読書感想文『日本語反省帳』(岩淵匡/河出書房新社/2004年2月5日初版発行)〈2〉 | tobiの日本語ブログ それ以上は言葉の神様に訊いてください

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日本語アレコレの索引(日々増殖中)【34】
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1987967446&owner_id=5019671

mixi日記2024年08月31日から。

 下記の続き。
【読書感想文『日本語反省帳』〈1〉 ハガ文】2023-01-05
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12781425992.html

 少しずつではあるが、読書感想文を書くべき本が増えている。
 どうしたものだろう。

 で、本書に関して。
 どこで見つけたのか忘れたが、かなりの良書。ただ、この書名は……。
 サブタイトルは「間違いだらけのあなたの日本語」。昔はこういう誤用関連の書籍もけっこう読んだ。そして飽きた。(←オイ!)
 著者は岩淵匡氏。調べてみると案の定、岩淵悦太郎氏のご子息だった。
 まっとうな国語学者の著書だから、おかしなところは少ない。このくらい記述が正確だと、文献として扱える気がする。
 文章もかなりまとも。ただ、厄介な話をかみくだこうとするあまり、回りくどくなっている箇所もチラホラ。さらにあえて言えば、細かく見ると疑問点もなくはない。
 文法関係の話をわかりやすく解説している。ただ、第1章が文法の話で、最初のテーマが〈「は」と「が」の微妙な使い分けができますか〉というのは……。これは↑の〈1〉で少し書いた。わずか4ページで解説するのは……さすがに無理でしょう。


 p17~のテーマは〈「に」と「へ」の違いがわかりますか〉。
 この記述を下記でひいている。
【『国語を教える文法の底力』(山田敏弘) 江戸時代{ニ/ヘ}続く時代】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12774670736.html
 ここで知って本書を購入したのかも……。



【引用部】
「英語を話せる」と「英語が話せる」は、どちらが正しいのでしょうか。「英語を話せる」が正しいと考える人もいるでしょうし、若い世代では「英語が話せる」のほうが自然だと感じる人もいるかと思います。(p24)
 ヲガ交替の話なんで、どちらもアリだろう。
【「ガ」か「ヲ」か──「本ガ読める」か「本ヲ読める」か】改
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2998.html
〈若い世代では「英語が話せる」のほうが自然だと感じる人もいる〉のだろうか。むしろ、若い人ほど「ヲ」なのでは。当方は昔から「ガ」が自然だと感じている。決して若い人のつもりはない。


 p34~のテーマは〈じつは誤用表現だった「パソコンを立ち上げる」〉」。
【引用部】
「立ち上げる」は本来の日本語というよりも、コンピュータ用語の“boot up the computer”あるいは“start up the computer”の訳語として生まれたものです。これが「立ち上がる」の他動詞形として広まったものなのでしょう。(p35)
 さらに、「①パソコンを立ち上げる」は本来の使い方で、「②会社を立ち上げる」は①の用法が転じたものとしている。「そうだろうな」とは思うけど、なぜこんなことを断定できるのかは不明。

【引用部】
 もし、本来の日本語として見るのならば、右の例は二例とも「立ち上がらせる」あるいは「立ち上がらす」でなければならないところです。
 しかし、今日では、パソコンの普及(ふきゅう)により、「立ち上げる」が一般化してしまっているので、「立ち上がらせる」「立ち上がらす」を使うことは、かえって誤用の印象を与えてしまうことになるかもしれません。
 パソコンの普及のせいで、日本語にも本来の言い方ではない、パソコン用語の翻訳表現が多く侵食(しんしょく)してきています。
 ワープロ用語である「網掛(あみか)け」やデータベース用語である「昇順(しょうじゅん)」「降順(こうじゅん)」など、何げなく使っていることばの中にも多く見られるのです。これらの新しいパソコン用語にも、慣れておく必要性がある時代になってきたのです。(p35)
「普及(ふきゅう)」に「侵食(しんしょく)」「網掛(あみか)け」ってルビ必要なのか? 本書はこういうルビがたくさん出てくる。「昇順(しょうじゅん)」「降順(こうじゅん)」は、知らなきゃ読めないかなぁ。ほかに読みようがないと思うが。基準が不明。
「網掛け」って「ワープロ用語」なのか? デザイン用語 or 出版(編集)用語では。

 さて【引用部】に関して。
〈じつは誤用表現〉だったのだろうか。それは初めて聞いた。
「自+他」の組み合わせの複合動詞は珍しいかもしれないが、「誤用」だったの?
 コンピュータと関連することは予想できる。だが、正確な関連性はビミョーな話になりそう。
 下記が詳しいかな。
【毎日ことば 「立ち上げる」使いますか】
https://salon.mainichi-kotoba.jp/archives/159

「コンピュータを立ち上げる」は「コンピュータを起動する」でいいだろう。
「アプリケーションを立ち上げる」は……これも「起動する」??
「複数のアプリケーションを立ち上げていると」は「複数のアプリケーションを使っていると」かな。
「会社を立ち上げる」
「新規の部署を立ち上げる」    
 もはや書きかえが浮かばない(泣)。
 下記も関連しそう。 
https://www.facebook.com/akira.takahashi.14/posts/pfbid0LTS9rHT6TDbPUotXTP1VHWks4ZVKVJkUFkfnvGtzTkJ1oK3hUPTj9cKH2JMa4svwl
 複合動詞の自他の話は玄妙。下記も関係しそう。
【降り続けます 降り続きます goo】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12817044577.html

 本題とはまったく関係のない話で、【必要性】ってことばに引っかかる。【必要】とどう違うのだろう。
 これは【関係性】の仲間だろうか。だとすると、「必要性」の「性」も不要ってことになるのか。この類いはまだあるかも。
2306)【関係 関係性 教えて!goo】2020-08-10
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12616976991.html
3157)【「関係」「関係性」 goo mixi日記編】2023-10-02
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12821074478.html
3162)【「関係性」「関連性」 goo】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12822717104.html


 p42のテーマは〈「ようだ」と「らしい」は同じ意味?〉。
①A君は機嫌がいいらしい。
②A君は機嫌がいいようだ。
 の2つの文のニュアンスの違いを解説している。
【引用部】
 ①②ともに話し手(書き手)の「不確かな判断」を表しています。しかし両者同じではなく、①は、かなり確実な推定による判断です。これに対して②は、「どこかで聞いたようだ」といったような、不確かな断定を表します。①は②とは異なり、「ほかの人からA君の機嫌がいいと聞いた」などの、はっきりした判断材料があっての推定です。両者を比べると、①には推定の材料がありますが、②にははっきりとした推定の材料がありません。(p42)
 これは分別教のレベルでは。一般に「らしい」は伝聞だから、こちらのほうがアテにならない気がする。それに比べて「ようだ」は、話し手(書き手)の観察などによって得た「推定」では。個人的には「ようだ」のほうが高確度に感じる。
 じゃあ自分でどう使い分けるかというと、基準は何もない。というか、「使い分ける」気がしない。同じようなものだろう。「ようだ」は「だ」で終わるのがイヤという理由で、「らしい」を使うかも。
 本書は、このあとに推量表現を並べている。
「だろう」「でしょう」「そうだ」「らしい」「ようだ」「みたいだ」
 なぜ「でしょう」だけ敬体なのかは不明。こういう説明に意味があるんだろうか。同じようなものでは。
 うーん。6つ(実質「5つ」?)つのうち「だ」で終わるのが3つか。これは「だろう」率が高くなるのはしかたがない?


 p56~のテーマは〈苦ともせず〉。何が書いてあるのかさっぱりわからない。引用するだけムダのような……。
 以下、同様の項目がけっこうある。
 わかる人にはわかるんだろう。


 p66~のテーマは〈「計画の実現化」と「予算の削減化」〉。
【引用部】
「化」「的」「性」などを使うと、表現そのものはすっきりしたように見えます。しかし、意味は焦点のぼやけたものになります。政治家が「公約の実現化に向けて……」などと言っていたら、この政治家が任期中に公約を実現することはないと思ったほうがいいのかもしれません。(p68)
「p34~」で書いた「性」の仲間。これは気をつけるべきだろう。

 ただ、自分では「実現化」「削減化」は使わないと思う。「実現を図る」あたりで十分では。


 p80~のテーマは〈「みたく」と「みたいに」〉。
【引用部】
「みたい(だ)」は、「を見たような」という表現が変化した形です。名詞につけて、「を見たようだ」と江戸時代かに使われていたものが、のちに「~見たようだ」となり、さらには「~みたいだ」の形まで現れるようになりました。
 一般には形容動詞型の活用をしているということができますが、形容詞型活用をさせて使う場合も現れました。このため「みたく」という形も用いられるようになったのです。
『岩波国語辞典』では「みたく」のような形容詞型の用法を「みたいに」の誤用だとしています。なお、「みたいだ」は、名詞について例を挙げて示す場合に用いる語です。(p80)
 趣旨はわかるが、いろいろひっかかかる文章だな。「形容動詞型の活用」「形容詞型活用」「形容詞型の用法」と並ぶと頭がグラグラする。3つ目は「形容詞型(の)活用をする用法」なんだろうか。
「しているということができますが」も相当イヤ。
「みたいに」を「みたく」と言う人が増えている。でもそれはあくまでも俗語っぽい話しことば限定だろう。「メディアの記事」でよく見かける……って本当なんだろうか。話しことばなら、もはや許容範囲って気がする。書きことばだと……「みたいに」もかなりイヤ。「ように」でいいのでは。
【引用部】
「イチローや中田みたく」などという表現は、個人が私的な場で使うのであれば、何ら制約はありませんが、テレビや新聞雑誌などの公的な場で使用するというのは、やはり問題があるかもしれません。また最近では、若い人たちに人気のある作家のなかには、現代の若者の話しことばに近いことばで作品を書く人が多いようです。(p81)
 趣旨はわかるが……。
 このあとにも「なくてはならないはずです」「言えないのではないでしょうか」と冗長な文末表現が続く。たまらん。 


 p82~のテーマは〈「~すらもが」と「~すら」〉。
【引用部】
 次のような表現は、正しいといえるのでしょうか。
  ①あまりにも静かだったので、時計の音すらもが響くように聞こえた。
  ②その問題はむずかしすぎて、生徒ばかりか教師すらもが解けなかった。(82p)
「~すらもが」はよくないらしい。
「~すら」は文語的で、〈強調する助詞〉。〈意味的には現代語の「さえ」に通じる〉とのこと。
【引用部】
「すらもが」において「すら」と「も」は、ともに強調を示しています。助詞としての本来の働きはちがいますが、現代語においては両者を区別して別の仲間の女子として位置づける必要もないでしょう。そう考えれば一種の二重表現となり、「すら」のみでよいことになります。 (p82)
 そんなことがいえるのだろうか。強調の言葉を重ねた表現は、「強い強調」を表わすのでは。それが重言か否かはケースバイケースだろう。こういうふうに分解して解釈すると、「が」の立場はどうなる。
 うーん、いい例が浮かばない。
「残酷非道」は重言?
「非常に残酷」ならフツー?
「非常に非情で残酷」はギャグ?
「常日頃」はどうよ。

 仮に「すらもが」が重言だとしても、それが「間違い」なんていえるのだろうか。
 個人的に①のような文を書くかというと、まず書かない。
 何よりも「すら」は一種のNGワード。「すらもが」になると相当古臭い。「さえ」で十分だろうし、不要って気もする。それ以前に「響くように聞こえた」が意味不明。
  あまりにも静かだったので、時計の音が妙に大きく{聞こえた/響いた}。
 ぐらいかな。
「”すらもが”」の検索結果。約 603,000 件
https://www.google.com/search?q=%E2%80%9D%E3%81%95%E3%81%88%E3%82%82%E3%81%8C%E2%80%9D&sca_esv=8c4cd638683598d5&rlz=1C5CHFA_enJP933JP935&sxsrf=ADLYWILSSQCRXGCXichHGzPYzLt5PUqB2g%3A1723699353114&ei=mZC9ZtLZBprP1e8Prdv1yAs&ved=0ahUKEwiSipG9oPaHAxWaZ_UHHa1tHbkQ4dUDCA8&uact=5&oq=%E2%80%9D%E3%81%95%E3%81%88%E3%82%82%E3%81%8C%E2%80%9D&gs_lp=Egxnd3Mtd2l6LXNlcnAiEuKAneOBleOBiOOCguOBjOKAnTIJEAAYgAQYBBglMgUQABiABDIIEAAYgAQYogQyCBAAGIAEGKIEMggQABiABBiiBEjpC1CzBljYCHABeAGQAQGYAcQDoAH-B6oBBzAuMS40LTK4AQPIAQD4AQGYAgKgAqsBwgIKEAAYsAMY1gQYR5gDAIgGAZAGCpIHAzEuMaAHiQg&sclient=gws-wiz-serp
 検索トップに出てくる下記の回答が妥当では。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12280919672

「”さえもが”」の検索結果。約 1,730,000 件 
https://www.google.com/search?q=%E2%80%9D%E3%81%95%E3%81%88%E3%82%82%E3%81%8C%E2%80%9D&sca_esv=8c4cd638683598d5&rlz=1C5CHFA_enJP933JP935&sxsrf=ADLYWILSSQCRXGCXichHGzPYzLt5PUqB2g%3A1723699353114&ei=mZC9ZtLZBprP1e8Prdv1yAs&ved=0ahUKEwiSipG9oPaHAxWaZ_UHHa1tHbkQ4dUDCA8&uact=5&oq=%E2%80%9D%E3%81%95%E3%81%88%E3%82%82%E3%81%8C%E2%80%9D&gs_lp=Egxnd3Mtd2l6LXNlcnAiEuKAneOBleOBiOOCguOBjOKAnTIJEAAYgAQYBBglMgUQABiABDIIEAAYgAQYogQyCBAAGIAEGKIEMggQABiABBiiBEjpC1CzBljYCHABeAGQAQGYAcQDoAH-B6oBBzAuMS40LTK4AQPIAQD4AQGYAgKgAqsBwgIKEAAYsAMY1gQYR5gDAIgGAZAGCpIHAzEuMaAHiQg&sclient=gws-wiz-serp
 
 ほぼ死語と思われることばをあげて……ってのは文化庁の得意技だと思っていたが……。 
 いずれにしても「正誤」の問題ではないだろう。

 もっと問題なのはp203~で「私さえもが」を取り上げているのに〝関連性〟にはふれていないことでは。
 2つの項を読み比べると……。

 
 p83~のテーマは〈大人の女性〉。
【引用部】
「女性」は、本来、大人を指すことばです。「大人の女性」と使うと二重に表現したことになってしまいます。
 しかし一方で、男ではなく女なのだということを表すために、「大人の女性」という二重表現を用いたのです。しいて言うならば「大人の女」と言うところです。(p84)
「二重に表現する」と「二重表現」がどう違うのかは知らない。
 いずれにしても、「二重表現」は「正誤」の問題とは別だろう。
 10年ぶりに会った姪はすっかり「大人の女性」になっていた、ってダメなの?
 

 p87~のテーマは〈すごい大きい〉。
 テーマ自体は、もはや古典になりそうな話。
 本書の記述では趣旨が理解できない。しょうがないか。
【すごい すごく すごい+用言〈5〉】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12275872722.html


 p139~の「第五章」のテーマは敬語。
 詳しく書くと、すんごく長くなりそう。
 本書は「お名前をおっしゃってください。」は敬語になっていないとする。正しく言うなら「お名前をお教え願います」だとか。実はこれもあまりよくなくて、いくつか修正案をあげている。「場面と人間関係を考えた上で適切な表現をすること」が大切らしい。おれで何か言っていることになるのだろうか。興味深いのは最後の一文。
【引用部】
 こうした用法とは別に、「お名前様いただけますか」というちょっと妙な使い方も、多く目につくようになっています。(p146)
 この使い方に関する解説はない。「様」は相当イヤだけど、個人的には
「お名前をいただけますか」
 ならほとんど異和感がない。もちろんまともな敬語とは重ないけれど。

 p147~では「この列車はご乗車できません」「このタオルはお持ち帰りできません」を取り上げている。正しくは「~になれません」というのはそのとおり。問題は「~いただけません」の是非。そこを書いてもらえませんか。

 p148~では「ご利用いただきまして」を取り上げている。これは「~いただき/~ください」の話。さらに「~させていただきます」の話を絡めているので、錯綜気味。

【引用部】
正しくは、
  これでよろしいですか。
 となります。ただ、 
  (ご注文のお品は)これでよろしかったでしょうか。
 では、おかしな表現になります。(p154)
 そう書いて、解説はいっさいなし。うーむ。

【引用部】
なお〈特別な語〉のところでは、今日よく使われるもののみとし、その他の、廃(すた)れたり、あまり使われなくなったものなどは省(はぶ)きました。(p165)
 うーう。このクラスの書き手でも「片たり」を使うのか……。

 p166~では「ご苦労さまでした。」「私は先生の教え子です。」を取り上げている。「ご苦労さまでした」は目上がつかう言葉、というのはそのとおりだろう。そのあとに「お疲れさまでした」も目上が使いことばとしている。そのとおりとは思うが、じゃあどう言えばいいのよ。
【違いを教えてください「ご苦労様」 と「 お疲れ様」】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12189924850.html

 面白かったのは「教え子」は教えた側のことば、という説。たしかにそんな気がするが、それはいいんじゃないかな。


 p170~のテーマは「とんでもございません」。こんな言い方は日本語には存在しないそうな。文化庁と戦ってください。本書の初版は2004年。「敬語の指針」は2007年だからしょうがないか。


【引用部】
二階から目薬
 二階にいる人が階下の人に目薬をさそうとするようなことです。現代の目薬であれば、器用な人は成功するかもしれませんが、昔の目薬は軟膏の塗り薬でした。指先についた薬を階下の人に塗るためにいくら手を伸ばしてもなかなか届かない、そんな思いどおりにならないもどかしさや、効果が期待できないことなどをたとえて言います。(p174)
 勉強になった。ただ、この文章はいろいろ気になる。


 第六章は「近頃の言い回し」がテーマ。
 疑問点も目立つけど、どうでもいい気もする。
 ただ、ひとつ気になった。
 p204~のテーマは、「私のこと好き?」と「私を好き?」の違い。

【引用部】
「私のこと好き?」というの
は、「私を好き?」と聞いたのではあまりにも直接的で具合が悪いので、「私」という存在を「事柄」としてとらえることができるよう、「私のこと」というように「こと」が挿入されているのではないでしょうか。(p204)
 この説明はどうなんだろう。 「を」(もしくは「が」)を省略している理由も不明。
【「彼女を愛している」と「彼女のことを愛している」の違い 教えて! goo 辞書】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12022556601.html
 例文を少しかえて考える。
  会社{のことが/が}気になる
  天気{のことが/が}気になる
〈直接的〉?
 そりゃ「私」や「彼女」だと直接的かもしれないけど、「会社」や「天気」は直接的とは思えない。
〈「事柄」としてとらえる〉?
「天気」あたりは「のこと」があろうがなかろうが、「事柄」では。

 


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