'76年型カウルを装着した苦肉の策 6輪タイレルP34デパイユ車
デビューした'76年から一転、タイヤ開発の遅れから苦戦を強いられるようになった6輪elfタイレルP34。苦肉の策で成績の良かった'76年型カウルを装着して決勝を走ったのがモナコGPとベルギーGPらしい。
モナコでは2台ともリタイアしたが、続くベルギーではロニー・ピーターソン選手が3位。パトリック・デパイユ選手が8位になっている。
付属カードによると京商1/64ミニカーではモナコGP仕様になっているようだ。
ゼッケン「4」はデパイユ選手のマシン。
ミニカーでは'76年型の色を変えただけ―かと思いきや、細部が異なっている。ヘッドレスト&ロールバー周辺や、コクピットカウルのフトントタイヤ脇等、似て異なる造形。
プラ製のリアウイングは'77年型と共通っぽい。
基本'76年型のスタイルだが、白と青がバランスよく入ったカラーリングは爽やかで格好良い。
タイレルとリジェでGP2勝を挙げたデパイユ選手。'80年のテスト中にクラッシュし他界している。笑顔が素敵で雑誌の写真から人柄の良さが伝わってきていた。
'77年チーム・タイレルのドライバー2人ともレース関係で他界しているのは奇妙だ。
ココイチ関西限定の牛すじ煮込みカレー+野菜
カレーハウスCoCo壱番屋に行くと、関西地区(大阪・兵庫・京都・滋賀・奈良・和歌山)限定のメニュー「牛すじ煮込みカレー」があったので「野菜」トッピングで頼んでみた(802円+206円)。
以前にゴロゴロ野菜たっぷりの「グランドマザーカレー」が復活していたが、今ではトッピングとして頼まなければならないのが残念だ。定番化して欲しかったのに。
トロリとした牛すじがたっぷりはいってるので、野菜トッピングと良く合う。コレはなかなかいいぞ。
WRC優勝ラリードライバー・篠塚健次郎氏と「ファ・フェスタ・プリマヴェラ」4
クラシックカー・ラリー「ラ・フェスタ・プリマヴェラ」観戦のもう一つの目標が「ラリー・ドライバー・篠塚健次郎選手にサインを頂く」事だった。
新井敏弘選手のようにCM’Sラリーカーコレクションの1/72ミニカーの台座にサインを入れて頂くには高齢過ぎて細かい事は迷惑だろうと思い、昨年の写真をプリントして持って行った。
HEALEY SILVERSTONE(1949年)
大阪市庁舎のコンクリート建造物を背景に

日本銀行大阪支店の旧コンクリート建築を正面に
チェックポイントになっている橿原神宮で篠塚選手をお見かけした。
サインをお願いすると快くして下さった。「これは去年の? 京都だね」と撮影ポイントまで分かるとは流石。
雨で篠塚選手のグローブが濡れていたので、プリンター出力の写真の色が滲んでしまわないかとハラハラしたが大丈夫だったようだ。今回は新しい「マッキーの金色」を用意して行った。
昨年の写真にサインを入れて頂いた
FIAT ERMINI 1100 SPORT SILURO(1951年)

橿原神宮の桜の下で
銀の車体がどの景色でも映えた。
昔の葉巻型フォーミュラ・カーに保安部品を取り付けたようなスタイルがカッコイイ。
橿原神宮の大鳥居前

大阪市庁舎のコンクリート建造物を背景に
FIAT 1100 TV(1954年)

カワイイスタイルがセピアっぽい色に合いそうなので、色合いを変えてみた。
大阪・御堂筋の景色の中に
AUSTIN HEALEY 100/4 BN1(1954年)

大阪市庁舎のコンクリート建造物を背景に
大阪・御堂筋の景色の中に
JAGUAR XK120 OTS(1953年)
橿原神宮の鎮守の森を背景に超ショートSS
大阪・御堂筋の景色の中に
JAGUAR XK120 DHC(1954年)
橿原神宮の鎮守の森を背景に超ショートSS
大阪・御堂筋の景色の中に
TRIUMPH TR2(1954年)
橿原神宮の鎮守の森を背景に超ショートSS
大阪・御堂筋の景色の中に
LANCIA AURELIA B20(1957年)

橿原神宮の鎮守の森を背景に超ショートSS
AUSTIN HEALEY 100/4 BN1(1954年)

橿原神宮の鎮守の森を背景に超ショートSS
TRIUMPH TR2(1955年)

橿原神宮の鎮守の森を背景に超ショートSS
TRIUMPH TR2(1955年)

橿原神宮の鎮守の森を背景に超ショートSS

橿原神宮の大鳥居前
AUSTIN HEALEY 100(1955年)

橿原神宮の鎮守の森を背景に超ショートSS
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7年ぶりのトミカ博inOSAKA「トミカ警察出動!!」メッチャ混んどったわ…
7年ぶりに「トミカ博OOSAKA」に行って来た。これで2回目だ。
前回は大阪に引っ越してきて初めてのGW。ミニカー・コレクションも始めたばかり。“欲しい車種”ばかりの歴代トミカの展示には大興奮だった。
あれから7年。欲しい車種のミニカーはだいぶ手元に集まった。
トミカ博はイベント内容は毎年変わっているが、イベントで“遊ぶ”のではなく展示を“見に行く”ので「1度見ればいいかな」と足が遠のいていた。
今回はたまたま友人からチケットを頂いたので、久々に行ってみることにしたのだ。
行ったのが祝日ということもあって、メチャクチャ多くの親子連れが会場のある大阪南港ATCホールに詰めかけた。
駅から少し進んだところ、ATC内からすでに入場待ちの列が。列は大阪府新庁舎のあるコスモタワーとの連絡通路へ。チケット持っていなかったらこの時点で断念していただろう。
連絡通路をまるまる一往復して外階段に。外からホール入り口へと続いた。
ここでチケットを持っていない方は新たな列に並ばなくてはならないのだ。
ホールに入っても長い通路をひたすら並ぶ。以前来た時はGW期間中でも平日だったのでこんなに並ばなかった…。
今年のトミカ博inOSAKAは「トミカタウンからトミカが消えた!? トミカ警察出動!!」がテーマ。
警察車両トミカがメインになっている。「トミカ警察」のロゴが完全に『西部警察』だ。
「110」をトミカで文字に
「1」部分はフェアレディZパトカー
車両展示は日産リーフ警視庁パトカー。
展示用車両?
このパトカーをイベントモデルにしてくれたら良かったのになぁ。
「パトカー出動 巨大スライダー」
数分毎にパトカートミカの大軍団がスライダーを滑り降りる。
あっという間に滑り下りてしまうが、台数が多いので圧巻だ。裏でセットしている方は大変だろう。
プラレールも走る「巨大ジオラマ」
「トミカフェ」
さんざん並んで、遊んでお腹が空いたところでイイ匂いをさせられては我慢できなくなってしまう。
恐ろしい商売だ…。
ポルシェ型のランチプレートの「トミカ博ランチ」(850円)が人気。
苦労して並んで入場したものの子どもが多いので(当たり前だが)、オッサンが展示を見ようとしたり写真を撮っていると“悪い気がしてくる”…。
赤い彗星が走る! 南海特急ラピート/ネオ・ジオンバージョンを見てきた
全国的には分からないが、関西では話題沸騰の「南海特急ラピート×ガンダムUC」赤い彗星の再来/ネオ・ジオンバージョンを見てきた。
嫁はんも「見たい!」と言うので意見があった。二人とも大して「ガンダム」ファンでもないのに…。
祝日ということもあり、南海なんば駅には朝から親子連れの姿も多かった。
本来の南海特急ラピートは「青」なので「鉄人28号」とも呼ばれていた。コラボ列車1編成のみ赤仕様にされている。連結部は青のままだ。ラッピング電車と同じで、全体をラッピングしているようだ。
関空から戻ってくる時間帯に行けば、折り返し関空に出発するので走行を2度見ることができる。
「スーパーシート」購入客のみ、特別シートに座って記念写真が撮れる。
スーパーシート車両の前後には衛士(駅員)が立っていてチケットの確認が成されているために、通常乗客や入場客は立ち入る事ができない。
丸窓にネオ・ジオンのエンブレムとエレガントな模様が入る
手前モスグリーンが「ミネバ・ラオ・ザビ」専用席
奥の赤が「フル・フロンタル」専用席
見学に来ていた子どもが「アムロの席~」と言っていたが、アムロは座りませんよ。お父さん、ちゃんと教えてあげて下さいね。
サービス♡ 乗降口
「ガンダムUC」って初代の「機動戦士ガンダム」の継続世界なんだね。
人気があるとなかなか平和が訪れないなぁ。
記念グッズも販売されていたが、そこまでファンでも無いので購入せず。
関空に向かって出発 カッコイイなぁ
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攻めるレースをした記憶しかない タイレル024/ヤマハ片山右京車 京商ティレルF1
タイレルに在籍して4年。片山右京選手は前年にも増して1996年は苦しいシーズンとなった。
8連続リタイアにシーズン「0」ポイント。後半戦は完走率が上がったが、最終戦・日本GPでは完走できなかった。
後々思い起こすと右京選手の5年に及ぶF1挑戦で’94年しかポイント獲得できていなかったとは到底思えない。もっと入賞していたのではないかと公式記録を勘ぐってしまう。
’94年にタイレルで2位走行したことからF1ドライバーとして技術的にはトップレベルである事を示し「表彰台、いや、好機に恵まれれば優勝も可能では?」と期待した。
その腕を十二分に発揮できなかったのが残念だ。
スタート前のドライバーズパレードで
京商1/64「ティレルF1」ミニカーにラインナップされたタイレル024/ヤマハは片山右京車をチョイスした。
ポイントを獲得したミカ・サロ選手のマシンでも悪くは無かったが、やはり右京選手のマシンが欲しかった。
実車ではスポンサーが少なくて白車体ではあったが、それでもコリアン・エアやモトローラがスポンサーに付いているた。しかし、一番“色味”があるマイルド○ブンの色が自主規制で消されているので、一層“白く”てノッペリとした仕上がりになっている。せめてブルーとライトブルーの二色は、日本GPでそうであったようにインダクションポッドまで塗装して欲しかった。
タバコ・デカールを貼って日本GP仕様っぽくしようとしても、コリアン・エアやモトローラのロゴの位置が異なるため、一旦剥がさなくてはならずかなり大がかりになってしまう。
京商ミニカーは初期型だろうか? フロントサスペンションに“カバー”が取り付けてあって翼のように見える。実車では空力効果を狙ったのだろうが想定したほどの効果が無かったようで、日本GPの時には既に取り外されて無かった。
ウイングカー時代のアロウズA2のようにサス・カバーが付いた珍しい形状と言える。―が、ドルフィンの好きな「変わりF1」と言うにはインパクトが薄すぎる。
「タイレルF1」シリーズ中唯一の“吊り下げ式”フロントウイングのミニカー。吊り下げ支柱を薄く作ろうとしているのが分かる。
だが、ウイングとの接続部分に「瞬間接着剤が乾いたような白っぽさ」が出てしまっている。
1996年の日本GPは最終戦だったので、決勝日の早朝に各チーム記念撮影を行っていた。最終戦のお楽しみでもある。
チーム・タイレルにはヤマハの日本人スタッフの姿も多く見られた。
このレースを最後に右京選手とヤマハはタイレルを離脱するのだった。
40年の想い~堺正章さんのサイン クラシックカーラリー「ラ・フェスタ・プリマヴェラ」3
近畿に春を告げるクラシックカー・ラリー「ラ・フェスタ・プリマヴェラ」。
4日間かけて約60台のクラシックカーが中部地方~近畿を走破する。有名な「ミッレ・ミリア」の近畿版だ。
東京起点の「ラ・フェスタ・ミッレ・ミリア」とともに大会の“顔”となっているのが、タレントのマチャアキ/堺正章さんだ。
ドルフィンの叔父・叔母世代はGS全盛期で「ザ・スパイダース」。ドルフィンの頃は喜劇やバラエティ番組、「時間ですよ」等ドラマで。嫁はんくらいの世代になるとドラマ「西遊記」、ミスター「かくし芸大会」。今は「星みっつデス」や堺校長―何世代にもわたって親しまれている。
今年はMASERATI A6 GCS(1948年)で参加。
昨年と車両が違っていたが、この車も所有者なのだろうか?
今年の観戦目標は、マチャアキにサインを頂くことだった。単に頂くのではなく、ドルフィンが子どもの頃、地元文化センターにやってきた全国ネットの公開番組『マチャアキするぞ~!びっくり大喜劇!!』の台本にサインを入れてもらおうというのだ。
地方の町に全国ネットの公開番組が来たのは後にも先にもこの1回限り。マチャアキの“早変わり”がウリの喜劇と歌謡ショーの番組だ。
当時小学生だったドルフィンは、祝日だった事もあり4人の友人と共に朝一番から文化センター入口で席取り待ちをした。ボードゲームや漫画を各自持参して時間をつぶした。
その甲斐あって、最前列中央の席で観劇できたのだった。
客席から見ると、TVでは写らない部分も見えちゃったりして、そんな部分も興味深かった。
帰り際、スタッフの方に記念として台本をもらって帰ったのだった。その台本を大切に残していたものだ。

昼近く。チェックポイントの奈良・橿原神宮では参加車両が一旦駐車スペースに集まるも、雨のせいかドライバーはあまり車から離れなかった。
そのためマチャアキのサインをもらうことができなかった。
「来年まで待つか?」「来年に機会はあるのか?」悩んだ挙句、大阪でのチェックポイントになっている大阪市役所に先回りしてチャンスを待つことにした。
マチャアキがスタート待ちの時に「チャンス!」とばかりに台本を出してサインをお願いした。一瞬「コイツ、何を出したんだ?」的な空気が流れたので「40年前にウチの町に来てくれたんです」と言うと「へぇ~!そう」と優しく微笑んでサインを入れて下さった。感激!
短い説明だったが、子どもの頃に受けた感動が今も心に残っている事が堺さんに伝わっただろうか?
台本の文字はもちろん手書き。
CITROEN TRACTION AVANT 7CV(1938年)
大阪市庁舎のコンクリート建造物とゴールドの車体と合わせると60'Sアメリカ・ニューヨークっぽい感じに見える。
STANGUELLINI S 1100(1947年)
大阪市庁舎のコンクリート建造物を背景に
橿原神宮の大鳥居前
FIAT 1100S PININFARINA COUPE(1950年)
橿原神宮の鎮守の森を背景に超ショートSS

大阪・御堂筋の景色と
GIAUR TARASCHI 750 SPORT(1951年)

橿原神宮の鎮守の森を背景に超ショートSS
日本銀行大阪支店の旧コンクリート建築を正面に
リアの曲面とエアアウトレットがとても美しい。
STANGUELLINI 750 S(1952年)
橿原神宮の鎮守の森を背景に超ショートSS
日本銀行大阪支店の旧コンクリート建築を正面に
JAGUAR XK120 DHC(1953年)
ミニカーラックへの道51 フェラーリF1コレクション用小棚を増設
ミニカーラックへの道51
さほどしょっちゅう買っている訳ではないのだが、ミニカーラック内に「公式フェラーリF1コレクション」の1/43ミニカーを置くスペースが無くなってきた。
中板を増設することにした。
旧型の小棚を分解し、パーツを取る。常に新しい板を買って来たのでは費用がかかるので、パーツはできるだけリサイクルする。一度作ったパーツは色も塗ってあるので、塗装が楽だ。
横板をカットした残りの細い板を使用する。この細い板の端に、元々ラックに付いている中板固定用の“ビス”を“引っかける”のだ。
「フェラーリコレクション」用の中板は2枚の細い板を、ラックのカバーに使う透明「サンデーシート」の端切れで支える。
大きいものは通常の小棚に使用するので、小さいものを2枚組み合わせてみた。細く切ったシートで2枚を固定する。
「フェラーリコレクション」は台座が板に乗るので、透明シートにしているのは“採光”のためだ。台座と台座の間の僅かな隙間でも、下の段に光が届くのだ。
さらに細い板の下に“ビョウ”を固定する小さな端切れを付ける。これが無いと“ビョウ”から板がズレると“縦ドミノ”式に中板が落ちてしまい、ラック内が「とんでもなく悲惨な状態」になってしまうからだ。
この固定用の端切れは、8㍉ビデオラック改造ラックの中板を増設した際、両端を支える“足”をカットしたときに出たもの。なので色が黒いのだ。しかし、板の下面のために見えないから良いのだ(苦笑)。
しかし、これで“ビョウ”が固定できるのなら、他のミニカーを置く小棚も薄型が作れるのでは…!?
これはまた次回へ続く。
フェラーリ・コーナーだけでラックを縦一列に使っていたが、台数が多くなったので横の段にも増設する予定。
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6輪F1最後の公式レースで3位獲得したデパイユ選手の'77年型 タイレルP34
センセーショナルを巻き起こした6輪のF1も僅か2年と短命だった。タイヤ開発が遅れて6輪のメリットが生かせなかったらしい。
しかし、水面下ではウイングカー時代に向かっていた。
’77年F1最終戦・日本GPがelfタイレルP34最後のレースとなった。
ゼッケン「3」のロニー・ピーターソン選手はレース序盤にフェラーリのジル・ビルヌーヴ選手とのクラッシュによりリタイア。
パトリック・デパイユ選手のゼッケン「4」を付けるタイレルP34は、多重クラッシュが多かったレースを走りきり3位フィニッシュ。6輪マシンの勇退に華を添える形になった。
'77年F1日本GPで3位表彰台・デパイユ選手のタイレルP34
'77年型P34は、6輪によって空気抵抗を少なくした効果を生かすために、マシン後部までフルカウリングされていた。
当時のフォーミュラカーはほとんどエンジンが露出して、車体後部はメカが露出していた。 整備上の問題なのか、費用の問題なのか分からないが「『空気の流れが大切』であるはずのレーシングカーが空気が乱れそうなメカ露出でいいのか?」と、ガキだったドルフィンでもそう思っていた。
フォーミュラの最高峰であるF1でさえフルカウルになっていたのはフェラーリくらいだろうか。ウイングカーのロータス78でさえも後部は露出だった。
そんな中で'77年型P34のフルカウルは6輪と併せて“未来的”スタイルだった。
ゴチャっとした感じの'76年型に比べスマートな感じになり、カラーも白が入って爽やかさが出た。
ドルフィンは'77年型の方が好きだ。
背景はピーターソン選手のタイレルP34日本GP仕様。これで’77年チーム・タイレル完成
京商1/64ミニカー「ティレルF1」の'77年型タイレルP34はゼッケン「4」デパイユ車を選んだ。
ゼッケン「3」ピーターソン車・日本GP仕様をレーヴコレクション1/43ミニカーを持っているのからだ。
日本GP仕様車はフロントがワイドトレッドになっていて、スポーツカーノーズの幅からはみ出てしまっている。しかし、京商1/64ミニカーは初期型らしくカウルの内側にタイヤが収まっている。形状的にはフロントの空気抵抗を少なくする良い形だ。
後期型に見られるようなノーズにオイルクーラーも無い。
車体後部のメカ露出が無い分、造形・製造は楽(?)かもしれない。
デパイユ選手だけが立つ’77年F1日本GP表彰式2枚とマクラーレンM26が多重露光になってしまった
観客が巻き込まれるクラッシュの対応不備に抗議した優勝のジェームス・ハント選手と2位のカルロス・ロイテマン選手が表彰式をボイコット(―という事になっている)。3位のデパイユ選手だけで一応表彰式の体裁を保つ形となった。
レース終了間際に敗れた金網からパドックに侵入したドルフィンと友人は、表彰台の真下で表彰式を見ていた。デパイユ選手と黄色いシャツを着たフェラーリのスタッフによるシャンパンシャワー。降り注ぐシャンパンの香りはガキには“臭い”だけだった。
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米寿のマシンが走るなんて素晴らしい 「ラ・フェスタ・プリマヴェラ」2
紀伊半島を舞台に4日間に渡って展開されたクラシックカー・ラリー「ラ・フェスタ・プリマヴェラ」。「ラ・フェスタ・ミッレ・ミリア」の関西版だ。
一番古い車で1926年製。今年米寿を迎える車両が未だにロング・ラリーを走破できるとは素晴らしい。
観戦に行ったチェックポイントは橿原神宮と大阪市役所。古(いにしえ)の神社と大都会の中心という正反対のロケーションで楽しんできた。
公式HPに掲載されたアマチュア投稿の写真等を見ると「皆さん構図とか考えているなぁ」―と感心するばかり。ドルフィンは「写真も撮りたいしサインも貰いたい」ので中途半端になってしまったと反省する。
しかし、どちらも捨てがたいのだなぁ。
BUGATTI T35A(1926年)
橿原神宮の桜の下で
参加車中最も古い車両にして総合優勝。区間を正確に走るドライバー&コ・ドライバーの技量もさることながら、ドライバーの意志どおりに走ってくれるように車両のコンディションを保つメンテナンスも素晴らしい。
大阪市庁舎のコンクリート建造物を背景に
橿原神宮の鎮守の森を背景に超ショートSS

日本銀行大阪支店の旧コンクリート建築を正面に
MG MAGNA K(1933年)
大阪市庁舎のコンクリート建造物を背景に
橿原神宮の大鳥居前
BMW 319 SPORT CABRIOLET(1935年)

橿原神宮の鎮守の森を背景に超ショートSS
ノーズの“二つ穴”はこんな昔からだったのか! クラシックカー見て改めて知る。
BENTLEY STANDARD 3 LITRE(1926年)

橿原神宮の桜の下で
橿原神宮の鎮守の森を背景に超ショートSS
BENTLEY 3.5 L(1935年)

大阪市庁舎のコンクリート建造物を背景に
橿原神宮の鎮守の森を背景に超ショートSS
LAGONDA LG45 TYPE T7 RAPIDE(1936年)

橿原神宮の桜の下で
めっちゃボディ長ッ!!
大阪・御堂筋の景色の中に
橿原神宮の鎮守の森を背景に超ショートSS



























































