こんにちは♪
ご訪問くださりありがとうございます。
いいねやコメント嬉しいです。![]()
私は今日も元気です!![]()
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でもね、
今日はちょっと暗く重たい話なので、
元気のない人は気を付けてください。
無理と思ったらすぐに閉じてくださいね。
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以前の記事に、告知前に
死を覚悟していたので
癌と知っても怖くなかったと書いた。
その時、考えたのは2人の祖母の人生だった。
2人とも、95歳以上と長生きをした。
長い人生ずっーと幸せだったんだろうか?
悲しく辛いことの方が多かったんじゃないか?
そう思うと、自分は長生きするよりも
短くてもいい、幸福のまま死にたいと思った。
父方の祖母は、その時代に台湾の女学校へ
通っていたような人で、
いつも着飾っている人だった。
祖父は、軍服の胸にはメダル(?)が
たくさんついている位の高い軍人さんで
戦争で亡くなった。
その後未亡人となった祖母には、
死ぬまで軍人恩給が毎月支払われていた。
(中年サラリーマンの1か月の給与より多いかも?)
祖母は、長男(父の兄)家族と暮らしていた。
長男が亡くなると、その妻と長女家族が
その軍人恩給で贅沢暮らしを始め、
久しぶりに会いに行った父が気が付いた時には、
祖母はまともに食べさせてもらってはおらず、
自力で動けないほどやせ細っていた。
どうにかこうにかして父が祖母を保護し、
祖母は入院した。
だが今度は、恩給目当てに父の3姉妹が
祖母の面倒をみたいと言い出し、
、退院した祖母を、自分たちの近くの
施設へ入居させた。
私と夫がそこへ会いに行くと、
祖母は広い自室にこもっていた。
訪問者名簿を見てみたが、数か月の間に
叔母たちが来た形跡はなかった。
せっかく来たので車いすで散歩へ
出かけようと祖母を誘ったが嫌がった。
理由はすぐに分かった。
会った時、祖母は施設のジャージを
着せられていた。
ほかの入居者は私服を着ているのに。
叔母たちが祖母の私服を届けるのを
面倒くさがってジャージにしている
のだろうと察しがついた。
あんなにおしゃれ好きで、
いつも着飾っていた祖母は、
恥ずかしくて部屋から出られなったのだろう。
気の毒で涙が出た。
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母方の祖母と私は心友だった。
とても気が合い、会えば夜な夜な話をする仲だった。
祖母は江戸っ子で、見栄っ張りで粋で豪快で、
今が良ければ後先の事は考えずなところがあった。
祖父は薬品を取り扱う事業をしていて
羽振りが良かったので、祖母はむしゃくしゃすると、
金庫のお金を鷲掴みにして銀座へ行って遊んだと聞く。
だが祖父は、祖母が50歳のころに病死してしまう。
それから祖母はずっと一人暮らし。
私の母が長女だが、昔からそりが合わず、
一度は同居したが一年ほどで一人暮らしへ戻る。
長男と次男がいるが、長男(外資の役員)は、
お金は出すが一緒に住むことはしなかった。
次男は体が弱く、妻との二人暮らし。
祖母は次男の近くに住み何かあると次男を呼んだ。
結局祖母は95歳まで一人暮らしをした。
ヘルパーさんの力を借りて自炊をしていたが、
体が弱ってしまった最後の半年は、
施設で過ごし、最期は一人だったという。
今でも祖母を思うと涙が止まらない。。。
施設に入る前に抱き合ってお別れをしているけれど、
傍らにいてあげられなかったことを悔やむ。
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お金があっても、長生きできても、
二人の祖母は幸せだったのだろうか。
告知の数か月前、
やせ細ってこのまま死んでいくのかと
ひとり布団の中で涙した夜に
祖母たちのことが頭に浮かんだ。
私は幸せなうちに死にたい。
年齢はただの数字。
幸せが薄れて、
人生だけが長引くのは嫌だ。
私は放射線治療をしない選択をした。
腕がリンパ浮腫になるのが嫌だから。
再発のリスクがあるのは百も承知。
それでもQOLを優先したかった。
もちろん治療しても
リンパ浮腫にならない場合もある。
再発したら?それも運命。
すべてはお釈迦様の掌のできごと
何も恐れることはない。
悔いがないよう
今を懸命に生きる。
ただそれだけ。
最後まで読んでくださりありがとうございました。![]()















































