NCCR葛城-五條 秋の日差しを受けてオープンカーも多く参加
2019年秋に開催されたクラシックカーとエキサイティングカーのラリー・NCCR葛城-五條。
秋の空ながら日差しは強く、日中は暑いほどだった。オープンカーが走るには帽子さえ被れば絶好の天気になった。
市販車による公道ラリーは割りとオープンカーが多く参加するのだ。
モーガン・プラス4
天気が良い幹線道路だけあってツーリングするバイクも多くみられた
ポルシェ911ターボSカブリオレ
ポルシェ993カレラS
ポルシェ911GT3ツーリング
BMW M4 DTMチャンピオンエディション
2016年のDTMでマルコ・ヴィットマン選手がチャンピオン獲得した記念モデル。世界200台中、日本には25台が割り当てられた。
ジャガーFタイプ・コンバーチブル
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ヒーロー誕生 プライベーター本間選手が優勝 '86富士スーパースプリント250cc
WGP500ccと250ccのホンダ&ヤマハのトップライダーを招聘して全日本選手とレースを行った富士スーパースプリント’86。
午前中は小雨に加え霧が出るコンディションだった。
レースクイーンのお姉さん♥
オープニングセレモニーは何故かエアロビクスダンス
250ccレース1のスタート時は小雨と濃霧
レース1のWGP勢は小雨と濃霧で苦戦。全日本勢がトップグループを形成。
#21樋渡治選手/モリワキレーシング/ZERO-Z250
徐々にポジションを上げ、レース中盤にはトップグループに食い込む本間選手。
プライベーターが全日本トップを抜いてゆく様は痛快で、レースの醍醐味だ。
アルフォンソ・ポンス選手/CAMPSA HONDA/NSR250
濃霧と転倒で走っている選手も順位が分からない状態。
観客は場内放送で辛うじて分かっていた。「トップ誰?」「え?79番?」「プライベーターがトップ? 面白れーっ!」ってな感じ。
フィニッシュ後も優勝したとは知らず、フツーにピットロードを走って帰ってくる本間選手。
「本間選手、優勝です!」場内アナウンスではたと気付き、自分を指さす本間選手。「そうです、あなたが優勝です!」とのアナウンスのやりとりは忘れられない。
優勝:本間利彦選手
2位:清水雅広選手
3位:アルフォンソ・ポンス選手
表彰台の顔ぶれから本間選手の快挙が伺える。
TV番組が本間選手を密着取材していた。先見の明があったのか「若いプライベーターがここまで頑張りました」と見せたかったのだろう。しかし、思いがけず優勝して番組として一層面白くなってしまった。
自分で運搬、メンテしての参戦。このレースがきっかけで翌年からヤマハワークス入り。シンデレラボーイとなった。
観戦したレースで優勝、そしてワークス入りした本間選手を応援せずにはいられない。
幾度か全日本戦を観戦して応援してきたが、未だに一度もお会いした事は無いのだ。
250ccレース2 天気は回復
レース1の順位がスターティンググリッドになる。
ヘアピンにもあふれる観客
ヘアピンの進入までは金網のすぐ後ろが通路で、その後ろは急な崖になっていた。そのため金網の後ろに二重三重に観客が集まっていた。
ヘアピンまでで既にラバード選手がトップに立っている。
小林大選手/HRC/ホンダNSR250
’84~'85年連続全日本250ccチャンピオン。
カルロス・ラバード選手/チーム・ベネモトス・ヤマハ/YZR250
この年のWGP250ccチャンピオン。
9番手グリッドから1周目で首位に立つとそのままフィニッシュ。
チャンピオンの貫録を見せぶっちぎりで優勝
波乱でスリリングなレース1と異なり、レース2は観客が観たかったWGPワークス勢の圧倒的な走りを堪能できた。
優勝:カルロス・ラバード選手
2位:アルフォンソ・ポンス選手
3位:コーク・バリントン選手
本間選手はレース2を15位フィニッシュ。総合5位に食い込んだ。
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先々週発売 ル・マン コレクション40号 スーパーカー少年の憧れ 童夢RL-80
先々週発売された「ル・マン24時間カーコレクション」第40号は待望の童夢RL-80/フォード。
スーパーカーブーム真っ只中に誕生した国産スーパーカーの童夢-零。この小メーカーがル・マン24時間レースに打って出るとの報にはスーパーカー少年の心を湧かせるには十分。まあ、当時はスーパーカーよりもモータースポーツの方に関心が移っていたが。
市販コンセプトカー「零」の面影を若干残したレースカー「童夢-零RL」は異様に平たく空気を切り裂くようなイメージだった。
2台体制で臨みながらもレース序盤で姿を消してしまった。
翌年、改良を施されたのが「RL-80」。ドルフィンは記憶の中でこの2車種が混同してしまっていたようだ。
「RL-80」は国産マシンとして初めてル・マン24時間レースを完走した記念すべきマシンとなった。優勝争いはできなかったが、完走しただけでも嬉しい結果だった。
現在はこのシリーズでしか入手できないのではないだろうか?
シリーズは第3号以来の購入だ。ーだが、そこに至るまでひと騒動あった。
近くの書店では早々に置かれなくなってしまったので、「F1マシンコレクション」同様に購入方法を変更した。
3月25日発売前に予約注文しようとしたら発売前だったので写真が掲載されておらず、しかも❝バックナンバー❞が表示されていなかった。なので「3月25日」号を注文した。
もうおわかりだろう、届いたのは1号前のクラージュC60だった…。発売日と号の日付は異なるのだ。月刊誌で言えば4月発売→5月号となる。
思い入れも無い欲しくもないマシンのミニカーを置いておくスペースも無ければ小遣いも無い。無理を言って交換して頂いた。
そのような経緯があって手元に届くのが更に一週間遅れたのだった。
童夢RL-80の写真が無いので「童夢-零」
大阪ノスタルジックカ―ショーで展示された童夢-零とP-2。
名古屋にはRL-80も来たのに京都に近い大阪には来なかった。一説には搬入時に会場への段差が大きかったために持ち込めなかったとか。
童夢P-2
ル・マン参戦に集中するために市販計画が頓挫したとか。
「童夢RL-80」のミニカーは欲しいマシンの1台だった。いや、ミニカーが出ることすら期待していなかった。
2008年頃にビザールから1/43ミニカーが出たらしいが、金額に折り合いが付かなかったか、情報を得た時には完売していたか…。
とにかくこの時には入手できていなかったので、今回のラインナップは嬉しかった。しかも数少ない車両情報や写真が掲載された冊子まで付くのだから。
1/43ミニカーを撮影するために取り出してみるとフロントウインドウが無い! 「欠陥品か?」とウインドウのクリアパーツを探してみたが欠落している様子もない。
冊子を見てみると、当時のGr.6規定に合わせているのでウインドウは元から無かったそうだ。てっきりクローズドコクピットのマシンとばかり思っていた。
写真でしか見た事が無いマシンだったので、ミニカーでまじまじと見ると細部構造が分かるとともにミニカーの出来が良い事が分かる。さすがはスパーク製。
ボディ向かって右上面にだけあるNACAダクトやエンジンカバー上のエアインテークは❝黒塗り❞ではなく本当に隙間が空けられている。本当に❝穴❞が空けられているミニカーは持っていなかった。
ボディ側面のNACAダクト開口部は白塗りのままに見えるが、薄い銀色が入っている。
ボディ後部のエア抜きスリットは細かい墨入れで処理。
各所にあるリベット止めも再現されている。
フロントライトはクリアパーツで、ライト部は銀塗りになっている。
スポンサーロゴの再現も良く、廉価版としては申し分ない出来栄えだった。
この記念すべきマシンを、サウンド・オブ・エンジンとかに展示して欲しいものだ。
WGPが、ケニー監督がやってきた 富士スーパースプリント'86 500ccレース2
ロードレース世界選手権WGP日本GPが開催される前年に富士スピードウェイで開催された「富士スーパースプリント'86」。
バイクブーム真っ盛りの1986年の事。
ホンダとヤマハのWGP500ccと250ccのワークスライダーが参戦。スズキは来なかった。
YouTubeで見つけた当時のTV番組を見たら、深夜0時過ぎにゲートオープン待ちのバイクや車が何百メートルも列を成していた。この❝熱❞がバイクブームを支えていたんだなぁ。
ドルフィンもバイクに乗っていたが、さすがに名古屋から走って来れず、高速バスで帰省して実家から出かけた根性無しだ。
記念に購入したステッカー
これ↓は公式プログラムに付いて来たステッカーだったかな…?
チーム・ラッキーストライク・ロバーツ・ヤマハのケニー・ロバーツ監督も来日!
鈴鹿8耐の時にお見かけした憧れの神様・ロバーツ監督が目の前に~ッ!
現役を引退して数年、まだシュッとしていた。いやいや、今もいい男だが、この頃もカッコイイ。
神様・ケニー・ロバーツ監督も来日!
ガードナー選手がタイヤを替えたのを見てボールドウィン選手も急遽タイヤ交換の指示を出すロバーツ監督
マイク・ボールドウィン選手/チーム・ラッキーストライク・ロバーツ・ヤマハ/YZR500
このタバコの銘柄を日本に広めたのはWGP。そのブランド力はOVA『メガゾーン23 PARTⅡ』にも使用されたほど。
フォーメーションラップ、スタート
フロントロウの4台。2ストの押し掛けでかかる乾いたエンジン音はイイ!
このメンバーの中に割って入るスズキの水谷勝選手は凄い。
平忠彦選手/平レーシング・ヤマハ/YZR500
レース2スタート
エンジンに火が入り、白煙を上げて走り出すレーサー。4ストの8耐TT-F1とは違った迫力があった。
ワイン・ガードナー選手VSランディ・マモラ選手 WGPそのまんま!
ロン・ハスラム/レーシングチーム・カタヤマ/elf3ホンダ
コーナーでも観てみたかった。
ワイン・ガードナー選手/ロスマンズ・ホンダ/NSR500
マモラ選手と激しいバトルを展開してくれて観客を魅了してくれた。
3番手争い マイク・ボールドウィン選手VSレイモン・ロッシュ選手
ボールドウィン-ロッシュ-ハスラム-平-河崎が一段となってのバトル。
世界トップライダーの素晴らしい走りが観られて大興奮。
半年後に鈴鹿で開催される本当のWGP日本GPを増々観たくなった。「絶対に観戦に行くぞ!」と固く誓ったのだった。
優勝:ワイン・ガードナー選手
2位:ランディ・マモラ選手
3位:レイモン・ロッシュ選手
レース1、レース2の合計ポイントはガードナー選手とマモラ選手は同ポイントながら、レギュレーションによりレース2を制したガードナー選手が総合優勝。
先週発売F1マシンコレクション85号 「雨の魔術師」がドライブしたBetaマーチ751
先週発売されたF1マシンコレクション第85号は、ビットリオ・ブランビラ選手が優勝したBetaマーチ751/フォード。
少しでも安くあげるため購入方法を変更したので1週遅れで手元に届く。
サウンド・オブ・エンジンで走ったマーチ761
豪雨になった’75年オーストリアGPで優勝したことで「雨の魔術師」と呼ばれたビットリオ・ブランビラ選手。またの名を「モンツァゴリラ」。
当時下位チームだったマーチで優勝するなど、セバスチャン・ベッテル選手がトロロッソで優勝した以上の快挙。「雨が降ればマシン性能差が縮まる」と言われていた時代でさえも大金星だった。
現在では良いマシンは雨でも強く、逆もまたしかり。
性能差を腕でカバーできる時代ではなくなってしまった。下位チームが雨降ったからとファステスト更新してガンガン走るような時代ではなくなってしまった。
F1マシンコレクションの1/43ミニカーを見るとあまりにも単調で「このマシンでフェラーリやマクラーレンのマシンと対等に戦うなど無理だろう」と思えるほどレベル差を感じる。いくら雨でもよく優勝できたものだと、ブランビラ選手の腕に感服する。
スポーツカーノーズを支えるステーがサスペンション並みに太いのはご愛敬。
その代わりに外側からは目に付かないスポーツカーノーズの❝内側❞も作り込まれている。ノーズからコクピット回りまで一体型のカウル。ノーズを支えるステーがモノコックから伸びていて、構造が良く分かる。
ビットリオ・ブランビラ選手こそ、ドルフィンが初めてサインを頂いたレーシングドライバーなのだ(国内外問わず)。
’77年のF1日本GP決勝後、バドックを見て回っていると知らないオジサンが「あの人レーサーのブランビラだからサインもらっときな」と教えてくれたばかりか、サインを書いてもらうノート紙をドルフィンと友人に下さったのだ。
ノートとサインペンを渡すとブランビラ選手はペン先をこちらに向けた。「あ! キャップを外して渡さなきゃいけなかったか」と気付いた。以降、サインを頂く時はキャップを外してペンを渡すようにしている。
頂いたサインはプログラムの写真と一緒にアルバムに貼って保存している。
ブランビラ選手のサイン
ブランビラ選手は濃いキャラクターのせいか、漫画やアニメにも登場している。
『赤いペガサス』では雨の速さをみせるケン・アカバに舌を巻くシーンがある。
『グランプリの鷹』イタリアGP編では主要キャラクターとして登場。イタリアのブランビラファンと揉めた轟鷹也に詫びるブランビラ。決勝でブランビラとの勝負には観客席から「ブランビラ! ブランビラ!」のコールが巻き上がり、カトリチームのピットに物が投げ込まれてしまう。混乱を鎮めるためにピットインして盾になる鷹也のトドロキスペシャルT3。責任を感じて共にピットインしてリタイアするブランビラだった。
サウンド・オブ・エンジンでブランビラ選手のマーチ761を見たら自然に「ブランビラ! ブランビラ!」とコールしてしまう自分がいた(笑)。
初めてサインを頂いたレーシングドライバー=初めて会った選手の優勝マシン・ミニカーである。逃すことはできない。
ミニカーは優勝したオーストリアGP仕様になっていて、レインタイヤを履いている。ネームプレートにもグランプリ名が入っているほどだ。
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WGPがやってきた 富士スーパースプリント1986 500ccレース1
ワイン・ガードナー選手/ロスマンズ・ホンダ/NSR500
後ろに見えるのは八代俊二選手/HRC-モリワキ/NSR500
鈴鹿サーキットでロードレース世界選手権・WGP日本GPが開催される1年前の1986年。富士スピードウェイ(FISCO)にWGP500ccクラスと250ccクラスの精鋭を招聘して全日本選手とレースを行う「スーパースプリント富士インターナショナル ロードレース」=富士スーパースプリント’86が開催された。
WGPシーズン中にノンタイトル戦でホンダとヤマハのトップライダーを呼んでしまうとは贅沢な催しだった。これもバイクブームに加え好景気だったおかげか。
世界トップライダーの走りが見られるとあって、神奈川と静岡の友人と共に観戦に行った。当時ドルフィンは名古屋に住んでいたが、静岡の実家に一泊して出かけたと思う。
今なら予選から観戦に行っていたかもしれない。が、まだ❝足❞が無かったので、電車とバスを乗り継いでFISCOに向かった。
1日で観戦券5,000円、グランドスタンド券2,500円は結構な高額だ。
ロードレースなのでコーナーで観たいところだったが、革新的バイク「elf3」を間近で観たいという思いもあってスタンドに入った。
スタート前の雰囲気も見られる。
超スプリントで周回数が少ないので❝止め❞で確実に写真を撮っておきたい狙いもあった。
ガードナー選手がゼッケン「02」を付けているとおり、ゼッケン「01」はフレディ・スペンサー選手のものだったが、不参加だった。
ラッキーストライクのキャンギャルは外国人のお姉さんで、めっちゃプロポーション良かった
大会プログラムは処分してしまっているので詳しい資料が無いのでご勘弁を—
ランディ・マモラ選手/チーム・ラッキーストライク・ロバーツ・ヤマハ/YZR500
WGP500ccシリーズランキング最高は2位2回と無冠に終わったが、当時はコーナーでアウト側の足を浮かせる独特なライディングフォームは「マモラ乗り」と呼ばれていた。
ロン・ハスラム/レーシングチーム・カタヤマ/elf3ホンダ
チーム名は「レーシングチーム・カタヤマ」でエントリーしていた。
❝変わりバイク❞大好きドルフィンにとって目的のひとつでもあったelf3。スタンドからでは❝片側❞しか観ることができなかったが嬉しかった。
ロン・ハスラム選手のサイン
2016年の全日本最終戦にレオン・ハスラム選手がスポット参戦した際、付き添いで来られていたロン氏にサインを入れて頂いた
その際「This is Fuji」「1986」とカタコトでお伝えすると「Oh! Fuji!!」と驚かれていた。
平忠彦選手/平レーシング・ヤマハ/YZR500
全日本で大好きな平選手。
WGPサンマリノGP250ccで優勝を遂げた後だったので、500ccで世界とどう戦うかが楽しみだったが、あまり奮わなかった。
全日本ライダーはゼッケンそのまま。
水谷勝選手/ウォルターウルフ・スズキ/RG-γ500
マイク・ボールドウィン選手/チーム・ラッキーストライク・ロバーツ・ヤマハ/YZR500
WGP500ccクラスでは未勝利に終わったものの、鈴鹿8耐では史上初の3勝ライダーとなっている。
8耐では馴染みのあるヘルメットだった。
#05 レイモン・ロッシュ/レーシングチーム・カタヤマ/NS500
旧型のNS500を使用していた。
レース1スタート
朝からの小雨と霧で路面はハーフウエット。
当時はWGP同様に❝押し掛❞けスタート
激しい3番手争い
河崎裕之選手/ヤマハYZR500
ストレートでもスリップの使い合いで激しいバトルが展開され白熱の展開だった。
「スーパースプリント」だけあってあっという間に終わってしまった。
優勝:ランディ・マモラ選手
2位:ワイン・ガードナー選手
3位:水谷勝選手
延期になったので 鈴鹿2&4レース1991年 TT-F1 & F3編
新型コロナ蔓延防止対策で、全日本JSB1000クラスとスーパーフォーミュラの開幕戦になる鈴鹿2&4レースが延期になった。
開催できるとしたら両レースとも最終戦に土・日決勝が妥当だろう。
そうなると、その週末にセッティングを一番合わせられた選手が連勝してポイントも大逆転-みたいな事になるのだろう。
2&4は二輪と四輪の最高クラスが一緒に観られるオイシイイベントなのだが、時期的な事もあってドルフィンはあまり観戦に行けていない。
初めて観戦に行ったのは1991年だった―。
四輪はF3000とF3、二輪は500ccクラスではなく、TT-F1とTT-F3が開催された。
TT-F1は鈴鹿8耐で、TT-F3は鈴鹿4耐で観て来たマシンということもあって楽しめた。
TT-F1は4スト750ccまたは2スト500cc以下の公道用市販車をベースにした改造車だが、市販車のクランクケースを使用していれば、フレーム交換やサスペンションの構造変更も可能という魔改造が許されたトンデモナイマシン達だった。そこが魅力。
国内4メーカーが参戦しているので競争が激しかった。
宮崎祥司選手/anブルーフォックス・ホンダVFR750
1991年にシリーズチャンピオンを獲得。
宮崎選手に頂いたサイン
当時はピットウォークも無かったし、彼女と初めて鈴鹿に行ったので動き回る事もしていないのに、どこで頂いたのだろう? 記憶が無い。2輪4輪の選手何名かにサインを頂いている。
ヤマハの加藤信吾選手に頂いたサイン
青木正直選手/ヨシムラ・スズキ・シェットGP-1 GSX-R750
タイガー・宗和孝宏選手/シンエツ・カワサキZXR-7
アグレッシブな走りで観客を魅了していた。
宗和選手に頂いたサイン
優勝:ダリル・ビーティー選手/HRCホンダRVF750
2位:宮崎祥司選手/ブルーフォックスRVF750
3位:永井康友選手/ヤマハYZE750
永井選手の笑顔が懐かしい…。
全日本F3
バブル好景気で参加台数も多かった。予選はA/Bに分けて行われていたほど。
パウロ・カーカッシ選手/トムス031F/トムス-トヨタ3S-G
1991年のシリーズチャンピオンを獲得。カーカッシ選手はF3000にもダブルエントリーしていた。
土屋圭市選手/ラルトRT35/無限
延期になったので 右京選手初優勝 1991年 鈴鹿2&4レース
スーパーフォーミュラ開幕戦・鈴鹿2&4レースが延期になってしまったので、「2&4レース」を観に行った時の写真を掲載。
鈴鹿へはF2やF3000レースを観戦に行っていたが「この時付き合い始めた彼女と一緒に行ったなぁ」などと思い出に浸る。
鈴鹿で仲良くなった友人も彼女を連れて来ていたので、レース後に合流して遊園地入り口近くにあったレストランでおしゃべりしたな。
全日本F3000
この当時のF3000は特異的な進化を遂げていて—
シャシーはローラ、レイナード、ローラ、ラルト、童夢、レイトンハウスの6メーカー。加えて最新技術が投入された新車、熟成された旧車が混ざっていた。
エンジンは無限、DFVの二種だが、数社のエンジンチューナーによって特性が異なっていた。
タイヤはブリヂストン、ダンロップ、ヨコハマの3社。Qタイヤと決勝タイヤがあった。
この組み合わせは覚えきれなかった。
バブル期で参加台数が多く、予選落ちもあった。
予選落ちをすると決勝日にはピットにはマシンとキャンギャルだけがいるという状態だった。
このF1にも劣らぬハード面の競争もF3000の魅力だった。年間11戦あったが集客力はあった。
片山右京選手/CABINローラT90/50/DFV/BS
ヒーローズレーシングに移籍して2年目。開幕前から「チャンピオンを獲得してF1へ」と噂されていた。
右京選手のローラT90は近年、サウンド・オブ・エンジンでも走行している。
ローラT 90はF3000マシンの中でも一番好きなマシンだ。
星野一義選手/CABINローラT90/50/無限/BS
前年にチャンピオンを獲得。
’91年は優勝2回と2位1回あるが、他は全てリタイアだった。
マシンカラーは右京選手と同じキャビンだが、チームはホシノレーシングで別。
小河等選手/KYGNUS.TONEN.ローラT90/無限/BS
’89年チャンピオン。
優勝は生涯1勝だが常に上位入賞していてシリーズランキングも必ず上位に食い込んでいた。
このレースでもスタート直後から右京選手の背後にピッタリと付けていたが、最後まで右京選手を崩しきれなかった。
シケインで服部尚貴戦選手が接触によりクラッシュ
付き合い始めた彼女とレース観戦は初めてだったので、動き回らずシケインで観戦。
当時はまだ立派なスタンドではなく、最終コーナースタンドのようにコンクリートの段差だけだったと思う。
エディー・アーバイン選手/コスモオイル・ローラT90/無限/ヨコハマ
2年後の’93年にF1デビュー。日本で走り日本のF3000を高く評価してくれていたアーバイン選手のF1昇格は嬉しかった。しかも日本GPで。
F1日本GPで首位争いのセナ選手とヒル選手の争いを「遅いから抜いちゃっちゃよ~ん」状態は痛快だった。
ロス・チーバー選手/PROMISEレイナード91D/無限/BS
長く日本で走り、優勝はもちろん常に上位にいたので人気も高かった。
F3000デビュー後4年間は童夢で走っていたが、ロス・チーバー選手はその後のレイナードのイメージが強い。
関谷正徳選手/レイトンハウス・ローラT90/無限/BS
シリーズ途中でレイトンハウスのオリジナルシャシーのスイッチする。
関谷選手に頂いたサイン
サインペンの出が悪く、この日に頂いたサインはみんな霞んでしまった。
松本恵二選手に頂いたサイン
優勝:片山右京選手
右京選手はF3000初優勝。2位となった小河等選手は憮然とした表情のまま。
右京選手の初優勝レースを見られて感激。
モーター誌でフランス修行時代からコラムを連載していたので、ずっと応援していた。
第2回サウンド・オブ・エンジンにゲストで来られた際に、サインを頂いた時に「フランス時代から応援してきましたよ」と、お伝えすると、周囲にいたファンの方々も「そうそう」と同意して下さった。共感して頂き「みんなそうなんだ」と嬉しかった。
サウンド・オブ・エンジンで初優勝の写真に右京選手のサインを入れて頂いた
「この(ポーズの)写真、僕も持ってますよ」と右京氏。
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フォーミュラ・ニッポン発足レセプション ラルフとトラは不参加 後編
全日本F300に代わり1996年から日本のトップフォーミュラとして発足した「フォーミュラ・ニッポン」。
初テスト前に新高輪プリンスホテルで行われた「オープニングレセプション」に参加してきた。
ドライバーを囲んで談笑するような大人のパーティーかと思いきや、ホテルで行うピットウォークのようなものだった…。
PIAA NAKAJIMA RACING/レイナード96D 高木虎之介車
やっぱりキャンギャルはハイレグ❤が王道ですな。
前年、F3000フル参戦でシリーズランキング2位を獲得し❝次期F1ドライバー❞と期待が高まっていた高木虎之介選手は不参加。嫌だったんだろうな。
「フォーミュラ・ニッポン」の略語としてモーター誌が「エフポン」と名付けてしまった。ドライバーや関係者も使いはじめてしまった。
このなんとも間抜けた響きが「カッコ悪い」というイメージを定着させてしまった事は否めない。本来は盛り上げて飯のネタにしなくてはならないメディアが将来的には自分の首を絞める結果になろうとは…。
ドルフィンはこの響きが嫌いで、「エフエヌ」と呼んでいた。
服部尚貴選手/X-JAPAN Racing Team LeMans/レイナード96D
ミハエル・シューマッハ選手の弟として鳴り物入りで参戦する予定だったラルフ・シューマッハ選手は不参加。
’96年シーズンはJGTCともに服部選手とラルフ・シュー選手が圧倒することになる。
「X-JAPAN」のロゴが入るだけで神々しいほどカッコ良くなる
ペドロ・デ・ラ・ロサ選手/SHIONOGI TEAM NOVA/ローラT96/51
翌’97年にフォーミュラ・ニッポンとJGTCのダブルチャンピオンに輝く。
F1は'99年から足掛け9シーズンも過ごすことになる。
ノルベルト・フォンタナ選手は’97年にF1スポット参戦。CATRシリーズにもスポット参戦した。
FUNAI SUPER AGURI/鈴木亜久里監督
F1を完全引退し、日本で自チームを立ち上げた1年目。
金石勝智選手/FUNAI SUPER AGURI/レイナード95D
金石監督、昔と全然容姿が変わらないなぁ。
この時はまだメインスポンサーが発表されていなかった。
大西太一郎選手/パルチェッカーズ/ローラT94/50
影山正美選手はADVANとワークス契約。ADVANパルチェッカーズのチーム名で参戦。
田嶋栄一選手/ART BRILLANTガルウイング/ローラT94
ゼット チーム コルサ/戸田哲史選手車
ゼットコルサは参戦を取りやめ。
ASAHI KIKO SPORT/ローラT93 川本篤選手車
光貞秀俊選手/TEAM 5ZIGEN/ローラT94/50
こうして幕を開けたフォーミュラ・ニッポンは2012年までシリーズが継続されていった。
FNの初走行は富士スピードウェイのテストから。
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スポーツチックなイエローの車が走る NCCR葛城-五條
フェラーリ458スペチアーレ
鮮やかなイエローの車はスポーツ感がある。
NCCR葛城-五條でもイエローの車両が多く参加していた。
近年ではスーパーカー系の塗装には複雑なパールカラーが使用されることが多くなって「イエロー」とキッチリ区分けできるスーパーカーが少なくなった。
この大会にも多く参加しているマクラーレンとかも顕著に表れている。
スタート地点近くの山で栽培されていた菊
葛城山麓には秋の花が咲いていた。
アバルト595コンペティオーネ
アルファロメオRZ
「日刊自動車新聞CUPディーラー対抗クラス」が設けられていて、ランボルギーニ大阪とコーンズ大阪の参加車両。
ホンダS2000
ホンダカーズ大和奈良のマーシャルカー。
ホンダS660
スタッフの方の車かな?
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