オーバルの面白さが分かったCART バドワイザー500 パパは?叔父ちゃんは来てないの?
新造されたツインリンクもてぎで日本初開催となったCART「バドワイザー500」。
「500」はインディ500のような「マイル」ではなく「キロ」なので、インディより短い。
友人が当選したチケットを3人で「金」「土」「日」とシェアする作戦。平日休みのドルフィンは金曜日に観戦に行った。
木曜日の夜に到着し、愛車はホンダS-MXだったので車中泊も楽々。
レース写真はスチールの一眼レフカメラで撮影したが、雑感はコンパクト・デジカメ「コダックDC210ズーム」で撮影していた。まだ110万画素しかなかった。
それでも当時は要領が大きい記憶媒体が無かったので、画像を小さくして保存して残していたのをようやく発見できた。
決勝日のエキシビションで行われるプロペラ飛行機の練習・コンデジで撮影
ストレートの上を低空飛行している。
旋回飛行 これは一眼+望遠
「Budweiser」と描く練習?
決勝はTV放送を録画して観た―と思う。
実際に走りを観てしまうと決勝も観たくなってしまう。
オーバルは楕円をグルグル回っているだけのように思えるが、4つあるターンの使い方・走り方が違うので面白い。これは実際に観てみないと、TVのような❝追う画面❞では分かりづらいと感じた。
もてぎは第3ターンがパッシングポイント。
マイケル・アンドレッティ選手/ニューマン・ハース・レーシング/スゥイフト007.i /フォード
F1では成功しなかったがCARTシリーズではチャンピオンを獲得。
マイケルもいいが、ドルフィンとしては「パパはいないか! パパはいないか⁉」とマリオ・アンドレッティ氏の姿を求めて目を凝らしてピットを見ていたが、姿を見つけられなかった。来日していなかったようだ。
現在はアンドレッティ・オートスポーツのオーナーで、佐藤琢磨選手がインディ500を制覇した時のチームだ。
クリスチャン・フィッティパルディ選手/ニューマン・ハース・レーシング/スゥイフト007.i /フォード
元F1ドライバー。日本GPの際にサインを頂いた事もあるので「良い成績を取って欲しい」と願っていた。
クリスチャンもいいが「叔父ちゃんは来ていないか! 叔父ちゃんは来ていないか⁉」と、前年まで走っていたエマーソン・フィッティパルディ氏の姿を求めて目を凝らしてピットを見ていたが—以下同文。
ジミー・バッサー選手/TARGETチップ・ガナッシ/レイナード 98i/ホンダ
アンドレ・リベイロ選手/マールボロ・チーム・ペンスキー/ペンスキーPC27-98/メルセデス
ヒロ松下/アルシエロ=ウエルズ・レーシング/レイナード 98i /トヨタ
インデイライトから参戦し、CARTにステップアップ。長年アメリカンレースを走り続けてきた。インディ500を走った初めての日本人選手。
松下選手もずっと雑誌でしか活躍を見られなかったひとりだ。
ピットでのヒロ松下選手
松田秀士選手/デラ・ペンナ・モータースポーツ/スウィフト 009.c /フォード
同年のJGTCテストの時に写真にサインを入れて頂いた。
シティターボⅡレースで「転倒虫」と呼ばれていた(義兄・ビートたけしさんの『スポーツ大将』でだったかな?)松田選手がこうしてCARTを走っている―感慨深いものがあった。
ピットでの松田選手
パトリック・カーペンティア選手/フォーサイス・レーシング/レイナード 98i /メルセデス
J.J.レート選手/ホーガン・レーシング/レイナード 98i /メルセデス
F1日本GP、鈴鹿1000㌔で走りを観てきたJ.J.をCARTでも観られた!
CART参戦はこの年限り。
鈴鹿のイベントで呼んで欲しい。
ピットでのJ.J.レート選手
マウリシオ・グージェルミン選手/パックウエスト・レーシング・グループ/レイナード 98i /メルセデス
F1レイトンハウスでも走っていたグージェルミン選手。
チームメイトはやはり元F1ドライバーのマーク・ブランデル選手だった。
ツインリンクもてぎに行った記念に買った絵ハガキ
記念になるものがこれくらいしか無かったので。使って2枚しか残っていない。
初めてのCART 初めてのツインリンクもてぎ バドワイザー500
ホンダがエンジン供給していたCARTシリーズ。
ロードとオーバルの二種コースがら成る「ツインリンクもてぎ」完成の翌年1998年にCARTシリーズ第2戦が「バドワイザー500」として日本で初めて開催された。
観たかったレースがいよいよ日本開催の運びとなったが、当時は平日休みだったのでどうしようかと悩んでいた。
そんな時に友人が「チケット当たったんだけど、日曜日しか行けないから金曜日行く?」と絶好の話を持ち掛けてくれた。
ドルフィンの金曜日、もう一人の友人が土曜日・予選、当てた本人が日曜日・決勝―という形でチケットをシェアすること話がまとまった。
チケットの使用しなかった部分
チケットは郵送で受け取り、観戦後に埼玉の友人宅に届ける手順。静岡から初めてのもてぎに向けて、愛車・ホンダSMXで夕方から出発。
東名高速~首都高~常磐自動車道を走る。当時でもカーナビは付けていなかったので自動車MAPが頼り。
常磐道を降りてからはサーキットまでの案内板が頼り。サーキットに向かう車が何台かいてもよさそうだが全くおらず夜間単独走行。
どう走ったのか分からないまま到着(笑)。
ゲートを抜けて内部駐車場で夜をあかす。駐車場には多くの車が停まっていた。
明るくなってみるとサーキットに近い位置で車を停められていた。
当時持っていたデジカメで撮影
初めてのサーキットはワクワクする。しかも完成して1年と経っていない最新サーキットだ。
トイレや洗顔がてら付近を探検。食事はどうしていたのだろう? 覚えていない。
金曜日なのでお客さんもまばらだ。とりあえずはチケットで入れるエリアに行ってみる。第4ターンを立ち上がったところだったはず。
写真4枚でオーバル全景を撮影した半分
F1のように海外レースの雰囲気が漂って気持ちが昂る。
最前列は金網のすぐ先がコースだ。コンクリートウォールの上に位置するが、インディ500で見るような激突クラッシュの時にお客さんは大丈夫なのだろうか?
走行が始まる。
これだけコースに近いのだから爆音もさぞかし耳を引きちぎられるほどだろう。と思っていた。
―が、想像に反して静かだった。肩透かしを食らったようだった。シュゥゥゥ~ンという感じで通り過ぎてゆく。
コースに近いので風圧もかかってくるのではないかと思ったが、全然無かった。
全ドライバー記念撮影―後ろからになってしまった
せっかくなのでターン1方面にまで足を延ばした。
途中でレース系アパレルの叩き売りをしていて、そこでベネトンフォーミュラ1のベンチコートが安かったので購入。今でも着ている。
ターン1からはピットアウトの迫力あるシーンが正面で見られる。従来のサーキットではこの構図では観る事はできない。
インディシリーズも誘致せず、東日本大震災で亀裂が出たとかのスーパースピード・オーバル。MotoGPやスーパーGTのようなBIGレース開催時に駐車場として使われているシーンを見ると、勿体なくて涙が出る。
オープンホイールのマシンが3ワイドで走る迫力あるシーンが観られ、絶叫せずにはいられない。
ターン1で3ワイド!
TV放送されたシリーズを観てきたので、ある程度は選手やチーム名は把握していた。
もう1年誘致が早ければ、エマーソン・フィッティパルディ選手が走っていたのになぁ。
CART界のウイリアムズ/ホンダ、チップ・ガナッシ
チャンピオン
アレッサンドロ・ザナルディ選手/TARGETチップ・ガナッシ/レイナード 98i/ホンダ
F1では不遇だったがCARTシリーズでは圧倒的な強さを見せていた。
大事故後はパラリンピックの車椅子マラソンに出場し金メダルを獲得。その不屈の精神、挑戦者魂は人間としてリスペクトできる。
スーパーGTとDTMの交流戦にも出場した。観戦しに行きお会いしたかった。
もてぎ戦優勝
エイドリアン・フェルナンデス選手/パトリック・レーシング/レイナード 98i /フォード
アル・アンサーJr.選手/マールボロ・チーム・ペンスキー/ペンスキーPC27-98/メルセデス
TVや雑誌でしか見ることができなかったBIGネームの走りを観られて興奮しっぱなし。
ジル・ド・フェラン選手/ウォーカー・レーシング/レイナード 98i/ホンダ
グレッグ・ムーア選手/フォーサイス・レーシング/レイナード 98i /メルセデス
ターン3でクラッシュ
ポール・トレーシー選手/チームKOOLグリーン/レイナード 98i/ホンダ
フェラーリ、ランボ、ポルシェが参戦 1994年全日本GT選手権 外国車と1~3位
1994年に全日本GT選手権が発足。開幕戦が富士スピードウェイで開催された。
自動車メーカーが力を入れたJTCCとは裏腹に、GT選手権はプライベーターが市販車から車を作り上げてサーキットに持ち込んでいた。
スーパーカーがレースをしてくれるのは、スーパーカーブームを受けて育った身としてはとても嬉しかった。
太田哲也/鈴木恵一 組/タイサンADVAN F40
世界のレースで活躍していたF40。日本の公式戦ではGT選手権が初。
F40参戦は大きな話題だった。
日本のフェラーリ使い・太田哲也選手がドライブ。
アンソニー・レイド/茂木和男 組/タイサン・アドバン962C
純粋レーシングカーながら「ロードゴーイングカーがあるからGTマシンとも言える」とか何とか無理矢理な特別措置で参戦。
ウェイトハンデは300Kgもあったがポールポジションを獲得。
和田孝夫/池沢さとし 組/レインX・アート・カウンタック
世界で初めてレースに参戦したカウンタック。
カウンタック25thアニバーサリーをGT参戦のために改造。開幕戦は足回り以外はほぼノーマル状態。
「ランボルギーニはレース用パーツが無くて毎戦テストだった」と池沢選手は後述している。
それでもランボルギーニが、カウンタックがサーキットを走ってくれる事はリアル『サーキットの狼』で感激モノだ。
観ている側からも「すぐにいなくなってしまうだろうから、早く写真を撮っておかねば」という感じだった。
マウロ・マルティニ選手/acomポルシェ911
小幡栄/上原英郎 組/KORG KEGANIポルシェ
「GT2」マシン。開幕戦クラス優勝。
小幡選手は「GT2」シリーズチャンピオンを獲得する。
優勝:影山正彦選手/カルソニックスカイライン
2位:袖山誠一/山路慎一 組/コクピット館林スカイライン
3位:太田哲也/鈴木恵一 組/タイサンADVAN F40
一生の思い出 '76 F1 in JAPAN スーパーカー目当てでレース初観戦
古い写真、しかもブレブレばかりです。悪しからず。
1976年に開催された「 F1 in JAPAN」がレース初観戦。
純粋に「F1を観たい!」と思ったのではなく「東洋で初めて開催される大きな自動車イベントなら❝いい車❞(当時はまだスーパーカーの呼称が無かった)に乗った人が来るだろう」と、スーパーカー観たさに出かけたのだった。
スーパーカーショーもまだ行われておらず、雑誌の広告に載っている首都圏の外車ディーラーには行けないし❝近場❞で観られる手段の一つだった。
何より「子供は何人でも1,000円」の料金が良かった。
隣に住む同級生と彼の弟、弟の友人の計5人で出かけた。ーなのでF1を200円で観られた事になる。そりゃ赤字大会になるわ!
チケットも五等分した
同じ県内東部ではあるが、子供同士だけで御殿場までレース観戦に行くなど親の反対が無いわけではなかった。ーが、押し切ってしまった。
誰も行ったことが無い場所に大雑把な時間計画の元、早朝に出発。朝から雨だったのでカッパは着ていた気がする。
国鉄・沼津駅から御殿場線に乗り換えて御殿場駅まで。そこかバスに乗る予定だった。
ところが発着場はバス待ちの人であふれかえっていて、バスもいつ来るか分からない状態。それならタクシーで―と、直接タクシー会社事務所まで行ったものの、これまたいつ車が戻ってくるか分からない状態。
「行ける所まで歩いて行こう」と歩き出した。これが若さか…。
歩き出してみて分かった。御殿場市内にまで続く大大渋滞だった。
道は分からずとも渋滞している車沿いに歩いて行けばいい。目的地までの距離を知らないからできたのかもしれない。
渋滞している列の中に『サーキットの狼』に出てくるようなスポーツカーはいないものかと探しながら歩き続ける。
ハコスカやケンメリのGT-Rは当時でも珍しかった。が、外見的特徴が無いのでエンブレムだけ付け替えているかもしれない。ハコスカGT-Rに乗っていたお兄さんに「本当にGT-Rですか?」と聞くと、「本物だよぉ」とニヤニヤしながら答えていたのを覚えている。あの笑いは…?
歩き進みながら持って来たおにぎり🍙を食べたり、ガソリンスタンドでトイレ借りたりした。靴の中は既に濡れてぐちゃぐちゃ。それでも尚、渋滞している車よりも速いペースだった。
富士霊園に続くゴルフ場横の直線に入るくらいでようやく車が流れ出した。
ようやく目的地・富士スピードウェイに到着した。何時間かかったのか分からない。
ところがサーキットのゲートをくぐってからがまた長い。走っている爆音は聞こえてくるのだが、全然コースが見えて来ないのだ。
背景や雰囲気もお楽しみください
ようやく最終コーナー脇にたどり着いた。高橋徹選手の事故以来、現在では観戦ができないエリアだ。
生まれてこのかた、聞いたことが無いほどの爆音を上げて走るF1マシン。水しぶきとともに一瞬で通り過ぎる速さ。「なんだこれは⁉」
最終コーナー内側の駐車場に停まっていたコルヴェット
後から雑誌を読むとスタートが何時間かおしたらしいのだが、タイムスケジュールなど良くわかっていなかったので、走っていない時はウロウロしてスポーツカーを探したり友人とお喋りしていた。
開会セレモニーのハーレー編隊走行 気が付けば流し撮り
レースがスタート。単独ではなく集団となると爆音が増大。鼓膜が引き裂かれそうだ。
ところが、スタートしたと思ったら、また停まっている。「あれ?」 思えばフォーメーションラップだったのだ(笑)。
長谷見昌弘選手/コジマKE007
レース展開など良く分からない。爆音の合間かすかに場内放送が聞こえる程度。
でも観ているだけで面白い。引き込まれる魅力があった。
スタート後、しばらくして場内が異様な騒めきに包み込まれた。
どうやって知ったか覚えていない。場内アナウンスか近くで観ていた方からか…。チャンピオン争いをしていた「ラウダ」がリタイアしたらしいのだ。
「四輪の神3」のひとりと崇めるニキ・ラウダ選手/フェラーリ312T2の写真もこの1枚限り
ヨッヘン・マス選手/マクラーレンM23
「四輪神3」の二人、マリオ・アンドレッティ選手/ロータス77とジェームス・ハント選手/マクラーレンM23
ビットリオ・ブランビラ選手/マーチ761
チャンピオン獲得に向けて走るジェームス・ハント選手/マクラーレンM23
レース終盤には雨が上がり、パドックに向かう道の脇にある土手から観た。
霧が晴れて1コーナーの先にある山々が見え始めていた。
ストレートをカッ飛んでいくマシン。木霊する排気音。美しい光景として記憶に刻まれている。
いつの間にかレースが終わったらしい。
優勝は「アンドレッティ」でチャンピオンは「ハント」らしいと友人が教えてくれた。
大会は終わったが、我々はこれで終わりではない。まだ帰りがある。
レース終了時間がおしたため❝バスの最終❞が終わってしまっていた。レース最後までバスは待っていてくれなかったのだ。なんということだ。
交通手段を持たない子供にとって大ピンチ。
ここでメンバーの一人が「親戚が須走で民宿をやっているから連絡してみる」と提案してくれた。「須走」がどの辺りなのか分からないが。
次は電話機探しだ。メインゲート脇にあったか、事務所で借りたかは覚えていない。
なんとか連絡が取れて親戚の方が民宿のバンで迎えに来てくれた。その頃には空は暗くなっていた。暗い空。車のライト。迎えに来てもらった安心感を覚えている。
一旦、須走の民宿に寄せてもらい暖を取り木の葉丼もご馳走になった。みんな家に連絡を入れた。TVで好きだった『円盤戦争バンキッド』を観たので、そう遅い時間ではなかったと思う。
民宿の方が家まで送って下さった。本当に感謝している。後から親がお礼をしてくれていたと思う。
こうして長く刺激的な、そしてドルフィンをモータースポーツに引きずり込む—人生を変えた1日が終わったのだった。
あの日、F1を観に行っていなかったら、スーパーカーブームの終焉とともに車好きも終わっていたかもしれない。
全日本GT選手権 最初の大会1994年「富士GTレース」国産車編
Gr.AマシンによるJTC(全日本ツーリングカー選手権)が終了し、1994年から全日本格式のハコレースはJTCCと全日本GT選手権の二つが始まった。
日産、トヨタ、ホンダ、マツダ等のメーカーが力を入れたのはJTCC。
GT選手権はプライベーターが行き場が無くなったGr.AやJSSマシンを転用する場のような感じだった。
パワー差でGr.A系が「GT1」、JSS系が「GT2」としてクラス別けされた。
ピットウォークのチケットがあるのに写真が残っていない!?
スーパーシルエットから始まって、Gr.AやJSSが好きだったので、4ドアセダンのプリメーラやコロナのレースよりもGT選手権に魅かれた。「やっぱりスカイラインが走らないと面白くないでしょ!」と。
前年開催の「IMSA GTチャレンジ」でGTマシン1号車のカルソニック・スカイラインやシルビアを観たので、その進化系も観ておきたく、当時住んでいた東京から観戦に行った。
スターティンググリッド
発足1年目だったので、レースは二人で交代してもピットイン義務を果たせば一人で走っても良かった。
Gr.Cカーであるポルシェ962Cも台数確保の特別措置でハンデを負って参加していた。
ギッチギチに絞めつけられているより、この❝ごった煮❞感というか❝ゆるさ❞が逆に面白かった。
スタート
影山正彦選手/カルソニックスカイライン
「カルソニックスカイライン」に星野一義選手が乗っていないのはとても違和感があった。
影山選手は全日本GT選手権の初代チャンピオンに輝く。
鈴木利男選手/ZEXELスカイライン
長谷見昌弘選手/ユニシアジェックススカイライン
確か長谷見選手のマシンは前年までのGr.Aを長谷見モータースポーツでGT仕様に改造したマシンだったはず。なのにGr.AのユニシアジェックスR32 GT-Rが現存してるのは何故だろう?
袖山誠一/山路慎一 組/コクピット館林スカイライン
飯田章/山田英二 組/ジョンソンスカイライン
開幕戦はGr.Aのような外観。シーズン途中でオーバーフェンダーに巨大ウイングが付いた❝GT❞仕様になった。
影山正美選手/FEDEX NISSAN GT-Z
IMSAっぽいカラーリングだが、まだこの時は市販Zからの改造だったと思う。
服部尚貴/大井貴之 組/CCIあめんぼうシルビア
ムーンクラフトが制作・メンテナンスしていた。
石橋義三/青柳裕易 組/欧州車販売の外国屋スカイライン
「GT2」マシン。開幕戦では2位。第3戦富士では優勝している。
JSSで使用していたR31GTS-Rからの転用。
福山英朗選手/BLITZスープラ
望月英弘/石川朗 組/グレコレーシングスープラ
白鳥哲次/早川篤 組/ミューズオイル OW RX-7
JSSから転用した「GT2」マシン。
ヤマハワークスライダーが集結 ’87ヤマハ・チャンピオンシップ・カーニバル
鈴鹿8耐でのヤマハファクトリーでの活動が休止することになった。
新型コロナ終息後の世界不況を見越しての事だろう。リーマンショック後に相次いで自動車メーカーがワークス活動から撤退していったようだ。
ロードレースも盛り上がって来ていたところなのに…。
再びワークス活動を始める時、自分はサーキットに行ける状況にあるだろうか?
’86年の暮れだったろうか、行きつけのバイク屋さんで「これ行ってきたら」とチケットを頂いたのが「ヤマハ チャンピオンシップ カーニバル’87」だった。
ドルフィンが8耐に行ってレース好きだと知っていたし、8耐で撮影したケニー・ロバーツ選手の写真をパネルにしえお店に飾ってもらったりしていたので下さったのだろう。
2枚頂いたので友人とともに行った。
’87年1月末に名古屋国際ホテルのホールにヤマハの国内外ワークスライダーが集合するのだから夢のようである。
東京をはじめとして地方都市でも同じようなイベントが行われたのだろうか?
こんなBIGなイベントなのにお客さんが意外に少なかった記憶がある。
ホールには’85~’86年を戦って来たヤマハのレーサーやオフロードのマシンが所狭しと展示されていた。グッズショップもあった。
イベント最大のお楽しみ、WGPライダーによるトークショー。
チケットにか名前が載っていたが、チャンピオン、エディー・ローソン選手は不参加だった。
ケニー・ロバーツ監督
神様、ケニー・ロバーツ監督だ!
’85年鈴鹿8耐でホテルに帰る時に姿をお見かけし、’86年8耐、富士スーパースプリントでその姿を追いかけて来た。こうして数メートル先におられるッ!
カメラを構える手が震える。なんと神々しいお姿。直に生声を聞いたのはこれが初めて。
今ならこれほどのメンバーが集まれば抽選かじゃんけん大会でサイン会に参加-となるだろうが、この日はサイン会等は行われなかった。いや、むしろグッズショップでサイン色紙を売っていたくらいだ。
写真撮影はOK。
平忠彦選手
他の全日本ライダーがヤマハのジャンパーを着ていたのに、平選手は自前(?)のジャケット。❝別格❞感が満ち溢れていた。
さすが男前だ!
平選手を間近で拝見したのは初めて。それまでは鈴鹿のスタンドからピットに出て来ている時に見たほどの距離があった。
全日本ロードレースでチャンピオンを獲得した平忠彦選手のヤマハYZR500
'86年サンマリノGPで優勝した平忠彦選手のMarlboro YZR250
’86年鈴鹿8耐を走った平忠彦/クリスチャン・サロン組のTECH21YZF750
マイク・ボールドウィン選手
’86年鈴鹿8耐を走ったケニー・ロバーツ/マイク・ボールドウィン組のLuckyStrike YZR750
ランディ・マモラ選手のLuckyStrike YZR500
ランディ・マモラ選手はチケットに名前が載っていなかったので参加されていなくても致し方ない。
エディー・ローソン選手のMarlboro YZR500
カルロス・ラバード選手
250ccクラスチャンピオン。
カルロス・ラバード選手のHausBergmann YZR250
クリスチャン・サロン選手
ゴロワーズ・ヤマハと言ったらこの方!
クリスチャン・サロン選手のGauloises YZR500
ボルドール24時間にクリスチャン・サロン/ジャック・コルヌー/ティエリー・エスピ組で参戦したGauloises YZF750
マーチン・ウィマー選手とクリスチャン・サロン選手
ウィマー選手はGP250ccクラスに参戦。この年-’87年の鈴鹿8耐には負傷した平選手に代わって参戦し優勝を遂げている。
河崎裕之選手、上野真一選手、片山信二選手ら全日本ライダーも登壇した。
今はこのような企画は絶対不可能だろうな。
もし開催されたらチケット高くても行きたい!
ラッキーストライクのお姉さん♥
TECH21のお姉さん♥
秋の葛城路を走るランボ、アルファ、マセラ NCCR葛城-五條
2018年は台風直撃により12月に開催延期されたNCCR葛城-五條。2019年は秋空の下で開催された。
ここ数年連続開催されていて、秋の交通安全運動の一環でもあり、この地域の恒例行事化して多くのギャラリーが集まるイベントとなっている。
小さい子供も多く見に来ているのだが、車を触るようなことはしていない。
むしろラリー参加者の方が車を降りるなりいきなりタバコをバコバコ吸い出す始末。あまりの無神経さに「てめェの車の中で吸いやがれ!」と思ってしまうのだった。
これは極々一部なのだが、車好きというより成金感がプンプン匂って来る。
参加車両も同じような顔ぶれになってきたし、もう観に行かなくてもいいかなとも思うようになった。
アルファロメオ・ジュリア
マセラティ・グランツーリズモ スポーツ
葛城山麓には秋の花が咲く
ランボルギーニ・アヴェンタドールSV LP750-4
ランボルギーニ・ウラカン
ランボルギー・ニウラカン・ペルフォルマンテ
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スクーデリア アルファタウリ ホンダ チーム バックパック 2020 ネイビー SAT20098【宅配便大型(120)】 |
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TVK『圭市倶楽部』を観に行った~1996年 国さんと服部さんがゲスト
『土屋・坂東 走りま専科』に続いてTV神奈川で制作・放送されていた土屋圭市選手の番組『圭市倶楽部』。
スタジオ部分は川崎にあるチネチッタで公開収録されていた。
静岡に住んでいたがケーブルテレビで視聴していた。
たまに国さん(高橋国光選手)や服部尚貴選手ががゲストに来られていて、ちょうどお二人がゲストに来られる収録日に休みが取れたので、川崎まで観覧に行って来た。
収録に間に合う時間に出発したのだが、チネチッタの場所が分からず迷っている間に収録が始まってしまった。
1日2本撮りだったので服装が異なる
収録スタジオの周囲には多くのファンが二重三重になって観覧していた。人気の高さが伺えた。半数以上女性だったような気がする。
スタジオとの境に壁やガラスが無く、トークの熱気がそのまま伝わってくるし、お客さんの反応もダイレクトに伝わった。
当時、チーム国光としてアドバンNSXでJGTCに参戦していたドリキンさんと国さん。レースの裏話は面白かった。
アシスタントのお姉さんがこの日の収録で卒業だった
駐車場に停まっていた当時のドリキンさんの愛車
ADVANのホイール
このホイールを写真撮影しているところを横から番組が撮影していて、番組のCMに入る時のジングル映像として使われた(うれしい♡)。
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ラルフ・シュー参戦 フォーミュラ・ニッポン FISCO初テスト外国人選手編
フォーミュラ・ニッポンが発足して初めてのFISCOテスト。
この当時から平日休みだったので、本番レースなかなかは観に行けなかったがテストは観に行けた。しかもFISCOまで下道で小一時間ほどで行けた。
フォーミュラ・ニッポンの初めてのテストは、今では考えられないほどギャラリーが少なかった。決勝レースは現在よりも観客数は多かったはずだが、まだ「テストから観に行こう」と考える方が少なかったのかもしれない。
ラルフ・シューマッハ選手/X-Japan Racing TEAM LeMans/レイナード96D無限
休憩中に日本のモーター誌を見ていた。
「ミハエル・シューマッハ選手の弟」として鳴り物入りでフォーミュラ・ニッポンに参戦。この富士テストから合流。
将来、F1へのステップアップが絶対視されていたシューラフル選手だが、初めてサーキットで見かけた時には❝地理も言葉も分からぬ土地に来た不安気な表情をした青年❞だったのが忘れられない。
すぐに❝ズ太い❞シューマッハ家の心臓が出て来はしたが…。
ラルフ・シューマッハ選手のサイン
シューマッハ選手のマシンはまだ真っ白(トップ写真は後のレース時のもの)。
シューマイケル選手がF3000菅生にたった一回参戦しただけで見事な成績を収めただけあって、ラルフ選手はどこまでやるのだろうか? という期待が大きかった。
日本のレースに初参戦し、見事初代フォーミュラ・ニッポンチャンピオンに輝いた。
1996年のフォーミュラ・ニッポンとJGTCはTEAM LeMansの2名-ラルフ・シューマッハ選手と服部尚貴選手が席巻したと言っても過言ではない。
服部尚貴選手/X-Japan Racing TEAM LeMans/レイナード96D無限
TV神奈川で放送されていた『圭市倶楽部』にゲストで来られた時に観覧に行き、服部選手のサインを入れて頂いた。
最終戦までチームメイトのシューラフル選手とチャンピオン争いを展開することになる。
外国人ドライバーも粒ぞろいで日本人ドライバーとの戦いも見応えがあった。
アンドリュー・ギルバート・スコット選手/神奈川クリニックSTELLAR/レーナード96D無限
ミハエル・クルム選手/神奈川クリニックSTELLAR/レーナード96D無限
談笑するクルム選手とアピチェラ選手
マルコ・アピチェラ選手/TEAM 5ZIGEN/レイナード95Dジャッド
’94年に全日本F3000チャンピオンになっている。
マルコ・アピチェラ選手のサイン
ノルベルト・フォンタナ選手/SHIONOGI TEAM NOVA/ローラ96無限
ミハエル・シューマッハ選手も獲得したドイツF3チャンピオンとしてフォーミュラ・ニッポンに参戦。F1ステップアップも囁かれていた。
1コーナーでコースアウト
ノルベルト・フォンタナ選手のサイン
ペドロ・デ・ラ・ロサ選手/SHIONOGI TEAM NOVA/ローラ96無限
全日本F3チャンピオンを獲得してステップアップ。
翌年、二代目フォーミュラ・ニッポンチャンピオンとなる。同年、JGTC王座にもなりWタイトルを獲得。
F1ではアロウズで高木虎之介選手とチームメイトになった年もあった。
ペドロ・デ・ラ・ロサ選手のサイン
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みんな待ってた フォーミュラ・ニッポン FISCO初テスト
’96年にフォーミュラ・ニッポンが発足して初めてのテストが富士スピードウェイで行われた。
「F2」→「F3000」のようにレギュレーションの変更による名称変更ではなく、日本独自路線として国内最高峰の「フォーミュラ・ニッポン」に生まれ変わった。
チームスタッフやプレス関係…サーキット全体が「待っていた」という期待と希望に満ち溢れた雰囲気に満ちていた。あのような明るく和やかな雰囲気は後にも先にも無い。
もしかしたらコロナウイルスが落ち着いて、再びレースが行われるようになったらあのような雰囲気に近いものがあるかもしれない。そんな空気を味わいたい。
PIAAナカジマ・レーシングの黒澤琢弥選手と高木虎之介選手
いい雰囲気で❝仲の良い兄弟❞のようだった。
黒澤琢弥選手のサイン
中嶋悟監督
高木虎之介選手/PIAAナカジマ・レーシング/レイナード96D無限
前年までの活躍で注目度もひときわ高かった
静岡市出身なので静岡の企業、タミヤ模型や静清信用金庫がパーソナルスポンサーに付いていた。
ピットの外になかなか出てこないのでサインを頂くのが一苦労。
初めて頂いた高木虎之介選手のサイン
鈴木利男選手/かもめサービスRACING with IMPUL/ローラT96無限
星野一義選手/カルソニックRACING with IMPUL/ローラT96無限
山本勝巳選手/TEAM ANABUKI童夢with無限/童夢F104i無限
山本勝巳選手のサイン
松本恵二監督
中野信治選手/TEAM abex童夢with無限/童夢F104i無限
目元だけでイケメンと分るほど。
近藤真彦選手/NAVI CONNECTION RACING TEAM/レイナード94D無限
この年の最終戦・富士でフォーミュラ最高クラスにおいて唯一の6位入賞を得る。
初めて頂いた近藤真彦選手のサイン
羽根幸浩選手/スリムビューティーハウスCERUMO/ローラT94無限
金石勝智選手・本山哲選手/FUNAI SUPER AGURI/レイナード95D無限
後のテストの際に鈴木亜久里監督、金石選手、本山選手にサインを入れて頂いた
亜久里氏監督初年度。決勝日にはピットに生花を置いたりと今までにない雰囲気づくりをしていた。
金石勝智選手
本山哲選手
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