こんにちは
 

まほろです

 

私のblogにご訪問くださり

ありがとうございます

 

築95年の夫の実家をリフォームして
 

行ったり来たりのニ拠点生活をしています
 

 

 

実家のリフォームにまつわるアレコレや
 

日々の暮らしで思うことを綴っています




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 なぜと聞かれても…

 



夫の実家の手入れをしながら

二拠点生活をしています。

 


 

最近、友人に言われたこと。

 

 

旦那さんの実家なのに

偉いよね〜

 

 

 

 

以前、娘に言われたこと。


 

お母さんは関係ない家のために

なんでそんなに一生懸命になれるの?

 

 

 

うーん。


 

特別なことをしているつもりは

ないんだけどね


 

旦那さんの実家とか、

関係ない家とも思っていない。

 

 

ただ楽しんでいるだけなのです。

 

 

 

 

 

 時代の価値観

 

 

 

 

私が結婚した29年前はまだ

女性の結婚には

嫁ぐという感覚があったように思います。

 

 

はっきり言葉では言わなくても

 

社会も、周囲の人も、家族も

 

女性側が相手の家に合わせるのが

当たり前という考え。

 

 

私もそれに従うのが穏便だと思っていて

 

 

今までの生活とは違うな、ということも

そのまま受け入れようとしていました。

 

 

まあ、たまにしか行かない夫の実家で

わざわざ揉めなくてもいいや、と

思っていたのです。

 

 

餅つきとか、栗拾いとか

夫の実家ならではの楽しいこともあったし


 

古い家ならではの

生活道具や習慣を知るのも

面白いと思っていました。

 

 

 

でも習慣の違いは受け入れられても

価値観の違いには、

モヤっとすることがありました。

 

 

その一つが「世間」という考え方です。

 

 

夫の母は大らかな人で、

頭が堅いわけではありませんでしたが 


時々、世間という言葉を使って

考えを伝えてくることがありました。


 

今ではあまり聞かなくなりましたが

上の世代には、普通に従うべき

価値観だったのだと思うのです。

 

 

でも私も夫も、

自分の考えよりも優先される

「世間」って一体何なのよー!と

思っていました。

 

 

もう20年近く前のある日

 私が真顔で反論したことがあったのを

思い出しました



 夫の母が「世間が〜」と言った時にすかさず

 

「お母さん、世間って誰ですか?」


「親戚ですか?」

 

「近所の人ですか?」

 

「じゃあ、誰ですか?」


と立て続けに言ってしまい

義母は黙ってしまいました。

 怖〜い、私。

 

 

私が受け入れられなかったように

義母もまた、価値観を変えることは

難しかったと思います。 

書いていて義母に申し訳ない気持ちになりました





 

 ​役割に生きなくても良い時代

 

 

 

では最初に戻って

 

なぜ私がいま

せっせと夫の実家に通っているのか。

 

 

 

長男の嫁だから?

 

世間がそうすべきと思っているから?


誰かが望むから?

 

 

考えてみたけれど

いいえ、やっぱり違います。

 

 

 

答えは、ただやりたいから

 

 

 

 

私の立場も向上?して(笑)

この家はいつからか

私の価値観が反映できる場所になりました。

むしろみんなが私に合わせている?


 


家族が好きにさせてくれる

おかげです。

 

 

そうしたら、

自分の考えで動くことが

楽しくなってきたのです。



 

どうすれば良い空間になるんだろう。

 

どう活用すれば皆んなが喜ぶ場所になるかな。

 

 

 

 

もしも誰かに

 

毎週実家に行って

庭の手入れと掃除ををしなさい

と決められたのなら


 

拒否反応を起こして

家出するかもしれません 笑

 


 

でも自分が好きでやっているから


全く苦にならない。


 

私のステージ!くらいに思ってる。

 

 

なんと言うか

家を活かすことと自分を活かすことが

結びついているんですよね。

 

 

 

リフォームするときに決めたコンセプトは

 

「絆をはぐくむ家」

 

サブコンセプトは

 

「非日常を愉しむ」

 

 

 

自分のことだけを考えていればよかった

20代から

 

 

自分のことよりも家族のことだった

30代、40代。

 

 

50代の今はもっと大きく


家族、親戚、友人たちから

地域、社会、未来の子供たちまで

 

意識が広がってきた気がします。

 

 

 

もはや長男の嫁とか

家族の中での役割とか


すごく小さなことに感じるのです。


 

 

視点が広がれば

ますます良いものが目に入り

世界が明るく見えてくる。



いろいろな価値観に触れたからこそ

考えが広がったのかもしれない。


 

 

人生、60歳からが楽しいと言うのは

こういうことかなと思っています。

 

 


 

 

 

 

 

 

今日も最後までお読みいただき

ありがとうございました