暴れまくったカルソニック・インパルGT-R
'08年、満を持してスーパーGTに帰ってきた“GT-R”。参戦初年度は各チームが優勝するほど暴れまくった。
闘将・星野一義監督率いるカルソニック・インパルGT-Rは鈴鹿1000㌔と最終戦・富士で優勝。
“コアラ”みたいな顔つき(ノーズの開口部が)ではあるが、全体的にカッコイイ。さすがはスーパーカーに変貌した車両だけの事はある。
GT参戦初年度の'08年型はノーズ左右にカナードが付いている。競技車らしく顔つきが締まっていてとても良い。
カルソニック・インパルGT-R。カッコイイなぁ
写真提供:友人K.N
京商1/64「GT-Rレーシング」の1台。全車全く同じ型の色違いという手抜きとも思える規格だが、注目のマシンなだけに全チームそろえてしまった。
カナードがボディにしっかり取り付けられていないのが気になる。“個体差”ではなく全マシンそうなのだ。
通常のミニカーには無いリアウインドウ部の銀メッキが眩しく輝く。細いサイドミラーの支柱もイイ感じだ。850円という高価格設定も頷ける。
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ノスタルジックな思い スカイライン2000GT-R
今でも人気が高いスカイライン2000GT-R=ハコスカ。 その“存在”を知ったのは『サーキットの狼』である。
「スーパーカー」という名も無い“ブーム”初期に'76年F1inJAPANが開催された。「東洋で初開催のような大きなレースなら、イイ車もたくさん来るだろう」―と、F1よりもスーパーカー目当てで友人たちと観戦に出かけた。
バスも動かぬ大渋滞。ガキどもは“無謀”にも渋滞の列をたよりに歩く決意をした。
この渋滞の列の中に「GT-R」があった。
「うわ~ッ! GT-Rだ!!」当時でも希少性がある車を目の当たりにして喜ぶガキども。「どや顔」するドライバーのお兄ちゃん。
だが、渋滞の列にはハコスカ、ケンメリ、共に多くのGT-Rが存在した。ガキどもは「そんなハズはないだろう」と思った「エンブレムだけ付けたノーマルが大半なのでは?」と。
「これホンモノのGT-R?」と聞くと「本物だよ」とニヤニヤしながら答えるドライバーのお兄ちゃんたち。メチャ怪しい。
まだハコスカが現役で街中を走っている時代の話。当時は「なんちゃってGT-R」(←表現も古いッ!)も多く存在したことだろう。
時は移り現在。
ノスタルジックカーの希少性が見直され、レストア技術も進んだ。街中でハコスカを見る事は無いが、イベント等では圧倒的にGT-Rが多い。いや、むしろGT-Rしか無い。今やノーマルは絶滅してしまったのではないかと思えるほどだ。ヒグマが絶滅してもパンダは保護される―ようなものだ。
ハコスカGT-Rのミニカーは京商1/64、リアルX 1/72、コーヒー「スカイライン伝説」の1/72、トミカを持っている。リアルXは最初のGT-R-4ドアのものだ。
同じ車種でありながら造形が微妙に異なるところが面白い。似たスケールで造形の妙を楽しめるのもミニカーの良いところだろう。
スカイラインでル・マンへ R33GT-R LM1
「スカイラインでル・マンへ」―という思いから誕生したニッサン・スカイラインGT-R LM1。
一応はR33型GT-R LMという市販車が1台だけ存在するFIA GT1マシンだ。
あくまでも市販車ベースであり、レース車ベースの市販車を作ってレギュレーションをクリアしたメルセデスやポルシェに太刀打ちできなかった。
後のR390GT1同様、ル・マンの唯一戦だけのために生まれた“もったいない”マシン。
レーシング・スカイラインということと、星野一義コレクションに加えたいという思いから“初めて”京商ビーズコレクションを購入した。
モデル自体の出来の良さよりも、スポンサーロゴの多さと細かさに目を奪われてしまった。テールにはJリーグ・横浜マリノス(当時)のキャラクターも入る。室内は無着色ながら造形はされていてロールバーも入っている。
22号車とそろえようかと悩んだが、予算の都合もあり結局23号車のみ購入したのだった。
クラリオンが出した販促用テレカ&台紙・表
「22」号車を含め、6人のドライバーが紹介されている
黄色い帽子のカー用品店で、カーステレオを購入した時に「おまけ付けて」とゴネてもらったGT-R LMクラリオンのテレカ。
販促展示用に台紙ごとラミネートパッケージされていた。おかげでアルバムに貼っても簡単に剥がす事ができる。
テレカ&台紙・裏
マンセルのウイリアムズFW16に
セナ亡きあとのウイリアムズFW16を駆ってF1日本GPに出場したのは、最大のライバルだったナイジェル・マンセルだった。
ゼッケンは“レッド5”にちなんで赤の「2」を付けていた。
F1から離れていたマンセルの復帰は嬉しかった。観客の期待に応えるかのように雨の決勝レースではアレジとバトルを展開。楽しませてくれた。
アオシマ1/64ミニカーのウイリアムズFW16のゼッケンを赤くしたらマンセル車になる―ということで、画像だけ赤く塗ってみた。
マンセル車を作りたくて2台目を狙ったのだが見事にハズレてしまった。相変わらず“引きが弱い”ドルフィンである。
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限りなく「レーシング」に近い33GT-R NISMO
今回の京商1/64ミニカー「スカイライン&GT-R」はラインナップが地味だった。スカイラインはどこでもやり尽くした感じ。
各型の最高モデルはミニカー化されているので、あとはグレード・ダウンしたモデルに進むしかないのかもしれない。
そう思うと数年前に発売されたリアルXの1/72「ニッサン編」は「欲しい」と思わせるラインナップだった。

N1耐久のAPEX GT-R 田中実選手にサインを入れて頂いた
R33GT-RをNISMOがチューンアップしエアロを付けたニッサン・スカイラインR33GT-R NISMO400R。こんな魅力的な派生モデルを小スケールミニカー化するとはファンのツボを押さえている。
市販モデルではスリムで見るからに速そうだったR32型に対し“肥えて”しまったR33型。それでもエアロを付けると逆に大柄なボディ・スタイルが生きてくるのだ。
ワイドなラジエーター、サイドのエアアウトレット等、特にノーズの作り込みが良くてホレボレする。ボンネットのクボミも良いアクセントだ。
当時のN1耐久レースは市販エアロパーツなら取り付けOKだった。NISMO400RはN1耐久のために生まれた車両だけあって“実践的”なエアロだったのだ。
そういう意味ではリアルXのNISMO400Rは、スポンサーロゴが無く室内の違いこそあれ“限りなくレーシング”に近いミニカーだった。
出所不明 トミカ黒箱 セリカLBの…
整体の先生からの頂き物シリーズ(いつからそんなシリーズが!?)もいよいよ最終回。
「こんなのもありますよ」と、例によって白衣のポケットから取り出したのは、トミカの黒箱!! しかもセリカ・リフトバックとは凄い。
―ところが、手にしたその箱は軽い。開けてみるとピンバッヂだった。
先生の娘さんがどこからか入手したらしい―という曖昧な出所のセリカLB2000GTのピンバッヂ。
黒布の台座に取り付けられている。
一体どのような商品だったのだろうか?
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スカイラインR33GT-R は肥えてしまった
Gr.Aツーリングカー・レースに勝つために設計されたスカイラインGT-R R32型。贅肉を削ぎ取ったシャープなスタイルはプロボクサーの肉体のように機能美があった。
その後継車であるR33型が登場した時にはガッカリした。性能は向上しているのだろうが、ぽってりとしていて“オッサン車”のようだったからだ。
3年前、サークルKサンクス夏のキャンペーンで連続発売した京商1/64ミニカー。その一つ「スカイライン」にラインナップされたスカイラインR33型GT-R。
トミカやリアルXで既にスカイラインは持っていたので、この時も2個しか購入しなかった。その1台がR33。市販車モデルは1台も持っていなかったのでラッキーだった。現在でも手持ち唯一の市販R33である。
ボンネットが前よりに下がっているように作られているらしく、実車よりも精悍さがある。
テールの丸ランプはクリア素材だが、ウインカーとバックは塗装処理だ。
最近ではあまりR33型は見なくなった。世間的にも人気が無いのだろうか。
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初めての鈴鹿F1を思ふ ウイリアムズFW11Bピケット車
アオシマ1/64ミニカー「ウイリアムズF1」最後の紹介は、ウイリアムズFW11B/ホンダ ネルソン・ピケット車だ。
このミニカーを見ていると、初めて鈴鹿でF1が開催された'87年日本GPが蘇る―。
チケットは観戦エリアを第三希望まで書いて往復ハガキで応募する―という方法だった。
中嶋選手のF1フル参戦とフジTVの中継で「F1を生で見たい」と思う方は多く、サークルのメンバー全員にハガキを書いてもらったが指定席を獲得する事はおろか、一般観戦チケットも“やっと当選”した状態だった。
木曜日1時間の完熟走行から観戦。当時住んでいた名古屋市からバイクで“日参”していた。
予選は単独行動。遠くて往復が億劫なスプーン以外の一般観戦エリアは全て回った。決勝は友人がバスツアーでやってきた。
ウイリアムズFW11B/ホンダを駆るN・ピケット
ターボパワーで空気を切り裂いて走るF1のリアウイング端からは“飛行機雲”が出現していた。湿度が高い時には特に顕著に現れ、これがまたカッコ良かった。
上の写真は裏のストレート・スタンド(土手)から撮影。ここもこの時行った1回きり。もう足を運ぶことはないだろう。
飛行機雲だけでなく、マシン底部と路面が擦れて飛び散る火の粉も綺麗で迫力があった。
決勝は最終コーナー土手にある看板の柱に乗って観戦した。現在はコンクリートスタンドになっている場所だ。シケイン立ち上がりからスタート&フィニッシュが見られるからだ。しかし、コースを横断するフジテレビの看板が幾つも重なって、ストレートは半分くらいしか目に入らなかった。
当時は仮設スタンドはほとんど無く、従来の観戦エリアに人がギュウギュウ詰めになっていたのだ。
創成期の頃は混乱や不便さもあるが、ドライバーと観客がキッチリ区別されたり、安全のためにコースが遠くなってしまった現在よりは面白さがあった。
レース終了後はすぐに帰って、名古屋で待つ'77年富士F1を一緒に行った友人と一緒にTV観戦したのだった。
この時はまだレース後にドライバーの“出待ち”をしたり、予選の晩にボウリング場やホテル周辺でドライバーを探す楽しみを知らなかった。
チャンピオン・マシンのミニカーを見ながらしみじみ思い出す20数年前のあの日々―。
考えてみれば現在20代前半の方って、生まれた時から“当り前”のようにF1日本GPが開催されている環境が凄い。にほんブログ村
昔、小学館の学習雑誌で通販していた「帰ってきたウルトラマン」バッヂ
「サントリーボス世界の名車」ミニカーを下さった整骨院の先生が、白衣のポケットに手を突っ込み怪しく囁く「お兄さん、いいブツありまっせ」―とまでは言わなかったが「こんなものもありますよ」と開いた手の中を見せてくれた。
シーゴラス/ブラックキング
キングマイマイ/キングザウルスⅢ世
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かつて小学館の学習雑誌で応募券に切手を添えて送るともらえた(買えた?)帰ってきたウルトラマンの怪獣バッヂが4種類あった。
ドルフンもシリーズ全種類持っていたのだが、いつの間にか無くなっていた。
先生もかなりの数を持っていたそうだが、今ではこの4個だけになってしまったそうだ。この貴重な品を譲って下さったのだ。
裏側
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当時は結構な重みを感じていたが、改めて持ってみると以外に軽かった。押しピン型ではなく、横刺し型のピン。
このバッヂを見ると面白い事に“アニメの『スーパーマン』を見ながら、封書で届いたバッヂを見ている自分”の記憶が蘇るのだ。
大切にしてきた“お宝”を譲って頂いたので粗末にはできない。ピンズコレクションと一緒に飾ることにした。
先生曰く「このバッヂが今、世間ではどう思われるのか知りたい」とのことなので、ご意見ご感想をお持ちの方は是非ともコメント下さい。
まだあったサントリーボス世界の名車 ロータス・ヨーロッパ
通院している整骨院の先生が「部屋を片付けていたら出てきた。これで最後」―と渡してくれた「サントリーボス 世界の名車ミニカーセレクション」のロータス・ヨーロッパ。
スーパーカー・ブームを経験した者誰もが一度は憧れた『サーキットの狼』の主人公マシンだ。スーパーカーのミニカーを展開する時、避けては通れない車種である。
ロータス・ヨーロッパ NCCR奈良にて
ぶ厚い作りだがリアウイングが付いている。1/100位のスケールなので仕方ない。いや、むしろこのスケールでもリアウイングを付けてくるところに意気込みを感じる。ロータス・ヨーロッパはリアウイング付きの方が嬉しい。
小さいながらもサイドミラー付き。バンパーはもちろんのこと、ウインカーやエンブレムも着色されている。
車体色はブリティッシュ・グリーンを意識したのかもしれないが、あまりにも明るすぎるパール・グリーンなので、まるでアマガエルである(大きさ的にも)。
しかし、シリーズ他のミニカーが単色なのに対し、ロータスは車体下部が銀色も使われている。このあたりにもロータス・ヨーロッパは“スペシャル”なのだ。
白(アイボリー)にリアウイング付きのヨーロッパSPは「ロータスの狼」を彷彿させ、非常に胸躍る
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