桜とヨモギ摘み ヨモギ団子を作ってもらったよ
全てスマホで撮影しています
蓬団子を作るため、嫁はんとお山へ蓬摘みに行った。
ソメイヨシノはまだツボミだったが、他の種類の桜が咲いていて綺麗だった。
日々暖かかったせいか、咲き終えている樹もあったほどだ。
柳の若葉も綺麗
蓬を探してみると意外に無い。お団子にするために若芽を摘んだ方が良いのでたくさん生えていそうな山に来たのだが…。
西洋タンポポやクローバー、カラスノエンドウ等の外来種が広がっていて蓬がなかなか見つからない。
ようやくコロニーを発見して若芽を頂く。全て採ってしまうと次につながらないので、少し採っては別のコロニーへ。
まるで小説『植物図鑑』だ。
スズメバチの巣を発見! キケン!!
ここからは嫁はんがやってくれた。
摘んだ蓬を洗って茹でる。
フードプロセッサーが無いのですり鉢であたる。
蓬は繊維が強いのでなかなかペースト状にならない。この作業は嫁はんと協力し、一人がすり鉢を押さえもう一人がすりこ木を使う。腕の力尽きるまで頑張る。
だんご粉を混ぜる。
帰りに寄った店に缶アズキが無かったので、一から小豆を炊いてアンコを作ってくれた。
こうして春の味たっぷりの蓬団子が完成!
蓬の香りたっぷり。ちょっとエグ味が残ったものの、そこはアンコでカバー。
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初観戦’83富士グランチャン 当時大人気のレースだった ミニカーと国産GCマシン
高橋徹選手/NOVA-SPL/BMW
富士グランチャンピオン・レースは'70~’80年代に大人気だったレースカテゴリーだ。
特に’70年代は国内トップフォーミュラ(F2000→F2)よりも集客力があった。現在のスーパーGTのようなものだが、それを富士スピードウェイ(FISCO)だけでシリーズ戦が組まれていたのだ。
ドルフィンがレースに興味を持った頃も、雑誌ではフォーミュラよりも富士GCが占める割合が多かった。
創成期から幾度か大きなレギュレーション変更があったが、ドルフィンがレース誌を見始めた頃はマーチやシェブロンといった海外製2座席スポーツカーからNOVA53Sのような国産マシンの登場、そして単座席マシンへの移行期だった。
エブロ1/43ミニカー 紫電
クローズドコクピットの国産GCマシン、紫電。
2018年のサウンド・オブ・エンジンに完全レプリカが展示されていた。嬉しかったなぁ。
エブロ1/43ミニカー NOVA53S
実車は見た事は無いが、モーター誌を見て「カッコイイマシンだ」と憧れを抱いていた。「53」は昭和「53年」のマシンという事。
GC主流の海外製マシンはゴチャッとしていて❝中古感❞が半端なかった(笑)。
それに引き換えNOVA53Sはスタイリッシュでカラーリングも魅せるものだった。
星野選手はこのマシンで’78年にチャンピオンを獲得。
片山義美選手の単座席GC 1979年3月
国産マシンの成功でオリジナルマシンが多く登場した。
ワークス無しでプライベーターだけのGCで専用マシンを開発していった情熱が素晴らしい。それも人気の要因だ。
雑誌で読んできて、ようやく富士GC観戦にこぎつけたのが1983年だった。第2戦はGWに開催されたので、名古屋から帰省して友人と電車を使って観戦に行った。
1983年 富士GC第2戦・グラン250㌔レース
F2シャシー流用のマシンが主体ではあるが、使用するカウル年式が異なっていたり、自作オリジナルであったりした。
エンジンはBMW、マツダ、トヨタ。タイヤはBS、DL、ヨコハマとF3000全盛期のようにバリエーションが豊富だった。
中嶋悟選手/MCSⅢ/マツダ
意外な組み合わせだが、中嶋選手はGCではマツダエンジンを使用していた。
マツダは主流のBMWエンジンに対抗できるエンジンだったのだ。
高橋徹選手/NOVA-SPL/BMW
F2で戦列デビューした徹選手。GCでも予選4番手を獲得して選手紹介の時は大きな拍手が沸き上がった。
第3戦からMCSⅣを使用することになる。
レースプログラムにも徹選手の記事が掲載されていた
コースレコード表彰される星野一義選手/MCSⅣ/BMW
1977年のF1日本GPでマリオ・アンドレッティ選手がロータス78で記録したコースレードを開幕戦で塗り替えた星野選手。
2ℓマシンで3ℓF1よりも速く走った脅威のタイム1分12秒12!
中子修選手/MCSⅢ/BMW
藤田直廣/MCSⅢ/BMW
片山義美選手/NOVA-SPL/マツダ
赤池卓選手/MCSⅡ/マツダ
高橋国光選手/ロイスRM1/BMW
F2シャシーにカウルを被せたマシンとして、シリーズ全戦ポールポジションを獲得したこともあった。
萩原光/MCSⅡ/BMW
生沢徹監督と ジェフ・リース選手/MCSⅣ/トヨタ
長谷見昌弘選手/HASEMI-SPL/BMW
ハセミ・モータースポーツのオリジナルマシンを使用。
富士GC第二戦、60周のレースがスタート
ヘアピン進入で中子修選手と萩原光選手が接触!
ピットロード入り口で片山選手のマシンが炎上
優勝:松本恵二選手/MCSⅣ/BMW
第二戦のプラクティス中に事故死した佐藤文康選手。松本選手は佐藤選手と親友の間柄。「是が非でも優勝したかった」とインタビューで述べていた。
レ―ス終了後に通夜に向かったそうだ。
2位:高橋健二選手 3位:ジェフ・リース選手
リース選手は予選15番手から3位表彰台。素晴らしい追い上げだった。
ウイリアムズFW11/ホンダ・エンジンテスト1987年 何もない日にサーキットに行ってみる鈴鹿3
時は鈴鹿サーキットで初のF1GPが開催されようとしている1987年。
チケットに押されたスタンプを見ると5月21日になっている。
この日も「何か走っていないかな~」と、確たる保証もないまま名古屋市から赤のシンプソンを被りホンダMVX250に乗って名四国道を走った。
日付スタンプの「62」は「昭和62年」だ!
グランドスタンドに入るとウイリアムズFW1/ホンダが走っていた! ホンダのF1エンジンテストのようだ。
パドック側に行ってみると、ドライバーはジェフ・リース選手だった。
それまでホンダのF1エンジンテストは中嶋悟選手が担当していたが、中嶋選手がF1に行ったので、リース選手が引き継いだのだった。後に星野一義選手もホンダF1エンジンテストを行った。
昔はテストに規制が無かったのでバンバン行っていたので強いエンジンを作り上げることができたのだろう。
近年のように時間規制が設けられたら❝短時間で仕上げる❞ことが難しいのだろう。
ラルト/ホンダで欧F2チャンピオン獲得。F1、全日本F2にも参戦したジェフ・リース選手
日本では全日本F2、富士GC、JSPCでチャンピオンを獲得。長年にわたり日本のレースを走って来た。
ファン感やサウンド・オブ・エンジンでリース選手を呼んで欲しいな。
後にリース選手にサインを入れて頂いた
マールボロ契約ドライバーなのでヘルメットにもロゴが入っている。
F1開催前にF1の走行を見られた感激。
当時、ホンダの自然吸気エンジンのテストも囁かれていたが、この時はターボエンジンだった。
現在、イベント等で走行するウイリアムズFW11はこのテスト車だろう。
何周か走ったところでトラブルでストップ。
ピットレーンを逆走して帰って来た。
修理等に時間がかかったので「今日はここまで」と切り上げて帰ったのだった。
かなり多くのスタッフが参加していた。
人材育成の一環でもあったのかも。
「雛めぐり」が中止になったので じないまちグルメツアー
3月の第二土日は富田林市にある「じないまち」で「じないまち雛めぐり」が開催されるはずでしたが、新型コロナ対策で中止になりました。
お店はこの日のために準備されてきていたので、経済を回すためにも嫁はんと❝じないまちグルメツアー❞をしてきました。
久ぶりの外出と食事で気持ちが晴れました。
寺内町きっちんあいさん
煮込みハンバーグランチ
ふんわりとしていて口で溶けるように無くなるデミグラスソースのハンバーグ。
野菜プレート、味噌汁、河内長野・玄米屋玄さんのお米のご飯付き。
季節の野菜が使われている。菜の花が美味し~。
嫁はんへのホワイトデーのお返しにご馳走です。
あいさんの吊るし雛
土曜日は時折雨が降る寒い一日。雛めぐりが行われていても、外には飾れずに寂しい感じになっていたかも。
マメトコナさん
従妹と叔母に送るホワイトデーの焼き菓子を購入。あ!写真撮るの忘れた。
クッキー生地で作ったお雛様
じないまち交流館のお雛様
暮らし屋さん
完全オーガニックのいちご大福
砂糖・小豆不使用。甘みと小豆の代わりにデーツ(海外のナツメ)を使用している。ナッツのような食感でめっちゃ甘い。
求肥も玄米粉かな?
じないまち交流館のお雛様
まめてんカフェさん
天然酵母パン
大好きなクランベリーとチーズのベーグルと黒糖ドーナツ。
ホワイトデー用に作られたというホワイトチョコとオレンジピールのハート❤型パンが美味しかった。来年も作ってほしいな。
珈琲豆の蔵 平蔵さん
寺内町ブレンド&平蔵ブレンド
ドルフィンと嫁はんとで好みが異なるので、今回は二種類とも購入。飲み比べができる。
フレッシュな厳選した豆を注文が入る度に焙煎してくれるので、香りがとても良くて気持ちが豊になる。
今までに無いくらい1日で多くのお店を回ってのグルメツアーで楽しかった~。
フレディは嘘つきでも偉大なチャンピオン '86日本グランプリオートバイレース 練習編
’86年日本グランプリオートバイレースに招待選手として参戦する予定だったWGP500cc&250ccチャンピオンのフレディ・スペンサー選手。同一年にWタイトルを獲得したGP史上唯一の選手だ。
神様・ケニー・ロバーツ選手との激闘のシーズンを制して史上最年少で最高峰クラスチャンピオンを獲得したりと、偉大なライダーだ。
当時の資料が手元に無く、ネットでも探しきれなかったため誤った事を書いていたら正確な情報を教えて下さい。
前年に続いてこの年も練習走行を観に行った。
ドルフィンもバイクはホンダ車に乗っていたのでホンダを応援していた。
XL250SからMVX250に乗り換えていて、ヤマハDT50に乗る友人と一緒に出掛けた。名四国道を50ccに合わせてのツーリング。
前年はパドックに行っていなかったので、コーナーへは行かずパドックに行くと―
チャンピオン、フレディ・スペンサー選手がいた~ッ!!
紛れもなく、正真正銘、本物!
友人とともに興奮MAX、MAX、MAX~!
現在ならピットはシャッターかパーテーションで隠されるので中を伺い知る事はできないのだが、当時はイケイケ。ピットレーンと接する側に腰くらいまでの壁(作業台?)があるだけだった。昔はピットから直接コースにマシンを出すことができなかったのだ。
ロスマンズ・ホンダNSR500
マシンは調整中。
待機するスペンサー選手の腕に巻かれたテーピングが痛々しい。
チャンピオンの❝オーラ圧❞が凄まじく、圧に押されて近寄ることができない。
写真を撮る事さえ恐る恐るだった。
サインを下さいなどととても言い出せる雰囲気ではない。しかし、せっかくのチャンスなのに…。
遠目にスペンサー選手を見ていた。
なんとか目が合えば行っていいものかどうかの雰囲気が分かるのだが…。
ようやく、見つめる二人の気配に気づいて下さり目が合った。
「サインいいですか?」とジェスチャーすると「来いよ」と手招きして下さった。嬉しい!
WエントリーしていてNSR250も用意されていた
二輪、四輪ともに初めて頂く世界チャンピンのサイン。
もの凄く丁寧に、更には「world champion」とまで書き込んで下さった。感激だ。
フレディ・スペンサー選手のサイン
笑うと雑誌で見るような人懐っこい表情。あぁ、これもスペンサー選手なんだな。
しかし、日本GP決勝はドタキャンするという事件が起きた。
TV解説をしていた元WGP350ccチャンピオンの片山敬済氏が怒って「嘘つきフレディ」と、後世に残る名言(?)を発することになった。この一戦だけでなく、前年までの日本戦・決勝不参加やWGP戦キャンセル等が積み重なっての事だ。
この事もあって、スペンサー選手は日本での評価は高くない。「好きだ」と公言する方も少ない。
それでも偉大なチャンピオンの一人なのだ。
21世紀に入り、鈴鹿8耐等にゲスト来場されていたそうだが、ドルフィンが再びスペンサー氏の姿を目にしたのは「鈴鹿サーキット50Thアニバーサリー・デー」で来場した時だ。
ワールドチャンピオン・トークショーでのスペンサー氏
この時ドルフィンは純粋にイベントを楽しんでいて、今のように❝がむしゃらにサインを求める❞スタイルではなかった(苦笑)。
まだサインを頂いたことが無かったケニー・ロバーツ氏狙いに重点を置いていたし、’86年に頂いたような丁寧なサインはもうしてもらえないだろうと感じていたからだ。
ケニーロバーツ氏とのデモランを観て震えた
MotoGPイベントでツインリンクもてぎには来場されているスペンサー氏。鈴鹿にもまた来て欲しい(呼んで欲しい)な。その時はがむしゃらにサインを頂きに行きますッ!(笑)
日本グランプリオートバイレースにはワイン・ガードナー選手はじめ多くのホンダ系選手が招待され500ccクラスやTT-F1クラスを走ることになっていた。
長年不明だったこの↓選手。ブロガーのテック21さんから教えて頂きました。ありがとうございます。
アントン・マンク選手/ロスマンズ・ホンダNSR250
この年はフレディ・スペンサー選手の陰に隠れてランキング4位だったが、翌年は250ccクラスでチャンピオン獲得。
ロスマンズ・ホンダRVF750
木下恵司選手/ホンダNSR500
モリワキNSR500/八代俊二車
モリワキのメンテでNSR500を走らせていた八代選手。その後、WGP500ccクラスにも参戦。
2017年の大阪モーターサイクルショーで、この写真にサインを入れて頂いた。
写真を見せるや八代氏と一緒にいた上田氏は口をそろえて「懐かしいねぇ~」と。
宮城光選手
TT-F1クラスに参戦していた宮城選手。当時、若者から絶大な人気を誇っていた。
走行前のストレッチをされている時だったので、正面から撮影する勇気が無かった。
2016年鈴鹿8耐のトークショー後に、この写真にサインを入れて頂いた。
「この写真にお願いします」と写真を見せると「おぉ~ッ!! 懐かしい!! コレ、走る前に必ずストレッチやってたんですよ」と宮城氏。
「当時はオーラが強すぎて、前に回って写真を撮れなかったです」と話すと
「今ではただのオッサンでしょ?」と笑う宮城氏。
「いや、そんな事ありません」と、キッパリ言えずつられ笑いするドルフィンだった。
#6が宮城車
コーナーに行かなかったのは、友人が春日井市から原付で来たので滞在時間があまり無かったからかもしれない。
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スペンサーが来た! '85日本グランプリオートバイレース 練習編
1985年の日本グランプリオートバイレースにWGPライダーのフレディ・スペンサー選手と、ワイン・ガードナー選手がスポット参戦すると聞き、練習走行を見に行く事にした。
当時の資料が手元に無く、ネットでも探しきれなかったため誤った事を書いていたら正確な情報を教えて下さい。
本番は「グランプリ」タイトルがかかるので、通常レース料金よりも高額になってしまう。❝安くあげる❞ために練習走行を見に行ったのだった。
行ったのは木曜日だったのか金曜日だったのか覚えていない。
住んでいた名古屋市から愛車・ホンダXL250Sに乗り、名四国道をひた走って鈴鹿サーキットへ。
フレディ・スペンサー選手/ロスマンズ・ホンダNSR500
同年にロードレース世界選手権史上唯一人の500cc&250ccクラスWチャンピオンを獲得。
定かではないが、日本グランプリの開催が9月だったので、WGPシーズン中だったのかもしれない。
初めてWGPチャンピオンの走りを観ることができ、気持ちが高揚した。「これがフレディ・スペンサー選手なのか」と。
この日は写真を撮ることに集中してパドックには行っていなかったようだ(写真が残っていないので)。まだ❝正当な❞観戦方法をとっていた(笑)。
日本グランプリ決勝は体調不良(?)で走行キャンセルしたので、練習走行を観られてラッキーだった。
ワイン・ガードナー選手/ロスマンズ・ホンダNSR500
鈴鹿8耐や全日本も走っていたガードナー選手。それまでスポット参戦していたものの、この年からWGP500ccクラスにUKホンダからフル参戦。
「日本で走っていたガードナー選手がWGPライダーになった」と、応援する気持ちが大きかった。
翌年からワークスチームでの参戦となる。
ロスマンズ・ホンダRVF750
ガードナー選手は全日本500ccクラスとTT-F1クラスへのダブルエントリー。
鈴鹿8耐でも使用したロスマンズカラーのRVF750をライディング。
ガードナー選手に初めてお会いするのはまだまだ先のこと。
2輪を引退し、1996年の全日本GT選手権にサード・スープラGTで参戦。
富士戦のピットウォークで初めてお会い出来た。
この日のピットウォークはガードナー選手に会えることをとても楽しみにしていた。
初めて頂いたワイン・ガードナー選手のサイン
ロードレースはまだ鈴鹿8耐しか観たことが無く、この練習走行日が全日本ロードレースの走行を初めて観たのだった。
全日本500ccクラス
平忠彦選手/ヤマハYZR500
当時は不動の強さと人気を誇っていた平選手。全日本においてはドルフィンの中でもNo1選手だ。
昨年の南海・ライダーズミート2019鈴鹿で、初めて平氏にお会い出来てこの写真にサインを入れて頂いくことができた
木下恵司選手/ホンダNS500
ホンダのエースとして平選手と優勝争いを展開。
2014年頃に鈴鹿のレジェンドレースに参加されたようだが、ドルフィンは現役時代以降、お会いする機会が全くない。
水谷勝選手/ウォルターウルフ・スズキRG-γ500
ウルフγは最高にカッコ良かった。
体制的に劣りながらもヤマハやホンダに挑んでトップ争いをするアグレッシブな姿勢も好きだった。
2012年の鈴鹿50周年ファン感謝デーの際に、この写真にサインを入れて頂いた。
全日本TT-F1クラス
八代俊二選手/モリワキZERO X-7
鈴鹿8耐観戦の際にお会い出来て位から応援してきた八代選手。
翌年にはWGP500ccクラスにモリワキから参戦した。
昨年のサウンド・オブ・エンジンの際に、この写真にサインを入れて頂いた。
宮城光選手/モリワキZERO X-7
スーパーノービスと言われたTT-F3からF1に昇格。若者から絶大な人気を誇っていた。
2017年の鈴鹿ファン感謝デーでこの写真にサインを入れて頂いた。
写真を見て「これは嬉しいなぁ。ご自分で撮られたんですか?」と言いつつドルフィンの顔をのぞき込む宮城氏。「結構歳とってます(笑)」とドルフィン。
辻元聡選手/ヨシムラ・スズキGSX-R750
TT-F1昇格年にチャンピオンを獲得。ノリに乗っていた。
やはり鈴鹿50周年ファン感謝デーの際に、この写真にサインを入れて頂いた。写真を見て「いい時代だったねぇ」と辻本選手。
次期F1ドライバー続々 ラルト・ホンダが来た1983年 鈴鹿F2 JAF GP練習日
1983年の全日本F2選手権JAF GPを翌週に控えた頃、鈴鹿サーキットにF2練習走行を見に行った。
入園チケット これに日付入りスタンプを押してくれた
当時は「公開テスト」等のような情報は無く「レース前の週末だから、走っているんじゃない?」と勘で出かけていた。
友人のホンダCB400の後ろにタンデムさせてもらって名古屋から鈴鹿へ。
サポートレースの「スポーツカーレース」のために童夢RC-83も来ていた!
EWC富士ではタイヤバーストによる大クラッシュを起こしたが修復された。
大好きなスカイライン・スーパーシルエットも!
後期・鉄仮面の走行を現役時代に見たのはこの時が最初で最後。思いがけず好きなマシンを観ることができてテンションMAX。
その次はサウンド・オブ・エンジンまで30年もの時間がかかった。
スーパーシルエットはスカイラインのみだった。
長谷見昌弘選手に頂いたサイン
当ブログで何度も書いているが、当時のレーシングドライバーは皆❝怖いオーラ❞を発していた。中でも長谷見選手はめっちゃ怖い雰囲気でなかなか近寄れなかった。
勇気を出してサインをお願いすると快くして下さったのでホッとするのだ。
今でも長谷見選手はチョット怖い(笑)。
ジェフ・リース選手のJPSマーチ832/ホンダ
リース選手はポイントリーダーで最終戦を迎える。
JAF GPでは映画『F2グランプリ』の走行シーンが撮影されることになっていた。
走行シーンに使用されるスポンサーロゴが少し変えられたマシンも用意されていた。
アドバン・マーチ822
鈴鹿に行った本来の目的は—
欧F2を連戦連勝したラルト/ホンダ、JAF GP参戦のための練習走行!
F2最強エンジンとなったホンダとF1のレギュラーシートを狙う二人の外国人ドライバーを見たかった。
ラルトとホンダのワークス体制でも当時はこんな感じ
F1開催されていなかった当時の日本では、JAF GPでヨーロッパからのスポット参戦は世界の力を観る唯一の機会だった。
友人と一緒にサックウェル選手と記念撮影させて頂いた 感激~
サックウェル選手のサイン
マイク・サックウェル選手/カシオ・ラルトRH6/ホンダ
ジョナサン・パーマー選手/カシオ・ラルトRH6/ホンダ
パーマー選手にはお会いできなかった。
ほぼマーチのマシンで占められた全日本F2にあって、ラルトのマシンは新鮮だった。
ステファン・ヨハンソン選手/フットワークレーシングメイトマーチ832/BMW
欧F2でスピリット/ホンダをドライブ。ホンダのF1復帰プロジェクトでもスピリット201/ホンダをドライブしてきたヨハンソン選手。
この年はワークス仕様のマーチ832でJAF GPに参戦。ワークス仕様は当時アルミ製だったシャシーにカーボンが使用されていた。
星野一義選手/LARKマーチ832
中嶋悟選手/EPSONマーチ832/ホンダ
萩原光選手/アコム・オートバックス・マーチ822
カッコイイお兄さんさった萩原選手。
レイトンハウスがF1チームを持った際は、萩原選手も一緒に行っていたことだろう。レイトンF1はカペリ選手、萩原選手のコンビだったに違いない。
中子修選手/スピードスター・マーチ832
後に-4度のJTCチャンピオン、JTCCチャンピオンを獲得。
鈴木利男選手/ixi:zマーチ822
後に-1993年にはF1に2戦スポット参戦、’95年には全日本F3000最後のチャンピオンとなる利男選手もまだ型落ちマシンで参戦していた若手だった。
小河等選手/ボルク・マーチ822/トヨタ
後に-1989年に全日本F3000チャンピオンに輝く小河選手。当時は型落ちマシンに非力なトヨタエンジンを搭載して参戦していた。生粋のトヨタ・ドライバー。
高橋健二選手/アドバン・マーチ832
清水正智選手/トライデント・マーチ832と浅井順久選手/オスカー・マウラーMM83
清水選手は毎年、マーチの新車第一号を輸入していた。
モーター誌でコラムを連載していたこともあり人気だった。
ジェントルマン・ドライバーの先駆け清水正智選手のサイン
和田孝夫選手/三益建設マーチ822のサイン
ベッペ・ガビアーニ選手
1979年の開幕戦・BIG2&4レースにスポット参戦し、いきなり優勝。
’83年の最終戦JAF-GPで、130Rで大クラッシュしたのはガビアーニ選手じゃなかったかな?
1983年 鈴鹿F2 グレート20 映画『F2グランプリ』にも使われた
F2・鈴鹿グレート20レーサーズレースを観戦に、神奈川から友人がやってきた。
最終戦JAF GPは「GPタイトル」がかけられ通常より5周多いため、観戦料金も高くなる。それならば「グレート20」で―ということになった。
「グレート20」と謳いつつも出走台数は20台を満たしていない。
土曜日の晩、友人を下宿に泊め、日曜日の朝はいつものように近鉄準急で白子へ。
ドルフィンが行楽会で初めて鈴鹿に来た時の感激を、今度は友人が感じている。
この流れは翌年から鈴鹿8耐観戦へと続いてゆくのだった。
友人が初めての鈴鹿ということで、レース展開が把握できるグランドスタンドで観戦することにした。
この年、海老沢泰久氏の小説『F2グランプリ』が映画化されることが決定していた。小説は既に読んでいた。
本は長年手元に置いていたが大阪引っ越しの際に手放してしまったかな…?
『F2グランプリ』試写会で頂いたステッカー
翌年春頃に友人と雑誌編集部に遊びに伺った際『F2グランプリ』の試写会チケットを頂いた。ステッカーは今でも保管している。
ジェフ・リース選手/JPSマーチ832/ホンダ
中嶋悟選手/EPSONマーチ832/ホンダ
高橋徹選手/UNI-PEXマーチ832/ワークスBMW
高橋徹選手の姿を、走りを見たのはこの日が最後になってしまった。
ストレートで二台が並ぶトップ争い
激しいトップ争いに大興奮。このシーンは映画『F2グランプリ』でも使用された。
本物のバトルは映画でも迫力があった。
開幕戦以来、ようやく勝てた中嶋選手は嬉しさを爆発
優勝:中嶋悟選手、2位:星野一義選手、3位:高橋健二選手
観戦したレース全てで2位になっていた星野選手。
3位は終盤に高橋国光選手をかわした健二選手が入り、計算上チャンピオン獲得の可能性を残した。
GP広場には翌週に開催を控えたWEC JAPAN富士をPRするアドバン・ポルシェ956が展示
初めて見る最強Gr.Cカーのポルシェ956。「いよいよ来週、世界選手権を観ることできる!」と、期待に胸が高鳴った。
「早く走る所を観たいなぁ」とぐるり見ていると、アドバン・ポルシェのドライバー、高橋国光選手と高橋健二選手が様子を見にやってこられた!
もうビックリ! サインを頂く色紙が無かったので写真だけ撮らせて頂いた。
レースで3位に入った健二選手はレース後記者会見等があったのだろう、レーシングスーツのまま。
いやぁ~、テンション高まります!
翌週、世界耐久選手権WEC JAPAN観戦のため、土曜日に名古屋から鈍行で小田原まで行き、そこから小田急線で友人の下宿に。
土曜日の晩から車で出発し、初めて❝泊まり❞でレース観戦に行ったのだった。
それはまた別の機会に-。
























































































































































