まわりから『ありがとう』と言われて、生きていきたい -154ページ目

食品会社不祥事により、撤去、回収された製品の取扱いについて

まったくもって、
日本の消費者の
『客となったときの、異常な強さ』!!


これをもって、『エコノミックアニマル』
と言われていることが、未だにわからないらしい。


日本人として、誇りを持っているつもりなので、
本当に、嘆かわしい。


下記は
2002年8月19日
読売新聞東京本社生活情報部へ


私が、投稿したものです。


もちろん、『うんともすんとも』言ってきませんが!


*・'°☆。.:*:・'☆'・:*:.。.:*:・'°:*:・'°☆*・'°


私は菓子食品卸売業の代表者です。


食品会社不祥事により、
撤去・回収された製品の取り扱いにつき、
意見申し上げます。


弊社では、3年前より、
下記内容に準じた社内ルールで有事に対応しております。


結論


健康被害が発生する可能性がある場合は
直ちに公示して回収、無毒化して焼却。


表示義務違反の流通滞留商品は、公示した後、
正規表示シール等を貼り付け、
ディスカウントなどして自由市場に問い、
最終責任は製造者として負う。
製造者滞留在庫については『顔の見える寄付』を行なう。


理由


すべてのルールの作成基準は、
善良な消費者の価値感に基づくものでなければならない。


未だに『世界がもし100人の村だったら』
という本の訴求点を理解しないような身勝手な消費者は、
もはや『善良な消費者』の範疇には、はいらない。


『善良な消費者』にとってもっとも恐ろしいのは、
一般知識を以ってしても、
不具合のある食品を発見できずに、口にしてしまい、
結果、健康被害が発生することである。


知識及ばぬ子供らが口にして、
健康被害が発生する場合はそれに準ずるものだ。


しかし、
『供給側に嘘や未必の故意があること』、
『法規違反』、
『現在の常識を鑑みての管理基準の不届き』、
などだけでは、
地球環境に負担をかけ、
飢餓に苦しむ人々に思いを巡らせるとき、
不買運動以上の行動に出る消費者や消費者団体は
『罪』なことしていると言わざるを得ない。


もちろん、
『善良な消費者』にとっても不快ではあるけれど。


食品衛生法にしても、
不衛生食品と、
使用量的に認められない量の指定添加物混入、ないしは、
使用の認められていない物質の混入の場合、
状況を判断して回収対象とすることができる、
とするだけのものである。


他の国と違う安全基準であることは大いに結構。
日本の安全基準は実に細やかで、
蛋白質への添加物と炭水化物への添加物で規制が違うなど、
供給者にとっては煩わしいかもしれないが、
消費者が少しでも添加物を口にせず、かつ、
病気にもならずに済むように配慮されている。


立派なことだ。


ただし『フェロシアン化物』の規制緩和
(貴紙夕刊2002年7月12日記載)のような、
なし崩しがまかり通るのならば、
法律の運用が社会にどう影響するかを読めない役人の面子で、
回収命令(先般の香料問題がこれだ)など出していただきたくない。


健康被害が発生することが予想される場合と
そうでない場合に明確に分けるべきだ。


健康被害が発生することが予想される場合なら、
流通業も含めて、業界全体が速やかに消費者のために動くべきだ。
その際、誰に過失があるかは関係ない。


そうでない場合に、
地球環境に大きな負担をかけて速やかに回収する必然性はない。


日本の消費者は、
納得して買う権利と、
納得できなければ買わない権利を行使できる環境
にあるのだから。


どこかに寄付をすると、
その後まで責任を負えないとあったが、
寄付をするなら、
責任を持って、寄付する側と寄付される側が顔をつきあわせて、
その食品が、人を含めた生物の糧となるのを
きちんと見届けなければならない位のルールがあってよい。


感謝される寄付をしなければならない。


小切手外交は愚だ。


健康被害が発生しない事件に関わる流通滞留在庫については、
製造者は、姿勢を正して、過ちを直し、
その行方を自由市場に問い、最終責任は製造者として負う。


製造者滞留在庫については『顔の見える寄付』を行なう。


髪の毛や小さな虫などの混入やカビの発生など、
無菌室でなければ製造できないような精度を
消費者は食品製造に求めるべきでない。


『善良な消費者』は製造物責任法により
きちんと守られているのだから。


何を考えるにも、有効数字の概念が必要だ。
ただ細かければいいという考えは間違えだ。


細かいことができていれば、
大きなことは、もちろん、きちんとしているというのは、
希望的推量に過ぎない。


むしろ、有効数字の概念のないほど細かい業者は
『智慧不足の消費者』相手の、悪徳業者の確率が増す。


*・'°☆。.:*:・'☆'・:*:.。.:*:・'°:*:・'°☆*・'°☆


読売新聞東京本社生活情報部は、その後、
『うんともすんとも』言ってきませんが、


東京都の『回収報告条例』の中の
表示義務違反の製品への対応で、
上記意見が、導入され、
『条例』に反映されたことを知る人は、
私の知己数人と、私のブログやメルマガの読者様だけです。
民間人では。


『東京都』と、かけあったのは『私』です。


自慢話になっちゃた (*^-^*)



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零細企業の社長の私。
社会を『力』じゃ、渡れない。
法と正義を引っさげて、
渡ってみせよう、世の中を!

『敵を篤く葬る』

2004年11月14日


歴史街道平成16年12月号
『中国から見た日本 日本についての二つの発見』の中の
『第二の発見』について所見申し上げます。


として、著者たる王敏さんへ、手紙を書きました。


彼は、とても、よく日本をご存知だそうです。


だったら、日本人が、根回しせず、臆せずに
もの申すということが、どれほどのことか、
わかってもいいですよねぇ!!


あなたには、わかるでしょ!


かなり、すごいことだって。


これに、返事もしないんだから、
大した『日本通』だこと  (失笑)


さて、そのときの手紙を公開します。


*・'°☆。.:*:・'☆'・:*:.。.:*:・'°:*:・'°☆*・'°☆


日本人にとって『敵を篤く葬る』ことは普通のことですが、
中国ではそうではないとのこと。


まず以って、
私はそれを知らず、私の不勉強とともに、
世界に存在する価値観のとてつもない広さに
驚嘆いたしました。


この感情は
多かれ少なかれ世界中のすべての文化に宿るもの
と感じていたからです。


王敏さんは、
この日本人の感覚を
日本の神道と結び付けて書いておられます。


特に『多神教』『神の降臨』を以って
この価値観を説明なさっています。


しかし、それでは『一神教』の文化や
『神』が世界に『君臨』する文化の下では、
この価値観は、その文化の固有の価値観とはなり得ないこと
となります。


これはいささか無理があると言わざるを得ません。


スポーツの世界で、
『ファイナリスト』という価値観があります。


たとえ、圧倒的な力量により、
優勝は間違いないと思われている人がいる競技種目でも、
その人が直接対決をして、
敗北を認めさせなければならないだけの力量がある人たちは、
敗者であっても十分尊敬に値する、という価値観です。


つまり、必ず直接対決をし、
雌雄を決することなくては、
その勝敗を決められないような場合、
たとえ敗者であろうとも、
尊敬の対象であるという価値観です。


日本人にとって、過去、この価値観はあまり強くなく、
『騎士道的』、または、
欧州封建制における君臣間の『契約』に根差すもの
と思われます。


ときに彼らは『契約』により戦場へ赴きます。
『契約』により、
前の戦争では、我が身を救ってくれた戦友にまでも、
手をかけねばならぬ事態に陥ります。


通常、『騎士道的な精神』と『契約』により、
これは履行されましたが、
相手の力量を直接知るだけに、
心に傷を残すものであったでしょう。


敵たりといえども、
『契約』により、その時、たまたま、『敵』、
となっただけなのですから、
尊敬できる敵はたくさんいたはずです。


従って、敬愛する『敵を篤く葬る』心は、
『一神教』や『君臨』の文化にも存在します。


中国的封建制度が
『天』と『天子』との信仰的結びつき、
『天子』と『諸侯』の半信仰的半世俗的結びつき、
に立脚するものであったとしても、
勝負の現場では、
多くの、心傷つく戦いがあったものと思われます。


この現象はいかなる文化の下であっても、
『争い』と『保身』がある限り存在します。
従って、この心は、
いかなる文化の下でも存在するものと思っておりました。


王敏さんは、これが中国にはない、
というので『驚嘆』した次第であります。


日本の君臣の結びつきは、
過去、現人神と称された『天皇』を頂点とした階層社会の中で、
多くは血縁により、宗教的ともいえるほど私的に結びつき、
戦国時代を除くと、形式的にはすべての時代でこれが貫かれています。


『百姓といえども二君を戴かず』という言葉があるくらいです。
従って、朝廷が意識されて以降、
『昨日の味方は今日の敵』となることは少なく、
『ファイナリスト』の価値観は、
日本で『強く』は育ちませんでした。
(もちろん他の文化と同様で、全くないわけではありませんが)


では、なぜ日本人は『敵を篤く葬る』のでしょうか。


これは、仏教の輪廻転生を、
民の統治に利用した政治体制に起因します。


世界中のどの国の民衆も、ほんの数百年前まで、
飢餓と共生していました。


日本も同様でした。


日本の政治体制は、
民衆の不満を政治に向けないようにするため、
仏教の輪廻転生を利用しました。


この生まれ変わるという価値観は
日本土着の宗教にも存在しますので
受け容れられ易かったのでしょう。


民衆は
『働けど働けど、わが暮らし楽にならず』
でありました。


しかし、これで諦められたり、
暴発されたりしては国が滅んでしまいます。


体制は民をこう諭しました。


懸命に働きなさい。


しかし、残念ながら、それでも
あなたの生活は生涯良くならないかもしれません。


しかし諦めてはいけません。


今のあなたが懸命に働いているのに、
生活が良くならないのは、
あなたの前世が悪かったからなのです。


今、懸命に働くことは
現世利益には繋がらないかもしれませんが、
来世は、この善行により、きっとよくなるはずです。


だから、諦めずに働きなさい。


他ならぬ、あなた自身の来世のためなのですから。


為政者は、これで、ずっとやってきたわけです。


ですから、生まれ変わりを感じる文化の中では、


現世の中では、
たまたま現世の利害対立により敵となった。


しかし、自分を脅かすほどの存在とあらば、
人間的にも立派で、人望もあろう。


ならば我との争いに敗れれば、泣く者もあろう。


我が直接手をかけねばならぬほどの者ならば、
さぞや魅力のある者であろうが、
その者の現世を我が手で断ち切ってしまったのだ。


せめて、来世でも立派に生まれ変わっておくれ。


そして,願わくは来世では味方同士でありたいものだ。


と考えるわけです。


蛇足ではありますが、
ここでは、戦場に赴き、人を殺める者全てを
人格者のように扱っています。


これなしに自らを鼓舞し、
人を切ることができるのは、
ただの殺人鬼であります。


ですから、戦場でのポジションを問わず、
全ての階級に所属したものが、
皆、立場なりに自分を正当化し、
このように考え及ぶのです。


針も馬も鰻も、我の現世利益のために
利用され、役立たされ、あるいは争い、
そして、この世から消え去っていったものたちだ
と感じています。


『現世では私の役に立ったのだから、良い転生を。
あるいは、何の因果か、現世では敵同士に生まれてしまったが、
あなたの死の上でしか、今の私はないのだから、
そういう意味で私の役に立ったのだから、これもまた良い転生を。』


と祈り、日本人は『敵も篤く葬る』のです。


それにつけても、広大な領地を群雄が割拠してきたあの中国で、
なぜ『敵を篤く葬る』という価値観が生まれなかったのか?


それこそ疑問で、にわかに信じがたく、
あなたの個性ではなく、
中国人全体に共通する思考なのであるとしたら、
その思考の成り立ちをご教授賜りたいとさえ思います。
小生の理屈も、
ここを論破しないと
矛盾を含むものとなってしまうことを承知しておりますので。


*・'°☆。.:*:・'☆'・:*:.。.:*:・'°:*:・'°☆*・'°☆


残念ながら、一言の回答もありませんでした。


笑止、笑止!!

お金持ちの役割(仕事)

世界標準で思考したとき、
『お金持ち』をどう定義すればいいのだろう。


私の意見をまとめてみると、
自らの所有する資産の運用を、
任せるに足る人に任せ、
その運用益で生活している人。
とでも言い表そうか。


少なくとも、
金を稼ぐための仕事、妥当な報酬のある役職についている人は、
いくら金を持っていても『RICH』ではありませんな。


2007年3月城山三郎さんが逝去なされました。


『金儲けのうまいことなどホンモノと関係ない』
とおっしゃっておられた方です。


もちろん、そのとおり。


じゃ、お金持ちの役割は?
『ホンモノ』との関係は?


お金持ちの役割は『ホンモノ』を見い出して、
その人、その価値観に、投資することでしょう。


『ホンモノ』でも、
霞を食っては生きられまいて。


その人の持つ『ホンモノ』の力を、
世のために使うにあたり、
まずは、
その人の肉体を維持してやらなければなるまいて。


その人の感性、頭脳を駆使し、
出会いの力で、その価値を世に広めるためにも、
可能な限り、肉体を維持させなくては。


『ホンモノ』に権威らしきものを付与するのも
『金持ち』の仕事でしょう。


『地上の星』を見つける眼力と、
そこへ、損を覚悟で、
まさに道楽として金を注ぎ込む。


これができる余裕のない人を以って、
『金持ち』とは言わないね。


こんな余裕のある『金持ち』だからこそ、
世の中は、彼らが『金持ち』であることを許し、
彼らが『金持ち』であり続けられることを
望むのかもしれない。


確かに西洋にはそんな人々がいると聞く。


日本にはそういう意味での金持ちがいない。
今は。


格差社会をよしとはしないが、
独断で『ホンモノ』を世に出す資金力と気概を持つ金持ちが
何人か存在できるくらいの格差はあったほうがいいんじゃない。


『ホンモノ』の『アナタ』のためにも。(*^-^*)

「ねぇ、おとうさん、サンタクロースって」

娘が、小学校2年生のときに、
訊いて来た、質問。


そして、そのときの、私の回答。


*・'°☆。.:*:・'☆'・:*:.。.:*:・'°:*:・'°☆*・'°☆


「ねぇ、おとうさん、」



「んん?」



「サンタクロースって、ほんとうにいるの?」



「いるよ。」



「ほんとう?」



「うん。でも、サンタさんはひとりじゃないんだ。」


「その子にとってね…。
サンタさんというのは、
その子のことをとっても大事に思っていて、
その子も、とっても大切に思っている人のことなんだよ。」


「今の玲子なら、おとうさんとおかあさんかな。」


「玲子のサンタさんは、玲子のことが大切だから、
玲子がいい子だとうれしいんだよ。」


「だから、やさしくて、人から大切にされる子が、
とっても大切にしている人の数だけ、
サンタクロースはいるんだと思うよ。」


「それに大切に思っているどうしだから、
いつも一緒にいたいと思っていて、
それがかなうなら、いつもできるだけ近くにいるもんなんだよ。」


「だから、空を飛ぶソリも、
暖かい赤い服もいらないサンタさんがいっぱいいるんだよ。」


「でもね、いろいろなことがあって、
大切な人の近くにいられない人もいるんだよ。
その人たちの、やさしくて、せつない気持ちが
空を飛ぶサンタクロースになったんだと思うよ。」


「おとうさんは『あっ、この人サンタさんだな!』
っていう人をいっぱい見たことあるよ。」


「でも、トナカイのひくソリで空を飛んでいるサンタクロースは
目をつむらないと見えないんだよ。」

子供のころ勉強をする価値

子供のころ勉強をする価値ってなんだろう?


人、金、地位、名声。


そんなもんには圧倒されなくなります。


人に圧倒されるのは、
自分の心の中に『確かなもの』がないから。


どこぞやの『リンダリンダ』の歌詞にもありましたね。


『写真には写らない美しさがある』って。


心の中に住み続けてくれる『確かな何か』。
これを一番簡単に手に入れることができる方法。


それが、子供のころ勉強をすること、
それがその価値。

どうして『スペード』が一番強いの?

トランプのマークは強い順に
     スペード、ハート、ダイヤ、クラブ
     でも、どうして?


『個性を大事に』なんていうことを、
聞いた風に言うつもりはありません。


だって、今、
『個性を大切に』、『個性を大切に』って、
み~んな、
『没個性的に』言っているじゃない!


『個性』なんていうものは、
周りが、どんなに『型』にはめても、
それを打ち破って出てくるもので、
一切の個性なんか、踏み潰してしまえ~!


だって、そんな中からだって、
必ず、個性的なやつが出てくるから。


そいつこそ、本物で、
型を破るエネルギーがなかったら、
所詮は、昨日の続きだったと言うこと。


『藤原正彦』のいうとおり。


何でこんな話を出したかって?


複眼主義(『福翁自伝』より)で、あり続けなさい。
ということ。


ひとつのことを、多面的に見られるように、
そのための基礎学力が大切ですよ。


大人になると、
集合の概念、順列・組み合わせ、微分、場合の数、確率
なんていうものを駆使して、
日々、情報解析をします。


その解析は、頭の中で、母国語で行い、
母国語で、声明します。


基礎学力のない人は、社会の中で、
これを、やらせてもらえないんです。


だから、『スペードワーク』しか
できなくなってしまうのですよ。


もちろん、スペードワークは大切なこと。


でも、
スペードワークって、
どういう意味だか知っていますか?


トランプのマークは強い順に
スペード、ハート、ダイヤ、クラブです。


おそらく『勤勉』『心』『財産』『腕っぷし』の順で、
人は{心}動かされるのだろう。


なんて、想像しています。


なんで、『勤勉』であることが、人の心を打つのかって?


結構難しいからですよ。
勤勉であること、ちゃんとやり続けること、は。


親に言われたとおり、先生に言われたとおり、
ちゃ~んと予習復習していたら、
み~んな志望校に合格しますよ、してますよ。


でも、現実は、
ねぇ!!なかなか!(笑)


だから、周りから見ると、
『私にはできないこと!』
をやっているように見えるんじゃないかしら。


人の心を揺さぶるような、感謝される、
仕事をしましょう。


難しい技術が必要だと言うわけではありませんよ。


金庫室の中で寝泊りさせて、
何年たっても、残金が1円も狂わない。
これだけだって、金庫番として、
大変貴重で、優秀です。

お金持ちは『ルイヴィトン』なんか、持たない?

ところで、先日、
某女子校で、
中学3年生を前に、
真面目に(ホンマかいな)
『講演』なんぞというものを
してきました。


『講演』の主題は、

『職業選択を考える子供たちへのメッセージ』

でした。


そう!!
前回の記事のタイトルでしたね。


今回は、この『コメント』を結論とした
『講演』内容をちょっとだけ。


こっちは、結構面白い? (*^-^*)


『講演』の原稿の一部を公開します。


多面的な視点を持って欲しい、
というところで、例示したトピックスです。


*・'°☆。.:*:・'☆'・:*:.。.:*:・'°:*:・'°☆*・'°☆。.:*:・'☆'・:


ちょっと、話は変わりますが、
『ルイヴィトン』という、高級ブランド、
知っていますよねぇ!


『持っている人』って、聞いたら、
きっと、あとで、おじさんが
職員室に呼び出し食らっちゃうだろうから、
聞きません。


でも『欲しいなぁ』っていう人はいるでしょ!


これも、挙手はまずいから、
『欲しい人』、ウインクしてみて!


お~!!
びっくりした、
何か、勘違いしてドキドキしちゃった。


Im not available!! ですよ~!


奥さん、いますから~!!


ちょっと待ってて、
あ~~、OK、大丈夫です。はぁ!


今のは、『非公式調査』だから、
どれくらい、ウインクされたかは、
内緒にしておきます。


もちろん、おじさんも、昔は、いくつか、買いましたよ。
でも、もう、今は、持つのもいや。


鞄自体が重いし、
『ルイヴィトン』『エピ』って
『これ見よがし』だし!


でも、皆さん、知っているかな?
どうして、重たいか?


頑丈にできているから?


そうだね!


じゃあ、どうして、
軽量化は考えられていないんでしょう?


答えは簡単、
『ルイヴィトン』は、船旅用の『収納家具』だから。


所有者は船旅に行く時間とお金を持った『お金持ち』。


でも、実際に
『ルイヴィトン』を手に持っている人は
『ポーター』か『サーバント』なんですよ。
台車で船に運び込んだり、しちゃって。


『お金持ち』は、自分で持たないから、
『軽量化』なんて要望は出ないんです。


だいたい、よく、ハンドバッグのように持たれている
ボストンバッグ型のバッグ、大きいのから小さいのまでありますが、
あれ、何のために作られたバッグだか知っていますか?


あれ、『洗濯物いれ』ですよ!


船室の外であの鞄を持っているのは、
みんな、『お金持ち』の『召使』さんたちです。


『お金持ち』は、外で持って歩きません。


そうなると、見えてきちゃうんだな、
街で『ルイヴィトン』持っている人、
誰の『召使』だろう?って!!


ああいうのを『ファッション ヴィクティム』
って、言うんだろう、って。


おそらく、
『お金の奴隷』『お金の召使』さんたちだね。


こういう人は『犠牲者』ですね。
似合っていようがいまいが。


自分の価値観を持たずに、
オピニオンリーダーが、すばらしい、と言えば、
それに従って、盲目的に『すばらしい』となり、
周りが、ひどい、と言えば、『ひどい』と言いふらす。


こうなって欲しくない。


*・'°☆。.:*:・'☆'・:*:.。.:*:・'°:*:・'°☆*・'°☆。.:*:・'☆'・:


皆さんは、『大好き?』


次は、トランプのマークは強い順に
スペード、ハート、ダイヤ、クラブです。


でも、どうして?

です!!


これも、『講演』の原稿から~~!!

職業選択を考える子どもたちへのメッセージ

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   職業選択を考える子どもたちへのメッセージ


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今年の春、某中学校より依頼を受けました。


『職業選択を考える子どもたちへのメッセージ』


のタイトルで、中学校3年生宛てに


ちょいと『書け』と。


中学生相手だからな~!!


自分の体験を『そのまま』ぶつけてみました。


*・'°☆。.:*:・'☆'・:*:.。.:*:・'°:*:・'°☆*・'°☆


学生最後の春休み、
社会に飛び出す自分に強い不安を抱きました。


今日の今日まで、
私はいつでもお金を払って生活をするばかり。
買い物も趣味もスポーツも、習い事も。
学校だって授業料を払って通っていた。


言わば、お客様。


自分では稼ぎもせず、
収支のバランスも考えずに、
必要か否か、欲しいか否か。


ほぼそれだけを基準にして24時間365日。
気がつけば、いつも自分はお客様。


でも、これからは、
お金をもらって生活しなければならない。


お客様から、
ありがとうの言葉と同時に
お代を戴かなければならないのだ。


それも、自分の生活費を上乗せして。


お客様はわかっているだろう。
私の生活費込みの値段だと。


不安だ。


私なんかに、『ありがとう』
と言ってもらえる仕事ができるだろうか。
私の生活費なんか払ってもらえるのだろうか。


このとき、私が出した答え、
否、私が出せた答えはこうでした。


周りを見渡せば、みんな働いているではないか。
あちこちで売り手と買い手が
互いに感謝して商売しているではないか。


この人たち、みんながみんな、私よりも器量良しなのか。


否。


私だって、
人が諦めたことを最後まで諦めずにやったこともある。
心の痛みに耐え抜いたこともある。


そうだ、私にだってできるんだ。
なにも、世界一の称号を持った人しか
生きていけないわけではないのだ。


今の時代、
職を得るための技量を向上させる実務教育に
教育者も学生も熱心ですが、
そんなものは一切必要ありません。


特にこれからの時代では必要性が減るでしょう。
社会が高度化し、
それぞれの職務の持つ専門性が高度化しているからです。


これは技術の縦割り細分化を意味し、
同時にその狭い範囲内での技術の進歩、深化が
急テンポであることを意味します。


あなたが今、知識としての実務教育を受けても、
技術の進歩により、
残念ながら1年後にあなたの実務技量は陳腐化し、
数年後には浦島太郎状態になります。


と同時に、技術は細分化されていますので、
心が健康で、
知識のfundamentalさえしっかりしていれば、
その分野に数年身を置き、
自分を鍛えれば、
先端技術を身につけることができます。


ここ、注意してください。
もう一度言いますよ。
『自分を鍛えれば、』です。


今、あなた方がやるべきことは、
自分を鍛えることに、慣れること。


将来、苦しいことに出会ったとき、
自分を鼓舞することのできる誇りを持つ、
その誇りの裏付けとなる努力をすることです。


裏付けのない誇りは過信でしかありません。


でも、努力も過信しないでください。


努力したって世界一になれないことが多いです。


でも、信じてください。


技術評価が細分化されたこの時代、
多くの細分化された分野で、
努力すれば、
誰でも、世界で100番位にはなれると思います。


知識のfundamentalがしっかりしている人には
もうわかりますよね。


世界の100番ということは
日本では1番かもしれないし50番かもしれない。
東京なら1番かしら20番かしら。
東京って人口何人?


あなたが、街ですれ違う人、人、人。


でも、あなたのほうが頭ひとつ抜きん出ていますよ。

子供はなんで生まれるの?

□■□■□■□■□■□■□■□■□■□


   子供はなんで生まれるの?


□■□■□■□■□■□■□■□■□■□


次の質問は、
これでした。


子供はなんで生まれるの?


親は、たいへんだ~!


*・'°☆。.:*:・'☆'・:*:.。.:*:・'°:*:・'°☆*・'°☆


さて、また、当時の回答です♪


生物学的には、
いつかは死が訪れる生命体が、
その前に『自分』をこの世に残すためだ、
といわれています。


子育てをする生き物は皆、
丸く、小さく、柔らかいものを
『かわいらしい』、
と感じるような脳のしくみになっているそうです。


赤ちゃんは、まさに、このとおりに生まれてきます。


これらによって、赤ちゃんは愛されて育ちます。


人間は、いろいろと複雑な観念をもって
子供を産み、育てるのだと思いますが、
やはり、いとおしく、かわいい『わが子』を欲しい、
と願う心が、
子供の生まれてくる第一の理由だと思います。


*・'°☆。.:*:・'☆'・:*:.。.:*:・'°:*:・'°☆*・'°☆


でした。


How do you feel ?


(-。-*)oフウ

20歳になったときの気持ちは、どんな感じ?

前々回の記事の続きです (*^-^*)


□■□■□■□■□■□■□■□■□■

20歳になってこどものときと変わったことは?
20歳になったときの気持ちは、どんな感じ?

□■□■□■□■□■□■□■□■□■


そしてそして、
次から次へと
質問が来ました。


20歳になってこどものときと変わったことは?
20歳になったときの気持ちは、どんな感じ?


*・'°☆。.:*:・'☆'・:*:.。.:*:・'°:*:・'°☆*・'°


さて、当時の回答です。


『20歳になった時』に感じたことではないが、
学校を卒業する直前、
つまり、学生生活という、
言わば、お金を払って生活をするばかりの
『世の中のお客さん』状態から、
仕事を持ち、
人様から感謝とお金をいただかなければ生活できない
社会人となる時に


『自分なんかに人からお金を貰えるような仕事ができるのだろうか』


という言い知れぬ不安と恐怖を感じた。


今考えると、この心の乱れは誰もが通る道であり、
また、誰もが通ったほうがよい、
おとなへの通過儀礼だと思う。


*・'°☆。.:*:・'☆'・:*:.。.:*:・'°:*:・'°☆*・'°



こう、答えました。