調理実習と手ぬいの裁縫は好きだったが、ミシンは苦手だった。
手ぬいで作るのはティッシュカバーとか雑巾とか小さいものだったが、
ミシンで作るのはエプロンとかナップサックとか、だいたい大きいもので、
布の面積が大きくなるほど、縫っていくうちにずれてずれて寸法がおかしくなってくる、
その点が嫌いであった。
そもそも、まずはじめに布を切り出す段階で、
型紙をあてて線を引いて切っても、型紙と全く同じ寸法には切れないし、
ちゃんと角を垂直に切ったつもりでも、少し引っ張ったりすればあっというまに形が歪む。
だからでかい物の裁縫、特にミシンを使う裁縫は苦手だったのである。
しかし大人になれば考え方は変わるもので(あたりまえ体操〜)、
私はこのたびミシンを購入した。
私がミシンに望む条件は、手縫いよりも速く縫える、ということと、
手縫いよりも縫い目が揃う、ということ、くらいであったので、
おそらく全ミシンがそれに当てはまった。
結果、ミシンとしてはとても安い、おもちゃのようにかわいらしい、
それでも最低限の機能は備えたミシンを買ったのである。
なぜミシンを買ったかというと、
自分の服飾に関する考え方がここ1年ほどで変化したため、
もう着たいと思えなくなってしまった服がそれなりにたくさんあり、
しかし捨てるのは勿体ないし、その服自体には愛着もあったので、
なにかに利用できたらいいなあ、という思いからであった。
自分がこれまで着てきた服だから、どのような素材かもよく分かっているし、
ああこのスカートなら、薄くて柔らかくて丈夫な綿麻だからエコバックにしたいなとか、
このとろんとしたスカートは、ドルマンスリーブのブラウスにしたらすてきだなとか、
思うところはいろいろ生まれてくる。
しかしミシン。
綿麻のスカートに鋏を入れて1枚の布にひらいたあと、
チャコペンで線を引く段階で、
ああやっぱり、私これうまいこと垂直に引けないよと感じ、
縦45cmにしたいけどこっちは44.5、こっちは45.5になっちゃってるよと落胆し、
いまいましい家庭科室でのミシンの授業を思い出し、
やっぱり苦手だったもんなあと絶望しかけた私の脳裏に浮かんできたのは、
養老天命反転地と荒川修作であった。
荒川修作、建築家。
(私が理解していることを書いてるだけなので間違っていたらごめんなさい。)
現代人の生活は、水平にならされた道路の上、垂直に立つ建物の中にあるが、
本来人間は、水平や垂直なものなどひとつもない自然の中で生きていたのであって、
我々はもともと持っていた身体の力を失ってしまっている。
人間の身体の力を呼びさます場所として、水平と垂直のひとつもない、
養老天命反転地がつくられた……と大学の講義で聞いたと思うのだけれど。
人間の衣服だって、もともとは、ここが何cmでここが何cm何mmで、
ここはきっちりと90度で、
とか、そんなことを考えて作られていなかったわけだよな。
こことここを重ねた時になんとなく目で見た感じ合っている、とか、
ふつうに四角っぽい。とか、そんな感覚で服を作ってもよいのではないか。
ぱっきりぱっきり、近現代の(?)人間が作った、長さとか角度とかの尺度にあてはめることに苦戦して、
せっかくの、服を作ろうという一大決心を無駄にするのは勿体ない。
自分の気に入った布で、着られる服を、使えるかばんを、自分の手で作る、そのことが大事なのだ。
一歩一歩、ならされていない地面を踏みしめるように、手と足を使って木を登るように、
このミシンを使っていきたいと思う。