おっす!暑い、暑いいうとるが、心頭滅却すればなんとやらだ。

今朝は吉祥寺で仕事。いつもは指導のため、教室によって、すぐ離れる街だが、今日は生徒が大幅に遅れるとの連絡を受けたため、食事がてら教室の近くのサンロード商店街を歩いてみることに。


吉祥寺というと、なんとなく雑多なイメージだ。商店街を歩いていても、さまざまな食堂、ガチャガチャ屋、本屋、肉屋、靴屋などなど、色んな店が目に飛び込んできて、飽きない。それにしてもラーメン屋が多い。ラーメン、ラーメン、飯、ラーメンみたいな食生活に一新を図るべく、泣く泣くではあるが、好物を横目に歩き回る。吉祥寺に限らないが、和食が少なくなった。下手したら吉野屋、松屋かと思いながら、またしばらく歩く。ようやく見つけたしんぱち定食という店でアジの開き定食を食す。

精算は自動支払い機のみ。吉祥寺はデジタル化が進んでいる。先日行った春木屋もそうだった。人とのふれあいが薄れる今日このごろ。


50年ちかく生きてきて、特にこの街に特別な思い出はない。母が学生時代によく訪れていたことを聞かされていたくらいだ。あ、劇団にいた時、たまに井の頭公園でビール飲みながら日向ぼっこをしていたことを思い出した。あの頃はなんて暇だったんだろうな。今はすっかり忙しい日々だが、縁のできた街なので、せっかくなので街を味わいたい。


と思っていたら、来週から授業の関係で、午前中がまるまる開く日ができることに。朝から久しぶりに井の頭公園あたり散策しようかな。

束の間の街歩きを楽しもう。

3年前から某塾で理科を教える機会をいただいている。大学の進路を選ぶにあたって、文系を選択したせいか、理科にはなんとなく苦手意識がある。高校時代、国公立志望だったため、当時のセンター試験受験科目として、生物を選択したが、日々ラグビー部の練習に追われていたせいか、居眠りの時間で、先生にしょっちゅう名前を呼ばれた記憶が今でもある。今考えるととってももったいなかったなあ、と思う。先月は微生物についての授業があり、いろいろ調べたが、微生物が酸素を地球上に供給したこと、人間には作れない栄養分を蓄えていることを知って、微生物の研究できたら面白いなあと思った。

今週は星座と月の満ち欠けについて授業をした。小学生には苦手な分野で、僕も苦手なので、かなり準備に時間をかけたが、なかなか生徒に伝わらなかったのが残念。

学生時代には苦手で嫌いだった理科が教える立場になって、面白い!と思えること、本当にありがたいなあ、と思う。自らも小学生に理科を教える中で新鮮な気持ちで学び直したいとワクワクしている。

今月から大学推薦入試の志望理由書の添削の仕事を開始した。週2回だが、高校生のさまざまな人生と夢にふれることができて、面白い。おっさんから見るとまだまだ考えが浅いな、という文章がほとんどだが、なかには、君、本当に高校生?と驚くほど壮大なビジョンと文章力を持った生徒もたまにいて、驚く。

我々の世代だと推薦入試は少数派だったが、現在では推薦と一般が半々、将来は一般入試が少数派になるかもしれない。今後の仕事の展開を考えても推薦入試対策の研究は必須である。

何より推薦入試の指導は自分の演劇で培った能力を十二分に生かせる機会である。どんな生徒にも与えられた運命があり、それゆえに人生は物語となる。

志望理由書を添削していると、インターハイ優勝とか、部活のキャプテンとか、立派な実績、肩書を経験しているのに、語りが面白くないのは残念だ。

一方、日本の教育において、自らを表現するということをやってきていないことの弊害もあるのかもしれない。

演劇で学んだこと、今までの指導経験わ軸に自らを物語る力をつける指導を行う準備をする。これが50代に向けての課題だ。


講座 「新陰流の神秘 刀剣と身体の叡智」

柳生新陰流 剣術 月影塾主催
新陰流活人剣
日本刀の本質と身体の叡智の理解から
令和7年7月5日(土) 14:00~16:10
東村山市 栄町ふれあいセンター 
(西武新宿線 久米川駅 徒歩 6 分)
参加費 3000 円
持ち物 なし
体験・体感ワークショップを含みます。
動きやすい服装でおいでください。
 申込・問合せ 月影塾 講座担当 芹澤
080-4165-2962 
tsuki.kage.juku@gmail.com

だいぶ前だが、浜崎洋介さんの影響から、福田恒存の評論集「日本を思ふ」を読んだ。といっても、多忙もあって、全ての論文に目を通すことはできず、のちの楽しみにしたいと思っている。

この方は、お顔もそうなのだが、思想も文体も硬質で、ああ、こういう文章を書く方だから、「明暗」のような戯曲を書いたのね、と思わず納得できる。


読んだ論文の中で「近代の宿命」は、西洋の神との葛藤から近代日本の課題へと突き進む難解な内容だったが、なんで今までこの評論に出会わなかったのか、と悔いるような妙な気分になった。あ、ここに本物がいたな、という感覚といえば伝わるだろうか。現在国難と言える日本の将来を考える上でもて刺さる内容といえる。


戯曲についてはまた書かなくてはいけないのだけど、タブーにどんどん切り込んでいく御仁である。

戦前から評論、翻訳、戯曲執筆だけでなく、戦後は劇団「雲」を立ち上げて、芥川比呂志、杉村春子など、当時の錚々たる役者陣に演出指導したことでも知られるが、そのタフさの一ミリでも頂きたい。50代に向けて自分もまだまだ突き進むぞ、と炎を燃やしている。

中村光夫もそうだが、戦前戦後を生きた文芸人との出会いはまた新たな学びの機会を与えられたと言っていい。また、彼らの教えを継承する浜崎洋介氏の著書も読む機会が欲しい。未だ「日本を思ふ」人がこの国に多くいることがありがたい。

よく読む。だけではなく、よく書くこと。先日、卒業を迎える生徒に向けて、2回にわたり、宮沢賢治をテーマに授業する機会をいただき、いろいろ調べたのだが、賢治は短歌や詩、童話はもちろん、知己への手紙など、とにかく文章を書きまくっていた。2回目の授業では、「銀河鉄道の夜」を扱ったが、永久の未完成こそこれ完成である、という彼の言葉通り、何度も何度も書き直されている作品であることを知った。それこそ宇宙の生成と同じように、どこまでも。どごまでも終わりなどないのである。


賢治の世界に久しぶりに触れてみて、みんなのさいわいのために生きる、というビジョンのどうしようもない大きさに圧倒される。


おいおい、「みんな」を愛する、ってどういうことなの?少なくとも俺は不可能だね、と、触れてしまうのが、普通のことだね。


その突破口の片鱗を、ベルクソンの思想から垣間見た気がした。本日はここまで。



今年何にも書いてなかったのだな、と今さらながら気づき、久しぶりのブログ投稿となった。

塾講師という仕事柄か、毎年1月、2月はなぜかバタバタしており、あれこれ考える余裕を失うが、陽気も先週の大荒れを乗り越えて待ちに待った春を感じつつ、これからどう成していくかを考えている。


まずは、文芸評論家の浜崎洋介氏の存在を、剣術の師から教えていただいたことが、この年末年始の大きな出来事だった。政治の世界で保守という考えがある。Youtubeで様々な保守論客の話を聞いて来たが、海千山千、中には怪しいのもかなりいることを最近とみに実感しているが、浜崎氏との出会いで、この腐った時代にまだここまで筋の通ったことを堂々と主張する人がいるのか、と驚くと同時に、同世代でこの時代を共に生きていけることに喜びすら感じている。

文芸評論から世の中を切り取っていくスタイルを身につけたいと思う。彼の著作を今後読み進めると同時に、彼が研究対象としている小林秀雄、福田恒存を読み進めていきたい。福田恒存については先日「明暗」を読み、今までにない感銘を受けたが、彼の評論集を読むことで戯曲を分析する上での糸口になるかもしれない。愚昧な人間で少しずつではあるが、しっかりとあゆんでいきたい。まずはここまで。

昨日は剣術稽古。柳生天狗抄の型稽古を行う。この道10年やってると僕のような不器用な人間でも型は作れるが、では内実が伴うかと聞かれるとできないこともある。だからこそ日々稽古であり、できないことを明らかにし、できることに変えていくのである。はてしがない究の道である

最近打太刀もやらせていただいているが、打つという気が見えると師に指摘された。確かに自分も打つ刹那にタメを作っているのはわかった。「自分」が打つという意識からただ「刀」が落ちるという「現象」に意識を向ける。自分が主ではなく、刀が主であり、相手が主であり、こちらは陰となり従うだけという流儀の真髄であり、真髄であるが故に、この心法を体得するのは至難の業であるが、日々の心掛けしかない。

月影塾は一昨年くらいからすぐできちゃう若者、身体能力抜群な若者、研ぎ師さんなど素晴らしい若者が続々と入塾している。最近では戦闘のプロの方ともご縁が生まれた。才能はこれっぽっちもない私だが生半可ではいられないと年明け近い今、心を新たにしている。才能の差を努力と心意気で埋めていくのが我が道である。初心忘るべからず、必死で這いつくばってもがきながら努力していた自分をいつも思い出そう。

先週は仕事もそれなりにしたが、週末は忘年会もあり、休む間も無く、なんとなくふわふわしていたので、今週はやるべきことしっかりやれるよう気合い入れていくぞ〜。


と、昨日は古巣も古巣.、Tokyo Nouyi・Artという劇団の公演を観に行ってきた。劇団を退団してからちょうど12年になる。劇団の芝居を見るのもギリシャ悲劇シリーズ以来か、久しぶりである。

場所は東中野の梅若能楽堂。ここ数年能楽堂での公演を企画されていて、剣術を嗜む身としてはなんともうらやましい。


今回の演目はなんと「源氏物語」。だが主役であるはずの光源氏はまったく出てこない。光源氏にまつわる女性たちが自分の身の上を語る歌物語。そして琴や笙、笛の音が聞こえる中、法華経が鳴り響く。


「源氏物語」はぽつぽつエピソードを知っているだけで、正直あまり知らないのだけど、数年前に紫式部や源氏供養については少し研究していたので、光源氏にまつわる一人一人の女性の運命をやさしくつつみこむような演出は共感が持てた。


今回初公演なのでしかたがないとおもうが、今後1人1人の女性のキャラクターが際立つ公演を観たい。あえてわざとぼやかしたのかもしれないが、そこが少し物足りなかった。僕の研究不足も大なので、来年末の再演までには研究をすすめたいと思う。なにしろ日本屈指の女流文学だからやはり逃げられない。


当劇団の演出家で恩師のレオニード・アニシモフ氏とはお話しできなかったが、僕に俳優の手ほどきをしてくださったやはり恩師で、Prayer Stadio主宰の渡部朋彦氏や劇団にいる、いない問わず昔の俳優仲間と久しぶりに再会できたのは本当にうれしかった。いつかみんなで一緒に創作する日は来るのか。


久しぶりに時間の余裕ができての観劇だったが、来年は年男。剣術、文学、歴史、日本の地理風土研究に加え、今年末に頂いた源氏物語というプレゼントが今後化学反応するのか?しないのか?

今後の展開がほんとうに楽しみになっている。

昨日は中村光夫の「グロテスク」という小説を読了。自分の父の愛人に心を動かされて、出会いから数年たった父の告別式の夜に肉体関係を結ぶが、その営みの結果、子どもまでこしらえてしまう。現実ではなかなかあり得ないストーリーだが、久しぶりに人間らしさを味わった小説だった。好きだ、って言葉、何で簡単に言えないんだろうな。まあそりゃ親父の愛人に惚れたなんてことは簡単に口にはできないが、初対面で妙齢の女性に風呂場で背中を流されたら男なら心は動く。お互いに温め続けた思いがしっとりと身を結ぶ。自分は女性との性交渉はさっぱりなのだが、世の中意外とラフに営みが交わされているのかもと思うと、少しは心を向けてみてもと思ったりする。


中村光夫という人物は皆さん聞き覚えがおそらくないだろう。私も頭の片隅にあったが、氏の書は今の今まで読んだことはなく、「グロテスク」は先日たまたま地元の図書館のリサイクル本から見つけたものであった。最近浜崎洋介という文芸評論家を知ったことから、福田恒存、小林秀雄という昭和の文芸評論家とつながり、中村光夫も確かお仲間だったなあ、というところからピンと来て家に持ち帰ることにした。いわゆる鎌倉文士で、モーパッサン、フローベルなどフランス作家の影響を受けて、日本の作家では川端康成、谷崎潤一郎、そして二葉亭四迷の批評をした人物である。「グロテスク」を読んだ印象では人の表裏をどこまでも見通してやろうとするいい意味での猜疑心を抱えている作家だと思った。


最近福田恒存の戯曲「明暗・崖のうへ」を読んだが、あまりに奔放すぎる男女の性のあり方が強烈すぎて倫理観ってなんなんだろう、と考えさせられる。ただ人間本来、お互い合意なら自由なんだろう。ただそれだけなのだろう。いかにあからさまにしないで、言葉遊びの中で事をなすか。もしくはなさぬのか。そんなところに思いをいたした。両作品は改めて分析していきたい。