出所不明 トミカ黒箱 セリカLBの…
整体の先生からの頂き物シリーズ(いつからそんなシリーズが!?)もいよいよ最終回。
「こんなのもありますよ」と、例によって白衣のポケットから取り出したのは、トミカの黒箱!! しかもセリカ・リフトバックとは凄い。
―ところが、手にしたその箱は軽い。開けてみるとピンバッヂだった。
先生の娘さんがどこからか入手したらしい―という曖昧な出所のセリカLB2000GTのピンバッヂ。
黒布の台座に取り付けられている。
一体どのような商品だったのだろうか?
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スカイラインR33GT-R は肥えてしまった
Gr.Aツーリングカー・レースに勝つために設計されたスカイラインGT-R R32型。贅肉を削ぎ取ったシャープなスタイルはプロボクサーの肉体のように機能美があった。
その後継車であるR33型が登場した時にはガッカリした。性能は向上しているのだろうが、ぽってりとしていて“オッサン車”のようだったからだ。
3年前、サークルKサンクス夏のキャンペーンで連続発売した京商1/64ミニカー。その一つ「スカイライン」にラインナップされたスカイラインR33型GT-R。
トミカやリアルXで既にスカイラインは持っていたので、この時も2個しか購入しなかった。その1台がR33。市販車モデルは1台も持っていなかったのでラッキーだった。現在でも手持ち唯一の市販R33である。
ボンネットが前よりに下がっているように作られているらしく、実車よりも精悍さがある。
テールの丸ランプはクリア素材だが、ウインカーとバックは塗装処理だ。
最近ではあまりR33型は見なくなった。世間的にも人気が無いのだろうか。
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初めての鈴鹿F1を思ふ ウイリアムズFW11Bピケット車
アオシマ1/64ミニカー「ウイリアムズF1」最後の紹介は、ウイリアムズFW11B/ホンダ ネルソン・ピケット車だ。
このミニカーを見ていると、初めて鈴鹿でF1が開催された'87年日本GPが蘇る―。
チケットは観戦エリアを第三希望まで書いて往復ハガキで応募する―という方法だった。
中嶋選手のF1フル参戦とフジTVの中継で「F1を生で見たい」と思う方は多く、サークルのメンバー全員にハガキを書いてもらったが指定席を獲得する事はおろか、一般観戦チケットも“やっと当選”した状態だった。
木曜日1時間の完熟走行から観戦。当時住んでいた名古屋市からバイクで“日参”していた。
予選は単独行動。遠くて往復が億劫なスプーン以外の一般観戦エリアは全て回った。決勝は友人がバスツアーでやってきた。
ウイリアムズFW11B/ホンダを駆るN・ピケット
ターボパワーで空気を切り裂いて走るF1のリアウイング端からは“飛行機雲”が出現していた。湿度が高い時には特に顕著に現れ、これがまたカッコ良かった。
上の写真は裏のストレート・スタンド(土手)から撮影。ここもこの時行った1回きり。もう足を運ぶことはないだろう。
飛行機雲だけでなく、マシン底部と路面が擦れて飛び散る火の粉も綺麗で迫力があった。
決勝は最終コーナー土手にある看板の柱に乗って観戦した。現在はコンクリートスタンドになっている場所だ。シケイン立ち上がりからスタート&フィニッシュが見られるからだ。しかし、コースを横断するフジテレビの看板が幾つも重なって、ストレートは半分くらいしか目に入らなかった。
当時は仮設スタンドはほとんど無く、従来の観戦エリアに人がギュウギュウ詰めになっていたのだ。
創成期の頃は混乱や不便さもあるが、ドライバーと観客がキッチリ区別されたり、安全のためにコースが遠くなってしまった現在よりは面白さがあった。
レース終了後はすぐに帰って、名古屋で待つ'77年富士F1を一緒に行った友人と一緒にTV観戦したのだった。
この時はまだレース後にドライバーの“出待ち”をしたり、予選の晩にボウリング場やホテル周辺でドライバーを探す楽しみを知らなかった。
チャンピオン・マシンのミニカーを見ながらしみじみ思い出す20数年前のあの日々―。
考えてみれば現在20代前半の方って、生まれた時から“当り前”のようにF1日本GPが開催されている環境が凄い。にほんブログ村
昔、小学館の学習雑誌で通販していた「帰ってきたウルトラマン」バッヂ
「サントリーボス世界の名車」ミニカーを下さった整骨院の先生が、白衣のポケットに手を突っ込み怪しく囁く「お兄さん、いいブツありまっせ」―とまでは言わなかったが「こんなものもありますよ」と開いた手の中を見せてくれた。
シーゴラス/ブラックキング
キングマイマイ/キングザウルスⅢ世
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かつて小学館の学習雑誌で応募券に切手を添えて送るともらえた(買えた?)帰ってきたウルトラマンの怪獣バッヂが4種類あった。
ドルフンもシリーズ全種類持っていたのだが、いつの間にか無くなっていた。
先生もかなりの数を持っていたそうだが、今ではこの4個だけになってしまったそうだ。この貴重な品を譲って下さったのだ。
裏側
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当時は結構な重みを感じていたが、改めて持ってみると以外に軽かった。押しピン型ではなく、横刺し型のピン。
このバッヂを見ると面白い事に“アニメの『スーパーマン』を見ながら、封書で届いたバッヂを見ている自分”の記憶が蘇るのだ。
大切にしてきた“お宝”を譲って頂いたので粗末にはできない。ピンズコレクションと一緒に飾ることにした。
先生曰く「このバッヂが今、世間ではどう思われるのか知りたい」とのことなので、ご意見ご感想をお持ちの方は是非ともコメント下さい。
まだあったサントリーボス世界の名車 ロータス・ヨーロッパ
通院している整骨院の先生が「部屋を片付けていたら出てきた。これで最後」―と渡してくれた「サントリーボス 世界の名車ミニカーセレクション」のロータス・ヨーロッパ。
スーパーカー・ブームを経験した者誰もが一度は憧れた『サーキットの狼』の主人公マシンだ。スーパーカーのミニカーを展開する時、避けては通れない車種である。
ロータス・ヨーロッパ NCCR奈良にて
ぶ厚い作りだがリアウイングが付いている。1/100位のスケールなので仕方ない。いや、むしろこのスケールでもリアウイングを付けてくるところに意気込みを感じる。ロータス・ヨーロッパはリアウイング付きの方が嬉しい。
小さいながらもサイドミラー付き。バンパーはもちろんのこと、ウインカーやエンブレムも着色されている。
車体色はブリティッシュ・グリーンを意識したのかもしれないが、あまりにも明るすぎるパール・グリーンなので、まるでアマガエルである(大きさ的にも)。
しかし、シリーズ他のミニカーが単色なのに対し、ロータスは車体下部が銀色も使われている。このあたりにもロータス・ヨーロッパは“スペシャル”なのだ。
白(アイボリー)にリアウイング付きのヨーロッパSPは「ロータスの狼」を彷彿させ、非常に胸躍る
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ケンとメリー愛のスカG
京商1/64ミニカー「スカイライン&GT-R」で“思い通りの甘い展開”にはならず、JGTCカストロールNISMOやカルソニック、R35GT-Rは出ることはなかった。せめて…せめてRSが―という“切ない願い”も天には届かなかった。
購買した最後の1台はスカイライン2000GT「」だった。
ケンメリのGT-Rではない。GTだ。スカイラインはレースタイプやGT-Rでそろえてきているのでちょっぴりガッカリだ。
それでも天下の「スカG」である。「R」ではなくても充分憧れのスポーツカーなのだ。―実車ならば。
「こんなにもグリル周りが黒かったかな?」と思えるほど“ガングロ”さが目立つ。ライトの奥が白ではないからだろう。
4ドアセダンなのでハッチバック気味のGT-Rとリアビューが異なる。むしろ、テールの“すぼんだ”デザインは後のジャパンに似ている。
ホイールは「こんな感じだったかな?」状態。
ケンメリGT-R
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珈琲館のケーキセット
暑い昼下がりにはアイスコーヒーを喉にキュ~ッと流し込みたくなる(ビールは夕涼みが良い)。
「麺」に“喉越し”があるように、冷えたコーヒーも喉を通る時、一本線が引かれるように冷たさが感じられる。その後、香りが鼻に抜ける。薬師丸ひろ子さんの“アノ”セリフが蘇るようだ。「カイ…」。オジサンの口から放ってもブキミなだけなのでやめておこう。
珈琲館にお茶しに行った。
数種の中から選べる「ケーキセット」を注文。珈琲館のケーキはかなり美味しい。
フルーツケーキをチョイス。一般的には横にスポンジとクリームが層になるが、このケーキは縦列になっているところが見た目が面白い。それだけでなく、フォークでカットし易いのだ。
プチ贅沢な初夏の午後。
そう言えば、大阪にもついに「コメダ」ができた。名古屋を中心に中部圏で展開するコーヒー店だ。
学生時代を名古屋で過ごしたドルフィンにとって、コメダは思い出もある店。久しぶりに行ってアイスコーヒーを飲みたいものだ。
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ヒルについて多くを語れるか? ウイリアムズFW15C
アラン・プロストをチャンピオンに導き、デイモン・ヒルをスターダムに伸し上げたマシン、ウイリアムズFW15C/ルノー。
「史上最強F1マシン」と呼ばれるFW14Bに、さらにABSが加えられている。完全にチョイ前のF1マシンとドライブの仕方が異なっていたことだろう。
日本GPではリアウング下段が湾曲している仕様だった
アオシマ1/64ミニカー「ウイリアムズF1」。ラインナップの時代的にヒルのマシンが多かった気がする。つまり、ヒルについて語る機会が多かったと言う事だ。
会った事もない彼の思い出があまり無いのでネタ探しが非常に困った。
先日、大手家電量販店「J」のミニカーフロアに行ったが、まだアオシマ1/64用のタバコ・デカールは販売されていなかった。
シリーズ大半のモデルにはダミーロゴが入っていないので、発売されたらデカール貼りに挑戦してみたいと思っている。
ペダルを踏む“足のデカール”もバッチリ
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hpi アルファ155V6TIナニーニ車

hpiの1/43 ITCアルファロメオ2台セットにより待望のマルティーニ・アルファロメオV6TI ナニーニ車を入手することができた。
結局、大好きなドライバーであるアレッサンドロ・ナニーニ選手のマシンは単体発売されなかったのだ。
彼のマシンのモデルは一際カッコ良く見えるから不思議だ。

鈴鹿1000㌔の際に頂いたサイン
レースカーのモデルは、できれば自分が観戦した時の仕様のものを入手したい。
このモデルは単に「ITC'96シーズンモデル」ではなく鈴鹿仕様になっている点が“ツボを押さえている”。
そのため優勝回数を示すミラーのアルファ・マークの数も合っているのだ。
アルファロメオだけが採用している巨大サイドミラー。左右ウインドウに付いているドアバイザー風のパーツは「ミラーの一部」という位置付けらしい。

スタート前に和むナニーニ選手。右手には常にグローブが
同じマルティーニ・アルファのラリーニ車とのカップリングなので「単にゼッケン等だけの違いだろう」と思っていたが、ナニーニ車にはルーフに“ボッチ”が付いていたのだ。
コックピットまで詳細に覗き見る事はできないが、もしかしたら腕にハンデを負ったナニーニ用にまで再現されているかもしれない?

ルーフにある“ポッチ”がラリーニ車との相違点
フロント両サイドにつけられたウイング(とてもカナードなどという簡素なものではない)が“迫力ある顔つき”を生み出す。
チンスポイラーの下には、Gr.Cカーのようにグランドエフェクトのために車底に空気を導入するスペースがある。もちろんリアにはディフューザーが。流石に技術の粋を集めてくられたツーリングカーだけのことはある。
レース終了後、アルファのガレージで“一部割れた”サイドスカートを頂いた。チーム・ロズベルグ・オペルのシャツを着ていたのにも関わらずの大盤振る舞いに、懐の大きさを感じた。
カーボンとケブラーで構成されたサイドスカートは、親指と人差し指で“つまんで”持てるほど非常に軽い。
ミニカーラックの横に立てかけて飾っている。

'96ITC鈴鹿でもらったアルファ155のサイドスカート(N・ラリーニ車)
最初のセナと最後のセナ
その昔、モーター誌のイギリスF3コーナーで「優勝AS・ダ・シルバ」掲載されていると「またコイツが勝ったのか!?」と、あまりの強さに驚いていた。
F1にステップアップするや、アイルトン・セナと表記されるようになった。
たまにTV放送があると、たいていはN・マンセルと絡んでリタイアしていた。「またコイツとマンセルか!?」と、相性の悪さに驚いていた。
最初のセナ
'87年日本GPフリー走行
最初にセナの素顔を見たのは'87年日本GPのフリー走行の時。
マシントラブルでヘアピンでストップし、走行時間が終わり“迎え”が来るまで待っていた。
日本人にとってこの時のセナは、まだ“F1ドライバーの一人”に過ぎなかった。ヘルメットを脱ぎ素顔をさらしても写真に撮る人は少なかった。
翌年、マクラーレン/ホンダに移籍してから人気は高まり、日本GPで優勝しチャンピオンを決定した事で人気が爆発的したと思う。ドルフィンもこの優勝には目頭が熱くなった。
後に古舘伊知郎さんの実況で名付けられた「音速の貴公子」が彼の代名詞になった。
'89年にプロストと絡んだ時はまだ「レーシング・アクシデント」で済んだが、翌年に仕返しをした事で彼に対する見方が変わった。
それからというもの、毎年、日本では問題を起こしてきた。事前に順位を決める八百長や、トップ争い以外の者が“抜いた”事に立腹して暴行を加えたり…。
「セナ様」と溺愛する日本のファンや、F1熱を下げたくないマスコミが擁護したため図に乗る一方―に見えた。
最後のセナ

'95パシフィックGP決勝
ウイリアムズに移籍した'95年のパシフィックGPではスタート直後の1コーナーで接触、リタイアに終わった。
コンクリートウォールに腰かけるセナの姿が彼を見た最後となってしまった。この時は鈴鹿でセナ+ウイリアムズがどれほどスゴイものかを見直せるものと思っていたのだが…。
亡くなったドライバーをいつまでもネチネチ非難しても仕方ないのだが、彼の素晴らしさを再認識する事無くこの世を去ってしまったのだから仕方が無い。
今でも雑誌等はネタが尽きたりオフシーズンにはセナ特集を行っている。「あぁ、まだセナで儲けているのか」と思ってしまうのだった。














