しばらく前から、岩合さんの猫歩きの番組を観ると辛くなってしまい、番組鑑賞をやめました。

ここ最近は、SNSで慣れた野良猫の動画を観るのも苦しくなってしまいました。


餌やりさんに走り寄る野良猫の動画を観て、安易に、保護すればいいのに、という発言は出来ないけれど、だからと言って、野良猫がかわいい、という気持ちになることもできません。

ただただ、苦しい。

動画をあげている方達も、悩んで苦しんで、その上で地域猫に餌をあげる動画をアップしていらっしゃるのかもしれませんが、餌場から立ち去る時、残された猫の追い縋るような眼差しを思い出してしまい、胸が苦しくなるのです。


岩合さんに至っては、未去勢の大きい雄猫がお好みということを知り、TNRや地域猫と関わるようになって、岩合さん好みの猫たちの映像を冷静に観ることが出来なくなりました。



外の猫を保護するためには、相当な覚悟と、強い忍耐力と、ある程度の経済力が必須です。そして一旦保護してしまったら、やっぱり無理だと途中で投げ出す訳にはいきません。

保護した野良猫が捨てられた猫だったとしたら、何度も人間に捨てられる、という傷を、ムダに負わせてしまう事になるからです。

既に先住猫がいる場合には、飼主以上のストレスを猫達にかけてしまう場合だってあるのです。


何が正しいとか間違っているとか、そういう事ではありません。

それを言うなら、誰もがみんな正しい。

ただ、自分の感情が苦しいだけなのです。





たとえ飼い猫が外で事故に遭ったり誰かに連れ去られたり野垂れ死んだとしても、家の中に閉じ込められるより外で自由に暮らせる方がマシだ、と仰っていた里親希望者さまがいらっしゃいました。その方は案の定、他の方が保護し譲渡した子猫を外飼いし、行方不明にさせたまま2年以上が経過しています。

当時は怒りに震えましたが、今はその方の飼い方を否定する気力はありません。

全ての猫を幸せにできる程、人間界は幸せではないと改めて思い知ったからでしょうか。

終わらない戦争だけではありません。尊敬に値する活動をされている動物愛護推進員の方が、事実確認する事もなく根拠のない誹謗中傷を拡散し、それを安易に信じて無実のひとを非難する人びとの愚かさに触れ、人間が幸せから遠のいている証拠のように感じています。

それでもせめて、出会った猫たちだけでも幸せに暮らすことが出来るよう、努力は続けたい。





人間に捨てられてどんなに苦しくても、恐らく猫は人間を恨んだりしないでしょう。それを助けなかった人間を、責めることもしないでしょう。

毎日餌をあげ続けたとしても、恩義を感じる事は無いのかもしれません。

それでも猫生最期の時が近づくと、飼主の寝顔を静かに見つめる猫達を、知っています。

感情ではない、透明な何かが、人間と猫との間につながっていたとしたら、それを感じとれる繊細な感性がほしい、と、そう思う今日この頃なのでした。