こんばんは、真里です。
夕方になると、
なぜか体が重くなる日がありました。
朝は普通に動けていたのに、
夕飯の支度を始める頃になると、
肩のあたりがずんと重くなる。
買い物袋を置いたまま、
「少し座ってからにしよう」と、
しばらく動けずにいる日もありました。
最初は、年齢のせいだと思っていました。
更年期なのかな。
睡眠が浅いのかな。
体力が落ちたのかな。
そう思って、
サプリを飲んだり、早めに横になったり、
温かいものを飲んだりもしました。
体を整えれば戻ると思っていました
もちろん、それで少し楽になる日もあります。
でも、しばらくするとまた、
同じところに戻ってしまうのです。
朝は大丈夫だったのに、
夕方になると胸の奥が重くなる。
夫が帰ってくる時間が近づくと、
なぜか少しだけ呼吸が浅くなる。
その頃の私はまだ、
それが何なのか分かっていませんでした。
疲れていたのは、体だけではなかった
ある日の夕飯前の夫の
「今日は簡単なものでいいよ」。
その一言が、特別ひどかったわけではありません。
きっと夫に悪気もなかったのだと思います。
でも私は、その言葉を聞いた瞬間、
体の奥がずんと重くなりました。
その“簡単”を考えるのも、
作るのも、
片づけるのも、
結局は私なのに。
そう思っても、
反射的に笑って、
「そうだね」と言って、
何もなかったように台所へ戻る。
そういう小さな飲み込み方を、
私は何年も続けていました。
気づけば私は、
妻というより、
家の中を回すための
「便利な同居人」のようになっていました。
「いい妻」でいるほど、なぜか消耗していく
家の中を穏やかに保つことは、
悪いことではありません。
家事をすることも、
相手を気遣うことも、
家族の空気を壊さないようにすることも、
それ自体はきっと大切なことです。
でも、そのために
自分の感覚をずっと後回しにしていると、
少しずつ心が削れていきます。
文句を言わない。
頼まれたら動く。
夫の機嫌を見て言葉を選ぶ。
自分の疲れは、なかったことにする。
そうしているうちに、
「いい妻」でいるはずなのに、
なぜか自分だけが消え入りそうになっていく。
その感覚が、
夕方の重さとして出ていたのかもしれません。
必要だったのは、もうひとつ健康法を足すことではありませんでした
あの頃の私に必要だったのは、
もうひとつ健康法を足すことではありませんでした。
サプリが悪かったわけでも、
早寝が無駄だったわけでもありません。
ただ、見る場所が少し違っていたのだと思います。
体だけを整えようとしても、
心がずっと同じ場所で我慢していたら、
また同じ重さに戻ってしまう。
その手前に、
ずっと見落としていたものがありました。
「温度」という考え方に触れたとき
そんなとき、
ある静かなアトリエで、
「温度」という考え方に出会いました。
チョコレートが温度によって、
艶や口どけを変えるように、
人の心にも、その人に合った温度がある。
正直、最初は少し不思議でした。
でも私は、その言葉に触れて初めて、
自分の疲れ方を、
年齢や弱さだけで片づけなくてもいいのかもしれない、
と思えました。
私は怠けていたわけではない。
夫婦関係に向き合う力がなかったわけでもない。
ただ、自分を扱う温度を知らないまま、
ずっと家の中で、
自分を後回しにしてきただけだったのかもしれない。
そう思えたとき、
少しだけ力が抜けました。
もし今、
「私も、体のことばかり整えようとしていたのかもしれない」
と感じたら、静かな時間にこちらも受け取ってみてください。
自分を責める前に、少しだけ立ち止まれるようになった
それからの私は、
何かを大きく変えたわけではありません。
夫に強く言い返せるようになったわけでも、
急に家を飛び出したわけでも、
別人のように強くなったわけでもありません。
ただ、アトリエの手紙を読んでから、
自分を見る場所が少しだけ変わりました。
夫の一言に胸が重くなったとき。
夕方、台所でふっと力が抜けたとき。
また何も言えなかった自分を責めそうになったとき。
以前なら、すぐにこう思っていました。
「私が弱いのかな」
「この年齢なら仕方ないのかな」
「夫婦って、こういうものなのかな」
でも、その手紙を読んでからは、
自分を責める前に、
ほんの少しだけ立ち止まれるようになりました。
「便利な同居人」を降りたあと、私の中に育ち始めたもの
不思議だったのは、
自分を後回しにしなくなってからの方が、
家の中の空気も、私自身の毎日も、
少しずつ変わり始めたことです。
以前の私は、
夫の機嫌を見て、
先回りして動いて、
自分の疲れをなかったことにしていました。
それだけではありません。
心のどこかでずっと、
夫の収入に頼っている自分を、
責めるような気持ちもありました。
言いたいことがあっても、
「でも、生活は夫に支えてもらっているから」
と思うと、飲み込んでしまう。
欲しいものがあっても、
学びたいことがあっても、
どこかで遠慮してしまう。
その遠慮は、
夫婦のことだけでなく、
私のお金や未来の見え方にもつながっていたのだと思います。
自分の感覚で選ぶ時間。
自分のために使えるお金。
自分の言葉で誰かとつながる場所。
そういう小さなものを、
少しずつ取り戻していくことで
少しずつ、
夫の機嫌に合わせすぎなくても、
家の中で息ができるようになっていきました。
もし、今どこかに心当たりがあるなら
もし今、
「夕方になると、なぜか体が重い」
「夫の前で、いつも平気なふりをしてしまう」
「大切にされていない気がするのに、何も言えない」
そんな感覚があるなら。
それは、年齢や努力不足のせいだけではないかもしれません。
自分を扱う温度を知らないまま、
家の中でずっと、
自分を後回しにしてきただけかもしれません。
私自身がそのことに気づくきっかけになったのは、
深夜のアトリエの主から届いた、5日間のお手紙でした。
夫に何かを宣言する内容でも、
今すぐ大きな行動を起こす内容でもありません。
「便利な人」でいることに疲れてしまった人が、
夫に預けすぎていた安心を、
自分の中にも育て直すための、
最初の小さなレシピです。
何かを買う準備ができていなくても大丈夫です。
まずは、静かな時間に読むだけで受け取れるお手紙として届きます。
手紙と一緒に、
「心と体がすり減るときに共通していた、たったひとつの視点」
という小さなレポートも届きます。
サプリや早寝が悪かったわけではありません。
ただ、その前に見てあげるべき場所があった。
読み終えたあとに、
「私が悪かったわけじゃなかったのかもしれない」と、
少しでも肩の力が抜けたなら嬉しいです。








