地続きであること
先日。自宅から元実家方面(いまはそこに実家と呼べるものはないが、それでも幼少期〜思春期を過ごしたひとつの故郷と呼べる場所)へ車を3時間走らせて、友人に会いに行った。これまで、休憩を挟まない連続ドライブは最長2時間までと思っていたが、3時間休憩なしでも、あまり疲れず普通のテンションで運転し続けられた。やはり自分は運転が好きだなと思う。電車移動をすると、各「街」というものが、独立した存在、点在するものに思える。それもまた楽しい。この街はこういう街、駅前に映画館があってパン屋さんがあって、謎のオブジェがあって、前に誰々と待ち合わせしたな。みたいなことで愛着がわいていく。車移動をすると、街が全て道路で繋がっているということに驚く。意外なことではないし、知らなかったわけではないけれど、驚かされる。いまの自宅から元実家方面へ帰る途中、ナビ任せの道選びの偶然のなかで、今回会いに行く友人が以前住んでいた住宅地のあたりを通った。一緒に行ったケンタッキーが変わらずあって。今の私が住んでいる場所、友人の旧ご近所、昔バイト仲間と映画を観に行った駅、実家に帰る時いつも乗り換えをしていた駅のあたり、昔好きだった人が住んでいたあたり、かつての実家の最寄り駅のあたり……ぜんぶ、道路でつながっていた。地続きなのだな、とおもう。また別の先日、母校の大学で指導教員だった先生から連絡をいただいて、大学の行事のお手伝いをすることになり、二日間、かつての研究室仲間や現役大学生・大学院生に混ざって、会場準備などの作業をしてきた。初めて会う方が半数以上だったが、研究室が同じ=興味のありかが近いひとたちとは、あっというまにすんなりと、何の違和感もなく(少なくともこちらサイドは)楽しいおしゃべりをすることができた。それぞれの方がしている研究の話、だけでなく、仕事の話、恋愛や結婚の話、なども、なにか基礎の部分の価値観が近い方々という感じがして、話がしやすかった。現在の私の、専業主婦という立場も、特に障害とせずにみなさん気さくに話してくださった。自分は自信家だと思って生きてきたけれど、最近ちょっと、案外自己肯定感が高くないのではないかと思っている。大学に入るまで、博士課程に行くのが当たり前で自然なことだと思い込んでいたし、研究をすることこそがまっとうなこと、だと、どこかで信じていたのだと思う。だから、結果的に学術的な研究をしていない自分のことを、どこかでずっと受け容れられていないのだと思う。研究を続けているひとはみんな眩しい。だけどそんな眩しいひとたちを見ていて、やはり自分には出来ないことだったなと納得できた。向いていなかったと、素直に今なら思える(ということにしたい)。地続きなのだな、とおもう。人生というものも。小学校の図書室でひとり谷川俊太郎詩集を読んでいた自分も、学級委員をしていた自分も、男の子のいない学校で楽器を弾いていた自分も、安藤忠雄建築に魅了された高校生の自分も、ゴミ屋敷同然に散らかったワンルームで泣いていた大学生の自分も、卒業して、いくつかの仕事を転々とした自分も、結婚して、家と車を買って専業主婦をしているいまの自分も、詩やブログを書く自分も、ぜんぶ、地続きなのだな、とおもう。いろんな過去の記憶、断片的な記憶、うまくいって嬉しかったこと、にっちもさっちもいかず悲しかったこと、ブログに書きたくなる個々のエピソード、を、電車の駅のように、点在したものと捉えて、ときどき脳内のその駅に降りてみたりしてきたけれど、そしてどうしてももう降り立ちたくはない駅もいくつもあったのだけれど。悲しいことも苦しいことも全部、嬉しいことも楽しいことも全部、私の地図(宇多田ヒカル様リスペクト)、に、広がっていて、すべて地続きなのだ。私の路線図、ではなく。私の地図をまるごと、誇りを持って愛することこそが、自己肯定感なのかもしれない。地図には、山あり谷あり沼地あり(これは吉本新喜劇の島田珠代さんのギャグ)、のほうが楽しい。地図を描いてきたことそのこと自体が、すげえことなのだ。大変な労力と時間をかけて、私たちは自分の地図を描き続けているのだ。だからまるごと誇りを持って、軽自動車をブイブイ走らせて冒険を続けるのだ。自転車も可、徒歩も可。私は小型船舶免許を持っているので、船も可。私の地図に載っていない海(宇多田ヒカル様リスペクト)にだって行けるのだ。研究室の方々、後輩がた、と、お話ししていて、結婚ってどうですか?と、質問された。多様性の時代、一緒に暮らすパートナーがいたとしても、結婚をする必要性はないよね、という考え方のひとも少なくない。だけど私は結婚が好きだ。(変な一文。)ろくでもねえひとと結婚するなら独身のほうがいいに決まっているのだが、一緒にいたいひとがいるのなら、結婚というのは素敵なものだと思う。無限の可能性が広がる人生というのは魅力的だけれど、悩まされることも多い。結婚するということは悪い言い方をすればお互いの足を引っ張り合うことにもなりかねないし、さまざまな可能性を閉ざすことにもなるだろうけれど、自分の生きる世界はここだ、と、覚悟を持って、信頼できるパートナーとともに、その世界をより豊かにしていく、ということは、素敵なことなのじゃないかな。今日のキーワード「地図」にちょっと強引にでも結びつけたいので試みてみるけれども、地図のサイズをデカくしていくのも楽しいけれど、地図の縮尺をデカくしていくのも楽しいんじゃないかな、というかんじ。縮尺10,000分の1の地図ではなくて、100分の1の地図に、細かく細かく、道の形や、建物の形や、生えている植物や、道路標識なんかを、書き込んでいく。そういうイメージの結婚生活もいいんじゃないかな。自分の地図をまるごと愛してくれるひとと結婚できるゆうんは、ほんまに素敵なことや思うで。