そんな訳
暫くの間、更新が滞ってしまった。こんな過疎ブログ、誰も気にしちゃいない、きっと私は死んだものとして認識されているだろうとパソコンから遠ざかっていた。その言い訳だが、春は着付け教室開設のことで余計な仕事が増えていった。4月、仕事場の金魚がすべてアライグマに虐殺され、ふとホテイ草に産み残した奴らの遺品卵を眺め、背水の陣だ、これを何とかして生かさねばならないと、稚魚の世話に明け暮れた。これが二か月続いた。そうこうしているうちにドクダミの時期になり、毎日毎日ドクダミを摘んで、洗っては乾燥させた。毎日天気予報とにらめっこで、室内に入れては外に出して干してドクダミ茶を作った。これは、無料だからと言ってガブガブとお茶を飲み続けるいわゆるお茶中毒のようなお客に向けて、少しでもお茶っ葉代を浮かせようとする生活の知恵である。これが一か月続いた。そして仕事場の野良猫がみるみるお腹が大きくなり、玄関先で真っ赤なモグラのような物体を二つお尻から落とした。その物体はミューミューと泣き、ああ子を産んだのかと産後の手伝いをやった。へそのをを切ったり、育児室を設立した。母猫は、子供をまたいで変なものを見るかのようにじろりとみるだけで世話をせず相手にはしないので、婆さま猫が最後の力を振り絞って育児を手伝おうとしてはいたが、誰かが食べてしまったようで赤いモグラは消滅してしまった。これが一か月続いた。そして7月が来て、毎日海に入った。仕事の後にひとっ風呂ごとく、海に入り、その後アッパッパーにビーサンでスーパーに寄って食材を買い帰宅する日課だった。そのゴールデンルート上にある海は、私しか来ないので今年で閉鎖となるのでやけくそになり、足先にビーサンの焼け跡がくっきりつくまで海に行った。脳筋(ライフセーバー、体育大学生)たち相手に、腕立てや腹筋を披露し、婆でも頑張ればここまで筋肉がつくのだ褒め称えよと言うとおおーーーっと歓声が上がった。私は大変気を良くした。脳筋も利口なもので、婆を褒め称えて夕食のおかずをねだり、カルボナーラだのハンバーグだの牛丼だの13人分を毎日リクエストしてくるので、それに応えて作り続けた。苦行だった。西日の入る室内で、煮えたぎる牛丼の具は鍋を焼け石にし、私はなんでこんなことをしているのだろうと半分熱中症になりながら考えていた。これは二か月毎日続いた。全国トップクラスのサーファーのアライさんという60歳の爺と仲良くなり、サーフィンの手解きを受けることになった。まずサーフィンより来て欲しい場所があるとある日私を夜の体育館に無理やり連れて行った。夜の体育館というと女子高生だと胸沸きあがるラブストーリーの告白などの展開が予想されるがこれは爺と婆の物語だ。空手の道場だった。アライさんがここまでしつこく勧誘したのは、先生3人にアライさん以外全てキッズの合計6名しか居ない道場だった。爺は婆でも良いから大人の仲間が欲しかった。その流派は、殴ったり蹴ったりが中心のかなり殺傷能力がある野蛮な流派だった。体育館は暑いし、掃除が行き届いていないから嫌だと断り続けていたが、アライさんは、どうして僕が君を誘ったのかわかるかい、子供に囲まれて自分だけ大人なのが嫌なんだよ。と末期がんの体に鞭を打って、それでも黒帯の試験に臨むのだ、やればできるようになると毎日毎日勧誘の電話が夕方かかってきた。アライさんはかなり粘り強いたちで、わたしゃ今まで若い時分にもこんなに男から電話なんて掛かってきやしなかったワイ、やれやれしつこいからキッズに紛れて空手でもやろうかのうとふと考えた。アライさんが、メンバー支部集合写真を見せてくれた。そこにはまるで極道の男たち、やくざ映画のエキストラ会のような面子が並んでいて、女も姐さん面で黒い帯を巻いて鋭い睨みを利かせ、カメラに向かって皆さん誰も頼んでやしないのに勝手にメンチを切っていた。ヤダなあこんな人相になっちゃうんだよなあと空手の入門は断わり続けた。その電話が二か月間続いた。ざっと半分まで書いたが、ここまでが春から夏までの私の涙を誘うキツイ物語である。その他に、家の前にパンダの国の人が土地を買って、三か月もの間、解体で騒音と埃をまき散らして、その諍い、私が一方的に激しく文句を言うだけの問題があったり、仕事場に鉄くず無いですかと勝手に金魚の蓋や門扉を持ち去ろうとし、それは使っているから駄目だ最高級スリランカ紅茶と引き換えなら少し考えてもよいが勝手に人んちの物持っていくなよとスリランカ人に目を光らせる必要もたびたびあった。とにかく外国人との諍いには、はっきりと文句を言う、こっちが被害を受けるようだったら金や物品をはっきりと要求し、こっちには全く非は無いのだという私の外交スタイルが確立した画期的な年であった。これは遺憾であると言うだけでやられっぱなしのかつての自民党スタイルとは一線を画した新しい外交スタイルであり、更年期の感情の激しさが加わるとさらに効果的なもんであると実感した。これは全て、自分が望んでもいないのに外から勝手に降って沸いた軽い災いのようなものだった。仕事も家事もやり、こういった余計な災いが降って来ると、ブログを書く気力がなくなるものである。ここでまた書こうという気になったのは、今日イノフェスにてインディゴさんやcouさんに文豪先生またブログ楽しみにしていますよ。と言われた。いやいや私は筆を折ったのだよと言いながらも鼻の下を伸ばし、まんざらでもない気分でパソコンを開けた次第である。イノフェスではいろいろ買った。それはまた後日案内するにして、金魚は辞めていませんよ、いろいろ忙しすぎて、まあこういった感じですわとお久しぶりの挨拶に代えさせて頂きたい。