昨日は中村光夫の「グロテスク」という小説を読了。自分の父の愛人に心を動かされて、出会いから数年たった父の告別式の夜に肉体関係を結ぶが、その営みの結果、子どもまでこしらえてしまう。現実ではなかなかあり得ないストーリーだが、久しぶりに人間らしさを味わった小説だった。好きだ、って言葉、何で簡単に言えないんだろうな。まあそりゃ親父の愛人に惚れたなんてことは簡単に口にはできないが、初対面で妙齢の女性に風呂場で背中を流されたら男なら心は動く。お互いに温め続けた思いがしっとりと身を結ぶ。自分は女性との性交渉はさっぱりなのだが、世の中意外とラフに営みが交わされているのかもと思うと、少しは心を向けてみてもと思ったりする。
中村光夫という人物は皆さん聞き覚えがおそらくないだろう。私も頭の片隅にあったが、氏の書は今の今まで読んだことはなく、「グロテスク」は先日たまたま地元の図書館のリサイクル本から見つけたものであった。最近浜崎洋介という文芸評論家を知ったことから、福田恒存、小林秀雄という昭和の文芸評論家とつながり、中村光夫も確かお仲間だったなあ、というところからピンと来て家に持ち帰ることにした。いわゆる鎌倉文士で、モーパッサン、フローベルなどフランス作家の影響を受けて、日本の作家では川端康成、谷崎潤一郎、そして二葉亭四迷の批評をした人物である。「グロテスク」を読んだ印象では人の表裏をどこまでも見通してやろうとするいい意味での猜疑心を抱えている作家だと思った。
最近福田恒存の戯曲「明暗・崖のうへ」を読んだが、あまりに奔放すぎる男女の性のあり方が強烈すぎて倫理観ってなんなんだろう、と考えさせられる。ただ人間本来、お互い合意なら自由なんだろう。ただそれだけなのだろう。いかにあからさまにしないで、言葉遊びの中で事をなすか。もしくはなさぬのか。そんなところに思いをいたした。両作品は改めて分析していきたい。