鳴くようぐいす平安京〜。平安時代と言えば日本人のほとんどがこのフレーズから入るのだろう。なんとのどかな時代だろうと想像してしまうが、この時代もやはり激しい権力闘争の中で悲運の最後を遂げた結果、怨霊として現世に祟りや災いをもたらしたのである。

いろいろあるのだが、まず桓武天皇即位や遷都をめぐる山背渡来人と南都大和国勢力の対立である。桓武天皇の母は高野新笠という百済王族の子孫だった。有名な秦氏をはじめ、渡来人は山背国を拠点としているが、8世紀後期に入って一気に力をつけ始める。これは先日奈良時代のところで話題にした女帝・称徳天皇と道鏡の時代に端を発していると僕は見ている。奈良時代後期はそれまでの身分構造を揺るがす大きな変化があったのである。この辺りは渡来人への賜姓と関わるところでよくよく研究しなければならない。

そして怨霊渦巻く平安京。そう、井上内親王、他戸親王、早良親王、平城太上天皇と次々と失脚していく皇族たち。嵯峨天皇の子どもからかの有名な源氏という姓が出現する。このことを宮廷の財政改革と説明されることがあるが、実は皇族同士のすさまじい権力闘争から逃れるためだったのではないだろうか。源氏が平安期に婚姻関係を通じて平安時代を牽制を振るう藤原北家と融和していこうとする流れはなかなか面白い。藤原良房、藤原道長は源を名乗る女性を妻に娶っている。

また、藤原北家と式家の対立、そして北家内の対立も本当に面白い。平城太上天皇の変、承和の変、応天門の変、すべて上記の対立構造を説明しなければ本当の理解には至らない。

まあ今日はこの辺りで。