「『ブレードランナー』論その1」はこちら。
世の中にはブレランにとてつもなく詳しい方も少なくないので、「ブレランについて何か書くならここを押さえなきゃ!!」とお叱りを受ける前に、「ブレランのよくある論点」をまとめておくことにしました。(実は取り寄せた本がなかなか来ないので時間潰しの意味もあります。)
以下のトピックスに関してはほぼ100%受け売りなので(笑)、引用元も記載しています。
豊富すぎるバージョン!!
ご存知のとおりブレランにはたくさんのバージョンがあります。今のところ以下のバージョンがあることになっていますが、ここまでくると今後も新しいバージョンが出てこないとも限りませんね。
・インターナショナル劇場版(日本で初公開されたバージョン)
・米国オリジナル劇場版
・サンディエゴ・リサーチ試写版
・テレビ放送版
・ディレクターズ・カット/最終版
・ファイナル・カット
・リサーチ試写版(ワークプリント版)
・Ultra HD Blu-ray/IMAX版
細かい話は『メイキング~』や『ブレードランナー究極読本』(別冊映画秘宝)をお読みいただければと思いますが、一般に比較されるのは『インターナショナル劇場版』・『ディレクターズ・カット版』・『ファイナル・カット版』の3バージョン。主な違いは「デッカードがレプリカントなのかどうか?」に係る部分と残虐描写やナレーションの有無など。
特にデッカードがレプリカントか?という問題はこの作品の根幹にかかわる問題なので、次の項で触れています。
デッカードはレプリカントなのか?
改めて書くまでもなく、デッカードはレプリカントを処理する死刑執行人・ブレードランナー。そのデッカードが、本人も知らなかったけれど実はレプリカントだったとしたら?
これはかなり大きなどんでん返しです。もしそうだとしたら、彼がレプリカントを殺すという行為の土台から揺らいでしまう。
下にリンクした『岡田斗司夫ゼミ』によれば、実はリドリー・スコットは当初からデッカードのレプリカント設定にこだわっていて、他の製作陣の反対を押し切ってデッカード=レプリカントの設定で試写版を作ったのだそうです。ところが観客の反応は予想以上に低調・・・青ざめた製作陣は急遽ハッピーエンドに変更すべくレプリカント設定を削除したのだとか。
それで完成したのが劇場版。
ただ、結局ディレクターズ・カット版からレプリカント設定が復活し、
・デッカードがユニコーンの夢を見る
・デッカードは誰にも夢の内容を話していないのに、ラストシーンで「夢の中身を知っている」といわんばかりに、ガフ(ロス市警の刑事)が折ったユニコーンの折り紙がデッカードのアパートの廊下に落ちている
というシーンが入ります。
これだけではデッカードがレプリカントかどうかはまだ曖昧なのですが、『岡田斗司夫ゼミ』ではファイナルカット版の中に決定的なワンシーンがあることを指摘しています。(根拠はリンク先をご覧くださいね。)
ちなみに、原作のデッカードは人間。ただ、一瞬自分はアンドロイドではないかという疑念がよぎったり、信仰していたマーシー教の教祖マーシーがペテン師だったというニュースに衝撃を受けたりと、デッカードの価値観・認識を根本から揺るがすような出来事がいくつか起きていきます。
本当にたしかだと言えるものがなにひとつなくなっていく中で、人間とアンドロイドの境界は何か、罪とは何かを問い直していく・・・というのが原作です。
個人的には、デッカードの中で人間とレプリカントの境界が揺らいでいく原作の展開が好きなので、デッカードがレプリカントである可能性を表現したディレクターズカット以降のバージョンを支持したいですね。
シド・ミード!
ブレランを語るのにシド・ミードに触れないわけにはいきません。
もともと車のデザインのために起用されたにもかかわらず、車の走る街にもこだわりたいという信念でブレランの世界観創造に大きく関与した人。「宇宙戦艦ヤマトシリーズ」と「ガンダムシリーズ」で一部デザインを手がけたということで、日本でもカルト的な人気を誇るアーティストですよね。
こちらの「シド・ミード展 PROGRESSIONS TYO 2019」の記事に、ミードがブレランのために描いた夜の繁華街の光景がありますが、まさにブレランの世界観そのもの!
正直言ってメカにもガンダムにもYAMATOにもあまり興味がない私にとってはシド・ミードの凄さはよく分からなかったんですが、今回『岡田斗司夫ゼミ』でシド・ミードが或ることに関与していたことが分かり、俄然見る眼が変わりました。
その件は次回以降にでも。
日本食屋台(ホワイト・ドラゴン)でのデッカードと店主の会話「2つで十分ですよ」「いや4つだ」の意味は?
序盤でデッカードが日本食屋台で何かを「4つくれ」とオーダーする場面があるんですが、これに対して親父は指を2本立て、
「2つで十分ですよ」
と答えます。しかし、デッカードは、
「いや4つだ、2と2で4つだ」
と言い張る。
一体デッカードは何をオーダーしたのか?何故数が問題になるのか?というのが話題になって、いろんな説が出たのだそうで。(「いろんな説」についてはこちら。)
ファイナルアンサーはワークプリント版に。
1体足りない?残る1体のレプリカントのゆくえ
本作の中で地球に潜伏しているNEXUS6型のレプリカントは6体ということになっています。で、デッカードがレプリカント狩りに関わる前にそのうちの1体は死亡しているということが会話の中から分かるんですが、その後デッカードの前に現れたレプリカントは4人しかいません。
残る1人はどうなった??というのでこれもまた諸説出てきて、中には「6人目はデッカードでは?」という説や、6人目を追う続編小説が出されたりと話題が盛り上がったようです。
真相は、6体目の女性レプリカントも当初は存在していてキャスティングもされていたようなんですが、予算の都合で割愛されたのだとか。
この件に関してはファイナル・カットで当初の「1人死亡」から「2人死亡」に情報が修正され、6-死亡2=4で辻褄が合う形に落ち着いたようです。
この辺の話も『ブレードランナー究極読本』にあります。
何故タイトルは原題の『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』から『ブレードランナー』になった?
原作ではデッカードのようなアンドロイド狩りの警察官は「バウンティ・ハンター」と呼ばれています。ところが、映画では「ブレードランナー」。全く名称が変わっているんです。
この作品はもともと脚本を担当したハンプトン・ファンチャーが『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の映画化オプションを手に入れて、脚本を書き、映画プロデューサー(『ディア・ハンター』の製作を手掛けたマイケル・ディーリー)に売り込んだもの。その後、監督としてリドリー・スコットが関わることになったという経緯なんですね。
ハンプトン・ファンチャーは当初原作のまま「バウンティ・ハンター」を使用していたようなんですが、リドリー・スコットは「バウンティ・ハンター」という名称が気に入らず、ウィリアム・バロウズの未来小説からこの「ブレードランナー」という用語を持ってくることになったようです。こんなところでバロウズが出てくるのも面白いですよね。
また、作品タイトルのほうも、当初の原題と同じものから「アンドロイド」へ、次に「デンジャラス・デイズ」になり、さらに『ブレードランナー』へと変遷。リドリー・スコットとしては本当は『ゴッザムシティ』にしたかったらしいんですが、この名称の商標権を持つ『バットマン』の原作者に使用を拒否されたとか。
ちなみに原作では「レプリカント」は単に「アンドロイド」となっています。この辺は原作者ディックとリドリー・スコットとの間のアンドロイドに対する見解の違いにも絡んでいます。
リドリー・スコットは人間との境目を感じさせない存在としてアンドロイドを描きたいと考えたようで、モノという印象が強い「アンドロイド」ではなく新しい名称にこだわったようです。
これは作品を観る上でもヒントになる情報ですね。
この辺も、『岡田斗司夫ゼミ』を参考にしました。
さて、次回書く頃にはさすがに参考文献も届いているでしょうか?
次回は、岡田斗司夫ゼミでは勿論、これまであまり語られなかったように思えるトピックスについて書いてみたいと思います。(他の参考文献にはこの話題も触れられているかもしれませんが・・・どうでしょう?確認するのが楽しみです。)