『ナワリヌイ』のナワリヌイ氏が、獄中で急逝 | シネマの万華鏡

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だいぶご無沙汰してました。

ひさしぶりの投稿にしては中途半端に旬を過ぎたドキュメンタリー映画の話題になりますが、この週末世界を駆け巡ったこの映画の主人公の死去のニュースをどこかに記録しておきたくて、映画と絡めて記事にすることにしました。映画自体は私もずいぶん前に観ています。

 

映画ファンなら誰でも知っているロシアの反体制ヒーローの死に、驚いた人も多いのでは? 映画『ナワリヌイ』は、一度はプーチンに毒殺されかけ、九死に一生をえたナワリヌイ氏が、危険を承知でロシアに戻り、逮捕された時点で終わっているので、「やっぱりそうなったか…」と肩を落した人も少なくないかもしれませんね。

直前まで元気だったにもかかわらず、散歩の後急に気分が悪くなり、急逝したとのこと。ロシア当局は死因を発表しておらず、詳細は今後調査するとしているのですが、アメリカのバイデン大統領は間髪入れずのタイミングで「ナワリヌイ氏の死はプーチンの責任だ」と非難、日本ではそこまでは報道されていませんが、どうやらプーチンによるナワリヌイ氏暗殺と確信しているようです。

国連事務総長も、「信頼性と透明性のある全面的な調査」の実施を求める発言をしていて、ロシアの調査結果を信頼せず、独自に調査する姿勢を見せています。

 

やはりプーチンが? でも、ちょっと待って。

ウクライナ戦争勃発以降、第三次世界大戦の危機が叫ばれる中(もうすでにそれは始まっていると言う人も)、今や世界の分断が恐ろしい勢いで進行しています。国レベルの分断だけでなく、人レベルの分断も進行中。西側の国々(つまり米英やEU側、「西」じゃないのに日本もここ)にも、バイデン大統領や国連事務総長とは180度違う見方をする人が増えています。

今「西側」と書きましたが、東西の二極だけでなく、最近は「global south」という三極目の勢いに凄まじいものがあって、分断のみならず世界の勢力図の逆転が起ころうとしているのが今、まさに今なんです。

今回のナワリヌイ氏の死は、こういう世界情勢の中で起こった出来事です。勿論、まだ詳細は何もわかっていないわけで、病死である可能性も十分にあります。北極圏の刑務所という過酷な環境の下では、放っておいても健康状態を損なう可能性が高い。ただ、1つ確かに言えることは、病死であれ暗殺であれ、彼の死のがまさに今このタイミングであったこと、ここに重要な意味があるということです。

さて、どんなタイミングなのか? この解釈にも、さまざまな対立する見方があります。

 

ウクライナ戦争が単にロシアとウクライナ間の問題にとどまらず、実質ロシア対米英EUの戦いであることは、もはや周知の事実と言っていいでしょう。そしてこの2月は、ウクライナ戦争の戦況、のみならず戦争に対する世界の世論の動向を揺るがす出来事がいくつも起きています。

アメリカでウクライナへの追加支援が議会で否決され続ける中(今月上院だけ可決)、ウクライナ軍はロシアへの帰属を表明している東部ドネツィク州の要衝アウディーイウカから撤退、主戦場を後退させています。戦争継続派の西側陣営としては、どうあっても巻き返しを図りたいところ。当然、追加支援が必要になります。

特にアメリカはこの秋大統領選を控えており、バイデン政権が支援し続けてきたウクライナでの戦況を好転させ、低迷の一途の支持率を回復させる必要に迫られています。

一方、来月・3月はロシア大統領選。プーチン氏は支持率80%超を維持していて、こちらは圧勝が確実視されている状況。

そんな中、さらにもう1つ大きな「事件」が起きました。アメリカのFOXテレビの人気司会者だったタッカー・カールソン(体制批判の放送を続けてきた結果、2023年FOXテレビを突如解雇され、現在はジャーナリストとしてXで発信中)が、この2月7日、ロシアの「ウクライナ侵攻」以降西側メディアとして初めてプーチン大統領にインタビューを敢行。Xで公開されたインタビュー映像はこの短期間で2億回以上再生され、大きな話題を呼んでいます。

私も、立件民主党の異端児にしてyoutuberでもある某H議員の訳で全編を観ました。

もっとも、インタビュー内容に目新しさはなく、日本でも某元ウクライナ大使のM氏ら異端組の有識者が当初から主張していた見方が、プーチン側の理論を的確に言い当てていたことが証明されたのみ。それでも、そうした少数派の意見から遮断されていた大多数の人は、プーチンが理路整然と語った「ロシアの言い分」に大なり小なり衝撃を受けたのではないでしょうか。何より、

「西側がウクライナ支援をやめれば、戦争はすぐにでも終わる」

というプーチンの発言は、戦争支援をめぐる世論を揺るがすインパクトを持つものだったと思います。

当然米民主党はじめ戦争継続派は大激怒、タッカー・カールソンを非難し、米国への入国拒否を求める声まで。インタビューの中で「開戦後数カ月で停戦合意に至るところだったが、調印直前にジョンソン英元首相がウクライナへ飛び、停戦を阻止した。もしあの時戦争をやめていれば・・・」とプーチンに批判されたジョンソン氏は、自身のXでプーチン発言を全面否定しています。

 

ナワリヌイ氏の死去は、このインタビューからわずか1週間余りの出来事なんです。

このタイミングをとらえて、反プーチン派は「プーチンは大統領選を前にしてナワリヌイ氏の影響力を恐れ、手を下したに違いない」と言うし、反バイデン派は「タッカーインタビューで世論が親プーチンに傾くのを恐れた西側勢力の仕業」だと言う。

ナワリヌイ氏の死は今やまさに「政治の切り札」。とりわけ西側諸国にとって、反プーチンの旗の下に再度結束を叫ぶための好材料となっているように見えます。

くだんのジョンソン氏も、さっそく「これは疑いの余地なくプーチンの仕業だ」とXに投稿。まだ事実関係はなんら調査もされていないのですが・・・何はともあれ、「プーチンの仕業」に見えること、それ自体にこの情報の政治的意義があることが透けて見えるような「犯人断定」が飛び交っているんですよね。

 

 

それにしても、いくら大国の反体制活動家でも、1人の活動家の死がここまで世界で取り沙汰されることは稀です。ところが、ことナワリヌイ氏に関しては、西側では広くその名を知られた存在。彼を「反プーチンと自由の象徴」という世界レベルの存在にまで押し上げたのは、ほかでもないこの映画『ナワリヌイ』の影響力が大きいのではないでしょうか? この映画がアカデミー賞ほかいくつかの賞を受賞し、西側世界で上映・配信されなければ、ナワリヌイ氏の名がここまで世界に知れ渡ることはなかったはずです。

そういう目で今この映画を観直してみると、当初観た時とは別の感慨が浮かびます。

 

この映画を観た当時、私自身ロシアと西側諸国の間の対立の構図について、恥ずかしながら全く無知でした。しかしその後ウクライナ戦争に日本が巻き込まれることになって、初めてこの戦争について考え、その過程で、実はこの戦争が2022年に始まったものではなく、2014年からすでに長い長い確執が始まっていたことを知ったんです。

2014年と言えばソチオリンピック。その後ソチではG7も開催される予定だった(結局ソチG7は中止になりましたが)・・・つまり2014年は、世が世ならロシアが世界の経済大国の一角に名を連ねるはずの年だったんですね。

一体2014年に何が起きたのかは調べればすぐにわかる話ですのでここでは省略しますが、何しろ、ナワリヌイ氏のドキュメンタリーはロシアと西側諸国の対立が激化していく時期に、アメリカで制作されたものだということ。ウクライナ戦争が泥沼化の様相を呈してきた今、その事実を意識してもう一度この映画を観てみると、激変していく国際情勢の大波に呑み込まれてしまったナワリヌイ氏の悲劇が浮かび上がってきます。

いずれにしても、彼の死に関して一体何が真実かは、今の時点では全く分かりません。私たちは状況をほんのわずかな一部分しか把握できていないし、見えていない部分にあるまた別の要因が彼を死に至らしめたのかもしれませんしね。

ただ、ナワリヌイ氏個人に話を戻せば、これは1人の人間の悼むべき死であって、本来はそれ以上でもそれ以下でもない問題なんだと思うんです。

ナワリヌイ氏個人の政治への情熱やご家族のことを思うと言葉もありませんが・・・ご冥福をお祈りします。