先日、高速道路に乗って、釣りに行ってきた。
高速道路は怖いと思ってずっと避けていたが、運転にも慣れてきたので、乗ってみようという気持ちになった。
途中でサービスエリアに寄ってとろとろのたこ焼きを食べたりして、高速もわるくないなとおもった。
 
 
 
夫が好きなので一緒にやるようになった釣りだが、
いまでは私もすっかり好きである。
これまでに、10回は少なくとも行っているはずだ。
 
しかし今回改めて、釣りってなかなかハードル高いよなと考えた。
釣りをやるにあたっての、ハードルを箇条書きしてみたい。
 
 
 
・道具を揃えたり、仕掛けを作ったり覚えたりするのが大変。
なので、いきなり一人で始めるのは難しい。まずは経験者のひととやらないと厳しい。
 
・エサがきもかったり、くさい。
もちろんミミズ的なにょろにょろのやつ(イソメなど)を、手で触ったり、ハサミで切ったり、しないといけない。イソメは口があるし指を噛んでくるし、小さく切ってもずっと動いているから、たぶん苦手なひとは結構ムリだと思う。私は最初こそビビったが、いまではまったく平気。イソメのいいところは、ほぼ無臭なところ。
アミエビとかサンマとかを使うときもくないが、でもにおいは結構くさい。一日中、手がそのにおいになる。
 
・魚はぬるぬるだし、暴れる。
釣れた魚を針から外すとき、魚を触るが、魚によってはかなりぬるぬるだし、暴れるやつはめっちゃ暴れる。トングを使えばこの問題はかなり解決されるが、トングで挟んでいる状態で暴れられると、鱗がはがれたりもする。
カワハギはその点、表面がざらざらとさらさらの中間くらいで触りやすいし、おとなしくじっとしてくれるから、いちばんかわいい。
 
・いくつもの殺生をしなくてはならない。
エサのイソメを頭側から針に刺したり、ハサミで細かく切ったりするし、釣れた魚はもちろん殺して食べてしまうわけだ。魚が釣り針を深くまで飲み込んでしまったときには、魚の口が切れたり外れたりしてしまうことを覚悟して、強い力で引き抜かなくてはならない。深い海の底から釣れた魚は、水圧で目が飛び出てしまったりもする。こういうのは未だに慣れず、毎度かわいそうになってしまう。心を無にして、対処する。
 
・釣った魚の処理が大変
たくさん釣れると嬉しいが、一匹一匹、頭や内臓や鱗を取ってきれいに洗って、ものによっては三枚におろして、ということをせねばならず、大変。内臓はくさいし、台所は汚れるし、生ごみもたくさん出る。
 
・日焼けをするし、筋肉痛にもめっちゃなる。
日焼け止めをちゃんと塗っても完全には防げないし、翌日まで筋肉痛や疲労感でへとへとになる。
 
 
 
 
それでも、釣りは楽しい。
針に魚が掛かったときの、ビビビビビと引く力を感じるのが、楽しい。
 
この仕掛けでこういうふうに釣ってみようとか、このエサはこのサイズでこういうふうに針につけてみようとか、考えるのが楽しい。さっきの糸の引き具合からしてたぶんこの魚がいるから、仕掛けやエサを変えてみようとか、考える。魚とコミュニケーションしている気持ちになる。
 
そして何時間も、海の景色を見ながら、携帯など触ることも全くなく、風に吹かれて、日光を浴びて、とっても気持ちがいいのだ。釣りのあとにスーパー銭湯などに行くと、もうほんとうに最高。
釣り場で食べるおにぎりやサンドウィッチなどは、コンビニのものであっても、いつもよりとても美味しく感じる。
 
くたくたになって家に帰り、へとへとになりながら魚の処理や料理や釣具の片付けをし(うちはかなり夫にやってもらっているが)、お風呂に入ってきれいになって、ビールで乾杯。その日自分たちで釣った魚を、唐揚げやフライや刺身やなめろうや煮付けや味噌汁などに調理して、そいつらが釣れたときの興奮を思い出しながら食べ、日本酒を飲む。
 
その日の夜はもう、すこーんと気持ちよく眠れるのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
越えるのが難しそうなハードルを、なんとか頑張って乗り越えると、とっても楽しい世界がそこにあったりする。
ひとつ思い出すことがある。
 
 
 
中学生のとき、遠足で植物園のようなところに行った。
当時私は、私からすればちょっと派手めな、ファッション雑誌などを学校に持ってきて見せてくれるような、色白の子と、ふたりで行動していた。
 
植物園、日光がさんさんと降り注いで、きらきら。
色とりどりのお花たち。たのしそう。
友だちとふたりで、歩きまわったり、お花を見たりしながら、おしゃべりして楽しみたい。
と私は思ってウキウキしたが、その子は、
「日焼けするから屋内にいたい」
と、言う。
それで、その子としか行動できなかった当時の私は、ウキウキを押し込めて、園内を見て回らずに、休憩所のようなところでその子としばらく過ごした。
 
えーでも、せっかくだしもったいないしお花みようよ、くらいは言ったと思う。それで、少しくらいは、屋外に出てお花を見たり、日陰を選んで歩いたりはした、はず。写真を撮ったり。でも私はその子とほんとうは、もっと日光のなかはしゃぎまわりたかった。一人きりではしゃぎまわる度胸は、まだ当時は身についていなかった。
 
あの遠足でなにか、なにか決定的に大事なものを、私は得られなかった気がしたのだ。とてももったいなかったと、今になっても思うのだ。
あのときの感覚はもうおぼえたくない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
だからたとえエサがくさくても、魚が暴れても、
日焼けをしても、
そこはちょこっと我慢して、
魚の命を自分の手でビシビシと感じることのできる釣りを、やりたいなと思う。
自分で釣った魚を食べる原始的な喜びを、感じたいなと思う。
海の景色、波、舟、潮風、たっぷりの日光、すぐそばには人はいなくて、ほとんどふたりきりだったり、離れて釣ればひとりきりだったり。会話は少なく、お互い黙々と釣る。会話するのは、魚と。
 
そういうのが大事だと思うから、我慢のできることは、する。
ストレスフリーであることばかりを求めていると、結局何もできなくなってしまう。寝転んでスマホがいちばん楽なんだもん。
 
これからも釣りを続ける。
ちょっと怖い高速道路にも乗って、おかげでとろとろのたこ焼きにありつけた。
とっても最高音譜
 
 
 
 
 
(追記…)
しかし…読み返して考えてみれば、日焼けをいやがったあの子が、たとえば皮膚がものすごく弱いとか、皮膚の病気であるとか、そういう可能性もなくはない。(その子の場合はそうではなく、美容のためであることは、わかっているのだが。)越えられるハードルはひとそれぞれであって、ひとを無理に巻き込むのはよくないだろう。ちょっとやってみない、くらいは言っていいと思うが。それがコミュニケーションであるので。そして私があのとき越えるべきだったハードルは、ひとりではしゃぎまわったり、他の友だちを見つけて一緒にまわったりする、勇気を持つことであったのかもしれない。日焼けをいやがったあの子のことは、昔からかなり好きだし、いまは会わなくなったけどいまも好き、ときどき思い出して会いたくなるけれど連絡を取るというハードルがまだ越えられていない。
 
愛飛び出すハート