「製造される。けんど、東京、日本に」。 | 有栖川まおの愛が止まらないR

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「有栖川まお」のガンダムで倉木麻衣な日々の出来事を綴ったブログです。

(画像は『VOW5』から)

 

 ここんとこ新型コロナウイルス(もうこんな中共忖度した回りくどい名称じゃあ無くって、ハッキリと『中国ウイルス』か『武漢ウイルス』って呼んじまえよ)の話ばかりなので、たまには違う話を。

 今回の話は、私にとって黒歴史中の黒歴史で、長い間心の奥底に封印し続けていたのですが、もうあれから年月も経って心の傷少しは癒えてきたので、この度解禁する事に。

 

 先日、母からの電話で、私が学生時代所属していた剣道教室の同輩が、選挙のお願いで実家を訪れたとの事で、ン十年振りにその名前を耳にする事になりました。そう言えば、その剣道教室は現在どうなってるんだろうなぁ、とググってみたのですが、一向に名前は出てきませんでした。地元の剣道連盟のHPを覗いてみても、その剣道教室の名前は見当たらず…解散してしまったのかな? まあ、その剣道教室でイロイロと酷い目に遭わされ続けてきた私からすれば、至極当然の話なんですけどね。

 そもそも、その剣道教室には、先述の同輩とは別の、骸骨みたいなツラをした幼なじみの同輩(決して「友人」では無い)から、小3の時に「お前の秘密をバラされたくなければ剣道教室に入れ」と脅されて、無理矢理入れさせられたモノでした(泣)。おまけに、「親には絶対に『オレに言われたから』って言うなよ。『自分で決めた』って言えよ」と強要する念の入れようでした…。「やり方最低だよな」「人間として許せないよな」。まあ、今にして思えば、その「秘密」は大した事では無かったのかもしれませんが、本来だったら強要罪だぞ…。おそらく、ヤツの近所に住んでいた鬼の如き老師範によって、無理矢理剣道教室に入れさせられたので、道連れが欲しかったのでしょう(怒)。

 その剣道教室では、その同輩達から「ここでは俺達の方が一年先輩だから言う事を聞け」と「稽古」と称した暴行を受けたり、家に侵入されて自室を荒らされたりしたモノでした(泣)。その一方で、剣道の腕前は一向に上達せず…って、元々無理強いされて始めた習い事が、身に付く道理も無いのですが。おまけに、その練習時間が日曜の早朝で、特に辛い物がありました。そして先述の剣道連盟の大会の為に市の武道館まで行かされて、せっかくの日曜・休日が潰れてしまう事もしばしばでした…。しかも、親父が頼みもしないのにその剣道教室の役員を務める事になってしまったモンですから、辞めるに辞められず(泣)。

 中学に入った時も、「剣道教室やってるんだから、剣道部に入るのが当たり前だよなぁ!?」との同輩達からの同調圧力により、済し崩し的に剣道部に入らされる事になり、「稽古」に名を借りたいじめを受けながら剣道を続けさせられていたのですが、中2のある日、先述の骸骨野郎と部室で喧嘩になって金●を蹴られた(ヘイ! 有栖川(仮名)ッ! 今からてめーのタ●キン、かみ切ってやるぜーッ! メーン! ←剣道だけに)事をきっかけに、ヤツには積年の怨みもあったので、そいつの●玉以外の全身をボコボコにしてやってから(ポルナレフvs.呪いのデーボと言うよりは、むしろ「君がッ 泣くまで 殴るのをやめないッ!」の方が近いか)、いい機会だとばかりに、剣道教室も剣道部も辞める事にしました。ここに、足掛け4年半に及ぶ私の剣道地獄は終わりを告げたのです。

 その後も親父は剣道教室の役員を律義にもしばらく務めていたのですが、もういいってば(泣)。社会人になってからも、親父は事ある毎に私が剣道を再開する事を望んでいたのですが、嫌々ながら続けていたのをせっかく辞める事が出来たというのに、わざわざ再開するワケ無いだろ。この剣道教室での出来事は、私にとって長年のトラウマになっていて、今でも時々この頃の悪夢を見ては、汗びっしょりになって目覚める事があるってえのに…。それに、某男声合唱団もそうでしたが、人を脅したり騙したりして団員を増やすような組織が、長続きする道理がありません。この剣道教室の消滅は、当然の帰結だったのです。

 その後、剣道教室の連中とは、現在に至るまで一切口をきかなかったので、その剣道教室が一体どのような末路を辿ったのかは知る由もありませんが、家の近くにあった小学校の体育館で毎週日曜の早朝から聞こえていた太鼓や竹刀を打ち鳴らす音が、秋口のセミの声の如く、いつの間にやらパッタリと聞こえなくなったのです。その剣道教室の老師範には息子が居て、三代にわたって剣道を続けていた筈なのですが、その息子や孫が剣道教室を引き継いだ様子はありませんでした…。所詮は、渡辺の門と同様に、あの老師範個人による恐怖政治によって成り立っていただけの剣道教室に過ぎなかったのです。