プリンセス・トヨトミを観たら食べたくなる
映画『プリンセス・トヨトミ』を観たら食べたくなるのがお好み焼きである。
昼食に劇場があるアポロビル地階のたこ八へと向かった。
ふわふわの玉子生地をダシにつけて食べる明石焼きが美味しくて有名だ。
もちろんお好み焼きも注文。ランチ時はご飯とみそ汁がサービスになるので嬉しい。
明石焼き2人前
にほんブログ村
大阪国 万歳!! ~ プリンセス・トヨトミ
堤真一サン、綾瀬はるかサン 岡田将生サンが出演する映画『プリンセス・トヨトミ』を観てきた。
エキストラに参加したのでいち早く観たかったが、試写会はどれもハズレてしまった。さすがはロケ地だけの事はある。
原作を読んだ知人やエキストラ参加者からは「原作は面白いから読んでおいた方がいいよ」と言われていたものの、新鮮な気持ちで映画を観たかったので原作は読まずに臨んだ。
エキストラ参加品のアルミボトルとトートバッグ(左、中央)
右は映画館で買ってしまった「大阪国総理大臣」が付けていたピンバッヂ
やはり一番の関心どころは「自分が映っているか否か?」だ。いつも嫁はんに「いつも自分にしか分からない位にしか映ってないんだから」と言われているが、今回はかなりハッキリと映っている(―と思われる)場所が3カットあるのだ。期待せずにはいられない。
手に汗握りそのシーンを待つ。先ず1カ所目。あぁッ…、自分が通り過ぎた後から場面が始まっている。歩き出すタイミングが早かったかぁぁ…。
2カ所目。やった! かなりハッキリと映っていた!! 予想ではもっとピンボケだと思っていたのだが。しかも綾瀬はるかサンに“頭をなでられている”ような構図になっている(実際の距離は50㍍くらい離れているが)。
3カ所目。実際は夕方だが夜のシーンになるためにフィルター処理がなされている。予想以上に暗くなっていて顔半分が影になってしまっていた。ここも一瞬ではあるがハッキリと分かる。
その他、後ろ姿が2カ所もあり、真夏の炎天下で出番待ちに耐えた甲斐があったというもの。
空掘商店街のキャラ・タニズキンの看板 これもセットらしい
ストーリーについて云々言っては、これから観られる方にネタバレしては失礼なので割愛するが、観て楽しい作品に仕上がっている。夏なのにわざわざCGで雪が積もった富士山を描いたり、「大阪全停止」と言っても観光客はいるだろ―なんてツッコミを入れたくなるほど強調した表現は映画ならではのスケール。
嫁はんはおなかを抱えて笑っていた。
親子の絆を描いている場面ではウルッときてしまった。これは自分、嫁はんともに父親が他界しているということもあるかもしれない。
できればTVドラマでリメイクしてキャラクターの設定をもっと生かしてほしい。
自分の映り込みは別にしても面白かった作品なので、レンタルDVD出たら借りてきちゃうだろうなぁ。
にほんブログ村
可夢偉 よくやった! F1モナコGP
仕事から帰り、先に『ゴーカイジャー』と『仁』を見てしまったので、せっかくいつもより早い時間帯から放送が始まったF1モナコGPを結局は録画で見た。
午前零時を回っていたこともあり、スタート数周しないうちに“例によって”睡魔が襲った。
目を覚ませばファイナルラップ。最後に目を覚ませるところ、自分ながら凄いと思う(←まあ、寝なけりゃいいのだが…)。
小林可夢偉選手が5位フィニッシュ!? モナコで?
予選で新人パートナーに先を行かれた事から「壁にドッカン」か「エンジン、ボン」になるのでは?―と予想されたが、とんでもないことだった。
どうやって5番手まで浮上したのかは分からないが、気持ち良く“本睡眠”に陥ることができた。
観戦に行った日本人は湧いただろうなぁ。
モナコでの好成績はより良いチームに移籍する材料になるかもしれない。
モナコGPは友人が新婚旅行で行った。結婚した日は覚えていなくても、モナコGPが開催されると「アイツが結婚した時期だな」と思い出す。これはモナコに行っただけの価値ある効果だと感じる。
行った事が無いドルフィンにとってモナコは今でも憧れの場所だ。モナコの市街地をビン牛乳片手にサンドイッチを食べて歩きたい。そしてG・ヒルの写真を飾ってある花屋さんを探したいのだ(『赤いペガサス』参照)。
にほんブログ村
ウイングカー時代の変わりF1 アロウズA2
'70年代後半のF1はウイングカー黎明期。発明したロータスでさえベストな状態がつかめず、各チームが模索し様々な形状のマシンが登場した。
全てのマシンが白塗りになっても、どの車がどのチームか分かるほど個性的なマシン達だった。あぁ、白塗りだとロータスとタイレルは違いが分からなかったか…(タイレル009はロータス79に酷似)。
ワルシュタイナー・アロウズA2もその中の1台。車体下部のウング構造だけでなく、上面でもダウンフォースを獲得しようとした。フロントサス周辺をもカウリングし、ボディと一体化した。当時の雑誌では「人間魚雷」と呼ばれていた。
当然、変わりF1大好きなドルフィンの琴線に触れるデザインだった。
日本でF1が開催されていない時期のマシンなだけに、御殿場オートパレス(現在は閉館)で実車を見られた時は感激モノだった。
展示されていたのはNo29のR・パトレーゼ車。アルミやFRPの質感に“古さ”を感じたが、雑誌で見たよりは軽そうな印象を受けた。
もっと底部を覗きこんで見たかったが、柵があり叶わなかった。
ミニカー集めを始めた頃の'06年にミニチャンプスから発売されたNo30のヨッヘン・マス車を購入。セールになっていた事とマスはサインをもらっていたのが購入のポイント。
ドライバーのフィギャは、当時F1で流行していたシンプソンのヘルメットを被っている。口元が角ばっていてスリットが入ったデザインは印象的でカッコ良かった。
シンプソンのデザインがとても好きで「ヘルメットを被ることがあれば絶対シンプソン」―と、子供心に決めていた。果たしてバイクに乗るようになってからカートレースを行っている時までシンプソンのヘルメットを被っていたのだった。

'84WECJAPANでロスマンズポルシェ956をドライブしたJ・マスのサイン
話が横道にそれたが、A2のモデルを持って、それまで見る事ができなかった“底面”を見たくて台座から外そうとした。ところが止めネジが固く、ネジ山を潰しそうだったので断念。未だに底面構造は謎だ。
1/43ミニカーになったアロウズは高木虎之介選手が駆ったマシン、A20とA2くらいなものだろう。互いに良い成績を残せなかったマシンなのが皮肉。
にほんブログ村
暴れまくったカルソニック・インパルGT-R
'08年、満を持してスーパーGTに帰ってきた“GT-R”。参戦初年度は各チームが優勝するほど暴れまくった。
闘将・星野一義監督率いるカルソニック・インパルGT-Rは鈴鹿1000㌔と最終戦・富士で優勝。
“コアラ”みたいな顔つき(ノーズの開口部が)ではあるが、全体的にカッコイイ。さすがはスーパーカーに変貌した車両だけの事はある。
GT参戦初年度の'08年型はノーズ左右にカナードが付いている。競技車らしく顔つきが締まっていてとても良い。
カルソニック・インパルGT-R。カッコイイなぁ
写真提供:友人K.N
京商1/64「GT-Rレーシング」の1台。全車全く同じ型の色違いという手抜きとも思える規格だが、注目のマシンなだけに全チームそろえてしまった。
カナードがボディにしっかり取り付けられていないのが気になる。“個体差”ではなく全マシンそうなのだ。
通常のミニカーには無いリアウインドウ部の銀メッキが眩しく輝く。細いサイドミラーの支柱もイイ感じだ。850円という高価格設定も頷ける。
にほんブログ村
ノスタルジックな思い スカイライン2000GT-R
今でも人気が高いスカイライン2000GT-R=ハコスカ。 その“存在”を知ったのは『サーキットの狼』である。
「スーパーカー」という名も無い“ブーム”初期に'76年F1inJAPANが開催された。「東洋で初開催のような大きなレースなら、イイ車もたくさん来るだろう」―と、F1よりもスーパーカー目当てで友人たちと観戦に出かけた。
バスも動かぬ大渋滞。ガキどもは“無謀”にも渋滞の列をたよりに歩く決意をした。
この渋滞の列の中に「GT-R」があった。
「うわ~ッ! GT-Rだ!!」当時でも希少性がある車を目の当たりにして喜ぶガキども。「どや顔」するドライバーのお兄ちゃん。
だが、渋滞の列にはハコスカ、ケンメリ、共に多くのGT-Rが存在した。ガキどもは「そんなハズはないだろう」と思った「エンブレムだけ付けたノーマルが大半なのでは?」と。
「これホンモノのGT-R?」と聞くと「本物だよ」とニヤニヤしながら答えるドライバーのお兄ちゃんたち。メチャ怪しい。
まだハコスカが現役で街中を走っている時代の話。当時は「なんちゃってGT-R」(←表現も古いッ!)も多く存在したことだろう。
時は移り現在。
ノスタルジックカーの希少性が見直され、レストア技術も進んだ。街中でハコスカを見る事は無いが、イベント等では圧倒的にGT-Rが多い。いや、むしろGT-Rしか無い。今やノーマルは絶滅してしまったのではないかと思えるほどだ。ヒグマが絶滅してもパンダは保護される―ようなものだ。
ハコスカGT-Rのミニカーは京商1/64、リアルX 1/72、コーヒー「スカイライン伝説」の1/72、トミカを持っている。リアルXは最初のGT-R-4ドアのものだ。
同じ車種でありながら造形が微妙に異なるところが面白い。似たスケールで造形の妙を楽しめるのもミニカーの良いところだろう。
スカイラインでル・マンへ R33GT-R LM1
「スカイラインでル・マンへ」―という思いから誕生したニッサン・スカイラインGT-R LM1。
一応はR33型GT-R LMという市販車が1台だけ存在するFIA GT1マシンだ。
あくまでも市販車ベースであり、レース車ベースの市販車を作ってレギュレーションをクリアしたメルセデスやポルシェに太刀打ちできなかった。
後のR390GT1同様、ル・マンの唯一戦だけのために生まれた“もったいない”マシン。
レーシング・スカイラインということと、星野一義コレクションに加えたいという思いから“初めて”京商ビーズコレクションを購入した。
モデル自体の出来の良さよりも、スポンサーロゴの多さと細かさに目を奪われてしまった。テールにはJリーグ・横浜マリノス(当時)のキャラクターも入る。室内は無着色ながら造形はされていてロールバーも入っている。
22号車とそろえようかと悩んだが、予算の都合もあり結局23号車のみ購入したのだった。
クラリオンが出した販促用テレカ&台紙・表
「22」号車を含め、6人のドライバーが紹介されている
黄色い帽子のカー用品店で、カーステレオを購入した時に「おまけ付けて」とゴネてもらったGT-R LMクラリオンのテレカ。
販促展示用に台紙ごとラミネートパッケージされていた。おかげでアルバムに貼っても簡単に剥がす事ができる。
テレカ&台紙・裏
マンセルのウイリアムズFW16に
セナ亡きあとのウイリアムズFW16を駆ってF1日本GPに出場したのは、最大のライバルだったナイジェル・マンセルだった。
ゼッケンは“レッド5”にちなんで赤の「2」を付けていた。
F1から離れていたマンセルの復帰は嬉しかった。観客の期待に応えるかのように雨の決勝レースではアレジとバトルを展開。楽しませてくれた。
アオシマ1/64ミニカーのウイリアムズFW16のゼッケンを赤くしたらマンセル車になる―ということで、画像だけ赤く塗ってみた。
マンセル車を作りたくて2台目を狙ったのだが見事にハズレてしまった。相変わらず“引きが弱い”ドルフィンである。
にほんブログ村
限りなく「レーシング」に近い33GT-R NISMO
今回の京商1/64ミニカー「スカイライン&GT-R」はラインナップが地味だった。スカイラインはどこでもやり尽くした感じ。
各型の最高モデルはミニカー化されているので、あとはグレード・ダウンしたモデルに進むしかないのかもしれない。
そう思うと数年前に発売されたリアルXの1/72「ニッサン編」は「欲しい」と思わせるラインナップだった。

N1耐久のAPEX GT-R 田中実選手にサインを入れて頂いた
R33GT-RをNISMOがチューンアップしエアロを付けたニッサン・スカイラインR33GT-R NISMO400R。こんな魅力的な派生モデルを小スケールミニカー化するとはファンのツボを押さえている。
市販モデルではスリムで見るからに速そうだったR32型に対し“肥えて”しまったR33型。それでもエアロを付けると逆に大柄なボディ・スタイルが生きてくるのだ。
ワイドなラジエーター、サイドのエアアウトレット等、特にノーズの作り込みが良くてホレボレする。ボンネットのクボミも良いアクセントだ。
当時のN1耐久レースは市販エアロパーツなら取り付けOKだった。NISMO400RはN1耐久のために生まれた車両だけあって“実践的”なエアロだったのだ。
そういう意味ではリアルXのNISMO400Rは、スポンサーロゴが無く室内の違いこそあれ“限りなくレーシング”に近いミニカーだった。
出所不明 トミカ黒箱 セリカLBの…
整体の先生からの頂き物シリーズ(いつからそんなシリーズが!?)もいよいよ最終回。
「こんなのもありますよ」と、例によって白衣のポケットから取り出したのは、トミカの黒箱!! しかもセリカ・リフトバックとは凄い。
―ところが、手にしたその箱は軽い。開けてみるとピンバッヂだった。
先生の娘さんがどこからか入手したらしい―という曖昧な出所のセリカLB2000GTのピンバッヂ。
黒布の台座に取り付けられている。
一体どのような商品だったのだろうか?
にほんブログ村

















