最近観た映画について書こうと思ったら前振りで終わってしまいました・・・(つづく) | シネマの万華鏡

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いつもながら、おひさしぶりです。

10月に起きたハマスのイスラエルに対するテロ攻撃、そしてイスラエルの倍返しをはるかに超える猛反撃が始まって以来、ニュースは中東情勢一色に! 第三次世界大戦への口火か?と、騒がれる中、J問題も注目度が薄れてきましたね。

戦争の話はまた別の機会に語るとして、その間、旧J社と、旧J社タレントの受け皿会社として設立される新会社の2社の社長を務める予定だったヒガシ君が新会社社長の就任を辞退し、急遽外部からエージェント会社経営の福田淳氏が招聘されるなど、J問題に新しい展開がありました。

 

こうなると途端に、これまでヒガシ君に批判的だったメディアも、雪崩をうってヒガシ君同情論に。被害者補償もまだ本格的に始まってないのに、すでに芸能界復帰待望論を語るところまで! 「性加害問題の後処理を一身に背負わされて、彼はつぶされた」という声も目立ちます。

たしかに、J社で実際に手腕をふるっていた元役員たちは表に出てこず、かわりにヒガシ君が批判の矢面に立つことになって、事務所に守られてきたタレント時代とは一転、過去のゴシップまで掘り返され満身創痍状態だったのは事実です。

ただ、それが不祥事のあった会社の社長の役回り、矢面に立つ覚悟は社長就任時点で十分あったはずです。その重責に見合う役員報酬、加えて新会社の株主の地位もおそらく約束されていた可能性が高く、いろんな面を総合的に判断して、彼自身が選択した道だったわけです。

それなのに、まだ性加害の被害者への補償も本格的に始まっていない時点で、補償を行うべき立場にあるヒガシ君を「性加害問題の被害者」にしてしまうのはどうでしょうか。

 

そもそも、彼が損な役回りを押し付けられ、すっかりイヤになってしまって社長を辞退したように語られていますが、本当にそういうことなんでしょうか? ヒガシ君は家が貧しく少年時代から苦労した人。そんな甘い考えで社長業を放り出す人とは思えません。

個人的には、ヒガシ君の社長辞退、福田淳氏の社長就任は、新会社の出資者(または融資者)から出された「条件」なのでは?と想像しています。

新会社は旧J社から芸能事業を買い取る必要があります。J社60年の歴史の中で蓄積された膨大な版権や商標権、加えて不動産・・・ジュリー氏の相続問題でj社の資産は1,500億円と報じられていましたが、これにファンクラブの集金力も加えるととてつもない営業権になる。大企業でさえよほどの覚悟がないと出資はできない金額です。

投資対象は歴史に残るレベルのスキャンダルでミソがついてしまった後、しかも社長は経営未経験、ヒガシ君が社長なら所属タレントはみんな新会社についてきてくれるかというと、どうやら必ずしもそうではない・・・というのでは、出資者にとってリスクが高すぎます。

一番の問題は、旧J社との事業譲渡の交渉で、旧J社の社長でもあるヒガシ君が、一体どこまで新会社にとって有利になるよう立ち回ってくれるのか・・・この構図では正直不安しか沸いてきませんからね。何かしらの裏メニューでもない限り、誰も出資はしないと思います。

 

ただ、新会社の社長ではなくなるにせよ、ヒガシ君には旧J社の補償問題という大きな任務があるわけで。これが片付かない限り新会社の成功はありえない、一番大事な仕事。しかもまだ始まったばかり・・・とても片手間でできるような仕事じゃないです。

それなのに、このタイミングでの同情論と芸能界復帰待望論、、、あまりに補償を軽視しているように思えて、解せません。

 

もう1つ、もし私の想像どおり、福田社長招聘が出資者からの要望であるとするなら、やはりJ社のカラーが色濃く残ったままでは、新会社のファイナンスは難しいということが明らかになってきたということなのかな・・・とも感じました。

旧J社のタレントをメインにエージェント契約するとしても、「美少年の園」というブランドイメージは潔く捨て去る必要があるということ。性加害問題がここまで広範囲で行われていたことが白日の下に晒された時点で、多くの人を熱狂させ、莫大な富を生み出してきたJ社のビジネスモデルにも一旦終止符を打たざるをえなくなった、ということではないでしょうか?

今、ファンクラブ会員を対象に、新会社の社名募集が開始されていますが、その発想は旧J社のビジネスモデルが名前は変われど新会社に引き継がれるという前提が色濃く残っていると思うんですよね。でも、状況は少しずつ、着実に、変わっている気がしてなりません。受け皿会社には、むしろ旧J社のカラーからタレントたちを解放することが求められているんじゃないかと。

 

勿論、だからといって個々のタレントやユニットの魅力が薄れるわけでは決してありません。

これからは事務所のブランドではなく個の魅力で勝負していけばいいと思うんです。もともと生まれながらに輝いている人たちですから、唯一無二のオーラを放ち続けられる限り、これまでにも増して輝ける未来が、おのずと開けてくるんじゃないでしょうか。

 

 

そろそろさすがに映画の話がしたくなったので、J問題はまた進展があれば・・・ということで、次回は『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』を観た後つらつら頭に浮かんだ『福田村事件』との「段違い」ぶりについて書きたいと思います。(ほんとは今日書くつもりでしたが、前置きが長くなっちゃって)

ではでは。