ヒマジンノ国 -9ページ目

 ヒマジンノ国

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自分は一般にいう、「保守」とかとは違う人間です。しかし最近の日本の酷い状況を見ると、保守系の人間が活躍するときではないかと考えています。

 

MONOPOLY - 世界は誰のもの?(日本語字幕 v1.3) (rumble.com)

 

↑、一応以前載せた動画を元に、話をしていきます。

 

この中で特に問題なものの一つが「マスコミ」だと思います。支配者はまず「マスコミ」を抑えるのが常識といわれています。その上で現状の日本の「テレビ局」のあり方を見ると・・・。

 

 

↑、2019年の情報ですが、上のようなことがいわれています。外国資本の比率は20パーセント未満でないと本来違法です。

 

 

↑、各テレビ局の建物内に、大陸系のマスコミが同居しています。まあ、必要なことだといわれれば、その通りでもあるんですが。

 

 

↑、動画の「モノポリー」内でいっていたような、グローバルなマスコミの流れと、上下関係を表現しています。これによって、必要なら、人知れず言論統制が可能ということになります。

 

 

↑、安倍晋三氏が殺された時の新聞の見出し。すべて同じです。さすがにおかしい、と思います。上からの指示があったとしか思えません。言論統制しておかないと、色々問題がある事件だけに、余計にそうなったのでは?と思えます。

 

その上で今回の都知事選についてですが、マスコミは「蓮舫対小池百合子」という構図を作ろうとしていて、必死に見えます。そして国民の多くがこれに乗っかっています。おかしいと思いませんか?

 

 

全員が同じ公約ではありませんが、主要に紹介されている3人については、外国の影響が増大する方針については皆賛成しています。つまりグローバリストが喜ぶ政策です。

 

いかにも考え方の違う、蓮舫氏と小池氏、みたいな報道ぶりですが、グローバリストが喜ぶ政策では お互いが、決して戦っていないのが分かります。

 

そしてこれに反対しているのが、田母神氏とか桜井氏です。

 

 

【前編】田母神俊雄 日本人が知らないウクライナvsプーチンの裏事情を解説! (youtube.com)

 

↑、田母神さんのインタビュー映像です。自分は田母神さんと全部同じ考えではありませんが、たとえばロシア・ウクライナ問題の認識には基本的に賛成です。田母神さんの政治家能力は未知数で、知事になって大丈夫かどうかは全く分かりません。しかし、彼の公約を見る限り、小池氏や蓮舫氏よりも、今の日本に必要な公約だという風に見えます。ただ、統一教会との関係などは噂されています。

 

例えば最近話題の「日本保守党」みたいな人らが田母神氏を応援するだけでも違うんですが、彼らは「蓮舫」氏が出て来たから、やむを得ず「小池」氏を応援するとかいっています。個人的な怨嗟はあるにしろ、おかしいですよね。やっぱり茶番やな、と思います。

 

 

↑、いっていることも分からなくありませんが、こういう発言も結局、国民を一方向に囲い込むのに有効なんだと思います。含みをもたせたりしてる風ですが、結局小池氏か蓮舫氏か、どっちが勝つか凄く重要みたいないいまわしです。実際そんなに差はあるんですかね?

 

マスコミはこのような、田母神氏や桜井氏の公約の内容を知ってほしくないのだと思います。それには「蓮舫対小池」みたいな、劇場型の選挙戦に見せたいわけです。田母神さんや桜井さんの話は、マスコミやメディアを裏で操る人たちには邪魔なのだと思われます。

 

当然、蓮舫氏も小池氏も、組織票が強いので有利なのは分かっていますが、我々有権者は「蓮舫対小池」みたいな構図を見せられても、うんざりするわけです。つまりそこには現状の問題に対する解決策が、見えない、ということになるからです。

 

確かに次の都知事に誰がなるか、という話は大事です。しかし、だからといって組織票が強いところばかり応援しても、どこかの組織の思惑が働いていることが多く、後々問題になることばかりだと思います。

 

先日逮捕された、「つばさの党」のメンバーですが、彼らのやり方には問題大ありです。しかし、彼らのいっていることは、必ずしも間違っていないともいわれています。では何故あのようなことをするのか?やはりそれは、マスコミが自分たちに有利になることばかり放映して、不利になることを放映したがらないからだと思います。

 

自分は「つばさの党」に賛同はしませんが、マスコミが放映せざるを得ないようなやり方で、拡声器を使って他の選挙人の邪魔をしたりすることによって、情報を他に知らしめるようにしたのでしょう。しかしあんなやり方だと、ナチスの突撃隊みたいで、アカンとは思いますが。

 

 

↑、小池さんは創価学会の組織票で勝ったといっていますが、どうなんでしょうか。

 

 

↑、小池さんは日本会議とか、創価学会とか、そういう組織票を作るところと関係を持っているのかもしれません。しかし、未だに正式に都知事に立候補するとかいっていませんが、どうなんでしょう?立候補しなければ確かに蓮舫氏が勝つ、ということもあるんでしょうか?混沌としてきました。(6月13日:追記、小池氏も立候補を表明したそうです。今回、各種問題で逆風だった小池氏ですが、蓮舫氏の立候補で、勝算は高まったと思います。自分は都内の街中ですでに2度ほど、小池氏の悪評を街行く人の中で聞きました。悪い評判はかなり出回っていたと思います。しかし蓮舫氏のせいで、小池氏の方がまし、という話がまことしやかに語られ初めました。蓮舫氏も良くないかもしれませんが、小池氏の行った都政を良く見てみることをお勧めします。彼女も充分に中国や大陸に利益供与をしています。他にも都政の貯えを、9000憶から、21憶にまで食いつぶしています。また地下鉄の株を外資に売り出しているという話も出てきています。立候補者は蓮舫氏、小池氏だけではありません。医者の内海氏、無所属ですが以前は衆議院議員だった、小林こうき氏などもいます。正直、今回はどうしても小池氏を勝たせたい人達がいるとしか思えません。彼女は今後の都内の再開発などに関わっています。彼女は間違いなく利権の温床です。また、蓮舫対小池、という物語を裏で描くのはそんなに難しいとも思えません。)

 

ここでいいたいのは「マスコミ(メディア)」が本来の機能を全くしておらず、一部の利権ために色んな情報を流しているのではないかということです。そしてそういった情報に、国民の7割から8割の人間が囲み込まれていて、その外に出たがらないということです。

 

岸田さんなんか、最近はけちょんけちょんにいう人が増えましたが、でも思うに、上記の7・8割の人が選ぶ国のトップだと、ああいう人になる、みたいな見本だと思っています。今の日本国国民の姿が鏡に映っているだけじゃないのかな、て思います。

 

自分も東京都民なので、都知事選には困っています。残念ながら投票したい人物がいない、ということです。

 

最近は選挙のたびに同じようなことをいっていますが、最近の政治家の質は特に酷いんじゃないでしょうか?

 

しかも、マスコミは小池都知事と蓮舫議員、あとはせいぜい石丸議員しか紹介しません。たしかもう20人ぐらいは立候補していなかったですっけ?他の人も紹介してくれ。

 

 

自分はこの3人はないかな、って印象ですね。小池氏はまだ正式には出馬宣言していませんが・・・。

 

 

彼らは完全におかしいでしょ。特に小池都知事は学歴詐称疑惑、ワクチン推進、なおかつ過去の公約をほとんど守れていないことで、有名になりつつあります。

 

 

 

↑、過去都知事に立候補した時の小池氏の公約です。ほとんど守れておりません。都民はちゃんと答え合わせをしましょう。つまり彼女は、自分が選挙戦で勝つために、我々に耳触りの良い言葉を並べていただけということになります(追記:待機児童は減っているそうです、ペットの殺処分は0になっているらしいですが、色々裏があるそうです、とりあえず評価されるならその辺でしょうか)。

 

そして発覚した学歴詐称問題です。彼女は「カイロ大学卒業」としていましたが、実際はカイロ・アメリカン大学(私立)卒業である可能性が浮上してきました。カイロ大学はエジプトの国立名門大学で、世界ランクでも1000位以内の難関大学です。

 

アメリカン・カイロ大学は当然世界ランクには入っておりません。

 

 

↑、大昔の小池氏の紹介記事。都知事になってから、カイロ大学のODA に関係したといわれています(追記:以前都民の税金と書きましたが、都民の税金ではないようです、国のODAに関与したということらしいです)。その後カイロ大学は小池氏がカイロ大学を卒業したと発表。中東は学歴をお金で買えるという噂はあります。もしカイロ大学への寄付が、口封じのためなら、まさに「嘘つきは泥棒の始まり」ですよね。(学歴詐称が決定したということではありません。)

 

どこの大学を卒業したか関係ないって人もいますが、学歴詐称は公職選挙法違反でしょ?だいたいこれらの嘘が本当なら、詐欺師ですよね。

 

 

片や、蓮舫氏も、中国では「自分らの子孫」と報道されているそうです。安易に外国関係者を主要ポストに付けていると、日本が壊れるのは自明です。小池氏よりましかと思いたいですが、多分そうでもないと思います。

 

 

 

 

巷では緑色のマニフェストを掲げていた小池氏がタヌキで、中国共産党の臭いがする蓮舫氏がキツネだとか。

 

この2人は絶対にないんじゃないんでしょうか。大体蓮舫氏は年も月も天中殺のはずなんで、多分負けます。残念ながら小池氏が勝つかな、という感じはしています。別に自分は望んでないですが、現実的な見方で見ると、という感じではね。

 

多分蓮舫氏も自分が負けると思っていて、出馬しているんじゃないでしょうか?都知事選後は衆議院議員に鞍替えするのでは?といわれています。名前を売るために織り込み済みの立候補ではないでしょうか?

 

しかし、2人ともテレビ出身でしょ。それからしてもうちょっと、という感じがします。小池氏はテレ東のアナウンサー、蓮舫氏はお色気タレント、他にも櫻井よしこ氏も日テレアナウンサー、山本太郎氏もタレントだったんですが、何でこういう人らが政治の御意見番とか、党首とかになるねん。絶対裏があると思いますよね。計画的に動いてるんかなって気はしますがね。それなりに見た目が良くて、大衆に知られてから政治をやらせる、という感じがすごいしてますが・・・。

 

さて、他には田母神さんとか、桜井さんとかが一応候補でしょうか。

 

 

田母神さんは昔に比べるとかなりマシになった気がします。以前は似非保守っぽい感じでしたが、今はそこまでではないとは思います。自分とは考え方が違いますが。

 

桜井さんはちょっと極端で、政治家になっても喧嘩ばかりしそうな気がします。どうだろうねえ。

 

しかし、誰が当選するのか、という話もありますが、問題なのは投票率ではないでしょうか?

 

明石市の旧市長を務めた、泉房穂氏が次のように述べています。選挙で無所属の人が勝つには、大衆の7割の支持が必要だ、ということらしいです(1対1の決戦の場合)。

 

相手側の票は残り3割です。これが組織票の場合、組織票を持つ人々は、およそ9割の人が投票に行くらしいですね。片や、組織票を持たない人たちは4割程度しか投票に行きません。すると、組織票側は3×9で27ポイント、大衆側は7×4で28ポイント。つまりこれだと僅差で大衆側が勝つんですね。これは候補が1対1の場合ですが。

 

知事選は1対1ではないですが、2016年の都知事選の小池氏の得票率は全体の中で、22.68%。全投票数の中でいえば44・49%(2020年の時は59・7%で、大幅に上がっています)。2016年の都知事選の投票率が59・73%。

 

まずはこの中で組織票がどれぐらいあるのか、ということです。得票率が22・68%なので、どんなに多く見積もっても3割もありません。2016年は6割近くの人が都知事選に行きましたが、あと4割の人はいっていないことになります。この人たちだけでかなりの票数になります。

 

要は何がいいたいのかというと、組織票を破るには多くの大衆が投票に行くべきだ、ということです。

 

これは都知事選に限った話ではありません。自民党の得票率は、どこでも3割強の場合が多いですかね。そうすると、先の泉さんの話だと、自民党以外の候補が人気が6割程度だと簡単には勝てないという話になります。要は3割の人が組織票を持つのはかなり強いということです。票が割れるような場合は、組織票はさらに有利でしょう。

 

自民党が公明党(創価学会)と切れないという理由でもあるでしょう。小池氏もまだ正式に立候補していませんが、自民党の協力があるのかないのか、それを気にしているのでは?

 

さて最近の自民党を見て皆さんはどう思うのでしょうか?統一教会問題、裏金問題でちゃんと責任を取った政治家がいたでしょうか?

 

なぜ彼らが責任を取らないのか?やはりその1つに選挙に負けないから、ということがあるのだと思います。

 

国民は舐められているんじゃないのかと思いますよ。

 

そして同時にマスコミの存在があります。彼らは結局政治についてネガティヴな印象しか与えないような報道しかしません。これで何が起こるのかといえば、政治に対する幻滅と、無関心です。そうなると投票率が下がるので、組織票が有利になります。その間に組織票を持つ支持団体や、その組織は、自分たちの推す選挙人を当選させて、世の中を好き勝手に改造していきます。大衆の考える方向とは違う方向に、世の中が動いていくということですよ。

 

この負の連鎖が日本国内でずっと続いてきたわけです。

 

これらを断ち切る必要がありますが、それにはやはり、組織票の効果を無くすように、大衆が選挙に参加して投票率を上げる必要がまずあると思います。

 

ちょっと都知事選とは話がずれましたが、今回例え小池氏が当選したとしても、投票率が上がれば小池氏も大勝ちはしないはずです。そうすると、今後選挙に出る人たちは我々大衆を意識する必要が出てくるわけです。

 

政治家が大衆を意識する、こういう状況が、今、国内にはないんですね。だから自民党の議員は全く反省をしませんし、政治自体がどんどんおかしくなっていくんだと思います。

今回はルッキズムの話など、無遠慮に書きますのでご了承ください。また、悲劇を扱っているので、興味ある人だけお付き合いください(;´Д`)。

 

昔書きましたが、自分は米国のポルノをかなり観ている時期がありました。こんな話、威張って書く話でもないし、ブログで書くのもちょっと躊躇するんですが、最近気になることがあって書こうかと思います。恥の上塗りといえばまさにその通りなんですがね。

 

自分が観ていたものは、1990年代のものが1番多く、21世紀に入ってからも少し観ていました。1990年代といえば、もうかなり時間がたっているわけで、気になって、引退した女優が現在何をしているか調べたりする時があります。

 

その後色々調べていると、亡くなった人なども出てきますが、その数がかなり多いのでちょっとショックです。特に2000年以降、有名なポルノスターが亡くなっているのが分かって、心痛だったりします。

 

以前書いたことのくり返しになるんですが、自分はまだ10代のころ、1994年に自殺して亡くなったサヴァンナにものすごくショックを受けました。日本のアイドルが亡くなるとかいう話なんかとは比較にならないぐらい、ショックで、はっきりいえば、自分は、頭のおかしい人間(?)だったわけです。まあ、今でもそれはあんまり変わらないんですが、現在でも欧米のポルノスターが死ぬと、なんだかんだでショックを受けます。新人の若い人らはもう誰か誰やら分からないんですが、知っている人はね。

 

お下衆 |  ヒマジンノ国 (ameblo.jp)

 

↑、過去記事です。偉そうに書いていますが、自分もあんまり他人にとやかくいえるような人間でもないです。

 

結局昔から何ら変わってない自分を発見します。ちょっとその辺、今でも自分はどうしようもないです。

 

 

↑、サヴァンナ。ジャンキーだったといわれていて、セリフもまともに覚えてこなかったそうです。1994年に自動車事故で負傷、顔に傷を負い、それを苦にピストル自殺を図りました。享年24歳。多くのロックスターと関係があり、俳優ではマーク・ウォルバーグとの関係もあったとされています。

 

元々悲劇的なことが多い世界ですから、今さら感も当然ありますが、それにしても最近死んだ女優が多いのでちょっと驚きますね。この頃は特に多い気がしていて、その辺が不思議です。

 

他にも色んなゴシップがあります。ブログ用に、ちょっといくつかピックアップします。

 

ザラ・ホワイトは1990年代前半に活動後、引退してからは動物愛護活動を展開し、ベジタリアンになったという話なんかは面白いですね。もう今は活動してないみたいですけど。

 

 

↑、若いころは貴族のお嬢様みたいな雰囲気の人でした。活躍していたのは2年ぐらいですかね?引退後は動物愛護や、身体障碍者やホームレスなどへの支援を行っていたそうです。オランダ人だったと思います。

 

I Am Like Water, making of. (Zara Whites' first mainstream film) (youtube.com)

 

↑、引退後のザラのプロモビデオ。

 

90年代中頃活躍した、マリリン・スターなんかは恋人の投資家から情報を聞き出して、インサイダー取引を行い、有罪になりました。

 

 

↑、2002年、ニューヨークの裁判所前でインタビューを受ける、マリリン・スター。3ヶ月の懲役だったそうです。昔から悪そうな感じの人でした。そこが良かったりするんでしょうけど・・・。でももう20年以上前の事件になると思うと、時間がたつのは早いですね・・・。

 

自分がポルノを観ていたころ、世界で1番ポルノを作っているのはフランスだという話でした。だからといって、女優に多いのがフランス人ということでもなく、別の地域からやってきた人たちが多くいました。

 

それは東欧です。

 

女性については、良く分からないのですが、チェコ、ポーランド、ハンガリーなどには美人が多いようで、1989年のベルリンの壁崩壊以降、出稼ぎに来る東欧系の人たちが増えました。今でもかなりの数の人達が業界にはいるようです。

 

誰が美男美女で、誰がそうでないかなんて話は・・・こういう話は問題が多いとは思いますが・・・。ポルノなんてのはその世界の最たるものですし、その傾向に、何か一定のパターンがあるように思えるときはあります。そうでなければ、東欧勢が多い理由も分かりません。

 

これは俗説なのかもしれませんが、以前ある人から変わった話を聞きました。異人種間の交配によって生まれるハーフは、両人種間の中間になり、一種の調和の状態が生まれるというのです。ですので、世界中の人種の中間を、次々と探っていくと、大変な美男美女が生まれるという話でした。本当かどうかは良く分かりません。全くの愚論の可能性もありますが、興味を引く話でもあります。

 

東欧といえば、神聖ローマ帝国の後釜となった、ハプスブルグ家などと関係が深い地域です。19世紀になって、諸国家がプロイセンを中心としたドイツとなる中、ドイツとは相入れない、ハプスブルグ帝国はパターナルな国家観を持ち、中央集権的な体制とも一線を画します。ハンガリーとの共同国家経営などの様子から見ても、これらは複数の民族と言語からなる、多様性の国家です。

 

ドイツがゲルマン寄りだったとすれば、ハプスブルグはスラヴ寄りともいえなくありません。

 

ここでは恐らく多種の人種の交わりがあったと思われ、それが文化においては、文化的調和を生み出し、世紀末ウィーンのような退廃美を生み出した可能性もあるのかもしれません。それ以外の話は何をかいわんやです。・・・とはいっても、こんな話は憶測の域をでませんがね・・・。

 

話を元に戻します。

 

2000年前後に活躍していた、ダニエラ・ラッシュはチェコ出身で、2002年、悲劇的な交通事故にあい、下半身麻痺になり、車椅子生活を余儀なくされました。しかし彼女は元々医学を学んでいたそうで、引退後は医者になったといいます。

 

 

↑、車椅子でボーリングをする、ダニエラ・ラッシュ。ダニエラの車椅子姿を見た時はかなりショックでした。

 

医者になったというのは、幸運だったのではないでしょうか?

 

同様にチェコ出身のリア・デ・メイという女優がいました。良くダニエラ・ラッシュなどと同じ作品に出ていました。彼女は元々水泳の飛び込みの選手で、オリンピックも期待されるような人材でした。しかし、トレーニング中に脊髄を損傷して断念。その後、ヌードモデルなどを経て、業界へ参入しました。

 

当時はシルヴィア・セイント、モニカ・スウィートハートなどと並んで有名な人でしたね。

 

 

↑、左から、リア・デ・メイ、モニカ・スウィートハート、プロデューサーのオールドリッチ・ウィドマン、ダニエラ・ラッシュ、最後は米国人のミスティ・レイン。多分カンヌのホット・ドーの写真だと思います。

 

しかし、リア・デ・メイは2004年に脳腫瘍が発覚。たった半年の闘病生活の末に病没しました。享年27歳でした。

 

 

↑、リア・デ・メイ。

 

何だか悲しい話だと思いますね。水泳の飛び込みが災いしたのでしょうか?

 

他にもまるでドラマのような事件もありました。

 

2022年、3月ごろ、北イタリアで15個のごみ袋の中から、解凍され14もの部分にバラバラに切断された、女性の死体が見つかりました。死体は顔に火傷があり、身元が分かりませんでしたが、他の遺体の部分の刺青の痕跡から、売春婦のシャーロット・アンジー(享年26歳)と判明。

 

 

↑、シャーロット・アンジー。体のいろんなところに刺青が入っており、それで身元が分かったようです。

 

警察は銀行家のダヴィデ・フォンタナ(当時43歳)を逮捕。何でも夜のプレイがエスカレートして、誤って殺してしまったと話したそうです(^-^;。どないや。

 

 

↑シャーロット・アンジーを殺した、ダヴィデ・モンタナ。この写真は見れば見るほど、悪人にしか見えませんね。

 

シャーロット・アンジーも短い間ですがポルノに出演していました。その後、稼ぎが良い、売春にシフトしましたが、その相手に殺されてしまいました。シングルマザーで、評判の良い人だったといいますから、悲劇です。

 

シャーロット・アンジーの話はニューズ・ウィークなんかでも取り上げていたので、有名な話かもしれません。

 

21世紀に入ってから、死んだという欧米のスターは多いですね。2015年以降を見ても、25人以上です。そのほとんどが20代で、自分はもう知らない人たちばかりです。その中でも数人自分の知っているスターもいました。

 

2017年にシェイラ・スタイルズが実家で謎の死を遂げ、今年の2月にカグニー・リン・カーターが自殺したというのが、本当に久しぶりにショックで、今回ブログを書き始めたんですが、もうこれ以上書きたくなくなってきました。

 

まあ、そういう世界なので、何だか暗い感じになっちゃいましたが。

 

だからこの件については、今回はもう、書くのを止めます。

 

ご冥福をお祈りいたします。

 

今日はサントリー・ホールでジョナサン・ノットによる、東京都交響楽団の演奏を鑑賞してきました。曲目は武満徹の「鳥は星形の庭に降りる」、アルバン・ベルクのアリア「ぶどう酒」、そしてメインがグスタフ・マーラーの「大地の歌」です。

 

前半の武満とベルグだと、ベルクの方が聴きやすく、マーラーと時代、国も近いので、親和性があると思いました。独特の退廃性を感じます。武満は、まあ、どうでしょう?こういう音楽は自分には合いませんね。マーラーとかブルックナーをやると、前座に現代音楽を入れたりすることが多いです。コンサート・プログラムの穴埋めになるんでしょうが、無理に聴きたい曲でもありません。しかし、思ったより褒めている人もいますね。

 

とはいえ、今回はやはり「大地の歌」を聴きに来た人が多いのではないかと思います。これは大変な名演でした。

 

ジョナサン・ノットの作る、音質はクリアで精緻ですが、独特の弾力を感じさせます。またノットは曲想の意味をちゃんと追うので、しっかりと音楽における前後のつながりがあります。聴き手も同様に音楽の意味を追いますから、緊張感が途切れません。今回は一瞬も飽きずに聴いていられました。

 

歌手の2人も見事でした。テノールのベンヤミン・ブルースの方が声に輝きがあり、声量も大きく、良く抜けました。特に第5楽章「春に酔った者たち」など、オーケストラの明るい迫力と相まって、エネルギーの塊のような響きとなりました。

 

メゾ・ソプラノのドロティア・ラングは出始めこそ、やや地味でしたが、第6楽章の「告別」では存在感を発揮します。

 

ただそれは多分、ノットのせいでもあるんだと思います。綿密に音楽の意味を拾いつつ、つなげて来たフィナーレ。諸行無常の鐘の音と相まって、厭世と慰めに満ちた音楽が展開されます。「大地の歌」は全編に中国の古代詩人の「詩」を元にした「歌」が付きますが、フィナーレの中間部では「歌手」が一旦退き、曲の持つ厭世的な雰囲気を、オーケストラだけで切々と訴えていく部分があります。

 

ノットの作り出す音楽は、この時点で非常に切実な雰囲気を醸しだしていました。この世のわびしさとか寂しさとか、胸に迫るような演奏でした。そして最後にもう1度、ドロティア・ラングが戻ってきて、この世に対し、惜別の念を歌い上げますが、その切実な雰囲気の中、彼女の姿と歌いぶりは非常に感動的でした。神々しささえ感じました。

 

中々こんな風には聴けないな、と感じた瞬間です。

 

 

 

自分は非常な名演だったと思いますね。ちゃんとマーラーを聴いた、という気持ちが強く、とても満足できました。


カーテンコールで聴衆の熱狂を見て、ラングの表情がみるみる自信に満ちたものになっていくのが、非常に印象的でした。その後も心から喜びを伝えるように、胸に手を当てて頭を下げていました。ああいうのは演奏者と、聴き手が一体になる瞬間で、素晴らしいな、て思います。

 

↑、深谷駅は煉瓦が名産だったということで、駅舎が煉瓦作りになっていました。

 

埼玉県の深谷駅周辺で、5月3日から3泊ほどしてきました。3、4、5日と非常に天気も良く、久しぶりにちゃんと旅行した気になりました。3日は移動と、深谷駅、熊谷駅周辺を散策、4日は栃木の足利まで足を延ばし、5日は今年7月から新1万円札の肖像画になる、渋沢栄一の生家を訪ねます。

 

 

栃木県の足利市は、足利氏の発祥の地で、その関係のお寺などを回りました。

 
 
日本最古の学校という、足利学校なども見て回りました。

 

 

↑、足利学校。

 

この日の午前中は足利フラワーパークにいたんですが、中国人の多いこと。正直、勘弁してほしいです。入場料も高くて、なんか妙な気分です。それに比べると、足利市内は日本人ばかりで、非常に落ち着いていました。

 

足利市とか観光地としてあんまり有名ではないんでしょう。大変な田舎でしたが、古い町並みの残っている地域があって、かなり美しかったと思います。ゴールデンウィーク、どこも人がごった返す中、うるさくなくて良かったです。

 

 

↑、フラワーパーク内。藤が少し見ごろすぎですが、沢山咲いていて綺麗でした。しかし、無理やり観光客を詰め込んでいる感ありありで、身動きが取れないところ多数でした。

 

 

↑、藤は良かったです。

 

 

翌日の、子供の日の午前中は、渋沢栄一の生家などがある、論語の里を訪ねました。渋沢栄一は江戸末期から、明治時代にかけて実業家として、500以上の企業の設立にかかわったそうです。世界遺産になっている富岡製糸場、他にも王子製紙、りそな銀行などの設立(第一国立銀行)などに関わったそうです。そのため、近代日本経済の父とか呼ばれているそうです。今年から発行される、新紙幣の1万円札の肖像画になっています。

 

ちなみに自分は大河ドラマは観ていません。

 

 

↑、渋沢栄一の生家。論語の里という、緑豊かな場所に立っていました。

 

 

↑、論語の里。

 

午後は難攻不落といわれた、忍城跡地に。秀吉の命令で、三成に水攻めにされたお城です。

 

 

↑、鉄筋で復刻された忍城です。

 

多くの資料が飾ってあって面白かったです。他にも行きたいところがありましたが、ここ3日歩き続けて、寝不足プラス、疲れがピークで諦めました。

 

しかし今回の旅行、良く晴れて、緑の多い場所を旅できて非常に良かったです。

 

真田広之の主演する、ハリウッドの大型時代劇「SHŌGUN」全10話を観終わりました。

 

原作はジェームス・グラベルのベストセラー小説で、過去にも映像化されたことがあるそうです。自分は両方とも知りません。今回このドラマが初見になります。

 

ディズニープラスの配信なので、日本では中々観ている方がいませんが、米国では大ヒットしたそうです。自分は初め、あまり期待していなかったのですが、面白く観終わることができました。

 

何でも主演の真田広之氏がプロデューサーも務めているそうで、旧来の外国映画の描く、「トンデモ日本観」を払拭したいという意図があるそうです。それができなければ、プロディースはしない方針だったそうです。日本から所作などの専門家を呼び、演技に取り入れるなど真田氏の力の入った作品です。ハリウッドに進出した、真田氏の総決算といえる作品ではないでしょうか?

 

真田広之氏はかねてから、ハリウッドの作る時代劇などに口出しをしていたそうで、現地ではうるさい人ともとられていたという話も出ています。そんな彼が、遂に自分のやりたいようなものを、米国で作る機会が訪れました。役者は日本人で固め、セリフも日本語で喋らせています。英語圏の人たちは字幕で日本語のシーンを観ることになります。

 

そのせいもあってか、確かに時代劇として、我々日本人が観ていてもそれほど違和感がない作品に仕上がっていると思います。

 

また真田氏は他の番組でも、日本の時代劇が頭打ちになっている理由を述べており、その改善も図ったように思われます。明言はしていませんでしたが、日本国内のいわゆる「チャンバラ時代劇」に対する批判なのかと思います。「水戸黄門」やら「暴れん坊将軍」などの、予定調和で、リアリティの低い作品では、世界では理解されないということでしょう。世界的に有名な黒澤明監督の「七人の侍」などは、まるで記録映像を観ているようなリアリティがありましたが、そういうものでないと世界では通用しないということがいいたいようにも見えました。

 

 

↑、虎永を演じる真田広之氏。役だけでなく、他の役者の演技指導などもしていたそうで、中々できることではないと思います。正直、たった1人、ハリウッドでここまで日本文化の本来の価値を示そうとして、20年以上努力を続けてきた、彼の姿には頭が下がります。

 

この作品は、西暦1600年の日本が舞台です。そう聞くと我々日本人は、やはり関ヶ原の合戦などを思い出します。しかし登場する人物は「虎永」という武将だったり、「石堂」という聞いたことのない人物ばかりです。しかし良く観ていると、大阪城で、大公が死に、虎永を含む5大老が国政を決めていくという話になっています。朝鮮出兵の話などもしているので、どうもこの作品は史実を基に、脚色された日本史の話だということがうっすらと分かりました。

 

要は「虎永」が「徳川家康」であり、「石堂」が「石田三成」、「落葉の方」が「淀君」で、「戸田鞠子」が「細川ガラシャ」であるということが観ているうちに分かってきました。豊臣秀吉の死が、徳川家康と石田三成の戦いになって行く過程が、ベースになっているようです。

 

 

↑、戸田鞠子を演じるアンナ・サワイ。モデルが細川ガラシャで、特に印象的なキャラクターだったと思います。他にも藪重を演じる浅野忠信の演技も面白かったです。

 

そしてこの歴史の成り行きを、「ジョン・ブラックソーン」という英国人の視点を加えて描かれています。これは「ウィリアム・アダムス」という実在の人物で、日本では三浦按針(みうらあんじん)といい、外国人初の侍だったそうです。この作品内でも「按針」と呼ばれています。彼の視点が、英語圏の人々にとって理解の手助けになるという構図です。

 

とはいえ、物語自体の作りは米国のドラマのスタイルで、日本人にはなじみにくい感じもあるのかもしれません。シークエンスは、主要な見せ場ごとにつながれており、少し説明不足のようにも見えます。物語が連続的に展開するので、おかしいと感じる暇もそんなにありませんが、個人的には切腹などのシーンも、若干唐突に感じる時もありました。

 

そのために、日本文化を幾分カリカチュアして表現しているように見える瞬間も多々あり、この辺は議論を呼ぶところだと思います。しかし10話で終わる物語なので、あんまり丁寧に書くのも難しいともいえるのではないでしょうか。ただ細かいところまで観ていると、前後で何かしら伏線のようなことが描かれているのも確かで、それを自分でつなぎ合わせれば、全体像はつかめる部分もあると思います。こういう作り方は日本のドラマではやらないなあ、という感じがしますね。

 

物語はエピソード8・9ぐらいがクライマックスで、ユーチューブで視聴配信をしている外国人も、物語の展開に心底驚いているのが、印象的でした。ドラマの展開のさせ方は米国式だと思うんですが、それでもやはり物語の内容そのものは、英語圏の人たちが考えるものとは、根本的に違うのだと思います。

 

記憶が少し曖昧なんですが、日本のアニメ、機動戦士ガンダムが外国で放映された時、味方の仲間たちが次々と死んでいくのが、諸外国の人々にとって、驚きだったといいます。それと全く同じではないですが、似たような雰囲気がこの「SHŌGUN」にもあるのかな、という感じがしました。

 

こういう生死感は日本人独特なのではないでしょうか?自分は観ていて展開にそれほど驚きはしなかったので、やはり英語圏の人たちとは、認識が違うんだと感じました。「死ぬ」ことによって、「責任を取る」あるいは「抗議する」という行為は、第2次世界大戦ごろの日本にはまだ残っていたように思います。今日でも、それが日本の文化の一部であるという考えがあるのは、確かだと思いますが、他方でそれは人間の命を粗末にしかねない行為でもあります。

 

そういう部分に嫌悪感を感じる視聴者もいるようです。日本はかつて人命を消耗品としてとらえていたこともあり、その反省から戦後の日本は「人命優先」という方向に進んだのかと思います。

 

観ていると色々考えさせられる作品です。日本人と英語圏の人々では捉え方がかなり違うと思います。特に日本史の知識のない人々から見ると、全くまっさらな物語であり、真新しい作品に見えると思います。しかし日本人から見ると、鏡に映された我々の姿を見る如く、何かしら客観的な気分になる人も多いかと思います。

 

だから「SHŌGUN」を観ていると、ちょっと不思議な気分にはなりました。日本人として同調する部分と、過ぎ去った時代の残酷さについていけない部分とが共存しており、複雑な気分です。

 

しかし日本人は1度観たほうが良いドラマじゃないかな、という気はしますね。

 

作品としては充分面白いと思います。特に戸田鞠子を演じる、アンナ・サワイ、そして戸田広松を演じる西岡徳馬氏は一世一代の名演技だったと思います。

 

 

↑、戸田広松を演じる西岡徳馬氏。これ以上の檜舞台もないと思えるような環境での、名演技だったのではないでしょうか?

 

全10話でグラベルの小説部分は終了しているそうで、第2シーズンを作るかは未定だといわれています。結局、程度の高い原作を元にしないと、第2シーズンは作れないだろうということで、「SHŌGUN」はこれで終了だという意見が多い気がしています。

 

今日は、サントリーホールで、下野竜也指揮、日フィルで、シューベルトとブルックナーの交響曲3番を鑑賞してきました。ブルックナーの3番は第2稿で、初めて聴きます。エーザー版と似たようなものかと考えていたんですが、かなり違っていたように思います。

 

下野さんはブルックナーを良く演奏しているそうで、自分は今年2回目になります。前回はブルックナーの1番でした。前回は結構良かったんですけど、今回はそれほど感動はしませんでした。

 

ブルックナーについては、多分この3番の方が下野さんの本質を表した演奏なのかと感じました。急がない指揮で、丁寧で爽やかな響きでした。これはこれでそんなに悪くないのかもしれません。響きで聴かせるスタンスなんですね。一応正攻法の演奏を目指しているようにも聴こえます。

 

しかし、自分にはもう1つ何か足りない気がしました。全体に弛緩している気もして、やや「ただ演奏しているだけ」、という風にも聴こえます。優等生的で、ドライな演奏でした。

 

これはあくまで個人的な意見ですが、やはりブルックナーのスペシャリストなら、曲の持つ抽象概念をちゃんと理解して、曲の意味から導き出された抑揚をもっと付けて良いと思います。ツッコミがもっと欲しいというか。

 

以前も書きましたけど、ただ正確に音にして出しているだけでいい、という演奏がコンサートに行っても多い気がします。自分はそれだけだと飽きてしまう方です。また日本人の演奏家に多いスタンスだとも感じています。

 

来日する外国の演奏家は、良くも悪くも個性が強くて面白いことが多いですね。日本の演奏家は可もなく不可もなくという感じになる印象が、あくまで個人の意見ですが、強い気がします。

 

生意気なことを書いてスイマセン、お許しください。多くの方は、今回の下野さんのブルックナーには肯定的な意見のようです。

 

自分にとってみると、前座のシューベルトの方がソリッドに良くまとまって、美しかったです。

 

蛇足ですが、今回、自分の隣に座った年配の人物が、何と楽譜を開きながら鑑賞を始めました。当然楽譜をめくるたびに、頁をめくる音がします。初めは我慢しようかと思いましたが、さすがにあり得ないと思って注意して止めさせました。

 

実は最近のコンサートは出かけると、マナーを守らない人が多くて困っています。去年のメサイアでは、中国人が聴きに来ていて、アーメン・コーラスの直前まで周りに人に聞こえるような声で、喋っていました。ブレハッチのコンサートでは、英語を喋るアジア系の人らが、子供を連れてきていて、子供が退屈して、持ってきていたペットボトルのお茶を手で回したりしています。また、ブレハッチのアンコール中には、目の前の年配の方が、自分のカバンのジッパーを音を立てて閉めたりして、演奏をマスキングします。

 

聴きに来てはいけないような人たちが聴きに来ているんですよね。本当に弱ります。今日も自分は、隣の人を注意したせいで、ブルックナーは、第1楽章後半から、第2楽章全体まで、集中力が切れて、ちゃんと聴けませんでした。

 

他にも色々あると思うんですが、聴衆のマナー問題はあると思います。何とかなりませんかね。結構つらいですよね。

 

 

3月18日、デューンのパート2を鑑賞。

 

映画版デューン |  ヒマジンノ国 (ameblo.jp)

 

↑、パート1の時の記事。偉そうなことを書いてますが、原作は20年以上前に読んだきりで、かなり忘れています(^-^;。他に、手前勝手な政治的意見は、ご愛嬌ということでお許しください。

 

パート1は、94回のアカデミー賞で6部門受賞したとかで、好評だったようです。おかげで続編の製作が決定。パート1、パート2で、一応原作の第1部の完結に至りました(多分)。

 

D・リンチ版、ドラマ版、ホドロフスキー版ときて、4度目の正直というところで、やっと決定版の登場となったと思います。

 

このドラマの映像化が難しいのは、スケールの大きさと同時に、特殊な世界観の創出、単調なドラマの劇的演出などだと思います。CG技術によって、スケールの大きさをクリア、デザインも現代的な雰囲気を合わせつつ、原作のイメージを美しく再現しており、個人的に、一部気になったりするものもあったんですが、多くの人が満足できるものだったと思います。

 

後はドラマです。純粋に娯楽映画としてみると、物語の展開自体、独自の世界観の演出が多いだけで、劇的効果自体は弱く、単調にみえます。この難しい問題に対し、監督は、長回しの美しい陶酔的な映像と、没入感の多い音楽の効果で対応。

 

以前書きましたけど、デューンはやはり「準世界(パラレルワールド)」の創出があってこそ、成り立つものがあると思います。小説を読んでいても、1ページごとに、アラキスの砂漠の熱風が差し込んでくるごとき感触があり、読み手には、その場にいるような没入感があったわけです。

 

こういう部分を映画という別ジャンルを用いて、成功させたと思います。最近の音響効果の優れた映画館で観ると、大変な臨場感があります。ハンス・ジマーの音楽の素晴らしさは、まさに映画にしか使えないような音楽ですが、出色です。2時間40分の間、しばし鑑賞者は宇宙の彼方の砂の惑星の、大気を吸っている気になれます。

 

この作品を映画で初めて触れたという人の多くは、多分その単調なドラマ性だけを追って、面白くない、とか、無駄に長いと感じるのが普通でしょう。欧米の芸術に多くあることですが、原作を知っていないと意味が分からない(音楽における交響詩など)というものが、普通に存在しているのが事実で、今回映画を観た限り、このデューンのその部類に入るかなと感じました。この辺の事実は、我々東洋人には悲劇ですね(^-^;。

 

相性が良ければ原作を知らなくても、理解できると思います。しかしそれでも、物語が古い、とか、物語の投げかける意味が分からないとか、感じるのはありうる話だと思います。

 

自分としてはシェークスピアと同じなんですよね。この映画の原作は「古典」なんです。

 

ポールが皇帝ムアドディブになって、人類の先行きの危機を悟り、やがてその危機の解決を、レトとガニマに委ねるとき、その解決法は今の時代にはそぐわないと思います。しかし、時代にそぐわないといっても、この小説が与えた各界への影響力を考えると、その価値はもう中々否定できないでしょう。

 

この作品は既に、欧米の文学作品の歴史の、1部になっているのだということです。

 

「古典」を理想的な映像として見せるという、映画の持っている1つの使命、そういうことをやりたい人は大勢いるのだと思います。「デューン」はその中でも、最も難易度の高いものの1つではなったのではないでしょうか?だから成功させた監督は名前が残りますね。

 

「指輪物語」も「デューン」も、映像化に半世紀かそれ以上かかった、ということになると思います。オペラだったら、作曲家と台本作家という関係で、同時代に生きていますが、映画は作家と映画監督が別の時代に生きて創作するというのが、興味深いです。そう考えると、この手の作品はまさに時代を股にかけた、大作です。

 

個人的にはかなりレベルの高い映画だと思います。

 

 

原作で描かれている、ハーバート自身の考えによる、紛争の解決法などは好きにはなりませんが、1960年代におけるその試みと、ドラッグ・カルチャーとエコロジーを合成した特殊な雰囲気の怪しさなどは、映像でも伝わってくるものがあるんじゃないでしょうか。

 

前作でフレーメンの描き方なども、ちょっとポリコレの感じなどがあるのかと思っていたのですが、今回は全く気になりませんでした。やはりフレーメンの習慣などがちゃんと描かれることによって、鑑賞者は、アラキスに滞在する没入感を得られるのだと思います。

 

映画なので、ラストの戦闘シーンは引き延ばすかと思っていたのですが、比較的小説の通りであっさりと終わりました。逆に闘技場のシーンなどが引き延ばされて描かれています。闘技場の場面はこんな場面あったかな?と思って観ていました。他にも原作にない部分や、削られた部分もあるそうです。自分には全部は分かりません。

 

また、続編があるような終わり方で、どういう感じで続編を作るのか、不明な感じの終わり方でした。

 

小説における、「砂漠の救世主」につながる結末なのか、あるいは、小説にない、ポールと大領連合のとの争いを描くのかは、分かりませんね。

 

今日も池袋のマチネに行ってきました。

 

実演を聴きに行くと、大体初物が多いですが、今回は女性指揮者を初めて聴きました。最近は、世界的に、女性指揮者が増えてきたようです。20世紀だと考えられなかった光景です。自分は録音でも、女性の指揮者の演奏は聴いたことがなかったので、今回が初めてになります。

 

 

ジャコはフランスの指揮者で、現在、欧州で注目されているという解説を読みました。今回は、読売交響楽団との演奏で、演目はブラームスの交響曲4番、ベートーヴェンのピアノ協奏曲5番。ピアニストはアレクサンドル・メルニコフ。

 

メルニコフの実演を聴くのは2度目になります。ピアノを弾く子供がそのままおじさんになったような、飾り気のない風体で入場。ナイーヴな感じと同時に、ざっくばらんな弾きぶりは前回と同様。伴奏のジャコは出だしから、良くまとまっていて、滑らかな指揮ぶりで、メル二コフと対照的でした。

 

メルニコフの演奏は少しですが、ブラボーも飛んでいました。ただ、これも前回と同様、自分はそこまで感動はしませんでした。自分とはあんまり相性が良くないのかも、とか思います。ピアノの音は瑞々しく、繊細だと思います。弱音部はテンポを落として、詩情を出します。強音部も立派。

 

でも何だろうか、弾いているとちょいちょい思考が詰まるというか?(違うかな?)。少し頭の中がまとまってないのかな、と思う時があります。自分はその辺で気がそれますかね。

 

後半はジャコのブラームス4番。SNSではメルニコフを褒める声の方が多いような気がしますが、自分はジャコの方が良かったです。

 

ジャコは統率力あがり、自分のやりたいことがはっきりしていました。リズムに乗って体も良く動きます。旋律は滑らかに響くし、エレガントになる部分もありで、魅力的でした。

 

各セクションごとに音を良くそろえ、リズミカルに響かせます。複数のセクションが重なると、読響ではないような豊麗な響きが出るところも多数ありで、豊かな音楽だったと思います。

 

第1楽章後半や、第3楽章など、リズミックな部分に来ると、推進力が出て、オーケストラというより、なんだか「楽隊」みたいな感じで、音楽を交錯させました。多分彼女の中に音楽を、体感として持っているのだと思います。文学的というよりも、動的な感じで、音楽の筋を一本通していきます。特に第3楽章などカッコよかったなと思います。

 

4楽章はテンポを落としつつも、内声は充実させたまま、最後まで輝かしい音楽を作っていました。

 

ということで、欧州で人気が出てきているというのを、納得して帰路についたのでした。ジャコには、かなり満足しました。

 

 

飲料メーカーのキリンが、自社製品の氷結無糖の広告に、言論人(経済学者の肩書)の成田悠輔氏を起用して、大ブーイングに。キリンはあっという間に広告を取り下げました。高齢者の集団自決を促す発言をしていたことが、命取りになりました。元々海外で話題になっていたのが、時間がたつにつれ、本邦でも知られていたということでしょう。

 

各種の意見 |  ヒマジンノ国 (ameblo.jp)

 

↑、過去記事です。

 

正直何で起用したかさえ良く分かりませんが、普通に危ない人だと思います。ひろ〇き氏とか、ホ〇エモンみたいな危険人物にしか自分には見えません。この辺の人らは皆、やたらヘラヘラしていて苦手です。冷笑主義だよね。自分たちは賢いと思っているみたいですが、どうなの?

 

集団自決の話が批判されたとき、彼は「メタファー」(比喩的表現だということ)だといって、いい訳をしていました。しかし本心はどうなんでしょう?何だかどちらでも取れるようないい訳をしています。

 

以下の文書ではメタファーだといったり、メタファーでないといったり。ひどいものです。

 

 

普通に狂ったことをいっていると思うんですが、こんな人間が知識人とか、きついです。個人的にはかなり嫌いです(^-^;。いっていることは2流か3流の内容で、精神年齢は高校生ぐらいな感じがしてしまいます。持ち上げちゃいけないタイプだと思うんですが、マスコミがやたら持ち上げるんですね。

 

良く分からないうちに、急に世の中に出てきた人ですね。普通に考えれば、どっかから何らかの指示でも出ていないと、こうはいかないはずです。

 

他には、学歴も詐称しているのではないかという嫌疑も、かけられています。

 

 

この成田氏を擁護していたのが、友人の箕輪氏です。彼も結構ひどいですね。成田氏同様、笑えない感じです。

 

 

この後箕輪氏はツイッター上では、世間に謝罪しましたが、過去にはこんなことも書いています。

 

 

全然面白くありませんよね。自分たちの狭い世界でしか通用しない冗談です。冗談かも怪しいですが。そういうことを感じとれない人たちだと、見えてしまいますね。自分たちはカッコいいとさえ思っていそうですが・・・。歳いくつやねん。

 

箕輪氏が「キャンセル・カルチャー」について触れていますが、結局キャンセル・カルチャーがいけない、という認識も違うと思います。

 

どうしようもないんですよ。「悪いことをすれば、ばれる」、というだけのことでね。

 

昔は何か1個優れた能力を持っていれば、他のことは大目に見ていた時代もありました。政治家であれば、政治的手腕さえあれば、多少お金に汚くても・・・みたいな話とか。最近では、お笑い芸人であれば、とにかく面白ければ、多少プライベートの問題があっても大目に見るとか・・・。

 

しかし、もうそういう時代ではないんですね。彼らは時代に乗り遅れているんですね。

 

自分たちが何をいっているか、よく考えてほしいと思いますね。