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10月にしては暑いけど、「読書の秋」の季節ですね!
とはいえ世の中には、「本もマンガも読まない」という大人や、「国語が苦手/嫌い」と言う子どもたちが、予想以上に多いと感じます。
*「長い文章が苦手」で、たまたまこのブログにたどり着いてしまわれた方々へ:私の文章はわりと長いです。「可処分時間」を奪わぬよう、先にお伝えしておきます。
昨今『教科書が読めない子どもたち』がベストセラーになったり、英語と現代文を教えている当事者として、生徒たちの読解力をどうすれば伸ばすことができるかと日夜考えていたのですが、
問題集なんか一生懸命解かなくていいから、たくさん文章を読む。
マンガでもいいから、とにかく「読む」。これに尽きる。
・・・というのが私の実感的な結論なのですが、「マンガでも」というより、むしろ「マンガこそ」夢中になって読んでほしい。
読解力UPはもちろんのこと、いろんな知識を得られるし、人の心情の深い部分にも触れられる。
文字だけよりも、絵というvisual aid(視覚的な理解補助)があるマンガは、史上最強の教材だと思うのです。
テリーマンの名言!!額の「米」と両肩のスターエンブレムは、彼がアメリカ出身の超人だから。各超人の設定やバックグラウンドも、本当に勉強になります
そんな問題意識を持ってググっていたら、ホリエモンさんも同じことをおっしゃっておられたのを見つけたので、
読書嫌いの生徒たちに本(マンガ)を読ませるべく、「ホリエモンもそう言ってるよ」と、この対談を彼らにも読ませます。
→【堀江貴文×三田紀房】読解力のないヤツが多すぎる明確な理由
超濃厚グレーなアスペだけど、小さい頃から私は国語が超得意でした。
国語の成績はいつも抜群に良かったので、自分は「日本語が出来る」と長年信じていたのですが、「紙の上」での論理的言語は理解できても、周りの人たちが何を言っているのかよく分からなかったし、いまも分かりません。
いまコミュニケーションを教えているのも、決してコミュニケーションが得意だからではなく、小さい頃から「分からない」ことが多すぎたからこそ、なのです。
幼稚園の頃は、周りが何をやっているのかさっぱり分からず、毎日が意味不明すぎて拷問だったけど、小学校に上がって、少なくとも授業では先生が何を言っているのか理解できた。やっと「分かった」というのが、正確な説明かもしれません。
いま思えば、小さい私にとって、「学校は悪いところではない」と思えた原体験だったのかもしれません。運動会や遠足など意味不明の行事はあっても、幼稚園と違って、算数以外の授業では、「分からない」ということがあまりなかったから、パニックにならなくて済んでいた。
小学校はのびのび過ごしていましたが、ボールは友達、小宇宙を燃やし、友情パワーを信じる女の子だった私は、中学校あたりからガールズトークがさっぱり分からず、人間関係での苦悩は年々深まり、
唯一「やればできる」心の救いだった勉強も、作者が何を伝えたいのか明確ではない文学の授業では、「明確に文章に書かれていないことは、全く読み取れない」と発覚したのが大学の英文科時代。
大学では好きなことが勉強できると思っていたので、挫折感は大きかったですが、論理的な文章とは最高に相性がいいのだから、社会科学系へ転じてアメリカで国際政治を専攻し、その選択の正しさを実感するとともに(「教科書が分かる!!!」と狂喜しました)、
英語というlow context言語との相性の良さも分かって、ようやく人生に光が射しこんできたのに、政治の世界で働きたくて、それなら生まれ育った国でと帰国して、何をどう間違えたのか、超保守的な自民党に飛び込み、適応障害まで起こしてしまった。
心身にさまざまな不調をきたし、その原因が超濃厚グレーのアスペ脳
という、自分の脳の特性が判明してようやく自分の姿が分かったという人生を送ってきました。
超濃厚グレーなアスペな私にとって、日本語と英語では、コミュニケーションのツールとしては圧倒的に英語の方が理解しやすいのですが、
どちらの言語においても、自分の気持ちをあらわしたり、他者の言うことを理解するために、いつも必死です。
「この人は何を言いたいのか」と、そのことばの持つ意味、どのような状況でそのことばを使うのかをpick upするため、集中して話を聞いたり文章を読んだりせざるを得ない。じゃないと分からないから。
人生の長さと同じ年月、このややこしい日本語と格闘してきた人間にとって、昨今言われている「読解力」低下問題というのは、逆に自分のこの脳の特性が幸いして防げたのかもしれないとさえ思う。
超濃厚グレーのアスペ脳な私がこの世を生き抜く術として身に付けた語学力は、言語や世界の出来事に対する飽くなき探求心にドライブされたものではあっても、
裏返せば、空気も行間も読めない私にとっては、この世は分からないことが多すぎて、「理解しよう」という努力をせざるを得ないから。
小さい頃から本が大好きだったから、他者が話していることを、理解する補助線としてボキャブラリーの蓄積が多少あったことも幸いでした。
ホリエモンさんが読んでいたという、「レコード付絵本」は私も大好きで繰り返し繰り返し読んで&聞いていましたし、絵本も本もマンガも、小さい頃から母がたくさん与え続けてくれたおかげです。
幼稚園の友達の話していることはよく分からなかったけど、家に帰って本を読んでマイワールドに入ることで、小さいながら心の安定を図っていたのかもしれません。
私にとって「国語」は、母語は確かに日本語なのですが、しかし本当に日本語が私にとっての「国語」なんだろうかとさえ思うほど、high context cultureの日本語の世界では苦労してきましたし、いまもしています。
ゆえに私は国語を「日本語」といつも言ってしまうし、中学生の英語の授業では、「国語=Japanese」と安易に覚えてほしくないので、「国語=Japanese」は日本においてだけであって、
「国語」とはその国の人々がコミュニケーションのために使う言語なので、日本では日本語が国語だけど、アメリカ人にとっては英語だし、フランスではフランス語が「国語」になるんだよ、と必ず補足説明するようにしています。
1つだけじゃなく、2つ以上の言語を使う国々もある。カナダのように「公用語」として英語とフランス語の両方を使っている国もあるし、インドのような多民族国家は10以上も公用語があるから、英語を共通語として使っている。
言語というのは、単純な「単語の組み合わせ」ではなくて、その言語が持つ歴史や文化という背景知識なくして「ものにする」ことはできないし、どういう文脈で話されているかが大切。
例えば「“めんどくさい”って英語で何て言うんですか?」と聞いてきた生徒に、「それ、どんなシチュエーションで言いたいの?」と必ず問い返す。
「へ?」という顔をされるけど、「何が」めんどくさいのかが分からずに、訳しようがない。
例えば「部活に行くのがめんどくさい」なら、じゃあ、“I don't want to go to practice today.”でいいじゃん、と。「今日は練習したくない」ってことでしょ?と、その「めんどくさい」を日本語で言い換える。
そんな簡単でいいのです。「自分が言いたいこと」を、自分が知っている言い方で言えばいい。
「あの人、めんどくさいよね」と人に対して言いたければ、気難しい人というニュアンスで“He is difficult.”「なんかめんどくさいことになってきた」と、ややこしい状況を言うなら、“Seems like we are getting into a sticky situation.”
「めんどくさい」という一言であっても、これだけ「その人が言わんとしていること」を汲み取らないといけないし、そこまで詰める癖は、日本人は嫌がる人が多いけど、
アスペ脳も手伝って、「できるだけ正確に理解したい」という熱意が私は常に発動してしまうのです。
しかしこれまでの「理解できないがゆえの悲哀」のおかげで、私の語学力は磨かれた。英語を素直に直訳→日本語として自然な(さらに美しい)表現を見つける作業は、自分でも天才的だ思います。
今日は「読解力を付けるなら、マンガがいちばん」ということが言いたくて書き始めたのに、また例によって話はあちこち飛び、しかも長い。
カルチャーセンターのコミュニケーション講座も、中高生の英語の授業も、いつもこんな感じです。
「ちなみにね」で始まる私の話の飛び方が、子どもから大人まで、ご好評を頂いているのが嬉しいですけど。
秋からのレッスンは、「タイプ別人物分析」や事例研究を中心に、さらに楽しい実践編に入ります
→「人物評」は悪口ではありません。噂話に“忙しい”人たちはお断りな、コミュニケーション講座☆
小学生の頃、少女マンガより週刊少年ジャンプが大好きだった私は、ボールは友達(キャプテン翼)、小宇宙を燃やし(聖闘士星矢)、友情パワー(キン肉マン)を信じる女の子でした。
大人になっても「正義・友情・努力」が大好きなのは変わらず、ジャンプコミックスを読んで胸が熱くなる。
聖闘士星矢に続いて、この記事での予告通りキン肉マンを読み返しているのですが、正義超人の熱い友情が最高すぎます。
大人になったら、マンガに英語、音楽と「大好き」なものに対する情熱がなくなってしまう日が来るんだろうかと心配していたけど、特に変ることなく、小さい頃から続く好奇心はいまも生きている。
友達はみんな正義超人なのが嬉しいし、どんな人の中にも、アシュラマンのように温かい心があるのかもしれないけど、悪魔に魂を売ってしまった人たちもいるから、やはり戦わなければいけない。
この世にひとつだけ完璧なものがある
それは正義超人の友情だ。
それをこの世で、体現することができたら嬉しいな。
超人ではなく、人間であることは忘れずにだけど。
→「100年後にまで残したいものは何か?」~私は人を残したい。人の心の美しさを。
私の人間研究の成果は、こちらの「美魂レッスン」シリーズに書いておりますので、ぜひお役立ていただけたら嬉しいです
美魂レッスン1:その人の発言から、考え方を読み取る(プロファイリング)
美魂レッスン2:世界平和の実現は、まずは自分の幸せから始まり、広がる先にある。
美魂レッスン3:コミュニケーションは、最高の遊び道具☆
美魂レッスン4:これで常に不戦勝☆マウンティングされたときの、効果的“切り返し”フレーズ
美魂レッスン5:コミュニケーションスキルとは、この世で自分をどう表現するかの技術力。
美魂レッスン6:日本語的な「“非言語”コミュニケーション文化」からの脱却
“vanity(虚栄心)”研究は、こちらをどうぞ
→「厚塗り」不要論:「盛る」あるいは「ブランディング」と素顔の激しすぎる落差をめぐる考察
→美魂レッスン:自分をより良く「見せる」努力より、自分が「良くなる」努力を。
→“フェイク”なニュース&ピープルに惑わされない、真実を見抜く眼力を鍛えよう☆
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→「遥かなるサマープディング」~ミントの香りが魂を呼び覚まし、海の向こうへの郷愁をかき立てる。
より自由に、クリエイティブに、自分を表現して生きよう。
Be Assertive, Be Authentic!!!
あたらしい世界は、願うだけじゃなく、自分たちで創っていくものだよ。
自分自身とのコミュニケーションを深める美魂レッスンで、より愛しい自分に出会っていきませんか
個人レッスン→“Better Version of Yourself”になる、美魂コミュニケーション講座です。
歴代獅子の王より→誰もが皆、独立自尊の誇り高き王であれ。
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