしか思わなかったものだが、もうすっかり今の勤務形態に慣れてしまい、7時を過ぎると心のどこかで軋む音が聞こえる。


金曜の夜は、それから車に乗って実家まで帰った。
実家に着いたのは10時過ぎだった。
もう母の一周忌の日程を決めなくてはならない。
仕方がないこととはいえ、やれやれという気分だった。


土曜日はその日程調整のために、お寺に行き、ついでにお墓も見てきた。
誰がしてくれるのかは知らないが、お墓はきれいで、お花も新しいものがあった。
ありがたいと思うが、それに恩返しのできない僕は、どこか返すあてのない借りを背負ったような気もする。


実家にただいるだけでも、いろんな人が訪ねてくるし、電話もかかってくる。
見ず知らずの人から、突然「お母様の遺作展の予定はありますか?」なんて言われても、まだ何も答えられない。


家の前の側溝には、母が取ってきた野の花が咲いているのだが、繁殖しすぎて水の流れを阻害している感がある。いつか苦情が来るかなあ、と思っていた。
家で休んでいたら、やっぱり何とかしてくれと苦情が来たので、草刈りを持って側溝をきれいにした。


また、少し家を空けていただけでも、大量に郵便物が溜まっている。
多くはどうでもいいダイレクトメールだから、ゴミ袋に突っ込むだけだが、対応する必要があるものも相当ある。
年賀状欠礼のハガキを出したら、「知らなかった」ということで香典も届く。当然、礼状も書かなくてはならない。


ゆっくりシナリオの仕上げを実家でしようと思っていたが、どうも無理らしく、また何かの刑罰かと思うほど、家の中が寒い。
土曜日の夕方には実家を出て、再び長野まで戻ってきた。


長野に戻ってきてから、アメリカのドラマ「ダメージ」のファーストシーズンを見始めたら、その深さと緻密さに愕然とし、「求められているのはこのレベルなのか」と思った。


My Kiasu Life in JAPAN-damages1

My Kiasu Life in JAPAN-damages

これは手が届かない。そう思いながら6話まで一気に見た。


そんなことをしていたので、シナリオをそれなりの形に仕上げるまでに、日曜日の夜までかかった。でも「ダメージ」を見たあとなので、読み返すたびに、底が浅いように感じられる。登場人物の書き分けも今ひとつ。


今週は勤労感謝の日に「月に囚われた男」というSF映画も見た。


My Kiasu Life in JAPAN-moon

僕の書いたシナリオもSFなので、一応、と思ってみたのだが、最初、シチュエーションが似ていて、無意識のうちに盗作をしたのかと焦った。
よく見ていたら、全然違う話だったからほっとしたけれど「このタイミングで、この映画を見ちゃうのか?俺は?」とかなり後悔をした。


My Kiasu Life in JAPAN-moon1

優れたSFは最後まで筋を通すことだと思う。この映画はその点は十分クリアをしているものの「それで何?」と言われると答えづらい。つまり訴えるものがあまりない。


そしてそれは僕の書いたシナリオもそうだ。


「ダメージ」レベルの作品を書く人が、いっぱいいるんだろうなあ、と思ったら、本当に自信がなくなってきた。

週末に、シナリオをとりあえず、書き終えた。
原稿用紙60枚という制限を超えてしまったので、これから削る作業に入らないといけない。


今回はSF仕立てだったので、できることであれば、ジュラシックパークの映画のなかにある「どうやって恐竜を再生させたのか」というショートフィルムのように、「次元とは何か」というショートフィルムを作りたかった。


それから、実験に巻き込まれてしまった一般人のみならず、その実験をどうしてもしたかった科学者の側の事情というのも描きたかった。


SFだと説明に時間がかかるというか、枚数がかかってしまい、結局そこまでは手を伸ばせなかった。そして、できあがった原稿を読むと「もう少し、何とかならないものか」とため息が出る。今考えると、書き進めている間の方が幸せだった。


来週の週末には、完成しなければならない。それまでに、何とかまとめたい。誰か、シナリオに助言してもらえないか、と思う。あんまりシナリオを直してくれるような人はいないんだよなあ。


次元についての知識を復習するために、久しぶりにカールセーガン博士の「COSMOS」の下巻(朝日新聞社)を拾い読みした。


読んでいるうちに、僕が初めてこの「COSMOS」を読んだときに、この人を人生の目標にしよう、と思った人がいたことを思い出した。


それはミルトン・フマーソンという人物で(ミルトン・ヒューメイソンが正しいらしいが。)、僕は彼の生き方がとても気に入っていた。


「天体望遠鏡の大きな部品が、ラバたちの力で山の頂上に運び上げられた。ミルトン・フマーソンという若いラバ使いが、機械部品や光学的な装置や、科学者、技術者、高官たちを山の上に運び上げた。
フマーソンは馬に乗って、ラバの列を誘導した。馬の鞍のうしろには、彼が飼っていた白いテリヤが腰を下ろし、前足を彼の背中にかけていた。彼は、かみタバコをかみながら仕事をする人足で、優れた賭事師であり、賭け玉突きの名人でもあり、色事師でもあった。
彼は、中学もろくに出てはいなかったが、頭がよく好奇心も強かった。それで、自分が骨を折って山の上に運び上げるものについては、当然のことながら、根掘り葉掘り質問した。
フマーソンは、天文学の技術者の娘と仲良くなった。その技術者は、ラバ使いよりも偉くなろうという気もないこの若い男と自分の娘が恋仲になったことを、快くは思わなかった。そこで、フマーソンは天文台で働くことに決めた。彼は、電気技術者の助手や門衛、彼が建設を手伝った天体望遠鏡の部屋の床にぞうきんをかける仕事などをした。
ところが、ある夕方、夜勤の観測助手が病気になって、フマーソンに「交代して欲しい」と頼んだ。すると彼は素晴らしい腕前をみせ、注意深く機械を取り扱った。それで彼は、常勤の天体望遠鏡操作員兼観測助手に取り立てられたという。」


そして、その後、フマーソンはハッブルとともに、赤方偏移を観測し、そして宇宙の恒星が遠ざかっていることを発見する。つまり宇宙が拡大していることを発見した。それは、さかのぼればビッグバンがあったことを発見したことになる。


この本を読んだのは冬の高速バスの中で、隣に父がいた。「フマーソンのような人になろう」とそのときに、思っていた。
僕は、本来であれば僕がやらなくていいようなつまらない仕事をかなりやる方だが、そう言えばそのたびに、この人のことを思い出していたなあ、と思った。


月曜日に叔母から電話がかかってきた。
横浜で建築士をしている叔父が、急死してしまったのだという。
あまりのことに気が動転してしまった。


母が死んだとき、その叔父は仕事帰りだというのに、横浜から車を走らせて、朝の4時頃に駆け付けてくれた。
それから葬儀が終わるまで、叔父がずっと支えてくれていたので、僕はなんとか葬儀を終えることができた。


大学時代は、叔父と飲むたびに、帰りに数万円ずつお小遣いだと渡してくれた。
叔父には本当に感謝の思いしかない。


火曜日の夜に納棺をし、水曜日の夜に通夜、木曜日に告別式だった。
水曜日の夜は、叔父が設計をしたという横浜のホテルニューオータニに泊まらせてもらった。
まるで外国のホテルのようで、夜景もきれいだった。


My Kiasu Life in JAPAN-ニューオータニの夜景

今年になって、母、姪、叔父と3人も亡くなってしまった。なんて年なんだ、と思う。
つらくて仕方がない。


「アンノウン」という映画を見た。

My Kiasu Life in JAPAN-unknown

交通事故に遭ったあと意識を取り戻すと、自分の妻は彼を知らない人だという。
妻の夫は自分と同じ名を名乗り、彼と同じ職業で、同じ経験を積んでいる。


My Kiasu Life in JAPAN-unknown1

男は混乱し、混乱している彼を多くの暗殺者が狙う。
なかなか面白かったが、そんなに心に残る映画でもなかった。


「亀は意外と速く泳ぐ」という映画も見た。


My Kiasu Life in JAPAN-亀は意外と早く泳ぐ

主人公の上野樹里がかわいかったから最後まで見たものの、くだらなさ、突っ込みどころが満載。
笑える映画が見たかったけれど、笑えなくて、ただぐったりと疲れた。


My Kiasu Life in JAPAN-亀は意外と早く泳ぐ1

水曜日に高校時代の友達と飲んだ。
昔は銀行マンだったけれど、今は独立して土地家屋調査士をしている。


高校時代、彼はずっとサザンのようなバンドを組みたいと言っていて、大学の頃はデモ・テープをレコード会社(今はCD会社とか音源会社とか言うのかな?)に送っていた。


東京での学生時代には、彼のライブも何度か聴きに行ったことがある。
オリジナルはあまり演奏しなかったけれど、いい声をしていてギターもうまかった。


「もう人生をリセットして、生き方を変えろってことだよな。」


僕は2月に母を亡くしたが、彼も同じ年の1月に母親を亡くしていた。
それは彼にとってかなりショックだったようだ。


先日の同窓会でもステージでギターを弾いていたが、あまり聞いている人がいなくて、それも少し彼にとってショックだったらしい。


「でもさあ、夢とかあるだろ?」
「俺に?」


彼にはあまり夢と呼べるようなものはないようだった。
社会的にもそれなりの地位を得て、生活も安定しているし、家庭もある。
既に成功していると言えば、確かにそうなのだと思う。


高校時代、ラーメン屋で楽しそうに夢を語っていた姿が、僕にはすごくまぶしかった。
そんな輝きを彼に求めるのは、もう無理なのだろうか。
社会的な成功というのは、勝手な話しだが、僕はそれほど魅力を感じていない。


「つまらない男になったと思った?」
そう言われて、言葉に詰まった。


俺としては「いつまでも夢を追い求めて欲しい」ということを話した。
話しながら、俺は随分とすっとこどっこいなことを頼んでいるのかな?という気がした。
夢を持つのは、もしかしたら若者だけの特権なのかも知れなかった。


「おまえはどうなんだ?」
「俺はまだサラリーマンだから、独立できるだけの資格を得るのが夢だし、それに、まだ脚本だって書きたいと思っているよ。」
「じゃあ、今、脚本を書きたいと思っているのはどんな話しなんだ?」


彼にその内容を話した。
くだらないと思ったかも知れないし、それなりに面白いと思ったのかも知れない。
「おまえみたいな発想していれば、確かに思いつくよな。」というようなことを話していた。


その日は結局、夕方5時30分から、朝の1時30分頃まで2人だけでずっと飲んでいた。
翌日は、最後の夏休みとして休みを取っていたのだが、ひどい2日酔いで午後まで具合が悪かった。


週末、シナリオのプロットを作ろうと思って、目標となるべきシナリオ募集を探してみた。
テレビ朝日がシナリオの募集をしていたが、締め切りは11月30日!。
今の状態からはとても無理のような気がしたが、求められる原稿量が400字原稿用紙で50~60枚だというので手が届きそうな気がしてきた。
それなら、まだ間に合うかも知れない。


それで、おおよその頭の中で作ったプロットを元に、書き始めた。大体30枚分くらいは書くことができた。
週末はあと3回。続きを書いて、全体をまとめて、作り直して。


何とかして間に合わせたい。



***おまけ***


カリフォルニアのクリスのフェイスブックに貼ってあった写真。


My Kiasu Life in JAPAN-G20

こんな解説文が載っている。
【解説】
トロントでのG20で、こんな文化の差に気づいた。
カナダ人「自分のことに夢中で、現実に目を向けない。」
アメリカ人「ビジネスライクで邪魔されることを嫌う。」
フランス人とイタリア人「見ろよ、あのケツ!」


うーん。なるほど。



高校の頃書いていた小説「ジーパンの青い夏」の一部


 夏休みが終わった。自転車に油をさして高校に久しぶりに出かけていくとお利口なやつらが、げた箱に靴を入れながら話しをしていた。
「でる単どこまでいった?」
「一応、一とおりはやったよ。」
 俺はゲッソリしていっそこのまま帰ろうか、と思いながらげた箱の前で立っていた。労働階級の英雄になるのはたいへんなことだよ。遠くの空に僕はぼんやりとつぶやいた。
 勉強がしたくなくて、勉強から逃げていることは自分が一番知っていた。本ばかり読んでいることも、一日中眠ってばかりいることも、みんな自分に対する口実なんだ、勉強しないことのさあ。僕は自分に言った。
「卑怯だよ、おまえは。」
「ああ、僕は卑怯だ。でもそれがなんだって言うんだい?」
 校内試験は2日後だった。僕はウイスキーを飲んだり本を大量に読んだりして少しも勉強をしなかった。口実づくりもたいへんだあ、僕はいつも自分に言った。俺の勝手だろ、僕は答えた。
 作文は明と7月頃から交換して書いていた。
「最近、だんだん芸術性が失われてきた。」
 明はある日信じられないほど真面目な顔で、偉そうに俺に言った。「俺のは初めっから芸術性なんてないんだよ」僕はそう思いながら少し笑って「うーん、まったくなあ」とうなってみせた。校内試験までの2日間はあっという間に過ぎていった。


 屈辱と馬鹿の回し蹴り的な校内試験の第1日目は終わった。僕にはもう翌日の試験を受ける気力が全くなかった。
「だめだあ、だめだあ。」と言いながら学校の前の図書館で「ピーターラビット」の絵本を見ていると、高校生がそんな絵本を読んでいるのが可笑しいのか小学生の女の子が2人図書館の窓の外側から僕を見て、クスクス笑いあっていた。そして僕がそれに気づいて少し笑いながら顔を上げると、あわてて笑いながら走り去っていった。たぶん水泳で焼けた肌と白黒のはっきりした目がなんだかとても印象的で、いいなあ、いいなあと心の中で2度ほどつぶやいた。「ピーターラビット」全集はどうも1日では全て読み切れそうになかった。そして体が疲れているのかいつもよりずっと読みすすめるスピードが落ちていた。 4時過ぎにラーメンを食べに行こう、と約束をしていた明と宏司くんが図書館まで呼びに来た。
「難しかった。」
 明は精も根も尽き果てたという感じで言った。
「ああ、もうなんだっていいやあ」
 僕は体中の力が抜けているのを感じながら、心の中でつぶやいていた。
「50円コーヒー」と言って、中学校の頃から鈴木の家に行った帰りには必ず飲んでいた50円でカップ一杯飲める自動販売機は故障していたので、僕たちは直接ラーメン屋に入っていった。そしていつものようにテーブル席に座ると「大盛り3つ」と水を置きにきたおばさんに言った。その日は明のおごりだった。
 ラーメンが来るまで、僕たちは将来の希望というか願望というか夢を語った。宏司くんはサザンオールスターズのようなバンドを組みたい、と言い、明は、紅白歌合戦に出たい、と言った。僕は「だめだめ、君には無理だよ」とかなり正しい意見を述べたあと「俺はノーベル平和賞を取るのだ」と笑いながら言った。でも、そう言いながらも心の中では、夢を持ってそれに少しでも近づこうとしている明や宏司くんにどうも負けているような気が絶えずしているのだった。
「うーん、いかん、いかん」僕はラーメンにこしょうを振りかけながら思っていた。小さい頃は身の回りにたくさんやるべき事があったのに、俺はもう身近な目標が何にもないもんな。小学2年のときに水泳で51メートル泳いで2位と1メートル差で勝ったこと、3年のときにみんなの前で落語をやって無茶苦茶に受けたこと、あれが僕の限界だったのかもしれないなあ。もう今では勉強にも全然興味ないし…。
 ラーメンを食べながら、明や宏司くんになんとなく「勉強しなくちゃだめだね」と言うと、なんだか目に決意のようなものを浮かべながら2人ともうなずくので、とてもそんな気持ちになれない僕は取り残されたような、なんだか寂しい気がした。
 ラーメン屋を出て2人は僕の家に来た。明に借りていた「友よ、静かにねむれ」といううハードボイルドの本を返したり、マーク・ゴールデンバーグのテープを聞いたりしているうちに暗くなってきたので、明日テストだから、と言って2人は帰って行った。
 道の端で赤いブレーキランプの光が見えなくなって、そこに見慣れたバイク2台分の風景が現れてくると、俺は小さくケッと言って部屋に戻った。
 コップやスプーンの散らかったテーブルの上を黙って片付けていると、さっき「どうもありがとう」と返したはずの本がそのまま置いてあって、僕はそのときたまらなく悲しくなって「バーカ」などと言って本を壁に投げつけるとそのままふとんに潜って寝てしまった。
 そして翌日からの試験はほとんどサボり、映画を見たり図書館に行ったり、明と宏司くんの家に遊びに行ったりしていた。

吊り橋を渡る夢を見た。


かなり川面から高いところに設置された吊り橋で、僕は緊張しながら渡っていた。
途中から吊り橋の勾配がきつくなったので、僕は四つんばいになった。
落ちたら死ぬなあ、と思っていた。
そして実際に吊り橋の両側には、人が落ちる程度の空間が大きく広がっていた。


勾配は徐々にきつくなり、角度も50度を超えていた。
これはダメだと思った。
引き返すのも大変だけど、何とか戻らないと。
そう思って、怖がりながら引き返してきた。


引き返したあと、吊り橋を見ると、白い僕の足跡が残っていた。
僕は吊り橋の半分を超えて、かなりのところまで進んでいた。
もう少し勇気を出して踏み出せば渡れたのに、と思った。
そこで目が覚めた。


「僕はいつもあと1歩の所で努力するのをやめてしまうんだよな。」
あの夢はそういう自分の弱さを象徴する夢だったような気がして、その日は反省をしていた。


その日の夜、高橋葉介のマンガ「夢幻外伝 高橋葉介コレクション」(朝日新聞出版)を読んだ。


My Kiasu Life in JAPAN-夢幻外伝

昔読んでいた「夢幻紳士」というマンガでは、主人公はもっと明るいキャラクターだったように思うが、この外伝では夢幻紳士自身が、かなり怪しく、おどろおどろしい恐怖マンガだった。
夢幻紳士が殺人事件を解決できるのは、彼自身が死者と話ができるからだ、なんて「都合がいい話だよなあ」って思った。
もちろん人には勧めない。


マンガを読んだあと、不愉快な読後感のままシャワーを浴びているときに、朝の夢で、俺は川を渡ろうとしていたことに気がついた。三途の川ってこともあるし、夢の中では川は渡ってしまっていけないような気がする。
「あのとき恐怖感を感じて、引き返して正解だったのかもしれない」
背筋が寒くなったような気がした。


それから少し自分の生活を振り返った。
体があまりに重く、どう考えても太っている。
思い切って新しい体重計を買って測ってみたら、体重は3月より5キロも増えていた。それから新しい体重計の機能を駆使していろいろ調べてみたら、軽肥満で、体内脂肪もやや多いという。そういうことだろうな、と思った。
筋肉量が多いことと、体脂肪率が18%というのはまあまあなのかもしれなかった。


知り合いのジムに通っている女の子と連絡を取って、ジムに入会することにした。手続きを終えて、サイクリングマシンに乗っていたら、その女の子に久しぶりに会った。
1年以上会っていなかった。


久しぶりに会ったその子は、随分と引き締まった体をしていた。ほぼ毎日ジムに通っているらしい。10キロくらいやせたという。
「なんか小さくなったんじゃない?」
「身長は変わらないよ。」
小さくなったように見えた。


土曜日にジムの体力測定とオリエンテーションがあったので、朝からジムに行った。
握力が両手とも40kgまで届かず、年齢表を見せてもらったら68歳レベルだったので笑ってしまった。
トレーナーの方はそれでも「この表、かなり厳しいんですよね。まあ標準ですよ。」って言ってくれていたけど、標準のわけがない。


体力も随分と低かったので、ジョギングやサイクリングのような有酸素運動と、下半身の筋力アップをするメニューを作ってくれた。やってみたらかなりきつかったけれど、これから週2回くらいは頑張って通って体力をつけたいと思った。


中学からの付き合いのmoonにすすめられて、「フィリップ、きみを愛してる!」という映画を見た。


My Kiasu Life in JAPAN-i love you phillip morris

ゲイの映画で、ジム・キャリーが主演をしていて、かなり笑えた。


My Kiasu Life in JAPAN-i love you phillip morris1

My Kiasu Life in JAPAN-i love you phillip morris2

でも映画としてどうこういうような映画ではない。


それからチョウ・ユンファ主演でジョン・ウーの映画「リプライスメント・キラー」も見た。


My Kiasu Life in JAPAN-replacement killers

これまた映画としてどうこういうような映画ではない。


My Kiasu Life in JAPAN-replacement killers2

それにしてもチョウ・ユンファの運動神経はいいよなあって、それだけは改めて感じた。




***おまけ***



My Kiasu Life in JAPAN-at pearly gate

「いいアプリを持ってますよ」
超有名なスティーブ・ジョブスの絵。同じコンセプトの絵がほかにもたくさんある。
天国の入り口には、パーリーゲート(直訳すると真珠の門、「天国の門」って訳すのが普通?)があって、そこで聖ピーターという天使が門のなかに入れる人をチェックしている。普通は名前と職業を聞くことになっていて、その他気になったことがあったら聞いていいことになっている(と思う)。アメリカン・ジョークには本当にしょっちゅう出てくるシチュエーションだ。



My Kiasu Life in JAPAN-from Chris1

「俺が払った」
スティーブ・ジョブスが頑張った結果、こういうことになったわけなんだよなあ。



My Kiasu Life in JAPAN-from Chris2

「レイプ犯、捜索中」
カリフォルニアのクリスのフェイスブックに貼ってあった。笑った。

先日、メンタルヘルスの講習会に行った。
なかなか興味深い話しで面白かった。


例えば、彼氏に振られて悲しがっている女の子がいるとする。
そのとき、本当に「悲しい」のか、それは偽の感情ではないのか、ということを考えた方がいいのだという。
大人になると、人は自分の感情を素直に出さず、別の感情として発現することが多いかららしい。


実は彼の不誠実な態度に対して「怒って」いたのだ、ということを彼女自身が理解せず、自分は「悲しい」のだと思っていると、なかなか気分を回復することは難しいのだという。


逆に会社に対してイライラしているとき、それは本当に「怒り」なのかを考えた方がいいのだそうだ。
実は、会社が自分を一人前として見てくれないのが「悲しい」という思いが本質で、「怒り」は偽の感情だったりするのだという。


自分自身は「悲しい」と思って泣いていても、それは実は「怒り」だったり「恐れ」だったりすることがある。
そして「怒り」の感情は、社会に出すととても問題を大きくすることが多いので、多くの人は自分のなかにため込むらしい。
そしてその結果、自傷行為に走ったりするのだそうだ。
自傷行為に走る人は、「悲しい」よりも、実は自分自身では抱えきれないほどの「怒り」を持っていることが多いのだという。


肝心なのは、自分の本当の感情をつかむことで、それができると気分を回復することはたやすいのだそうだ。


俺は本当に「怒って」いるのか。実は「悲しい」んじゃないのか。
そう考えると、「なるほどなあ」って思うことが、確かにいろいろとある。
いい講習会だった。


今週末は土日とも仕事だった。
土曜日は会社祭の準備で、日曜日が本番だった。
土曜日はいろんな人からいろんな仕事を頼まれて、日曜日は1日中、駐車場係をしていた。


土曜日には、4回に分けて撮影したある委員会の集合写真を、さまざまな合成技術を駆使して1枚の集合写真にする、といったことも頼まれてした。
注意深く見ると、未だにどこか違和感がある写真にはなったけれど、普通に見れば1回で撮った集合写真のように見える。
「すごいね。」といろんな人から言われて、「まあね。」なんて返事をしていた。でも、自分でも「こんなことできるんだ」と自分自身に対して少し驚いた。


土曜日はほかにも山のようにいろんな仕事をした。でも、いろんな人に会って、仕事を頼んだり頼まれたりしてそれなりに楽しかった。


日曜日の駐車場係は大変だった。最大で、16人の人に指示を出さなくてはならなくて、中には別の会社の人が8人もいたりしたので、気もかなり遣った。朝から昼までは雨も降っていて寒かった。何度も満車になってしまい、ドライバーにほかの駐車場に行ってくれるように頼むのも、結構疲れるものだ。
夕方5時頃、会社祭の後片付けが終わると、もうクタクタに疲れていた。


それでも、疲れたなんて言っていられない。明日の月曜日には、監査がある。
「会社祭のあと、休みなしで監査かよ。誰だよ、こんな日程を組んだのは!」
怒りがこみ上げてくるが、それはもしかしたら、実は「悲しい」という感情なのかもしれなかった。


試しに「そうか。僕は悲しかったんだ。かわいそうな僕」なんて言ってみる。
少し笑いがこみ上げてきたが「何言ってんだよ、俺は」と自分自身にますます腹が立った。


会社の上司が鈴木隆雄の「骨から見た日本人 古病理学が語る歴史」(講談社学術文庫)という本を貸してくれた。


My Kiasu Life in JAPAN-骨から見た日本人

よく骨の化石が出土するが、その骨を解析すると、昔の人の病気がわかる。それによると縄文時代人の平均寿命は15歳程度だったそうで、かなり過酷な生活だったことがわかる。
その他、骨からわかるいろんな病気のことが山のように書いてある。


本当にあきれるほど書いてある。骨からこんな病気がわかりますって、癌も骨折も栄養失調も書いてある。今は、ようやく半分くらいで、古代に流行った結核の部分を読んでいる。


でも、書きすぎだ。昔の人が病気になったことも怪我をしたこともよくわかったから、もう勘弁してくれという気分だ。「君が骨を見るだけでいろいろわかるのはわかった。頭がいいのも認める。でも、もううんざり。おじさんは降参だ」そう筆者に言いたい。


それでも、上司が貸してくれた本なので、一応全部読み切らなくてはならない。
「これから急に面白くなったりしないかなあ。」なんて期待もしているが、将来、僕の骨を分析したら「上司につまらない本をすすめられたストレス」が記録されていそうで、正直にいうと本を見るたび「やれやれ。」という気分だ。

最近、太った。
みんなが「太ったね。」という顔で僕を見るのがわかる。
最近、怖くて体重計に乗っていないが、怖がるだけの意味がある数字であることは間違いない。


知り合いのもともと細い女の子が、この1年間ジムに通ってさらに10キロ近くやせた写真を送ってきてくれた。腹筋がくっきり割れていた。
「ここまでは到底無理だけど、俺もなんとかしないといけないなあ」と思った。
その女の子が勧めるジムに来週辺りから通うことも考えている。


最近、運動不足で汗をかくことがほとんどなくて、乾燥肌にもなったような気がしていた。とにかく汗をいっぱいかきたかった。


それで土曜日に久しぶりに回数券を持って岩盤浴に行った。まだ2回分ほど残っていた。店の人は丁寧だったけれど、その回数券を発行したのは6年前で、今ではもう期限無制限の回数券は発行していないのだと僕に言うのだった。
「そんなに前の回数券だったんですね。」
考えてみたら、僕がその岩盤浴に行くのも、もう3、4年ぶりだった。
それでも、回数券は有効で、特に問題はないようだった。


最初は、こんなに温度低かったっけ?と思っていたけれど、15分ほど寝ていたら、もう汗が噴き出ていた。浴衣が汗でぐっと重くなっていた。
それから我慢して30分くらい寝ていた。
浴衣が汗で濡れていないところはほとんどないくらい汗が出た。


久しぶりの岩盤浴が終わった後は、気分がすっきりしていた。
やっぱり汗をかくのは気持ちがいいなあ、と思った。


実は土曜日にはソフトボールの試合があったのだが、今回は辞退していた。
あまりに体を動かしていなかったので、代打だけだったらなんとかなったかもしれないけれど、ピッチングや守備は夢のまた夢、という感じだった。
もともと人数が足りないので、「俺、代打。それが無理ならファーストかな。動かなくて済むから」なんて自分勝手なことは到底言えそうになかった。


これもすべて、体を鍛えていないせいだ。
怠惰な生活を考え直さないといけない、なんて思っていたのだけれど。


土曜日は岩盤浴に行ったことで疲れ果ててしまい、夜8時30分に寝て、それから翌朝7時30分頃までずっと寝てしまった。


週末には「Orgasm.inc~女性向けバイアグラはできるのか~」というドキュメンタリータッチの映画を見た。


My Kiasu Life in JAPAN-orgasm.inc

バイアグラで大もうけをした製薬会社を見習って、数多くの製薬会社が、女性向けのバイアグラを開発しようと競争する姿を描いている。面白い映画ではない。


My Kiasu Life in JAPAN-orgasm.inc2

男性は勃起不全、では女性はどういう状態が「病気」なのか。
そして、どういう状態になれば「薬の効果」があったと言えるのか。
製薬会社は「病気」を定義し、「薬効」をうたう。そして、そんなのは「病気」ではない。と薬の認可を阻止し、闘う女性たちのグループも映画は取材をしている。


My Kiasu Life in JAPAN-orgasm.inc3

興味深く見たのは、昔はバイブレーターが「ヒステリー」の治療器具だったという指摘だった。昔、スネークマン・ショーで「ぐっすり眠れる、ストレスがなくなる。バイブレーター」のラジオ・パロディCMを聞いたことがあるけれど、あれは歴史的には正しかったのかと思った。


脊髄に電気を流し、永遠にエクスタシーを感じる外科手術をはじめ、アメリカ人ってむちゃくちゃなことを考えるなあと驚いた。


結局、FDAは巨大企業P&G(パンパースやファブリーズを売っている)の推す薬を薬として認可しなかった。女性団体は大喜び。
しかし、その直後、EUではその薬が薬として認可され、今ではネットを使えば世界中で手に入る薬になっている。


そんな映画だった。


映画のなかで、P&Gの本社が映し出されている。
すごい巨大企業だ。パンパースやファブリーズで、ここまで大きくなった企業だ。


My Kiasu Life in JAPAN-P&G

ところで僕が大学一年の時、一般教養の何かの科目で、これから将来起きる「革命」について論じろ、という宿題が出たことがある。


僕は最初「パンパース革命」について論じた。


紙おむつの決定版「パンパース」が誕生し、今後、紙おむつが快適になるにつれ、排便の快感の後のどうしようもない気分の悪さを感じないまま大きくなる赤ちゃんたちが増えてくる。
快感には、それなりの負担なり不便がつきまとうものだという経験がない子供たちが大人になったとき、今までよりも、より快楽を求め不便を排除する傾向が高まり、「パンパース革命」が起きるだろう、という内容だった。


ところが、提出前に、周りの人の革命論を読んだらあまりに真面目だったので、僕は全面的に書き直して、題も内容もごく平凡なすごくつまらないものにしてしまった。


その後、授業で先生が「今年は創造的なものが全くなかった」と残念そうにしていたのを見て、「あのまま提出してしまえばよかった」と深く反省をしたのを覚えている。


そして、今になって僕は思う。若者たちが、特に男の子たちが結婚したがらないのは、「快楽の後に不便がついてくる」ってことに免疫がないからじゃないのかな?と。
つまり、パンパース革命が起きているんじゃないかなって。


映画のなかでパンパースの本社の画像を見ながら、僕はそんなことを思っていた。

先日、左利きの人に「どうして右利きの人は左手でマウスを操作しないの?左手でマウスを操作すれば右手でメモや食事をしながらコンピューターを扱えるのに。」と言われて、「なるほど」と思った。確かに左手でマウスを操作できれば、いろいろと便利そうだ。


やってみたら、なかなかうまくいかない。特に右クリックと左クリックは間違えてばかりいる。マインスイーパーなどをすると、一生懸命に自爆してしまう。


「俺の左手ってこんなに不器用だったんだ」と改めて思う。まるでリハビリをしているような気分だ。自分の手が、他人の手のように感じる。マインスイーパーで自爆するたびに、いらいらする。そして実際にリハビリって大変なんだろうなあ、と思った。


タイガー・ウッズが左足の疲労骨折と膝前部十字靱帯の断絶の手術後、8か月に及んだリハビリの感想を記者に聞かれたとき、記者に「タフ!(つらかった!)」と吐き捨てていたことを思い出す。


俺はそのとき、ずいぶんと失礼な態度だなあなんて思ったけれど、彼も思い通りにならない身体に、相当につらかったんだろうなあ、と思い直した。俺も、左手でマウスが扱えるようになるまで、8か月くらいかかりそうだし。


マインスイーパーは右手のマウス操作なら、今は早ければ200秒台で(最速で250秒)大きなマス目(16×30)をクリアできるが、左手だと500秒から800秒くらいかかる。左手でも300秒を切れた頃、僕は左手でもマウスを自由に扱えるようになっているのだと思う。


週末の土曜日は、実家まで帰り、高校時代の同窓会に行った。随分と大きな同窓会で、100名を超える人達が参加をしていた。


僕自身は高校時代のいい思い出はあまりなく、勉強もせずに怠惰に過ごした日々が悔やまれてならない。
唯一の楽しかった思い出は、選択授業の英語で隣の席の女の子と、授業中、ずっと筆談をしていたこと。当時はまったく英語ができなかったのだけれど、彼女と話している間は楽しかった。あんまり顔は覚えていないけれど、随分とかわいい女の子だったような気がしていた。


高校時代の友達で、特にどうしても会いたいという人はいなかったけれど、もう2度と会えないことだし、その女の子には会いたいなと思っていた。


4時過ぎに友達が迎えに来てくれて、母に焼香をしてくれた。
僕たちは同窓会に5時から参加することになっていたけれど、4時40分頃には会場にいた。


会場はきちんとコントロールされていて、また進行も淀みがなかった。こういうことができる人達がいることが驚きだった。


乾杯が終わって、その女の子らしい女性がいたので声をかけてみた。いろんな人からの話で、その選択英語の授業をしていた先生は、もう死んでしまったのだという。


彼女の服は黒で、金と銀のネックレスをして、襟元から白い肌が見えていた。
これは「私は贅沢品よ」というアピールに使うときのカラーコーディネイトだ。
化粧品会社の社長をしていると聞いて「そうなんだ」と思った。
想像していたよりずっときれいな人だった。


「昔、選択英語の授業で、僕たちよく筆談してたよね。」そう僕が言うと「私、知らない。英語の授業はわからなくてただ寝てたから」と彼女は言うのだった。僕が誰だかもよくわからないみたいだった。


それで、僕はもう何のために同窓会に出てきたのかよくわからない状態になってしまった。


みんなとても優秀そうだった。これだけ優秀な頭脳が集まれば、会社を作ってもきっと安泰だろうな、と思った。個性的な人が多く、皆、堂々としていてすごいなあと思った。
そしてまた、そういう人達を僕はあまりよく知らなかった。高校時代、そういえば俺は友達が少なかったんだっけ?
人に会うのが嫌で市立図書館に通っていたこともあった。そうか。俺はそんな高校生だったんだな、と思いだしてきた。


見違えるほど外観の変わった友達もいっぱいいた。それでも何人かと話すと、もう話すことも話す人もいなくなってしまい、手持ちぶさただった。


みんなが驚くほど飲むので、僕も飲んだ。
すごく外見が変わった女性がいて「誰だかわからなかった」と言ったら、怒られそうになったので、「きれいになり過ぎて」と言ったら本当に怒られた。


最後は4次会で、同級生と2人でバーに飲みに行き午前1時30分頃まで飲んでいた。僕はそこにいたスペインの女性とずっと英語で話をしていた。
ヨーロッパ人は本当に普通に何か国語も話せるのがすごい。彼女の英語はなまりのないきれいな英語で聞き取りやすかった。昔、オーストラリアの友人が「ヨーロッパ人は何か国語も話せてずるい!」と怒っていたのを思い出した。


翌朝、僕を会場まで送ってくれた友達からメールが来た。彼女は朝2時まで飲んでいたのだという。「昼過ぎに帰るんでしょ。それまでにお茶か食事しない?」


2日酔いで僕はくたくたで「無理です。また今度。」とメールを返しながら、みんなタフだよなあって心の底から思った。

僕は電話をかけるときに左手で電話を持つ。右手でメモ等をとるから当然だと思っていた。


先日、左利きの人と話していたら、左利きの人も左手で電話を持つらしい。メモをとるとき面倒なんじゃないかなあ?なんて思った。そのときは右手に持ち替えるのか?


でも、電話は固定されているものはすべて左手で受話器を取るように設計されていることに思い当たって、電話って左手で持つようにできているんだと納得した。でも左利きの人には不便だろうなあ。


そういうわけで、大抵、僕は電話をしながら何かしら右手で作業をしていることが多い。


そして先日、左手で携帯電話を持ちながら、右手で一生懸命カバンのなかを「俺、携帯電話をどこに置いて来ちゃったんだろう」って探していた。「俺、最後に携帯使ったのいつだっけ?」なんてどきどきしながら思い返して。


「携帯電話、今使っているんじゃん」って気づくまで1分くらいかかった。もう、ぼけたのかと少し怖かった。


車を木曜日の夜に修理に出した。
ガラスのフッ素加工なんていうのを勧められて、なんだかんだで7万円を超えた。
うーん。
代車はダイハツの軽自動車ミラだった。
運転して帰りながら「高い買い物になったなあ」とため息を吐いた。


代車で職場に行くときに高速道路で風にあおられて「軽自動車って高速道路運転するの怖いなあ」って思った。110キロ近く出すと軽くハンドルが取られるような感じがする。
いつもの癖でETCレーンに突っ込みそうになったり、代車にはなかなか慣れない。


いつもと違う駐車場の端に車を駐めて、職場に行った。


金曜日、すべての仕事を終えて帰るとき、駐車場の端にあった縁石に気づかないまま方向を変えながらバックをして、代車の前側のバンパーをこすって傷を付けてしまった。
「俺は何やっているんだよ。」


金曜日の夜、職場から修理工場まで車を取りに行った。。
車は磨き抜かれて光り、肌触りまでツルツルに変わっていた。


代車を傷つけたことを話して、それは別途2万4千円かかると言われたが、それは仕方がないと支払いをした。


「でも、僕は嬉しいです。こんな見えづらいところを傷つけたこと、正直に話してもらえて。」そう工場の人に言われたのがせめてもの救いだった。


そう。見えにくいところだからごまかしちゃおうかな?と一瞬は思った。
でも、運転しながら工場に行くとき、アメリカ初代大統領ワシントンの桜の木の話しやスティーブ・ジョブスのスタンフォード大学での講演を思い出して「明日死ぬとして、俺はごまかすなんて選択肢を取るのか?」なんて考え直した。


そこから家までの帰り道、代車を傷つけたことと高い金を支払ったことで、動揺をしていた。
セルフサービスのガソリンスタンドでは電話をしながら作業をしていたら、クレジットカードを忘れそうになって、従業員の人が追いかけてきた。いろんな人に迷惑をかけてますます動揺する。
電話の向こうで、友達から「車の運転ヘタなんだっけ?」と言われたが、そんなことはないとはもう、僕には言えなかった。「そういうことなんだろうな」と答えた。


その昔、新橋で飲み歩いていた頃、友達に「こういう飲み屋の金って高いけれど、この金をけちったところで、どうせどこかで使っちゃうんだよ」と言われて、そんなものかと思っていた。


でも、本当にそのとおりだ。無駄な飲み代に使わなくても、何かしらで僕はお金を無駄に使ってしまう。
よくないなあって思うけれど、でもこの程度で食い止めることができて、よかったと思うべきなのかもしれない、とも思う。


そして車の運転は、少し怖くなってきた。


**おまけ**


週末は、特にすることがなかったので、料理をよくしていた。
今日は、比較的僕でも上手にできたスープを紹介したい。
ニンニクやタマネギの量を増やすと、食べた後、しばらく体がポカポカと暖かい。


えびとベーコンのスープ


1 鍋にオリーブオイルを入れる。
2 ニンニクを包丁の腹で押しつぶし、それからみじん切りにして、鍋に放り込む。
3 タマネギもみじん切りにして、鍋に放り込む。
4 厚切りのベーコンを拍子木状に切って、これもまた鍋に放り込む。
5 塩、こしょうをしてから、これらをざっと炒める。
6 なんとなくタマネギが熱で弱ってきたと思ったら、水を入れ、「マギーの野菜ブイヨン」を加える。水の分量だけは、ちゃんと測った方がいい。もちろん、こういうインスタントのスープでなく、スープストックがあればそれでいいが、俺は未だに、おいしいスープストックとマヨネーズは自宅で作れた試しがない。
7 沸騰してきたら、角切りにしたトマトを鍋に突っ込む。料理の本を読むと、スープにトマトを入れるときは、種を抜いて皮をむいた後、角切りにしろと書いてあるが、トマトの皮をむくなんてとてもめんどくさい。種だってそのまま入れてしまえばいい。気にしないことだ。
8 ボイル用のエビを鍋に投入する。もちろん生食用のだって、かまわない。エビのスープだって誰にも言っていないなら、ここで気が変わってアサリを入れてアサリのスープにしてもいい。それでもなかなかうまい。
9 最後に、イタリアンパセリを刻み入れて、30秒経てばできあがり。

車に2カ所ほど傷が付いている。
全然違う場所で、1度はポールに、2度目は壁にぶつけてしまった。
しばらく「まあいいや」と思っていたのだけれど、錆びるんじゃないかと洗車も控えているうちに、だんだん汚れてきたので今週末、思い切って板金に出してみた。


見積もってもらったら、4万円ほどになる。
「うひゃあ」と思っていたら、「ボンネット焼けちゃってますよ。」とコーティングすることも勧められて、さらに2万円が追加された。


昔は「10万円以下の損害なんて、長い人生でいくらでも取り戻せるんだから」と母にも言われ、自分でもそう思っていたが、最近ではこの程度のお金でも、ため息が出てしまう。もう人生も長くないと思い始めているのだろうか?それともただ単に「つまらない男」になっているのだろうか。


1万円札を財布から出すたびに「いってらっしゃい」、戻すたび「おかえりなさい」とお札に声をかけるという男を知っているが、俺もそうなるのかなあ、なんて思ったりする。
俺がやると「とうとうあいつもお金だけが友達かあ」という目で見られること間違いない。


先週末は実家に帰って、久しぶりに東京の叔父と会った。
叔父は癌で、もう今回を逃せば、田舎に帰ってくることはできないだろうと言う。


会ったら、思ったよりも顔色がよく元気そうだった。
入院しているとき、退屈なので鉛筆で絵を描いているのだという。
その絵を見せてくれた。


My Kiasu Life in JAPAN-叔父の作品1

My Kiasu Life in JAPAN-叔父の作品2

「これは、本当にすごいね。」
看護師さんたちも、驚くのだという。
こういった才能が、結局のところ命と一緒に消えてしまうのは、なんとももったいない話しで、叔父には長生きしてもらいたいと思った。


ヤスミナ・カドラの小説「カブールの燕たち」(早川epiブック・プラネット)を読み終わった。


My Kiasu Life in JAPAN-カブールの燕たち

アフガニスタンのカブールを舞台にした小説で、救いのない、悲しい小説だ。


タリバンの圧政の元で、とりわけ女性は息を潜めて生きて行かなくてはならない。
さもなければ、ろくな裁判も行われないまま、死刑にされてしまう。


意味がわからなくなるほど人生に対し、社会に対し、そして家族に対して怒り、苦しんでいたベテランの看守が、無実の美しく賢い死刑囚に出会ったとき、彼の人生は一変した。
彼女を救いたい。彼はそう思って、それを病気の妻に打ち明ける。
病気の妻は、彼のなかに人間らしさが残っていたことに驚き、喜ぶ。
「私が身代わりになるから、あなたがその人と暮らして。」
妻は銃殺刑の銃弾に倒れて死ぬが、その死刑囚も看守の元には向かわない。


ヤスミナ・カドラは、愛や恋は恥ずかしいものではないと、いろんな小説のなかで訴える。
愛や恋をするために人は生きているのだと、彼は語る。


僕は彼の本を読みたびに、魅力的な女性に声をかける勇気を持たなかった人生を振り返って、反省と後悔でいたたまれない気持ちになる。
僕は長いこと、愛だの恋だのをバカにしていた。タリバンのように。
もう反省もまったく意味をもたない今になって「間違っていたんだなあ」と思い、ため息をつく。


トム・ロブ・スミスの小説「エージェント6」(新潮文庫)も上・下巻を読み終わった。
これも救いのない小説だ。


My Kiasu Life in JAPAN-agent6上

My Kiasu Life in JAPAN-agent6下

ソビエトの元秘密警察(KGB)だった男が、妻と娘をアメリカに送る。
妻は陰謀に巻き込まれ死亡。彼は妻を殺した男のいるアメリカに復讐に行くことを誓うが、元KGBの男がアメリカに行くことなど夢のまた夢。
脱国を図るが失敗し、もっとも危険な赴任地アフガニスタンに行くことになる。


この小説ではソビエトの側から見た「アフガニスタン」が描かれていて、アフガニスタンのタリバンが、アメリカ製の武器を手に入れることになるまでの歴史を学ぶことができる。


まず、ソビエト軍はアフガニスタンの軍に接近し、よりいい弾を供給するからと戦車から弾を抜いてしまう。すべての弾を抜き終わり、ガソリンも抜き終わった後で、ソビエトはアフガニスタンを侵攻し占領する。
そのままソビエトはアフガニスタンに居座り、モスクワオリンピック・ボイコットというアメリカの消極的な抵抗も無視して、アフガンに居座り続ける。


もともとアフガニスタンに暮らしていた人びとは、ソビエトに抵抗するが、ソビエト兵を傷つけようとしたときの報復は、村を全滅させるなど、均衡を欠いたものだった。


ソビエト軍スパイがパキスタン経由でアメリカと接触。ソビエト軍の支配も盤石なものではないことを、アメリカに伝える。
アメリカはソビエトの弱体化を狙い、ソビエトに抵抗する部族に武器を供給。


その後、アメリカが支配しようとして、部族はアメリカ製の武器で応戦し、事態は泥沼に。そしてタリバンが台頭し、「カブールの燕たち」のような有様に。


小説なので、多少の史実との違いはあるかもしれないが、おおよそ、こんな感じで歴史は動いたのだと思う。アフガニスタンの人たちは元々は平和に暮らしていたわけで、ひどい話しだと思わずにはいられない。


シンガポールに行くとき、往復の飛行機のなかで、僕は4本の映画を見た。
「プリンセス・トヨトミ」、「パイレーツ・オブ・カリビアン 生命の泉」「スーパー8」「HERO」だった。


My Kiasu Life in JAPAN-プリンセストヨトミ

My Kiasu Life in JAPAN-パイレーツオブカリビアン

My Kiasu Life in JAPAN-super8

My Kiasu Life in JAPAN-HERO

退屈しのぎの軽い映画ばかりだった。


「プリンセス・トヨトミ」はかなり、ずっこけた。
最初からばかばかしかった。


My Kiasu Life in JAPAN-プリンセス・トヨトミ

ただ、憲法で設置が義務づけられている、「会計検査院」の仕事ぶりがこの程度なんだと言うことを世間の人が知るのはいいことだと思う。
それでも映画のなかでは、会計検査院の検査員が鞄から文房具を出しただけ、実際よりも仕事をしている。
彼らは基本的に手ぶらで来るので、文房具も電卓も持って来ず、検査会場に用意をしてあるものを使う。だから、鞄から文房具を取り出すなんてことはない。
「もっと僕は大きなこのくらいのクリップが欲しいんですけど。」
必要なものだったら、自分で持って来い!みんなそう思うが、会計検査院にはそういう感覚はない。


結局、この映画でも、検査員はろくな仕事をしていない。一日中お好み焼き食ってるのが仕事なんて、おまえらこそ税金泥棒だと思う(実際にはそこまでひどくはないと思うけれど。)。会計検査院を検査する国家機関が必要なのだと、いろんな人から会計検査院の話しを聞くたびに思う。


あとの3本の映画も特に何も言うことはない。中学生の頃見ていれば「面白かった」っていう程度の映画だった。

朝、起きてから昨日Aくんに教えてもらった方法で、地下鉄に乗ってオーチャーズに行った。地下鉄は使い方がわかるととても便利だった。


屋台街であるホーカーズに行くつもりだった。
以前は路上に屋台がそこかしこにあって、「このスープは2日酔いに効く」などと友達に言われて飲んだりしたものだったが、今回は(おそらく)中華街に行っていないこともあって、屋台というものを目にしていなかった。


「地球の歩き方」を見ると、今ではホーカーズもショッピングモールの5階にあったりして、座席もテーブルも清潔なのだという。
オーチャーズにあるホーカーズも、とてもきれいだった。
まだ10時頃だったので、お客もまばらで、さほど混み合ってはいない。


My Kiasu Life in JAPAN-ホーカーズ

ラクサという豚骨のようなスープに入った麺を食べて、ジューススタンドでストロベリーのスムージーを作ってもらって飲んだ。
冷房も効いているし、きれいだし、屋台街のイメージも随分と変わったなあ、と思った。


そこから高島屋まで歩いていった。高島屋は以前からの大きさなのだろうけれど、先日から新しく大きなショッピングモールばかりを目にしていたので、以前よりも小さく見えた。


店員が若く、通りがかっただけでも熱心にお客の興味を引こうと声をかけてくるのを見て、日本のデパートも昔はこうだったんだよなあ、と思った。店員も全体的に若くてかわいい女の子が多い。
今の日本のデパートは「一生懸命頑張って売っても、さぼっていても給料が同じ」と店員が給与のシステムを見透かしてしまったのか、お客が声がけされるのを嫌ったのか、そしてまた店員自身にも魅力を感じない。


高島屋に来たのはおみやげを買うためだ。僕自身はもう海外旅行に行っておみやげを買うなんてことはないし、人にも買う必要を全く感じていないのだけれど、職場の人達は僕がおみやげを買って帰ってくるのを楽しみにしている。


そんなわけで、仕方がなくいろんなおみやげ物屋を見て歩いたけれど、さすがにもうマーライオンライターや「Singapore is fine country」(fineは素晴らしいという意味と罰金の意味とがある。シンガポールは何かと罰金を取る国であるため)と書いたTシャツはいらない。そこで仕方がなく、高島屋まで来れば何かあるだろうと思っていた。


デパートは高級品を売っているためか、食品売り場に行っても、世界各国のお菓子ばかりが並んでいる。メイド・イン・シンガポールの食品は極端に少ない。


結局、マーライオンクッキーと、マレーシア製のえびせん、肉の加工品(ビーフジャーキーのようなもの)、ドリアンキャンディなどを買ってホテルに戻った。


ホテルで軽くシャワーを浴びてから、着替えてリッツ・カールトン・ミレニアホテルに向かった。
そこのチフリー・ルームで午後3時からハイ・ティーを予約していた。


泊まっているホテルのすぐ近くにカールトン・ホテル・シンガポールがあったので、2時40分頃に歩いていった。
でっかく外壁にカールトンと書いてあったので、ここだと思っていた。
ホテルに着いて、チフリールームはどこか探してみたけれど、ない。
2階かもしれないと2階まで行ったがやはり、ない。


「地球の歩き方」を慌てて見たら、カールトン・ホテル・シンガポールとリッツ・カールトン・ミレニアホテルは全く別物だった。場所も全然違う。


慌てて1階に降りてタクシーに乗った。
リッツ・カールトン・ミレニアホテルはマリーナ・ベイ・サンズの近くだった。


10分くらい遅刻して着いた。
チフリールームはどこかドア・マンに聞いたら、1階のすぐ奥だった。


My Kiasu Life in JAPAN-リッツ・カールトンのチフリー・ルーム

僕たちの座席は、ピアノとギターの生演奏をしている人達の前の席だった。
とても洗練されていて、上品で優雅だった。
サンドイッチ・ケーキ・アイスクリームなど取り放題のビュッフェ形式だったが、皿にものがなくなると美しいウェイトレスがすぐに運んでいってくれる。


料理も凝っていた。でも味よりもサービスに圧倒された。


My Kiasu Life in JAPAN-リッツ・カールトンでハイ・ティー

3500円ほどかかったけれど、価値は十分にあった。


ホテルを出てから、マーライオン・パークに行った。
多少、混んではいたけれど、マーライオンが水を吐き出すのを見た。


My Kiasu Life in JAPAN-マーライオン

考えてみたら、今まで何度も遠くからマーライオンを見ていたけれど、マーライオン・パークに来たのは初めてだった。


My Kiasu Life in JAPAN-マーライオン(正面)

マーライオンの後ろには、小さなベビー・マーライオンがいて、こっちもチョロチョロと水を吐き出していた。


My Kiasu Life in JAPAN-ベビー・マーライオン

ここから、ホテルまで、F1のコースセッティングをしているのを見ながら歩いて帰った。


My Kiasu Life in JAPAN-F1観客席準備


My Kiasu Life in JAPAN-F1ショップ2
【F1のショップもあちらこちらで見かけた。何も買わなかったけど】

疲れていたけれど、せっかくなので、ホテルの8階にある屋外プールに行って泳いだ。


My Kiasu Life in JAPAN-ホテルのプール

プールで泳ぐなんて何年ぶりだろう?久しぶりに泳いだのですぐに疲れたけれど、どこか心地よい疲れだった。


夜は、ホテルの71階にあるNEW ASIAというバーでマンゴー・テイストのアジアン・マティーニを飲んだ。すごいイケメン揃いのバーで、こんなところがあるのかと驚いた。


My Kiasu Life in JAPAN-NEW ASIA入り口

翌朝はもう日本に向けて出発をする。もう、おしまいかと思うと残念でならない。


朝、5時に起きた。6時前にチェックアウトをして、タクシーでチャンギ空港に向かった。
運転手は話し好きで「6時30分になると学校に行く車で渋滞になる。早めに出発してよかった」と言っていた。
シンガポールの学生は6時30分からもう学校に行き始めるのか、大変だな、とため息が出た。


8時10分発の飛行機に乗り込む前に、空を見上げたら、マーライオンの形をした雲がかかっていたので写真に撮った。


My Kiasu Life in JAPAN-マーライオン雲
【マーライオンに見えない?まあ。確かになあ】


次はいつ、シンガポールに来るのだろうと思いながら。そしてそのときは、どのような国になっているのだろうと思いながら。


My Kiasu Life in JAPAN-チャンギ空港

僕の乗った飛行機がシンガポールにかかっていた白く厚い雲の層を突き抜け、成層圏直下の青空の広がった空間に入ったとき、窓の外は急に明るくなったけれど、「シンガポールの旅行も終わったんだな」とどこか寂しい気分になった。