よく読む。だけではなく、よく書くこと。先日、卒業を迎える生徒に向けて、2回にわたり、宮沢賢治をテーマに授業する機会をいただき、いろいろ調べたのだが、賢治は短歌や詩、童話はもちろん、知己への手紙など、とにかく文章を書きまくっていた。2回目の授業では、「銀河鉄道の夜」を扱ったが、永久の未完成こそこれ完成である、という彼の言葉通り、何度も何度も書き直されている作品であることを知った。それこそ宇宙の生成と同じように、どこまでも。どごまでも終わりなどないのである。


賢治の世界に久しぶりに触れてみて、みんなのさいわいのために生きる、というビジョンのどうしようもない大きさに圧倒される。


おいおい、「みんな」を愛する、ってどういうことなの?少なくとも俺は不可能だね、と、触れてしまうのが、普通のことだね。


その突破口の片鱗を、ベルクソンの思想から垣間見た気がした。本日はここまで。



今年何にも書いてなかったのだな、と今さらながら気づき、久しぶりのブログ投稿となった。

塾講師という仕事柄か、毎年1月、2月はなぜかバタバタしており、あれこれ考える余裕を失うが、陽気も先週の大荒れを乗り越えて待ちに待った春を感じつつ、これからどう成していくかを考えている。


まずは、文芸評論家の浜崎洋介氏の存在を、剣術の師から教えていただいたことが、この年末年始の大きな出来事だった。政治の世界で保守という考えがある。Youtubeで様々な保守論客の話を聞いて来たが、海千山千、中には怪しいのもかなりいることを最近とみに実感しているが、浜崎氏との出会いで、この腐った時代にまだここまで筋の通ったことを堂々と主張する人がいるのか、と驚くと同時に、同世代でこの時代を共に生きていけることに喜びすら感じている。

文芸評論から世の中を切り取っていくスタイルを身につけたいと思う。彼の著作を今後読み進めると同時に、彼が研究対象としている小林秀雄、福田恒存を読み進めていきたい。福田恒存については先日「明暗」を読み、今までにない感銘を受けたが、彼の評論集を読むことで戯曲を分析する上での糸口になるかもしれない。愚昧な人間で少しずつではあるが、しっかりとあゆんでいきたい。まずはここまで。

昨日は剣術稽古。柳生天狗抄の型稽古を行う。この道10年やってると僕のような不器用な人間でも型は作れるが、では内実が伴うかと聞かれるとできないこともある。だからこそ日々稽古であり、できないことを明らかにし、できることに変えていくのである。はてしがない究の道である

最近打太刀もやらせていただいているが、打つという気が見えると師に指摘された。確かに自分も打つ刹那にタメを作っているのはわかった。「自分」が打つという意識からただ「刀」が落ちるという「現象」に意識を向ける。自分が主ではなく、刀が主であり、相手が主であり、こちらは陰となり従うだけという流儀の真髄であり、真髄であるが故に、この心法を体得するのは至難の業であるが、日々の心掛けしかない。

月影塾は一昨年くらいからすぐできちゃう若者、身体能力抜群な若者、研ぎ師さんなど素晴らしい若者が続々と入塾している。最近では戦闘のプロの方ともご縁が生まれた。才能はこれっぽっちもない私だが生半可ではいられないと年明け近い今、心を新たにしている。才能の差を努力と心意気で埋めていくのが我が道である。初心忘るべからず、必死で這いつくばってもがきながら努力していた自分をいつも思い出そう。

先週は仕事もそれなりにしたが、週末は忘年会もあり、休む間も無く、なんとなくふわふわしていたので、今週はやるべきことしっかりやれるよう気合い入れていくぞ〜。


と、昨日は古巣も古巣.、Tokyo Nouyi・Artという劇団の公演を観に行ってきた。劇団を退団してからちょうど12年になる。劇団の芝居を見るのもギリシャ悲劇シリーズ以来か、久しぶりである。

場所は東中野の梅若能楽堂。ここ数年能楽堂での公演を企画されていて、剣術を嗜む身としてはなんともうらやましい。


今回の演目はなんと「源氏物語」。だが主役であるはずの光源氏はまったく出てこない。光源氏にまつわる女性たちが自分の身の上を語る歌物語。そして琴や笙、笛の音が聞こえる中、法華経が鳴り響く。


「源氏物語」はぽつぽつエピソードを知っているだけで、正直あまり知らないのだけど、数年前に紫式部や源氏供養については少し研究していたので、光源氏にまつわる一人一人の女性の運命をやさしくつつみこむような演出は共感が持てた。


今回初公演なのでしかたがないとおもうが、今後1人1人の女性のキャラクターが際立つ公演を観たい。あえてわざとぼやかしたのかもしれないが、そこが少し物足りなかった。僕の研究不足も大なので、来年末の再演までには研究をすすめたいと思う。なにしろ日本屈指の女流文学だからやはり逃げられない。


当劇団の演出家で恩師のレオニード・アニシモフ氏とはお話しできなかったが、僕に俳優の手ほどきをしてくださったやはり恩師で、Prayer Stadio主宰の渡部朋彦氏や劇団にいる、いない問わず昔の俳優仲間と久しぶりに再会できたのは本当にうれしかった。いつかみんなで一緒に創作する日は来るのか。


久しぶりに時間の余裕ができての観劇だったが、来年は年男。剣術、文学、歴史、日本の地理風土研究に加え、今年末に頂いた源氏物語というプレゼントが今後化学反応するのか?しないのか?

今後の展開がほんとうに楽しみになっている。

昨日は中村光夫の「グロテスク」という小説を読了。自分の父の愛人に心を動かされて、出会いから数年たった父の告別式の夜に肉体関係を結ぶが、その営みの結果、子どもまでこしらえてしまう。現実ではなかなかあり得ないストーリーだが、久しぶりに人間らしさを味わった小説だった。好きだ、って言葉、何で簡単に言えないんだろうな。まあそりゃ親父の愛人に惚れたなんてことは簡単に口にはできないが、初対面で妙齢の女性に風呂場で背中を流されたら男なら心は動く。お互いに温め続けた思いがしっとりと身を結ぶ。自分は女性との性交渉はさっぱりなのだが、世の中意外とラフに営みが交わされているのかもと思うと、少しは心を向けてみてもと思ったりする。


中村光夫という人物は皆さん聞き覚えがおそらくないだろう。私も頭の片隅にあったが、氏の書は今の今まで読んだことはなく、「グロテスク」は先日たまたま地元の図書館のリサイクル本から見つけたものであった。最近浜崎洋介という文芸評論家を知ったことから、福田恒存、小林秀雄という昭和の文芸評論家とつながり、中村光夫も確かお仲間だったなあ、というところからピンと来て家に持ち帰ることにした。いわゆる鎌倉文士で、モーパッサン、フローベルなどフランス作家の影響を受けて、日本の作家では川端康成、谷崎潤一郎、そして二葉亭四迷の批評をした人物である。「グロテスク」を読んだ印象では人の表裏をどこまでも見通してやろうとするいい意味での猜疑心を抱えている作家だと思った。


最近福田恒存の戯曲「明暗・崖のうへ」を読んだが、あまりに奔放すぎる男女の性のあり方が強烈すぎて倫理観ってなんなんだろう、と考えさせられる。ただ人間本来、お互い合意なら自由なんだろう。ただそれだけなのだろう。いかにあからさまにしないで、言葉遊びの中で事をなすか。もしくはなさぬのか。そんなところに思いをいたした。両作品は改めて分析していきたい。

相変わらず子供に勉強教えながらも学びの日々である。教える仕事は準備も含めて大変な部分もあるが、毎日毎日新たな知識や発想を得ながら生きることができて楽しい。そして今の教え学びがきっと先の未来につながっていくのだと思うと今を全力で生きようとワクワクする。しあわせなことだね。


私が働いているフリースクールで高校生の生徒相手に地理の授業を新たに依頼された。すでに大学には合格している生徒だが、卒業までに地理が学びたいということらしい。


地理の授業といっても教科書と地図帳を片手に教える、ということではなく、中学生のときに体調を崩していたために地理の授業を受けることができず、日本各地の地名や特徴が全くわからないので教えてほしい、という案件。


今後児童文学を学ぶそうで、各地の伝承や民話なども入れながら授業してほしいとスタッフさんからアドバイスをいただく。

そうなると毎回毎回仕込みが必要な企画授業で苦労するなあ、と思いながら、だから私のところに来るんだろうな、と妙に納得する。


前回が初回授業で、山口県、島根県をメインに授業を行う。まだまだ全く手探りなのだが、旅行雑誌を使いながらビジュアルでも各地の様子を見てもらう。


山口県は下関の話から入った。江戸時代の西廻り航路の拠点だった話、長州藩の外国船砲撃の話、そこから古代は下関界隈が長門国と言われ、白村江の戦いの時には防衛の拠点になったような話をしたのか。山口の下りで大内市について説明した。地理というよりだいぶ歴史によってしまった。あとは、秋吉台、萩あたりを説明。かつての周防国の説明はかなりおろそかになる。


島根県は古事記のイザナギ、イザナミの黄泉比良坂の話から入り、縁結びということに暗につなげて弁慶の話もした。松江では小泉八雲の話もしたが、ろくろ首の話が長くなりすぎたのは失敗。事前に出雲、石見地域の伝説の話は仕込んでいたので、国譲りの話、八岐大蛇の話、浜田市近くの猫島、犬島の話をする。少し演劇仕立てでやった猫島、犬島は生徒もかなり喜んでいた様子。


今回は準備不足だったが、次回補足を入れながら、鳥取、広島、岡山とディープな中国地方を味わっていきたい。




究極の麺料理シリーズ3回目にしていきなり切り札をきってしまうのはどうかと思うが、とりあえずよさこいも終えて家にいる時間も増えてきた今日このごろ。地元随一の麺料理屋、本当は教えたくないが休日の今日、久しぶりに訪れたのもあり、ご紹介したい。


宮廷麺「なにや」さん。ネーミングからして物々しいが、この店の麺は他の店とは一線を画す。

翡翠麺。もちろん宝石を食べるわけではない。

翡翠の色のように見えるのは、ほうれん草が練り込まれているせいで、薄緑色に美しく映えた麺は食べるのももったいないと思わせる。そしてこの店のサブタイトルである宮廷麺は中国明清の歴代の皇帝が食したことが由来で、お店の入り口近くには永楽帝など明清の肖像画が飾られている。



今日はお腹が空いていたので1300円とちょっと高いが「チャーシュー麺」を注文する。

ちなみに常連客によく注文されるのは900円の「麺菜」で野菜たっぷりの麺料理だが、今日は野菜より肉が食べたかったので即決。


着丼。はくさい、ブロッコリー、メンマ、きくらげ、玉子など、意外にもチャーシュー以外の具材が多い。久しぶりに野菜をたくさん食べる。

チャーシューは5枚ほど入っていて、一枚一枚がそんなに大きいわけではないが、身が詰まっていて、見た目以上に食べ応えがある。

そして翡翠麺。着丼当初は少ない?と思ったがチャーシューが予想以上に腹に効いて、二郎並に気合い入れて食べた。中盛にしたら今日はやばかったかも。それぐらい一つ一つの食材に手がかけられて充実しているのだといえる。

スープは薄味の醤油味で、上品な飲み口。乾杯。


この店は麺だけではなく、チャーシューだけでもなく、全ての食材が素晴らしい。そしてこの店は実は麺料理だけではない。三色餃子という超ヒットメニューもあり、地元の方々に大変親しまれている。

ちなみにとなりのうどん屋さんはなにやの店主の弟さんが経営。兄弟で麺を追求しているのはすごい。こちらも後日訪れてみたい。


鳴くようぐいす平安京〜。平安時代と言えば日本人のほとんどがこのフレーズから入るのだろう。なんとのどかな時代だろうと想像してしまうが、この時代もやはり激しい権力闘争の中で悲運の最後を遂げた結果、怨霊として現世に祟りや災いをもたらしたのである。

いろいろあるのだが、まず桓武天皇即位や遷都をめぐる山背渡来人と南都大和国勢力の対立である。桓武天皇の母は高野新笠という百済王族の子孫だった。有名な秦氏をはじめ、渡来人は山背国を拠点としているが、8世紀後期に入って一気に力をつけ始める。これは先日奈良時代のところで話題にした女帝・称徳天皇と道鏡の時代に端を発していると僕は見ている。奈良時代後期はそれまでの身分構造を揺るがす大きな変化があったのである。この辺りは渡来人への賜姓と関わるところでよくよく研究しなければならない。

そして怨霊渦巻く平安京。そう、井上内親王、他戸親王、早良親王、平城太上天皇と次々と失脚していく皇族たち。嵯峨天皇の子どもからかの有名な源氏という姓が出現する。このことを宮廷の財政改革と説明されることがあるが、実は皇族同士のすさまじい権力闘争から逃れるためだったのではないだろうか。源氏が平安期に婚姻関係を通じて平安時代を牽制を振るう藤原北家と融和していこうとする流れはなかなか面白い。藤原良房、藤原道長は源を名乗る女性を妻に娶っている。

また、藤原北家と式家の対立、そして北家内の対立も本当に面白い。平城太上天皇の変、承和の変、応天門の変、すべて上記の対立構造を説明しなければ本当の理解には至らない。

まあ今日はこの辺りで。

最近一番ひいきにしている麺料理はなんといっても蒙古タンメン中本である。高校からもう30年近くの付き合いとなるが、最近また中本熱が再燃することとなり、週一度は訪れている。この暑かった夏、週末ハードな踊りの練習を乗り越えたのもひとえに練習後に北極大盛を美味しくいただく、という食いっ気に支えられたものだったと言っても言い過ぎではない。

特によく行くのは自宅に近い東村山市にある秋津店。秋津には通称ギャンブル線といわれる武蔵野線の駅もあり、むさくるしいおっさんが管巻いてそうな、ちょっと入るのを躊躇するディープな居酒屋が多い街で知られているが、秋津店は外観は極めてきれいで、最近では若い店員も多くいて入りやすい。この店ではもう北極大盛一択である。汁麺を味わっている時の辛さと、やがて汁が麺に吸い取られて和え麺に変化した時の甘さとのコントラストが本当に素晴らしく、北極万歳!といった感じである。

最近は他店舗にも顔を出している。以前かなり通った新宿店で北極大盛を注文。辛さは秋津店に比べると物足りなかったが味噌の旨みが後味として感じられて美味しい。これはこれで新宿店の持ち味なんだろう。辛さ2倍で今度試してみたい。

帰り際に林店長に、お久しぶりです、と声をかけられる。俺のことマジで覚えているの?って邪推してしまったけど、かつてホストのようにイケメンだった林店長もさすがに年をとった。お互い年には逆らえないな、と思いながら、また来ますね、と返して店を後にしたのだった。

かつての日本映画の素晴らしさを知ってもうすぐ20年。きっかけはTSUTAYAで借りた小津安二郎先生の作品だった。1960代に活躍した映画監督シリーズを皮切りに、小津先生の他には、成瀬巳喜男、溝口健二、黒澤明と行ったメジャーどころを皮切りにして、常に情報をとるというわけでもなく、執心することもなく、ミニシアターの情報をたまたま目にして面白そうと思えば観に行き、最近では市川雷蔵という稀有な俳優と出会うことになり、雷蔵が出演する作品ばかり観るようになった。また最近は借りるのではなくもっぱら買うことにしている。

さて、昨日買った「妖僧」を鑑賞。1963年製作、監督は衣笠貞之助。もともと女形俳優として活躍していたが、監督に転身すると日本文学を映画化しながら日本独特の美意識を追究していく。だいぶ前に書いたのだが泉鏡花原作の「歌行灯」は衣笠の作品。さて、本作品は3000日以上の修行を経て不思議な法力を得た道鏡が世に出て様々な奇跡を顕わしたところから、朝廷に召されて女帝(孝謙、称徳天皇)の病を救ったことから女帝の寵愛を受けることとなるが行の道ではおよそ思いもしなかったであろう愛欲の心に苦しむ、というモチーフである。どんなに長く修行してもこの道はダメなのね。このあたりは以前観た「安珍と清姫」と似ている。安珍と清姫は妖僧の3年前に作られているので雷蔵の役作りに生かされたと推察した。

まあそれにしても女帝を演ずる藤由紀子。まだこんな美しい女優がいたんですね。「白い巨塔」で有名な田宮二郎に嫁いでわずか5年、23才で引退したが続けていれば若尾文子と双璧になっただろうと思うと惜しまれる。

史実と重ねてみると孝謙皇太后の病気平癒と仲麻呂の乱は出てくるが、宇佐八幡神託事件は描かれておらず、ほぼほぼ道鏡と女帝の結びつきにしぼられている。女帝の愛情を受け入れることに躊躇して苦しむ道鏡だが、やがてふたりは夫婦の契りを交わすこととなる。しかしそのために道鏡は法力を失う。その後女帝は胸の病をわずらい、道鏡の必死の御祈願にもかかわらず、亡くなる。後ろ盾を失った道鏡は藤原氏の一派に襲われ、2回刀で刺されて倒れるが、この時は法力を取り戻したのか、蘇生して必死に女帝の寝所までたどりつき、未来永劫女帝に連れ従うと誓い、そこで果てる。「安珍と清姫」の時は逃げに逃げた雷蔵だったが本作品では自らの心を捧げた女性のために自らの行者としての立場も捨て命をかけてまで尽くしきる役を演じている。


めずらしく長髪で現れた雷蔵の姿が白黒のコントラストと色気を引きたたせるメイクでまた美しいし、奈良時代の宮廷を模したセットもしっくりくる。音楽は妖僧と言うテーマを意識すぎたせいか不思議ワールドを強調しすぎかな。まあこの辺りは大映映画の味だと言ってしまえばそれまでなのだけどね。