先週、名古屋の弁護士の先生からkindleを見せてもらった。
英語の本をダウンロードして読んでいるのだそうだ。
主に読んでいるのは村上春樹だという。
ルイス・サッカーの「穴」ももう既に英文で読んだそうだ。
見せてもらったkindleには「華麗なるギャッツビー(もちろん英語で書いてあるんだけど)」なんてのもあってすごく欲しくなった。
それで月曜日に早速注文した。
ところでkindleは日本のアマゾンでは買えない。
アメリカのアマゾンに登録してから買わなければならないのだ。
円高だから、と自分自身に理由もつけて、ライト付きのカバーもいっしょに購入した。
アメリカのアマゾンで購入したのが6月6日。
注文を受けて6日にニューアークを出発した僕のkindleはフィラデルフィア、ルイビル、アンカレッジを経て、8日に成田に到着した。
そして、僕の手元に届いたのは9日だった。いろいろとあったので、僕は集配所まで自分でkindleを取りに行った。
注文をしてから届くまで、kindleが僕を目指して一直線に向かってきているようで、毎日インターネットを見るのが楽しかった。
ネットで英辞郎ver.129もダウンロードして購入した。
これがあるとわからない単語も辞書を引かず、kindleの画面上で調べられるのだ。
それから、最初に何を買うべきかしばらく迷った。
kindleを買うときは、村上春樹を「風の歌を聴け」から英語で順番に読んでいこうなんて思っていた。誰が何と言おうと、村上春樹はあだち充同様に、俺たちの青春の本だからだ。
けれど、実際に買うことができるようになると「俺、本当に村上春樹を読みたいのか?」と疑問を感じてきた。
昔は村上春樹の本は、俺のために書かれたような本のように感じていたけれど、今読んで、彼に本当に共感できるのか少し疑問だった。美しい記憶は美しいままに止めておいた方がいいような気がしてきた。
それで、最終的にはハロルド・ロビンスの「A stone for Danny Fisher」を購入した。
ハロルド・ロビンスの「ストーリー・テラー」という英文の本を僕は18歳のときに新宿の紀伊国屋で購入した。理由は簡単。表紙がエロチックだったからだ。エロチックな本なら、自分でも読み切るのではないかと思っていた。
でも、当然のことながら、それがたとえエロチックであっても、当時は全く読めなかった。
それでもいつの日か、彼の本を読みたいとずっと思っていた。
今こそ、その当時の思いを実現するときだ。
書評を読んで、彼の本のなかでも傑作と呼ばれる「A stone for Danny Fisher」というこの本をまず読むことにした。
実際に購入して読んでみると、実に深い本だ。
1人の男が、自分の人生について、息子に語る。
「俺は、人間だった。だから間違ったこともしてきたし、弱かった。多くの人を陥れても来た。でも、俺はおまえを陥れたくない。
頼むから、俺の話を聞いてくれ。父親の人生から学んでくれ。」
ストーリーは胸を抉るような話が続く。
少しはエロチックな話も期待していたのだが。そんな話は出てこないのだろうか?まだ途中だが、最後まで読み切ってみたい。
本といえば湊かなえの「夜行観覧車」(双葉社)を読みおわった。
最近の風潮なのだろうか?
作品に出てくる男は揃いもそろって問題が起きると逃げようとする奴らばかり。
なぜ立ち向かわないのか不思議でならない。
そして揃いもそろって性格や頭の悪い女ばかり。実際に女はこの程度で、俺が女性に対して夢を持ちすぎなのだろうか?
作品としては、「告白」のような圧倒的な新鮮味はなく、面白かったけど、それだけの小説だった。
最近、職場で卓球が流行っている。
木曜日の夜、僕もアマゾンで1本、780円のシェークハンドのラケットを買って、仕事の終わりに卓球をしていた。
その最中に姉から電話があって、姪が「今から手術」になると聞かされた。
とりあえず、職場に戻って金曜日の休みを取った。
木曜日の深夜までには実家に帰って、金曜日の朝には中津川駅に車を駐めて、名古屋の姪が手術を受けた病院に向かった。
そして姪の手術は成功したものの、詳しいことは正確にはよく僕も理解していないが、脳に出血が起きたのか血管が詰まったのか、あるいはその両方なのか、とにかく何かが起きて、姪は未だに意識を失ったままだ。
姉は疲れ果てているし、ほかに適当な人もいないので、比較的暇そうな僕が、土曜日の夜と日曜日の夜(今夜)、この病院の個室で、姪に付き沿う。
明日の仕事も、もうとっくに休むつもりでいる。
姪がいつ目を覚ますのか、それとも覚まさないのか、僕にはわからない。
彼女がまだ小さな頃、僕の名前を呼びながら、両手を広げて笑顔で駆け寄ってきた姿が目に浮かぶ。
いっしょにバスに乗って旅行したとき、バスの窓から夕日を眺め、両手を合わせて「まあ!きれい!」といって目をキラキラさせていたときの顔。
オチのない長い話を一生懸命話し、誰も聞いてくれなくて、ふくれていたときの顔。
中学校1年生のとき、演劇の長い脚本を書いて自慢気に持ってきたときの顔。
もう一度、あの表情に会いたいなあ、と僕は思う。
今は人工呼吸器をつけた寝顔しか見られない。
奇跡が起きることを、今はただ、祈るだけだ。