すこーん、と飲んでしまう時がある。

すこーん、がいちばんしっくりくる擬態語である。

 

テキーラをショットで飲むときの潔さで、物理的にはそうではないのだが、それくらいの気の持ちようで、一晩じゅう、すこーんすこーんとハイボールを、ジンのソーダ割りを、焼酎のソーダ割りをあけていく。すこーんと飲むのはだいたい蒸留酒(のソーダ割りか水割り)。醸造酒はすこーんとは飲まない。ちびちび、すいすい。とろんとろん、のこともあるだろう。

 

昨晩はすこーんと飲んだ。友人と8時間ビデオ通話をしながら。

 

すこーんと飲むターンに入ってしまうと私は止められない。少しやばいかなとも思う。体もそうだし、心ももうちょっと落ち着けよとは思う。だけどこれがないと私の本領発揮ができないときがどうしても、あるのだ。

健康診断には近々行くつもり。

 

すこーんと飲んだ翌朝は、頭皮の毛穴が全部開いているような感じがする。

すがすがしくて、きもちがよくて、わらけてくる。二日酔いもたのしい。

 

前回の二日酔いのときの日記はこちら。

(それを読んでどうなる、という感じではある。)

 

 

 

 

初めてリンクを貼ってみたぜ。

 

 

 

 

 

平日昼間のバス停に並んでいるひとはだいたい女性、だいたいのひとはスマホを見ている。彼女たちひとりひとりの人生を思う。

 

離れていった友のことを思う。

私はひとと適度な距離感を保つのが苦手で、すごく仲良くなる以外のひととは、何も付き合いたくないと思ってしまうので、自分の深いところを出し合えないような関係になっていった友人とは、はっきりと距離を置いたり、連絡を絶ったりしている。

 

みんなしんどそうだった、見ていられなかった。そして私には、彼女たちが自らしんどい方向に進んでしまっている感じがして、腹が立ったり、悲しくなったりした。大好きそうにしていた彼氏との結婚を親に反対されて別のひとと結婚したこ、2人の男性の間で揺れて片方を選んだ結果あんまりしあわせそうではないこ、仕事と家事の両立がしんどくて泣いていたこ、いろいろいました。しゅうきょう。ふにん。彼女たちには何かを、切り離していく勇気を、持ってほしかった。私は一緒にスポンジみたいにしんどくなってしまって、だからほどいた、船のロープみたいに。しんどそうにしていたこたち、私に涙をみせたこたち、それでもなお、もっとしんどい道を選んでいる、ように私には見える。

 

HSPという言葉はすっかり市民権を得たと思うが、私もそれに当てはまる。し、何度か診断テストをネットでやってみているけれど、年々度合いが強くなっている。ひとはひと、自分は自分、とできないところが私の弱点。ひっぱられてしまう。

 

 

 

 

 

ぜんぜんまとまってないのだけれど……

さいきん、Abemaやテレビでよく見かける、高尾美穂さんという産婦人科医さんが、とってもすてきだなとおもう。とってもすてきで、かっこいい。何に出るにもおそらくノーメイク、髪型はモヒカン、穏やかな話し方、声、正確で優しい言葉遣い。

YouTubeのチャンネルで、視聴者の相談や質問に答えていらっしゃる。泣いてしまいそうな優しさ。

 

女というものは、みんなつながっている、という感じがするのだ、アラサーになったくらいから、そういうことを感じる。

みんなそれぞれに、女である自分をもてあまし、自分の心身の変化に戸惑ったり、期待されることに悩んだり、していて、同じ悩みを持ってる女性が、探せばたぶんたくさんいる。

私がブログを書きたいと思った理由のひとつもそこで、これも前書いたな。またしてもリンクを貼ってみよう。

 

 

 

 

アラサー女性を救いたい、おおげさでなく、我々は救い合える。私は貴女に救われるし、私は貴女を救える。

 

地道なやり方で、ただそういうことをしていきたい。