プロパンガスさんのご質問に回答している途中ですが、ここで緊急のお知らせです。

昨日私は、日本の「エスタブリッシュメント側」と言って良い活字メディア上で、ピークオイル という語を初めて目にしました。

10月17日(火)付日刊工業新聞12ページに載っています。例によって、特集記事「エネルギー 安全保障と環境のはざまで 32」です。副題が「ピークオイルの現実」となっています。

「ピークオイル」という語を掲載した日本の新聞記事はこれが初めてではないと記憶していますが、記事中で「ピークオイル」という語を関連づけつつ減耗の状況について多少なりとも具体的に書いている記事はまだ無かったと思います。

9月15日の#92で、同じく日刊工業新聞が「石油生産がピークに向かっている」とあっさり書いていたことを述べました。

今度は、イギリスで減耗が始まっていることをあっさり書きました。

イギリスが産油国だと意識している日本人は意外と少ないと私は思っています。街中で聞いても、産油国と言えば中東諸国が思い浮かぶ人ばかりだろうと思います。

イギリスみたいに、日本人にとって石油と結びつきにくい産油国が日本の新聞としては狙い目なんだな、と私は解釈しています。インドネシアのことはいきなり「ピークオイル」とは記事中で関連付けないんですよ。日本人にとって資源問題との関連がより実感を伴って意識できる国だから、というのが私の推論です。インドネシアでの減耗状況をピークアウトと新聞が断じるのは、もっと後になってからだろうと私は思っています。

さて、記事の冒頭2段落がピークオイルに関連する部分ですので、そこを抜粋します。

(Quote)

減衰局面に

英国領から北海ガス・原油の産出がピークを迎え減衰局面に入った。英国貿易産業省は発表したエネルギーレビューでエネルギー政策の大きな転換を示した。二酸化炭素(CO2)の排出量を2050年までに60%削減する最重要目標の実現に向け、2010年に再生可能エネルギーの比率で10%を目指すほか、原子力発電の新規立地にも触れている。

これまでガスを輸出していた英国は05年についに輸入国に転落。北海油田からの原油についても2010年まで輸出を続けられるかの瀬戸際にあり、化石燃料供給力の構図が大きく変わってきた。同国で石油の99%は輸送用に使われる。発電と熱利用の37%を天然ガスが占め、石炭は34%、原発は20%で再生可能エネルギーは4%程度。

(以下略)

(Unquote)

この記載の内容それ自体は私にとっては別に衝撃的ではありません。ピークオイルについて突っ込んで調べている人なら誰でも「イギリスは1999~2000年にピークアウトした」と知っています。このことは秘密でもなんでもありません。BBCのウェブサイトではおおっぴらに報じられています。

・沙漠に太陽電池パネルを敷きつめる
・沙漠で耐乾性の強い植物を栽培し収穫する

どちらがより現実的か、あるいは効率的か、を考える前に、まずこの比較がどれくらい妥当かについて考えようと思います。

「こういったことをする目的」について考える、と表現しても構いません。

太陽電池を設置して得られるものは電気エネルギーです。電気エネルギーは、「人間が作った人工的な道具の動力源」です。

人間自身は電気エネルギーをエネルギー源にすることができません。電気は食べられません。

また、人間が使う道具そのものを構成する素材とすることも、電気エネルギーにはできません。電気を直接衣服の繊維や歯ブラシの柄にするわけにはいきません。電気は手に持つことができる「モノ」ではありません。

言い換えますと、「太陽電池で発電することは、衣食住を便利にする手段ではあるが、衣食住そのものを供給してくれるわけではない」ということです。

植物 - バイオマス - は電気と全然違いますね。

バイオマスと呼ばれるものの一部は我々が食べている食料そのものです。また、現在では食べられないバイオマスから食料を生産することが技術的に可能になりつつあることは前述しました。

衣服や生活で使う道具の多くを、前近代社会の人間はバイオマスから生産していました。木材や竹、稲わらなどを材料として、色々な道具を作っていたわけです。もちろん、金属やセラミックスもある程度は使っていましたが、現代とは比較にならないほど少量しか使っていなかったわけです。

バイオマスを液体燃料に転換すれば、「衣食住を便利にする手段 - 人工的な道具の動力源」とすることも可能です。バイオエタノールはまさにそういう存在です。

ですから、太陽電池をしきつめることと、緑化することと、無条件に同列に考えられるはずはないと私は考えています。目的を明確にして始めて比較する意味が出てくると思います。

もし、人工物(機械・道具)の動力源を得るのが目的なら、太陽電池も緑化もどちらも解決策たり得ます。この場合は、「どちらがより技術的に実現可能性が高いか? どちらがより経済効率が高いか?」という質問が成立し得ると思います。

もし、衣食住につかう素材そのものを得ることも目的に含めるのなら、片方しか選択しないのであれば、緑化しか選択肢になりません。

ちなみに、「片方だけ選択する」ことは、私から見るとそれほど不思議な仮定ではありません。インフラ整備を単純化したければ、片方だけ選択する方が良いからです。

いつも読んでくださっているプロパンガスさんからご質問をいただきました。

> たとえばサハラ砂漠全域に太陽電池パネルを敷き詰める
> ようなことを考えるのと、砂漠を緑化するのとでは、どちら
> が効率的、あるいは現実的なのでしょうか

forever2xxxさんのご要望におこたえして「エネルギー不足に対処する未来の社会像」についての私の考えをここで提示する旨すでに申し上げました。

forever2xxxさんのご要望とプロパンガスさんのご質問と、私の考えでは関連があります。前者の方がカバーしている分野がはるかに広いです。ですから、まずはプロパンガスさんのご質問におこたえしようと思います。

あらかじめ申し上げておきます。

私は勤務先で経理を担当している者です。大学生だったときの専攻は政治学でした。エネルギー工学や材料工学や生物工学の専門家ではありません。おまけに、「砂漠に太陽電池を敷きつめるプロジェクト」について、「エネルギー省のセルロース系エタノール研究開発」のように詳しく調べたことは、これまでありません。

前述しましたように、私の勤務先は「炭化水素系エネルギー関連企業」の端くれです。ごく普通の方よりは私はエネルギーについて詳しいでしょう。普通の人に比べれば日常的にエネルギーについて考えている傾向が私にはあるとは思います。しかし、専門家でないことに変わりはありません。

というわけで、今のところ厳密にはご質問に回答する能力がありません。これから述べることは、#117から#123の間のエネルギー省連載で述べてきたように、あくまで私が頭の中で思い描いていることを検証しないまま書き連ねているとお考え下さい。

それでは、プロパンガスさんへの私なりの回答を次回から書くことにしましょう。

「ジャトロファ」(jatropha cursas)と呼ばれる植物があります。

元々はカリブ海の北側、西インド諸島が原産地とされているこの植物は木本(きほん) - 背の低い樹木です。

油脂を豊富に含んだ実をつけます。残念ながら食用にはなりませんが。

この植物は乾燥に強く、気温の高い亜熱帯地域なら、年間降水量400mm程度の環境でも育ちます。

欧州の支援団体が、ジャトロファを利用したアフリカ乾燥地帯の農村の生活向上を目指して活動しているようです。

私の考えでは、ジャトロファをさらに品種改良し、なんとか沙漠地帯でも育つようにできないかと思います。

そうすれば、沙漠に木を生やすことができます。砂嵐や羊の食害などありますから、簡単でないのは明らかですが。

沙漠に木を生やすということは、「それまでバイオマスを生産できなかった場所で、新たにバイオマスを生産できるようになる」ということです。

これはつまり、「生物圏内におけるバイオマス生産量を、ネットで増やす」行為です。

前回書いた熱帯での燃料作物栽培は、燃料作物の生産には適当なのでしょうが、バイオマス量をネットで増やしているかというと、必ずしもそうとは限りません。

本来熱帯雨林が生い茂っているはずの場所で森林を破壊して燃料作物を育てるわけです。バイオマスを減らしたその後にバイオマスを人工的に増やすわけです。

そうしますと、ネットでバイオマス量が増えているのかどうかはわかりません。

セルロースやヘミセルロースを燃料に転換できるということは、自然のままの熱帯雨林それ自体も燃料源だということです。

ですから、熱帯雨林を破壊して燃料作物を植えるのがどれくらい有利なのかは、(生態系保護ということを別に考えるとしても)慎重に検討しなければならない、と私は考えています。

沙漠でジャトロファを植林できたら、これはすごいですよ。

・ネットでバイオマス量=セルロース+ヘミセルロース量が増える

・セルロースとヘミセルロースからエタノールを生産できる

・油脂が採れるので、バイオディーゼルを生産できる

・技術開発次第では、セルロースをデンプンに転換できるようになるかもしれない。沙漠が実質的に農場になる

いや、まあ、私の妄想です。まだまだ。

それに、遺伝子操作がどれだけ危険なのか安全なのか、まだまだ未知の部分がたくさんあるのは事実です。

しかし、植物の繊維質を少ないエネルギー投入で分解できるとなった途端、色々な可能性がこのように開けてくるわけです。また、バイオテクノロジーの進歩によって品種改良をやりやすくなった途端、このように可能性が開けてくるわけです。

エネルギー省が主導している研究開発にものすごい可能性があるということです。今後の進展を見守ろうと思います。
光合成には、以下が必要です。

・太陽光線
・空気
・水
・適度な温度

もちろん、植物が生命を維持していることが必要ですので、鉄やリンやカルシウムなどのミネラル類が供給されていることも必要です。

燃料作物の生産について考えることは、「一定の時間内、一定の面積内で、光合成量を最大化するにはどうしたらよいか?」を考えることと、基本的には同義だと私は考えています。

(もちろん、経済的に考えると、労働生産性・資本生産性、という問題もあります。問題を単純化して考えるため、ここでは置いておきます)

そうしますと、沙漠のように水が手に入りにくい場所は、燃料作物を生産するには不適格ですね。

チベット高原やシベリアのような寒い場所も、魅力的とはとても言えません。

・お日さまがふりそそぎ、
・水がたっぷりあって湿っていて、
・暖かい

そういう場所です。

結局、熱帯が最適だということになります。

もちろん、日本などの温帯でも可能ですが、熱帯の方がより有利だということです。

熱帯雨林地帯、熱帯モンスーン地帯で、平らな平野が広がっている場所... うー、私の感覚で言うと燃料生産するにはもったいない土地ですが、そういう土地が適地です。

やっぱり、ブラジルは有利なんですね。

アフリカ中央部も、政治的に安定すれば有望だということです。

東南アジアは平野がそれほど広くないですが、まあ適地と言えるでしょう。

インドも適地に見えますが、人口が多いので、食糧生産が燃料生産より優先する可能性が高そうに思います。

ヨーロッパ人はバイオ燃料利用に熱心ですが、ヨーロッパは大陸の西側ですので、気温の低い冬場に相対的に雨が多くなり、気温が高くなる夏場に水が相対的に少なくなる傾向があります。これは植物の成長にはあまり好ましくありません。大陸の西側は東側より不利だということです。ヨーロッパは高緯度地帯ですので、その点でも不利です。

水の確保まで考えると、

(1) 南米の北半部でアンデス山脈の東側
(2) アフリカ中央部
(3) 東南アジア

このあたりが適地のように思います。

インド、日本、アメリカ南東部はこれらに次ぐ適地ということではないかと思います。

ちょっと話が飛んでいるように思われるかもしれませんが、「21世紀は中国・インドの世紀だ」という世評に対して、「案外、東南アジア諸国が有利な位置にいるのかもしれない」と思うことがあります。

世間では、森林から採れた材木や、農地で育てたサトウキビや穀物、それらの茎や葉などが原料として想定されているようです。

しかし、森林も農地も無制限に広がっているわけではありません。それに、農地は元々人間を食わせるためにあるわけです。農地から無制限に燃料を採るわけにはいきません。

森林も同様です。木材はエネルギー源としても優れていて、人間はその歴史を通じて大量に消費してきました。とても便利なので今でも使っています。が、いくらでも無制限に使えるわけではありません。

バイオマス資源から燃料を大々的に製造するとなると、できるだけその面積を限定し、食糧生産に悪影響を与えないよう、また生態系の破壊を少なくて済ませられるよう注意を払う必要がある、と私は考えています。

そうしますと、とうもろこしなど農産物の未利用部分 - 茎や葉など - を利用するのは、当然となります。

光合成量の多い植物を選ぶ、ということも考慮すべきです。おそらく光合成に関する代謝機能を高めるのを目指すことになると思います。(そんなことが可能なのかどうか、私にはよく分かりませんが)

ポプラなどの樹木が良いのだろうか? と、この連載を始めた頃は私も思っていましたが、よくよく考えますと、樹木は姿は大きいですが、必ずしも「一定時間内の光合成が最大化されている」とは限りません。

何年もの長い期間の間に少しずつバイオマス量を蓄積した結果、大きな木に育つわけです。草が大きくならないのは、1年2年で枯れるからです。

バイオマスから燃料を生産するにあたっては、1年2年で枯れて大きく育たなくても、その1年2年の間に生産されるバイオマス量が大きければ良いわけです。

枯れてもまた翌年新たに育てれば良いわけです。どうせ来年もエタノールを生産しなければならないわけですから。

そう考えてくると、樹木のように見てくれの大きな植物が燃料作物として優れているのかどうかはよくわからないと思います。

一方、これはその会社の受け売りですが、植物プランクトンの中には「素晴らしい繁殖力」を示すものがあるそうです。

http://www.sunchlorella.co.jp/health/library.html

その見てくれに関係なく、「一定時間内、一定面積内で、最も多くバイオマス量を増加させてくれる植物」を探すべきだ、と思います。(良いアイデアがあったら、教えてください)


エネルギー省の報告書を読み進むにつれ、私は次第に「あぁ、アメリカ人て、やっぱりもったいないことを考える連中だな」と思うようになりました。

空飛ぶ円盤でも発明されればともかく、飛行機に液体燃料を使うのはまあ仕方ありません。

地上・水上を走る機械は、なんとか液体燃料なしですませられないだろうか? と私は思います。

液体燃料は一度燃やしたらそれで終わりです。エタノールをエンジンで燃焼させれば、せっかく植物が固定してくれた炭素が大気中にまた拡散してしまいます。

食糧だって食べたら終わりじゃないか、という意見もあるかもしれませんが、私は食糧と燃料を同列に考える気にはなれません。また、汚い話ですが、排泄物を肥料として再生産にまわすことが、ある程度可能です。

つまり、バイオ燃料開発にあたっては、長期的には土壌劣化という問題も考えられるということです。

製造工程である程度工夫できるのかもしれませんが、燃料をエンジンで燃焼させることが前提である限り、燃料作物が地中から吸い上げた養分(鉄・リン・カルシウム・マグネシウム・コバルト・亜鉛などのイオン)を土壌に戻すサイクルを作るのは難しそうに私は思います。

バイオマスを食糧生産に回すのであれば、また化成品をリサイクルするのであれば、少なくともある程度は吸い上げたイオンを土壌に戻すことができ、また土壌から奪うイオンの量を比較的限定できそうに思います。

そう考えてくると、「食糧生産と化成品製造のためにバイオマスはとっておいて、自動車・船舶・建設機械など動く機械の動力源は別に考える方が望ましい方向性なのではないか?」と私は考えるようになりました。

私の思うに、風力、太陽光、波力、水力、地熱など(原子力の利用もある程度やむを得なさそうです)で電気エネルギーを生産し、それを「動く機械」の動力源とできるのが一番望ましいと思います。

「せめて『燃料-食糧-化製品製造コンプレックス』のようなコンセプトの製造業を実現できないだろうか? その上で、電気エネルギーと液体燃料を併用する社会を構成できないか?」と思います。

これには、今のところ重大な問題があります。電気エネルギーの「貯蔵・搬送・積載」です。電気エネルギーを効率良く「貯蔵・搬送・積載」するのは、液体燃料をそうするよりずっと難しいのです。

また、電気エネルギーの源となる自然エネルギーが「広く薄く分散しており、かつ間欠的(例えば太陽電池は夜間や曇りの日は発電できない)」という傾向を持っているのも、やっかいな点です。

このことも含めて、エネルギー不足に対処する将来の社会像について、私は自分なりにある程度考えてはいます。科学者でも技術者でも政治家でもSF作家でもありませんので、考えたところでどうということもないのですが、この連載「エネルギー省」シリーズが終えてから書こうと思います。

forever2xxxさんからもご要望を頂いてますし。

もちろん、当分の間バイオ燃料を自動車の燃料として使うのはやむを得ないだろう、とは思っています。

前回書きましたように、その生産効率はともかく、セルロースから澱粉(デンプン)を製造することが今では技術的に可能になっています。

ということは、植物の繊維質からプラスティックを製造できる可能性があるということです。

生分解性プラスティックとして有名なポリ乳酸は、今のところ多くの場合とうもろこし澱粉を原料としています。

ということは、「セルロース→デンプン→ポリ乳酸」という工程が実現できる可能性があるということです。

これと同様の発想で他の化成品の多くも、植物体を原料として製造できるのではないかと私は考えています。

また、#78でご紹介した書籍、「植物力 人類を救うバイオテクノロジー」(新潮選書)の154ページには、以下のような面白い記述があります。

(Quote)  そこで、リグニン合成酵素減らした遺伝子組換えユーカリもつくられている。しかし、リグニンは細胞壁を接着するセメントのような役割を果たしているので、合成酵素を減らしすぎると、ユーカリがひ弱になってしまったり、病気に弱くなる心配もある。...(中略)...

 日本製紙は、すでに低リグニンユーカリをつくっていて、安全性確認試験を始めている。リグニン自身がフェノール性の化学物質であることから、パルプの製造工程で取り出されたリグニンは黒液と呼ばれている。これは単なる廃棄物ではなく、成分的に石油と似ていることからよく燃える。 (Unquote)

「石油とよく似ている」液体を細胞壁の構成物質リグニンを主成分として得られるというわけです。

ということは、植物の繊維質中のリグニンを原料としてプラスティックを始めとする化成品を製造できても、それほど不思議ではないと私は思います。実際、一部のバイオプラスティックがすでにリグニンを原料として製造されているようですし。

それから、バイオテクノロジーを利用した化学産業の良いところは、生化学反応を多用することが想定されていることです。現在の石油化学産業に比べると、投入するエネルギー量が少なくて済む可能性があります。

食糧生産と化学工業、この2つにおいて、巨大な可能性を持っている産業が誕生しつつあるのかもしれません。

ひょっとしたら、農林業と食品加工業と化学工業の境目が無くなるのかもしれません。

植物の繊維質から我々の主食を生産することは、技術的にはある程度可能になっています。

江崎グリコのウェブサイト:
http://www.ezaki-glico.com/release/20050317/index_2.html

「我々の主食」製造に至るプロセスは以下のようなものだと私は理解しています。

セルロースをセルラーゼで分解する

(ブドウ糖に混じって)セロビオースが生成する

セロビオースを5種類の酵素に反応させる(ここが江崎グリコの開発したプロセス)

アミロース(澱粉の一種)が生成する

自然界に存在する澱粉(デンプン)は、アミロペクチンとアミロースから成っています。8割方はアミロペクチンで2割がアミロースです。どちらも人間の食料になります。

バイオエタノール研究の成果とこの江崎グリコの研究成果を更に発展させれば、文字通り「木の皮を食える」ようになるわけです。

稲わらも栄養源となります。ごぼうも単なる「整腸作用のため」だけの野菜ではなくなるわけです。

細胞壁を原料として確保できればいいわけですから、ホテイアオイだって食糧になります。海草も使えます。植物プランクトンももちろんありです。毒素を抜く必要があるとは思いますが、湖沼を汚染して我々を困らせているアオコも食糧になるかもしれないわけです。

これってすごいことですよ。

人間の食料と家畜・養魚飼料の生産に大いに貢献するのではないかと私は期待しています。

エネルギー省の報告書 "Breaking the Biological Barriers to Cellulosic Ethanol: A Research Roadmap Resulting from the Biomass to Biofuels Workshop" を読んで、私は以下6つの点に思いあたりました。

(1) この技術は食糧生産に使える。これまで人間が栄養源とできなかった植物の繊維質を栄養源として利用できることを意味している。

(2) この技術は化学工業の基礎にもなり得る。これまで化石燃料系炭化水素を原料としていた化学工業を、再生可能な原料を基礎とする化学工業体系に置き換えることが可能になり、また生産に投入するエネルギー量を減少させることができる。

(3) 当面バイオマスを液体燃料全般の原料とするのはやむを得なさそうだし、また長期的に航空燃料だけは別だが、自動車と船舶と発電の動力源はできるだけ別のもので置き換えるのを目指し、バイオマスは食糧生産と化学工業に投入する方が、今後の研究開発全般の方向性としてあるべきものではないだろうか? 或は、せめて「燃料-食糧-化成品製造コンプレックス」のようなコンセプトにもっていけないだろうか? 液体燃料製造だけのためにバイオマスを消費するのはもったいな過ぎる。

(4) この技術が発展して食糧生産と化学工業原料に利用できるようになれば、生産活動のキモは「一定時間内、一定面積内のバイオマス生産量を最大化すること」に集約されてくる。すなわち、「一定時間内、一定面積内における光合成量を最大化すること」が重要になる。必ずしも、利用する植物体が大きければ良いわけではない。ひょっとしたら植物プランクトンの方がバイオマス生産に適しているのかもしれない。地上でのバイオマス生産だけでなく、水中での生産にも目を向けた方が良い。

(5) いずれにせよ、「大量の水」と「太陽光線が豊富に降り注ぐ広大な面積」が必要になる。それをどこで入手するかを考えなければならない。

(6) もう一つの考え方は、「これまで光合成がさかんでなかった地球の表面で光合成量を新たに増やすのが、地上のバイオマス量のネット増加に最も貢献する」というもの。熱帯雨林を破壊してエネルギー作物を栽培するのと沙漠/半沙漠草原地帯でエネルギー作物を栽培するのとを比較する場合、生物圏(biosphere)全体でのバイオマス量のネット増加は後者の方が大きい可能性がある。