個人的に、自民党の憲法草案の「基本的人権」の意味が分かりかねる、というのがあります。改憲反対派が憲法改正で「基本的人権」が削られるというと、賛成派は第3章11条辺りを出してきて、「基本的人権」は守られると主張します。
しかし「基本的人権」とは何でしょうかね?結局、正確な定義は難しいように思われます。
ただ現状の日本国憲法の「人権」は、おそらく西洋流の「天賦人権」(生まれながら自由平等であるという説)から来ていると思われ、それ故「個人」というものも尊重されえます。
第3章13条、現行憲法には次のようにあります。
「すべての国民は、個人として尊重される。」
ところが自民党による、新しい改憲案は次のようになっています。
「すべての国民は、人として尊重される。」
「個人」という言葉を消して、「人」という言葉に直しています。なんでこんな風に自民党の憲法草案は直してきているのか?ほかの条文でも「個人」という言葉は削ってきています。従来の、個人尊重の立場は避けたいのかもしれません。しかし、「個人」と「基本的人権」は同居するのでは?
ウィキペディアには次のようにあります。
<自由民主党の日本国憲法改正草案では、天賦人権説は西洋的な「神の下の平等という観念を下敷きにした人権論」なので、日本独自の考え方によって「第11条 国民は、全ての基本的人権を享有する。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利である」に改めるとしている。>
一応見方としては、西洋風の個人主義を避ける、とでもいいたいのだと思います。そこに全く意味がないかといえば、そうでもないとは思います。
行き過ぎた人権主義による、社会的混乱というものもあります。社会的弱者は守られねばならないかもしれませんが、今度はその擁護が行き過ぎれば、逆差別ということも起こりえます。「権利」の乱用は社会をいびつにします。
ただ、それをいうのならば、今度は、人権の話だけでなく、近代憲法について考えるなら、西洋流の思想は無視できませんし、そこに付随するキリスト教の考えも無視できないはずなんですけどね。本来、その辺の論述もいるでしょう。
では次に、逆にいうのならば、日本独自の「人権」の考え方って何?という話になります。かつての、天皇制の場合は国体論などと一体になっていて、これを是とするのならば、西洋風に、人間が「個人的に」生きるというのは、ちょっと日本の風土と合わないとでもいうのでしょうか。・・・だとすると、その当時の人権とは?天皇主権と基本的人権の関係は・・・?
明治憲法であれば国民主権ではないので、「人権」というものがどの程度のものなのかは、今になってみると、中々正確には分かりません。おそらく時代ごとに違ったものになると思います。
だから、やはり、強く「人権」が意識されたのは、戦後だと思うんですけどね。結局「天賦人権」という意味での「基本的人権」として、我々は理解してきたわけです。
だから自民党の書いている「基本的人権」というのは従来から我々が味わってきた「人権」の考え方とは、恐らく異なるであろうということです。そして生まれながら持つ「天賦人権」でなければ、一体その人権の基礎はどこにあるのか?ということになります(「天賦人権」という言葉のよりどころが西洋の「神」、つまり「ゴッド」にあるとすれば、我々には問題となるのでしょうか?仮に「ゴッド」という観念を削ったとしても、「生まれながらの権利」という考え自体は、それほどおかしくないようにも思えます)。
この説明を自民党案はしていませんね。そして自民党案のいう「基本的人権」とは何なのか?これも分かりません。だからちょっと怖さがあるのは、当然ともいえます。緊急事態条項にも「基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない。」としていますが、もしこの自民党案の「基本的人権に関する規定」なるものの考えが、憲法にのみ尊重され、記述されている部分の意味合いだけになるとしたら?これは明治憲法に近づく考えではないのですか?
例えば「天賦人権」であれば、立法的な根拠を超えて、いくらかは「超法規的」な概念といえます。人権がやや治外法権の位置にあるというのか。そのために「天賦人権」は全体主義のストッパーになりうるんですね。
しかし、「人権」の概念が憲法のみで規定されるとなると、他の条文との兼ね合いで解釈する、ということになってくるしかないのでは?つまり「人権」に対する「解釈」挿入の余地があるのが、自民党案であると思います。
自民党の憲法草案の字面だけ読んで「基本的人権」は保障されているなんていうのは、やはり微妙ですよね。「人権」の意味合いをいじってしまえばそこまでですから。
仮に従来型の「基本的人権」に問題があるとするのなら、まずはどういうものが我々には妥当か、そういうところからちゃんと議論すべきなんですよ。この点については本当にそう思いますけど。こういうのをさぼるから、どんどん世の中おかしくなるんです。権利の乱用がなく、同時に、全体主義にはちゃんとブレーキとして働くもの、少なくともそういう意味での「人権」はどの程度のものなのか、議論されても良いと思います。
今の自民党案のように、自分たちの考えのみを「するっと」書き込んでくるのは、疑い深い自分にとっては、ちょっと不気味に見えますね。
自分が感じていること | 長谷磨憲くんち (ameblo.jp)
↑、色々問題ある書き方かもしれませんが、過去に書いた記事です。ちょっと過激に書きすぎたかもしれませんが(;^ω^)、一応参考程度にのせておきます。究極的にいえば、どんな憲法でも扱う人たちがしっかりしていれば、それほどひどいことは起こらないとは思います。しかし、逆にどんな憲法でも扱う人に問題があれば、大問題となるでしょう(それをいったらおしまいか・・・?)。
自分は元々「国防」を問題視するなら、まずはその部分だけ改正するべきではないかという考えです。
よく今の日本国憲法は「無効」だ、という人もいますが、今さらそれをいって何になるでしょうか?もっと現実的に進めるべきでは?
天皇を元首にする、という話もかまわないとは思いますが、それに付随する可能性のある話などは、もっと論議してからだと思います。正直1世代待っても問題ない議論だと思います。例えば、今が人権や、国の思想的体系を論ずる、あるいは意識するという意味で、「始まりの時期」とすれば、それが今後どうなっていくかは、その時代に生きる人たちが決めることであって、初めから「国の形がどう」という事柄は決めてしまうべきではないと思います。
現実に、喫緊に必要なことを論議しつつ、ちょっとづつ憲法を改正してくのが筋なんじゃないのかと思いますけどね。


































