ベルリン・フィルとバーンスタイン |  ヒマジンノ国

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レナード・バーンスタインによるマーラー「交響曲9番」(1979)。
 
4861176-4861177。
 
 
米国の出身で、ユダヤの星であったレナード・バーンスタインは、生涯に1度しかベルリン・フィルハーモニーを指揮しませんでした。バーンスタインは、米国独自で育った偉大な音楽家。当時米国で、指揮者といえば欧州から招聘されるのが普通でしたから、彼は史上初めての、「米国産の偉大なる指揮者」、という存在です。
 
ベルリン・フィルは世界最高のオーケストラといわれますが、当時の音楽監督だったカラヤンは、どうしてもベルリン・フィルに呼びたくない指揮者が、複数いました(と伝えられている)。
 
カルロス・クライバー、セルジュ・チェリビダッケ、そしてこのレナード・バースタインです。
 
・・・とはいえ、どこまでこの話が真実かは分からないですがね。
 
天才だったカルロス・クライバー、異端でしたが実力者だったチェリビダッケ、そしてカラヤンの最大のライヴァルと目されていたレナード・バーンスタイン。俗人は誰が1番か、という話が好きですね。政治的な話です。このバーンスタインとベルリン・フィルの事件もよく話題になります。
 
しかし、カラヤンが1番、バーンスタインが1番・・・色んな話は散々聞いてきたので、この手の話は、ここではしません。実際カラヤンがバーンスタインにベルリン・フィルを使わせたがらなかったのか否かは、自分にはよく分かりません。色々いう人がいますしね・・・実はカラヤンでなく、ベルリン・フィル側が嫌がった、とか、いやいや、ベルリン・フィル側はバーンスタインとやりたくて仕方なかった・・・とか・・・どうなんでしょうね、真相は分からないままです。
 
ただ、カラヤン、バーンスタインそれぞれの関係者が折衝を繰り返して、実現にこぎつけたそうです。そして、結果的にバーンスタインはベルリン・フィルハーモニーを生涯に1度しか指揮しなかったということになります。
 
 
↑、レナード・バーンスタイン(1918-1990)。米国生まれの作曲家にして、指揮者。「オン・ザ・タウン」、「キャンディード」、「ウエストサイド物語」などの作曲家として有名。指揮者としては若いころはやや深みに欠ける、まさにヤンキー的な指揮者でしたが、ヨーロッパに客演するようになってから、ヨーロッパの伝統を吸収し、深みのある演奏をするようになりました。特に晩年の演奏は、しつこいぐらいに粘る演奏が多く、好き嫌いが分かれる場合があります。
 
1992年、この演奏がCDになった時に、自分も早速聴きました。バーンスタインの、2回目のマーラー・チクルスの録音と時間が近いこともあって、コンセルトヘボウ(1985)との録音と比べて聴いたのを思い出します。コンセルトヘボウ盤と比べてみても、解釈はそう変わらないと思います。
 
 
↑、CD。最近は高音質盤が出ていますが、自分のは違います。左がコンセルトヘボウ盤。右がベルリン・フィル盤。後にイスラエル・フィル盤なども出たようですが、未聴です。
 
この1979年録音のマーラー9番の録音は、好きな人はすごく好きで、興奮して感動を語ります。それは、これがまさに一期一会のライヴだからで、そういうスリルのある演奏ではあります。逆にいえば、一期一会のライヴであるのでミスも多く、嫌う人もいます。
 
練習時間が思うように取れなかったそうですが、天下のベルリン・フィルとも思えないような失敗が出ています。特に第4楽章のミスが有名で、自分もそのミスに気付いて、驚いたことがあります。昔はネットも発達していなくて、このミスを誰にも伝えられなくて、もやもやしてました。マイナーな趣味を持つ者の悩みです(;^ω^)・・・自分はそんなことばっかりですがね。そのせいで(?)、現在はブログを書いていたりするわけですが。今はネットがあるので、このミスについて詳しく書いている人もいます。他人の書いているのを読むだけでも結構すっきりします。
 
マーラーの交響曲9番、その第4楽章は20分以上かかる長い音楽ですが、後半のある部分で、弦楽器がいつもより早く出始め、さらにはトロンボーンで吹かれるべき、必要な旋律(118小節)が丸々と出てきません。
 
聴いている方も「あれ!?」と思うんですね(初めて聴いた人には分からないとは思います)。
 
トロンボーンのところは正に完全なミス!あのベルリン・フィルが?という感じでね。バーンスタインは、録音に残るぐらいに、足音を踏み鳴らし、オケをコントロールしようと必死です。録音もこの1日しかしなかったそうで、修正で直せないということです。
 
コンセルへボウとの録音もライヴですが、複数日録音して、ミスのある部分は他の日の録音で修正しています(ベルリン・フィルとギュンター・ヴァントの録音なども同じやり方)。
 
自分は初めてバーンスタインとベルリン・フィルとのライヴ盤を聴いたときは、「傷物」だと思いました。それは多分にコンセルトヘボウ盤があったからです。コンセルトヘボウ盤は深みとスケール感が増し、ミスもなく、このマーラーの大曲を聴くにはちょうど良い、完成度の高いものだと思います。「マーラーの音楽そのもの」を聴こうと思うと、ミスのない方が、曲の理解には向いていると思ったものです。
 
片や、ベルリン・フィル盤は、ライヴ盤の白熱が味わえるもの、という認識ができないと楽しめないということですね。
 
グラモフォンのレコード(LP)でバーンスタインのマーラー・チクルスは発売されていますが、オリジナル盤は高価です。CDでよく聴いていた音源なので、無理して買うか迷っていましたが、このベルリン・フィル盤が出る(求めすい価格です、いずれプレミアがついてもおかしくないと思います)というので、購入しました。正直、この録音をまともに聴くのは一体何年ぶりでしょう?(この演奏についてはLP盤はちょっと音の線が細い気がします。CDの方が交響曲としての立体感は出ていると思います。)
 
聴いてみて、改めて、自分の中ではマーラーはバーンスタインだな、という感慨が蘇ります。歳をとったせいで、昔のように、曲そのものを聴こうとも思わないところもあって、ライヴ演奏としても面白いと思いました。
 
バーンスタインは、ニューヨーク・フィルとの旧チクルスも素晴らしかったです。しかし旧盤でのバーンスタインは円熟味が足りず、時折情熱が上滑りします。2度目のチクルスではバーンスタインは完全に曲と一致し、細部までえぐられ、バーンスタインの情熱なのか、または曲に示された表現なのか、分からないほどに消化されています。
 
1979年のこの録音も、2度目のチクルスとほとんど同じように聴こえます。かなりの没入感でもって演奏していると思います。
 
フルトヴェングラーのスタイルによく似ています。後期ロマン派そのものの表現です。マーラーの音楽は現代的な機能的オーケストラで演奏しても面白いですが、ロマン派の雰囲気を湛えたマーラとして、バーンスタインの演奏は最右翼でしょう。
 
 
 
↑、第4楽章のクライマックスです。バーンスタインは思い入れ一杯に、音楽にのめり込み、ベルリン・フィルからフルパワーの音楽を引きだしています。
 
マーラーの交響曲9番は、自分の死を予感した作曲家が書いた、巨大な交響曲です。死の床にある、厭世的で不安が募る怪しい世界を、リアルな雰囲気で描いています。しかし、音楽そのものは美しく、耽美です。絶望を美しい感情で昇華させる効果が、この音楽にはあると思います。
 
チャイコフスキーの「悲愴」交響曲はフィナーレが静かにアダージョで消える音楽でした。「悲愴」を書いた後にチャイコフスキーは他界します。アントン・ブルックナーは第9交響曲を作曲中に他界、しかし第3楽章までは完成しており、奇しくもチャイコフスキーの「悲愴」のごとく消え入るように終わります。
 
マーラーはこのようなことを踏まえ、第4楽章を壮大なアダージョにして、音楽を消えゆくように終わらせていきます。絶望と焦燥感の募る第2、第3楽章と比較して、この第4楽章はこの世からの告別と呼べるような、感動的な音楽になっています。