水曜日に、偉い人の送別会があった。
僕は幹事だった。
僕もほどほどにお酒を飲んで、帰りは代行で帰った。
代行の運転手は70歳くらいの老人だった。
雪が舞っていたので、4WDに切り替えようか、と聞いたが前輪駆動だけで十分だという。
道路が微妙に凍っていた。
「もし、道路が凍っていて車が滑ったらどうしたらいい?」
「私も経験があるんですよ。滑って前の車にぶつかりそうになったことが。ブレーキ踏んでもロックしてますでしょ。そういうときは、ギアをバックギアに入れるんです。止まりますよ。」
「止まるんだ。」
「ええ。2,3回ほど経験があります。」
その話を聞いてから、何度か試してみようとしたことがあるけれど、未だに勇気がなくて実際にはやっていない。
でも、本当にピンチになったら、やってみようとは思っている。
母の病気以来ずっと実家のある地域への転勤希望を出し続けているが、今年も希望は通らなかった。
給料を誰かからもらうということは、つまりはまあ、基本的には払う側の意向が優先されるということで、仕方がないことなんだよな、とは思う。
僕よりも、姉の失望が大きかったようで、それは申し訳がないような気がした。
今週末も実家に帰った。もう来週は母の49日で、法要がある。
お墓の掃除をはじめとして、やることはたくさんあった。
墓石の掃除は、「激落ちくん」というスポンジでこすると、すごくよく汚れが取れる。
姉と姪の3人で3時間くらいかけて掃除をしたら、お墓もすごくきれいになった。
日曜日の夕方、外を見たら雨模様だった。
掃除をしたお墓に雨が降っている景色を想像したら、なんとなく嬉しい気分になった。
ペ・ドゥナ主演の映画「空気人形」を観た。
4月からもうしばらく映画も観ないつもりで、そう思いながらこの映画を観た。
性欲処理の代替品である空気人形が、ある日、心を持ってしまったというストーリーだ。
ペ・ドゥナが美しく、また動きが空気人形らしく、すごいなあ、と思った。
深い映画ではあるけれど、僕にとってはギリギリのストライクだった。
多くの人間自身も代替品ではあるけれど、誰と会い、何を見て、どのように生きたかで、変わっていく。
生きるとは、どういうことなのか。人とのつながりとは何なのか。
あざとい映画ではあるけれど、考えさせられる部分も多々あり、まあ、俺が映画をとりあえず卒業するにはいい映画なのかな、と思ったりもした。
**おまけ**
空気人形で朗読される吉野弘さんの詩。映画のなかで観るととてもいい詩に思える。
俺も誰かのための虻であり、風だったのだろうかと、思ったりもする。
「生命は」
生命は
自分自身で完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命はすべて
そのなかに欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ
世界は多分
他者の総和
しかし
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思えることさも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?
花が咲いている
すぐ近くまで
虻の姿をした他者が
光りをまとって飛んできている
私も あるとき
誰かのための虻だったろう
あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない