8月6日、広島に人類史上初めて原爆が落とされた日から81年。丹那の古刹法輪寺の鐘楼をお借りして平和の鐘ひとつきが行われました。8時15分、おそらくあの日と同じような焼け付くような暑さの中で参加者が鐘を鳴らし、広島長崎方向に合掌しました。平和を守れの思いを込めて。



被爆81年 証言 負傷者の悲惨な姿「地獄」をみた
長崎市 髙比良萬亀子さん(100)
2026年8月9日
いまは「戦前」声をあげよう
「いまは戦前です。高市早苗政権が悪法ばかりを通し、軍事力を増強し、武器輸出による経済活性化を狙っています。沖縄など南西諸島の軍事要塞(ようさい)化が強行され戦争がそこまでやってきています」―。こう語るのは長崎の被爆者・髙比良萬亀子(まきこ)さん(100)=長崎市=です。(加來恵子)
1945年、高比良さんは長崎師範学校女子部の2年生(当時19歳)でした。学校では、竹やりで敵を突く訓練をやっていました。
原爆投下の半年ほど前、国の命令で学徒動員により120人余の生徒は長崎県大村市の軍事工場・海軍航空廠(しょう)で戦闘機「雷電」の翼の部品をつくることになりました。
両親と住んでいた日見村から大村の寮生活となり、毎朝6時ごろに寮を出て、工場までの約1時間半を歩いて通いました。食べる物がなく、サツマイモなどが主食でした。
8月9日、いつものように朝6時ごろに寮を出て、工場に向かい、作業をし、午前10時ごろの休み時間には竹やりの練習を行って、終わると持ち場に戻り作業を行いました。
午前11時2分、「ピカーッ」とあたりが光り、目の前が真っ暗になるような稲光の10倍、100倍くらいの光に目がつぶれそうになりました。
その後すぐにドーンというものすごい音がして「もぐれー」と工場長の叫び声に、急いで作業台の下にもぐり込みました。作業台は分厚い板でつくられており、その下には防空壕(ごう)代わりの穴が掘られて人が中に入れるようになっていました。
ガラス散乱
しばらくして誰かが「出ろ」と言ったので、作業台下から外へはい出ました。工場内は割れたガラスでいっぱいになっており、屋根にいた人は吹き飛ばされていました。そのとき、落下傘(ラジオゾンデ=米軍が原爆のデータを収集する機械)が降りてくるのを見ました。
寮に戻り、長崎の方の空が真っ赤になっていて、「長崎に新型爆弾がおとされたらしい」「長崎は全滅らしい」との話が広がり、日見村網場に住む両親はどうなったかと心配でじっとしておられず、不安になり仲間と肩を寄せ合って泣きました。その夜、長崎は一晩中燃え続けていました。
数日後、浦上にあった師範学校男子部で被爆した学生が大村の寮に運ばれてきました。高比良さんは女子部の学生と看病にあたり、傷口にわくウジ虫をピンセットでとったり、うちわであおぐしかありませんでした。
夜には寮から100メートル先の防空壕に男子1人を2人がかりで抱えて移動させ、暗がりの中看病をしました。
15日の終戦を迎えたとき、「負けた。悔しい」と仲間と泣きました。
汽車が通るようになり、学校から、長崎に戻ることが許可され、「両親に会いたい。生存を確認したい」と大村駅に切符を買いに行きました。大村駅で見た光景は、言葉で言い表すことができないくらい悲惨なものでした。
大村駅前の広場では、大村海軍病院に運ばれる大勢のけがをした人たちがトラックに乗せられ、運ばれていました。やけどをしてただれた皮膚が垂れ下がり、洋服か肌か見分けがつかない人、髪の毛が抜けている人、赤ちゃんを抱いた裸の人、痛いのを一生懸命我慢してトラックの縁につかまっている人がいました。
たくさんの人が大村まで運ばれてくる間に亡くなりました。遺体は山のように積まれ、むしろがかけられましたが、その間から手足や顔が見え、恐ろしくて「地獄」とはこのようなものだろうかと思ったといいます。
19日、やっと長崎市に入りました。汽車の窓から見えた風景は、何もない焼け野原に建っている山王神社の一本柱の鳥居と真っ黒に焼けた大クスノキ、長崎大学病院の倒れた建物と2本の煙突でした。
長崎駅から先はバスもなく、途中トラックに乗せてもらい、半分工場になっていた日見トンネルを通り、網場にたどり着きました。
自宅に着くと、父母は髙比良さんを見るなり「よう帰ってきたね」と泣いて抱きしめました。
娘が腫瘍に
髙比良さんはたびたび貧血を起こし、肝機能の数値が悪く、薬が欠かせません。娘が脊髄腫瘍で手術をしたことと自身が入市被爆したことが無関係ではないと感じていると語ります。
核兵器も戦争もなくさなければならないと教員となり、「教え子を再び戦場に送らない」と平和教育にも努めてきました。
髙比良さんは言います。
「テレビや新聞を見ると、戦前の空気がまん延し、戦争がじわじわ寄せてきていると感じています。昔の戦争の仕方と現代の戦争の仕方は全く違うため被害も違います。戦争も核兵器も二度とごめんです。ペンライトを手に声をあげている姿に希望を感じています。私も一緒に声をあげたい。みんなでくい止めましょう。憲法を守り、平和な日本を守りましょう」 「赤旗」