有栖川まおの愛が止まらないR

有栖川まおの愛が止まらないR

「有栖川まお」のガンダムで倉木麻衣な日々の出来事を綴ったブログです。


 今日から10月。

 能登半島の人達にとっては、今年は元旦地震から立ち直れていないうちに、先月は豪雨に襲われてしまったりと、まさに泣きっ面に蜂で、散々な一年となってしまいました。ニュースで、元旦の地震の被害からようやく立ち直ったと思ったら、その豪雨によって廃業を余儀なくされてしまったという定食屋さんの話を聞いた時には、神は何か能登半島の人達に恨みでもあるのか、と思いましたよ…。

 今日はスーフェス…だったのですが、例によって、ここ最近はお宝からっきしになってきたのと、ヤフオクメルカリの方でお宝を入手する事が増えたので、すっかり足が遠のいてしまいました。もっとも、その所為で金が無いって事もあるのですが(ヲイ)。今月はこの他にも、やれ冬コミの申込だの麻衣様のライヴの申込だので出費が相次いで、クレカの請求を見て青ざめてしまいましたよ(汗)。

 そんなワケで、昨日・今日はつべニコ動で、昭和時代の懐かCMを観ていました。懐かしさに浸りつつも、決してあの頃に戻りたいってワケでも無いってえのは以前も書いた通りなのですが、当時の日本は、現在の日本からは「失われた30年」を経て失われてしまった元気があったのもまた事実です。そうした元気な時代を経験してきた我々アラフィフ(苦笑)を、現在の若者が羨ましがるのも解る気がしますよ…。

 本日行なわれた自民党の総裁選において、「ゲル」こと石破 茂氏が総裁に選出されました。くどいようですが、総裁」と聞くと、どうしても「」のイメージが…(汗)。

 仕事の閑散期という事もあって、総裁選のネット中継を会社のPCで見ていたら(ヲイ)、過去最多の9名もの候補者が乱立する中、第1回目の投票では高市早苗氏が最多得票となった事で「すわ、日本初の女性首相の誕生か!?」と思いきや、過半数には至らなかったので、決選投票の結果、石橋…もとい、石破氏が逆転する事になりました。個人的には、に対して強い態度を示していた高市氏が選ばれてほしかったのですが、これまで非主流派であった石破氏が総裁となった事には、「女性首相を生みたくない」という「永田町の論理」が働いたのでしょう。まあ、総裁選の最中に「解雇規制緩和」などというトンデモ公約をぶちまけた為にメッキが剥がれまくってた小泉Jr.じゃ無くてまだマシといったトコでしょうか。

 石破氏はモデラーという事で、防衛庁長官時代にMG誌にインタビュー記事が掲載された事もありましたっけ。しかし、首相に就任したら、しばらくは模型どころじゃなくなってしまうでしょうね…(汗)。

 内外に課題が山積する中、鳥取県出身初の首相という事で、地方の過疎化問題に力を入れる事になると思いますが、まあ、お手並み拝見と行きましょうか。

 コロナ明けローソンファミマが売り上げを伸ばしてきている中、セブンイレブンの売上だけが下がっていて、大手コンビニ3社の中で一人負けという状況になっています。

 アリオ仙台泉店等、同じセブン&アイ・ホールディングスであるイトーヨーカドーの店舗の閉店も相次いでいますし、更にはカナダの企業による買収の話もあったりします。かつて日本のコンビニの先駆者であり、最大の店舗数を誇っていた711も、斜陽に差し掛かっているのでしょうか…。

 最近、711の上げ底弁当非難を浴びていまして売上減もそれに起因していると言われていますが、私に言わせれば、711の弁当やパンは、20年位前から、ローソンやファミマのそれに比べて妙に小さく見えたので、そういった食品類を711で買う事は避けるようになり、専らトイレやATM、コピー、公共料金等の支払い、そして宅急便の発送ぐらいでしか使用しなくなってしまいました。

 あ、あと711で良い物と言えばもか。711の傘って、強風に煽られて曲がっても、弾性ですぐに戻ったりと丈夫で使い勝手が良いのに対して、ファミマの傘は昔の蛇の目傘みたいに骨ばかり多くって、傘立ての穴に入らなかったりするんですよね…。

 今月のHJ誌の特集は『ガンダム45周年×ホビージャパン55周年W(ダブル)ANNIVERSARY!! ホビージャパンから見るガンダム45年の歴史』という事で、文字通りガンダムの45周年とHJ誌の55周年の記念特集。…もっとも、ガンダムの方は良いとして、HJ誌の方は、もはやどうでもいいですね。「継続は力なり」とは言いますが、何かこう、無駄にダラダラと連載年数ばかり長い漫画(何がとは言いませんが)みたいに惰性だけで長く続けるのも何ですよね。歴史の長さばかりを自慢するよりも、昨今猖獗を極めている転売屋共への対抗措置や、相変わらずクッソ高いプレ値を付けて売り付けている中古店に対して苦言を呈する記事の一つでも載せてもらった方が、よっぽど読者=モデラーにとって有益だと思うのですが。そうで無ければ、3年前の事件清算なんて、とても出来たモノではありませんよ…。
 特別付録として、1980年代の注目を浴びた記事を抜粋した別冊「ホビージャパンMEMORIAL」が付属するのですが、読んでみたら、あのHJ誌の黒歴史(ヲイ)たる『タイラント・ソード』の1988年2月号の連載分も掲載されていました。…正直言って、この頃の記事の方が読みごたえがあったと思うのは、私だけでは無いでしょう。無論、当時の私はMG派でしたが、そのMG誌に対抗しようと必死だった時期だけの事はありました。

 

 そのMG誌の方は『連邦の名機』という事で、ガンダム以外の連邦軍の機体の特集。マスグレのハイザックスターク・ジェガンGM、そしてGMカスタム2機の競作。ken16w氏によるGMは、やはりと言うか何と言うか『センチネル0079』版で、2021年6月号に掲載された「History Makers」のセンチネル0079版RX‐78と同様、胴体部にはGMカスタムのパーツを使用しています。やはり、上から見た時に鎖骨部のダクトが一直線になっていないとダメって事なんでしょうか…。

 そして『レットラ』の1/100トラッド11は、結局、フィギュアのサイズはキットのままで製作する事に。ギャロップタイプといい、このテの中型WMは、やはり重機というイメージがあるので、もう少し大き目の、1/72位のフィギュアを乗せた方が、リアリティが出せると思うのですが…。

 そーいや、来月はMG誌も40周年なんですよね。元々、HJ誌のモデラーの大多数が独立した形で創刊したMG誌でしたが、そんな中でも、M●X渡辺氏だけはHJ誌に残って孤塁を守り、その存続の立役者となりました。もっとも、後年はその恨みも少しは晴れてきたのか、MG誌の編集部に顔を出したりする事もあったりしました。確か、1992年頃の、プラモについての知識を競い合う企画「カルトプラモQ」に参加したのが最初だったような…。

 ようやくウクライナにF-16が供給されましたが、その訓練中にパイロットが墜落死してしまったそうです…。やはり、慣れない西側の戦闘機だけあって、操縦に手こずってしまったのでしょうか。

 そして12日には、ロシアのTu-142哨戒機が日本を一周するようなコースを飛行し、自衛隊機がスクランブルを行なう事になりました。ソ連時代から度々行なっている東京急行ってヤツですね。日本、もしくは在日米軍の出方を窺っているのでしょうか…。ソ連崩壊当時「これでようやく冷戦が終結する、北方領土も返還される」などと浮かれていたのも束の間、ロシアはその勢力を減じつつも、その対日姿勢はソ連時代と何ら変わらないようです。むしろ、ロシアのパノフ元駐日大使によれば、日本の反露感情は「ソ連時代よりも悪化している」のだとか…。

 

(追記:そして昨日はロシアのIl-38哨戒機が礼文島北方の領海上空を3度にわたって侵犯し、自衛隊のF-15は初めてフレアによる警告を余儀なくされました。ここまでの警告を行なうハメになったのは、中共の領空侵犯でもありませんでした…。)

 今年の猛暑に加えて、先週の3連休は仙台→石巻と親父の墓参りに行ってたモンですから、この3連休はエアコンを利かせた部屋でひたすら休んでます…

 ここ最近は、冬コミで発行予定の『Axis Powers!』に備えて、ZZシリーズの旧キットを中古店やヤフオクにて購入する事が増えています。もう38年も経つんですよね…(遠い眼)。旧キットのガルスJHGUCのシュツルム・ガルスのミキシングでもやろうかと思ってたら、肝心のシュツルム・ガルスがどこに行っても売っておらず、売ってたとしても、毎度お馴染み駿●屋では¥9,700…お主もワルよのぅ、ブハハハハハ

 この3連休は、仙台に帰省していました。

 今回は、母がスケジュールの都合上か「9/14~16にございん」と言うので、1週間前倒ししてのお彼岸となりました。今回は戦車長殿とは、仕事が忙しいというのでお会い出来ませんでした…

 いつもでしたら、高速バスを使う時は、バスタ新宿から乗って行くのですが、今回は申し込みが遅くなってしまった事もあって、初めて東京駅の鍛治橋駐車場からの出発となりました。

 それにしても、夜の国フォって、まるで鯨か恐竜の骨みたいですよね…。

 今回は隣の席のヤツハズレだったので、満足に眠れずに仙台までの一晩を過ごすハメに…。

 そして6:30頃に仙台に着いたら、典型的な薄曇りの「仙台空」で、しかも雨が降り出してきました

 相変わらずさくら野跡地再開発されていないばかりか、かつて虎穴が入っていたビルの階のテナントも、ずっと入っていないままです…

 ところで、仙台ではウイスキーと言えば『マッサン』でも有名なニッカなのですが、亡き親父は、開高 健の影響もあって、ウイスキーはサントリー党でした(ビールはキリン党)。そのサントリーは、例の「東北熊襲発言以来、仙台では苦戦を強いられているってえのに…。ちなみに、この発言が問題視されていた当時、仙台の『笑点』の提供CMも、ローカルCMに差し替えられていました…。

 しばらく時間があったので、北仙台まで歩いて行く事に。

…良かった、「ムンベ」ことムーンベース健在だ。まだ開店時間前でしたけど。

 それから地下鉄南北線に乗って、旭ヶ丘駅で降りる事に。実は、以前からこの近辺に「金物屋」という模型店…と言うか、文字通り金物屋の一角でガンプラを売っている店があるとネット上で話題となっていて、前回の帰省の時にも「『金物屋』ってどういう店なんだい?」と戦車長殿に訊かれたので、今回場所を検索してみた上で行ってみる事にしたのです。

 そしたら…あっ、ここかぁ!! 

何と、かつてNODA-YAがあった通りの西側にあったのです。こんな店がNODA-YAの割と近くにあったなんて、今まで全然知りませんでしたよ…)。

 中に入ってみると…、確かにガンプラは手前の方で売られていましたが、昨今の転売屋共跳梁跋扈もあって、品薄になってました…。しかし、この店の真の姿は、店の奥の方にこそあったのです。

何と、そこには、今まで目にした事が無かった程の、大量のガンプラの作例が展示されていたのです。こんな大量な展示は、東京の模型店でもありませんでした。この30年間「不景気だ不景気だ」と言われ続けていた仙台の中で、ここだけが別世界でしたよ…

特に、HGUCのネオ・ジオングIIネオ・ジオング揃い踏みなんて、初めて目にしましたよ。とにかく、この店は、今は亡きNODA-YAの衣鉢を継ぐ存在であると言えましょう。次に来る時は、戦車長殿にもお目に掛けたいものです。

 それから東に歩いて行って、そのNODA-YA跡地の現況を見てみる事に。そしたら…

何と、綺麗サッパリ更地と化していたのでした。

 5月に帰った時↑には、まだ建物自体は健在だったのですが、とうとう…丁度35年前、ここで「別冊」を購入した時の私は、果たしてこの事態を予想出来ていたでしょうか。

 そして、長い事歩いてフラフラになりながら、ようやく実家に到着。一休みした後、母に庭木の剪定を命じられました。もう、世話をする人も居ないので、思い切って根元からバッサリ

 

 15日は、母と共に親父の墓参りなんだかんだで、納骨の時以来となってしまいましたよ…。行きは地下鉄から仙石線に乗り換えて石巻へ。その途中で、またしてもが降って来てしまいました。

せっかく、墓前に捧げようと、前日にドラッグストアで青雲を買ってきたってえのに…。

 それにしても、仙石線で石巻まで行くなんて、学生時代以来の事ですよ。夏休みは、親父の実家に泊まって川開き祭りに行って、ついでに玩具店模型店に寄ってガンプラを買ってくるのが楽しみだったのですが、それらの店も、例の大震災による津波で、みんな流されてしまいました…(泣)。

 あと、松島基地のある矢本駅まで、航空祭に行ってくるのも楽しみでした。しかし、先述の大震災で、沿線の家屋も悉く流されて建て替えられたばかりか、路線も変更された為に、その景色はガラリと変わってしまいました…

 駅からはタクシーで基地…もとい墓地へ。この雨で、線香だけで無く、雑草対策に除草剤を持ってきたのも無駄になってしまい、素手でドクダミをむしっていたら、手がドクダミ臭くなってしまいました。その草むしりの途中、腕にマツムシのオスが飛び込んできたので、思わず「親父だ…」と口走ってしまいました。

 それから、親父の実家で伯父夫妻にご挨拶。母は、帽子を被ったままで仏壇に手を合わせたりと、相変わらずのドジっ娘振りを発揮してくれました。そしてこの家の飼い犬のヨークシャーテリアが、飛び掛かってきたり手をペロペロ舐めてきたりとやたら人懐っこくて、もし『わんぷり』のこむぎが実在していたらこんな感じなんだろうな、と思ってしまいました(オスなんですけどね)。写真に撮って、「あなたのおうちの わんだふる♥」に送ってやろうかと思いましたよ(ヲイ)。

 で、帰りは高速バスで仙台へ。実家に着いて、母が「相撲観ようよ〜」と言うのを制して(ヲイ)、ミヤテレにチャンネルを合わせて『笑点』の大喜利を観ようとしたら、丁度たいちゃんがCMで「青雲♪それは♪」と歌っていたので、私も今回使わなかった青雲の箱を持って、一緒に歌いました(ヲイ)。親父が生きてたら、「バガダコタ!」と言われて呆れられていた事でしょう(苦笑)。ちなみに、石巻では、例の「たい平や、震災後にガラリと変わってしまった街並みを見て回ってこようかと予定していたのですが、今回はこのの為に、断念せざるを得ませんでした…

 

 そして今日は、朝食の後、母と世間話や来年2月の親父の三回忌についての打ち合わせをして、10:10頃に実家を出発。

 北仙台で降りた後、

ムンベ

アベ模型

そして仙台模型と渡り歩いたのですが、やっぱりと言うか何と言うか、どの店もガンプラ自体の取り扱いが縮小していて、お目当ての物はありませんでしたガンプラが欲しけりゃガンベに行けって事なんでしょうか(ヲイ)。

 …そしたら、クリスロードにいつの間にかこんな店↓が出来てたりしてビックリ!! 

この店の親会社万代ホールディングスと言えば、主に東日本の郊外のロードサイドでホビー等のリサイクルショップを経営しているのですが、遂に中心部の商店街にも進出してきたのか…。で、そこでお目当ての物を発見したので、早速購入。例によって、駿●屋並のプレ値が付けられてましたが…。その●河屋は、宮城県では仙台市内では無くて何故か利府町の方にあるのですが、先述の虎穴跡地等、中心街の店がバタバタと潰れてテナントは空き放題だってえのに、何故か進出して来ないのが解せぬ

 一方、ガンベの方では、特に欲しい物は見当たりませんでした…

 そして新幹線で東京に帰還。東京に着いてからも、秋葉原に足を運んだり、夕食のおかずを買ってきたり、部屋に帰ってからも実家で出た洗濯物を洗濯したり(母の手を煩わせたくなかったモノでしてねぇ)と、なかなか休息の時は訪れませんでした…

 今日は別冊記念日…なのですが、再びセンチネル関連の新キットが出るようになるのは、果たしていつになるやら…。既存キットは、青バンダイになっても権利者圧力を受ける事も無く、ちゃんと再販されてるんですけどねぇ。

 先日、プレバンマスグレZplusA1のユニコーンVer.が久し振りに再版されましたが、案の定瞬殺完売でした(…残っているのは、ヘイズルのバリエーションやらF90のミッションパックばかり…要ら無ェ〜!)。それが、駿●屋では5ケタもの価格で転売されている有様です。そのパーツの多さやボリュームから滅多に再販が掛からないディープ・ストライカーEx-S/Sガンダムに至っては、3万円台にもなってたりします…●河屋、お主もワルよのぅ、ブハハハハハ

 

 思えば、35年前の平成元年のこの日は、「別冊」を予約していた某書店(現在、その跡地にはTamTam仙台店が建ってます)に足を運んだら、店員から「まだ入荷してない」と言われたので、「また発売延期になったのかよ…」とショックを受けつつ、今は亡きNODA-YAに足を運んだら、ちゃんと売られていたので歓喜したモノでした。嬉しさのあまり2冊買う事にし、ついでに1/60イングラムと1/144アレックスを買ったのでした。

↑ちなみに、上の画像が、当時の私にとって馴染み深かった頃のNODA-YAです(画像はX(旧Twitter)より)。写真を見るだけでも、何かこう、いかにも「昭和の近所の模型屋さん」って感じでイイ雰囲気の店ですよね。この手の模型店も、今や全国各地で絶滅危惧種と化してるんでしょうね…。

 ちなみに、私の住んでいた団地にも模型店はあった事はあったのですが、ガンプラブーム当時「ガンプラを取り扱っていない」との悪評により潰れてしまったとか何とか…。

 兵庫県齋藤元彦知事が、パワハラにより職員2人を自殺に追い込んだり、ワイン等の贈答品をおねだりしまくったりと、そのワンマン振りが問題となっています。

 百条委員会にて証人喚問が行なわれた時も、一切悪びれる事無く自らの正当性を主張し、兵庫県議会議員86名全員による辞職要求にも頑として応じようとせず、県民の「早く辞めろ」との声に対しても「励ましの声をいただいている」などと述べたりと、もはや、鋼のメンタルを通り越してサイコパスなんじゃないかとまで言われています。

 ネット上では「こういうサイコパスなパワハラ上司居るよな」などと話題になっていますが、私の場合、上司どころか、近所に住んでいた同級生にこうしたサイコパスなヤツが居たので、始末に負えませんでした。例の「骸骨野郎」がそれです。ヤツは自己愛性パーソナリティ障害だったのか、プライドばかりは人一倍高く詭弁を弄して自分の非を決して認めようとしない狡賢い男で周囲からも嫌われてまして、その事の腹いせを私を苛める事で晴らしてやがったのです。挙げ句の果てに、自分が無理矢理やらされていた剣道教室道連れとして、私を脅して剣道教室に入れさせたのは、以前も書いた通りです。ニュースでこの齋藤知事の過去の言動が明らかにされる度に、私はその骸骨野郎と同じ物を感じました。その齋藤知事は、本日の記者会見でを浮かべていましたが、同様のメンタルの持ち主であった骸骨野郎に散々振り回されてきた私に言わせれば、この涙は同情を得ようとしての物で、決して自分のパワハラ振りを反省しての物ではありません

 

 兵庫県は「七つの県境、六つの方言、五つの国、四つの新幹線駅、三つの空港、二つの海を持つ、一つの県」という事で、終身大統領チトーの下「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家」であったかつてのユーゴスラビアになぞらえてヒョーゴスラビアと呼ばれています。齋藤知事は「ヒョーゴスラビアのチトー」にでもなろうとしていたのでしょうが、東大出のクセに、国家と地方自治体の区別も付かなかったのでしょうか