「遠いふるさと たまには おかえり 香る風」その9。~「暑さ寒さも彼岸まで」とは言いますが…。~ | 有栖川まおの愛が止まらないR

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「有栖川まお」のガンダムで倉木麻衣な日々の出来事を綴ったブログです。

 このお彼岸は、仙台に帰省してました。コロナ明けで、久しぶりに戦車長殿に会おうと思ってたら、今月後半は出張との事でした…(泣)。

 そろそろ仙台は涼しくなる頃だろうな、と思いきや…ところがどっこい~!! な、何だ、この暑さは…(汗)。東京と同様に、腹を見せていた女性も居た程です。

 まずは、オープンしたばかりのガンダムベースサテライト仙台へ。

 この日は平日にもかかわらず、結構大勢の客で賑わっていました…お前ら、学校はどうした。まあ、大半は講義の合間にやってきた大学生か、営業回りの会社員でしょうが。しかし、最近は特に欲しいベース限定のガンプラって無いんですよね…。それに、サテライトでは売ってないベース限定ガンプラも多いですしね。そんなワケで、手ブラ…もとい、手ぶらで出る事に。

 そして実家に着いてからは、GWの時と同様に、母から早速庭木の剪定をやらされる事に(汗)。その晩は、部屋にエアコンが付いてない事もあって、暑いのなんのって。もっとも、さすがに明け方は冷え込むようにはなりましたが。

 

 そして23日は、親父の墓参り…の予定だったのですが、母は既に先週の時点で姉と共に行ってきたとの事なので、今回は見送りました…お盆の時台風の所為で墓参り出来なかったってえのになぁ。そんなワケで、午前中は、3月の時と同様に、実家の団地内を巡る旅に。ただし今回は、イヤな思い出があるので足を運ばなかった場所を、あえて選んで行く事にしたのでした。題して「有栖川まお黒歴史巡りの旅」。

 まずは、母校(と呼ぶのもイヤなのですが)の中学校へ。

この中学校、団地内に土地が無かったのか、外れにあった山を削った台地の上に建てられたので、通学時には一度谷間に降りてから長い坂を登らなければならなかった上に、何やら奇っ怪な形状の校舎だけあって、私は「悪の居城」と呼んでいました。あの大震災の時、近所の寺やジャスコ跡地じゃ無くって、この校舎が土台ごと崩れ落ちてしまえば良かったのに、と思ったのですが、学校の校舎って、災害時の避難場所に指定されているだけあって、やたら頑丈に出来てるんですよね…(泣)。

 そして、校門の近くには、この場所で部活中に死んでしまった生徒の慰霊碑が。これだけでも、いかにこの中学校がブラックな学校だったのか、お分かりいただけるでしょう…。

 

 それから、例の南光台のNODA-YAまで、これが最後だとばかりに行ってくる事に。

そしたら、かのガンプラブームもかくやとばかりの、長蛇の列が出来上がってたのでした。なんでも、「48年間の感謝を込めて」という事で、店内ガンプラの50%OFFのセールを開催していたのです。以前はガンプラをやたら高値で売り付けてたってえのに、どういう風の吹き回しだよと思いましたが、それも、ビルを建て直した後の店舗再開を目指す為の資金稼ぎだったのかもしれません。しかし、先述のガンダムベースが仙台のど真ん中に出来た以上は、こんな郊外の高台の団地にあって交通の便も悪い模型店が太刀打ち出来るワケが無い、と判断した事も、今回の廃業を決断した理由の一つだったのでしょう。「郊外の高台にあって交通の便も悪い」と言えば、私の実家がある団地もそうなのですが、このNODA-YAの閉店で、ますます南光台が寂れる事になってしまうな(泣)。そんなワケで、この列に並んで店に入ってガンプラを買う事も無く、手ブラ(←しつこい)でその場を後にする事にしました…。まあ、ガンプラは既に一生分買い込んでありますから、別にいいんですけどね(ヲイ)。 

 

 午後は、現在の実家の前に住んでいた家の近所を久し振りに見て回る事に。例の骸骨野郎の家があった場所に行ってみたら…な、無い!! 確か、ヤツの家は、私の前の家と同様の平屋建てだった筈なのですが、そこにあったのは、二階建ての家ばかりだったのでした。表札もヤツの苗字の家はありませんでしたし、ひょっとして一家離散でもしたのか!? ちなみに、例の剣道教室の老師範の家も、きれいさっぱり無くなってました…

 あと、別の所では、『東方』の霊夢魔理沙の絵(「ゆっくり」バージョンではありませんでした)をシートカバーにデカデカと描いた車があったりして、ビックリしましたよ。さすがに写真に撮るのは憚られましたが、秋葉原やビッグサイトの駐車場ならともかく、こんな田舎の団地で、しかも体育会系の脳筋ばかりヲタに冷たい仙台では珍しい光景でした…。

 

 そして今日は、「黒歴史巡りの旅」の続きとして、母校(だからそう呼びたくないってえのに…)の小学校を見て回る事に。

前日に、校庭を使用した町おこしの祭りをやってまして、そのテントの後片づけの最中だったのでした。例の事件以来、学校敷地内には部外者(卒業生ではありますが)は入れない事になっているのですが、南門の外に立って校舎を眺めていたら、片付けを行なっていた人に関係者だと勘違いされたのか、「開いてますよ」と言われたので、ン十年振りに敷地内に入る事に。その昔、NHKで『キティ アウシュビッツに帰る』ってドキュメンタリーが放送されてましたが、まさにそんな心境でした…。『まお 〇〇〇小に帰る』ってヤツですね(ヲイ)。

 そして、私が1年間だけ通っていた幼稚園も、12年前から休園中だったのが、今年とうとう正式に廃園となり、その跡地には、早くも戸建て住宅やらアパートやらが建設されていましたが…、入居するヤツが居るのか!? 大体にして、先日のアリオ仙台泉店の閉店のニュースでも触れられていた通り、

泉区は仙台市5区の中で唯一人口が減っている区で、

高齢化率や平均年齢も抜きん出て高いってえのに。空き家空き店舗も増え続けている反面、老人ケアセンターやら教会やら(行政がアテにならないってんで、神に救いを求めるしか無くなってきてるんでしょうか…)ばかりが増えてる有様だってえのに。その一方で、新規にニュータウンが造成されている場所もあったりします…誰か止めさせろ!!