流行り言葉、というのがある。
流行り言葉は、流行り病くらい、好きになれない(病気を好きだったらやばい)。
そもそも流行りものというのが、好きになれないことが多い。
なぜならば、流行るものはやがて流行らなくなるもの、廃れていくものであるから、
そもそもがまやかしの価値しかない、と思うからだ。
もちろん、一時的な流行だと思われたものが、実際なかなか価値あるもので、
人々に受け入れられ、そのまま不動の人気を得る場合も、あるにはあるだろうけれども。
話を戻そう。
流行り言葉が苦手である。
さいきんよく聞くなあと思うフレーズに、
「価値観をアップデート」というのがある。
(Abema Prime をよく観るので、この言い方はよく聞く。)
この言い回しが、大変にそれはもうめちゃくちゃに嫌いである。。。。
(私の前で、或いはご自身のブログなどで、この言い方をしたことがあるかた、
しかしお気になさらないで。。。
当然のことながら、ただ私個人が苦手であるだけで、
ひとにはそれぞれの言葉の遣いかたがあり、それぞれ尊重すべきものだと思っているので。
そして自分の嫌いな表現を使ったからといって、そのひとのことを嫌いになったりはしないので。)
話を戻そう。
価値観をアップデート。いやだ。。。
「アップデート」という言葉を、我々が普段よく目にする場面といえば、
スマホとかパソコンとかの、システムアップデートとか、
アプリのアップデートとか、そういうところが多いと思う。
そういった「アップデート」というのはすなわち、
システムを作っている会社から、
新しいシステムが出来たからこのバージョンに変えてくださいね、
と言われて、やるものである。
つまり、自分以外の「外側から」「要請されて」、
古いバージョンから新しいバージョンへと「段階的に」変化「させられる」ものである。
しかし価値観というものは、自分の思考を巡らすことにより、
「内側から」「だんだんと」、自ら変化「していく」ものだと思うのだ。
バージョン1からバージョン2へアップデートさせられるとき、
そこの過程は無視される。
でも価値観ってそういうものでいいのですか?
新しいもののほうがより良い、と、「される」から、
その過程をすっ飛ばして新しい「バージョン」へと「アップデート」して、いいのですか?
私たちの思考回路は、無視していいのですか。
私は、だめだと、思います。