飯田史彦氏の「松下幸之助に学ぶ人生論」という書籍を、たまたま図書館で見つけました。あるカフェで出会った大学の後輩が松下幸之助さんのことについて話していたのを耳にしていたのですが、こんな形で出会うわけですね。天命とか運命について、松下幸之助さんがどう考えていたのか、興味があったので借りてきて、さきほど読み終えたところです。「成功とは、心から逆境を楽しみ、笑いうること」昨日、芸術監督がやはり成功ということについて「自分の先生に対して成功することだ」と話していましたが、ほんとうに今日の自分に笑えるかどうかは、自分の先生=自分に人生を教えてくれる存在に対して誠実であるかどうかにかかっているといっても過言ではない。名誉、肩書、人気、お金を得ることは成功に見えますが、はたして本当にそうなのかを常に自分に問うことが誠実な生き方だと思います。

「やらないといかんときに命が惜しいとか損やと言うたら、武士道に反する」心が熱くなりました。今まさに僕はそんな心境です。今を措いて時はない、利害を考えず、道に迷わず、まい進していいのだと。「たとえ失敗しても、命が滅ぼうとも必ず道を継いでくれる人がいる」と松下幸之助氏も言っています。

松下幸之助氏は「まことに人間は、崇高で偉大な存在である」と、新しい人間観を提唱された経営者です。経営と芸術と、道は違えども、あまりにも腑に落ちて、やっぱりこれでいいんだなと決意を新たにしています。スプリチュアルとか宗教的だとかいう人もいるかもしれませんが、僕には、天命に従い、運命を信じることが、ほんとうの人間の人生だと思えてなりません。

僕にとって文字通り先生である、芹沢光治良先生から教わったこともまさにこれに同じです。「人間の運命」をもう一回読みたくなりました。そして、女性を考える上で、ルソーを読みたいと今朝ひらめきました。アカシックレコードという言葉があることを知りましたが、様々な知恵が開き始めていることを感じています。さあ、読書の春、出会いの春です。

昨日の続き。


日曜日は、EdgeProjectで気合いを注入されました。演劇は自己暴露の芸術。そして、まだまだ高みがあることを自覚する。自己を表現しながらも、自意識から解放して、人との間で何事かを起こしていく、いや自然に起こることについていくという言い方の方がいいかな。まだ人との間で何かを起こることを確かめることにビビっていたんだなあ。最近いろいろなことに関わっているけど、なんやかんやで、やっぱりここがホームグラウンドだなと思う。渡部さんが稽古中にこんなことを言った。自と他の間で、善の方向へ高め合おうとする結果、行きつく、自も他もない世界を創る。渡部さんを含め、ここにいる仲間が、必要なタイミングで、僕が演劇を始めた原点を思い起こさせてくれる。そして、ここの仲間で、実際に舞台にたってすごい芝居を見せる機会も間もなく訪れる、そんな予感がする。とにかくどんどん前進したい。ものすごい、美しく、崇高なビジョンがかなりはっきりと見えてきたぞ!!


昨日から、劇団のスタジオでは、チェーホフの「桜の園」の稽古が始まりました。チェーホフ最後の作品で内容はシンプルですが、謎に満ちた作品のようで、芸術監督のアニさんも、日本でもアメリカでもいまだに満足のいく舞台は創れていない、と嘆いていました。ならばこの機会に、みんなでいいもの作って、アニさんを喜ばせようではないか!!とメンバー一同燃えてきました。まずは読み合わせからということで、僕は、アニさんから指名されて、エピホードフのテキストを読みました。できればやりたい役だなと思ってたのでびっくりしましたが、読んでみてやっぱり面白く、メンバーからも好意的な評価をいただきました。まあ、まだやるかわからんけどね。

この週末のことについて振り返っておこうかな。

金曜日は、初のエキストラ仕事で、午後から、現場へ移動、映像現場ってやつを堪能した。映像現場を経験しているねえさんに、「今度エキストラの仕事します」って伝えたら、少し懸念されていたが、改めて、その理由がわかった気がした。「ここが一番感情が乗るところですよ」「はい、ここで怒ってくださいね」うーん、エキストラはもちろん、大変難しい要求だと思います~笑僕も含めて、顔芸のオンパレード。中には、ありえないリアクションをとる人がいて、申し訳ないけど、わらけたり、驚いたりして、仕事を忘れる瞬間もあり・・・また、ディレクターは、いつもやっている舞台稽古とは全く逆で、立ち位置やしぐさに関する指示がとても多かった。これはこれでとても大切なことですが、ああ、これが映像業界か~って妙な感銘を受ける笑。

瞬間的に感情を作るのは、今の僕にとってはかなりきつい仕事で、僕みたいなきまじめな人間が長く続けると、いろんな意味で壊れるかもなあと思ったから、今後仕事するとしても、無理なことは絶対しないでやると決めた。映像の仕事をもしやるなら、許容しなくてならないラインだけど、まあ台本入っていれば、少しは違うのかな。エキストラとはいえ、役の人の設定を自分で作ってやったらよかったなあ。役の人でもあり、しかも生きた自分であること、スタニスラフスキーがいっていることは、舞台だろうが映像だろうが、本当に役者として大切なことだ。舞台経験があることを知って、少しは演技ができると思われたのか、主要キャストの後ろで参加できたので、ばっちり役者の演技が見れたのはラッキーでした。さすがだな~と思える役者さんもいて、そういう役者さんからは、シーンの中で、たくさんエネルギーをもらえるんですね。自分ももらうだけじゃなくて、相手にエネルギーを渡す存在でありたい。ついでに言うと、たぶん、テレビにも映ると思う。別に、小さいころの夢ではなかったけど、人生初めてかな、たぶん。映像の僕に興味ある人は声かけてください。

土曜日は、前日のエキストラ仕事が遅かったので、朝だるくて、今日はなんもしたくねえ~と思ったが、ボイストレーニング行かなくてはだ~と一念発起して何とか起きて、劇団の先輩からのゲリラ呼び出しにもめげず、移動~。1月から月1回、知り合いの歌手さんからご紹介いただいた、俳優であり、歌手でもある、巻上公一さんの声のワークショップを受けていて、声というものの面白さを体感しています。呼吸とか、声帯の震わせ方とか、声を出すテクニックも大切なのですが、やはり身体を知り、いたわり、声が自然と出る状態にもっていくことが、ものすごく大切なことなんですね。巻上先生とは、僕が現在とりくんでいるスタニスラフスキーともご縁の深い、ロシアのメイエルホリドが編み出した俳優の身体トレーニング、ビオメハニカワークショップを通じて、思わぬ形でご縁が広がり、大変驚いており、今後ものすごいお世話になる方のような気がしています。また、スタニスラフスキーに取り組む役者がついつい見過ごしがちになる、役者という仕事が身体表現である、という本質に、ゆくゆくは、がっつりとりくむ予感が、最近しています。

今は、日々できる限りメンテナンス。


http://www.mothership.info/makigami.html


長くなったので一回切ります。

9日から始まった劇団の「白痴」の稽古を見学しました。「白痴」はドストエフスキーの長編小説ですが、芸術監督によると、チェーホフが「上演を前提に作られた作品」と評したように、ロシアでもたびたび上演されるらしいのですが、あまり質の高い作品はいまだに上演されていないそうです。

芸術監督より、この作品、というより、ドストエフスキーを読むときに注意すべきディーテルは何かと問われました。いくつか、参加者から意見がでましたが、芸術監督は、「モノローグで成り立つ作品、ストーリーではない」とおっしゃた言葉に印象がこめられていますが、セリフ、とりわけモノローグの情動の流れから読みとれる登場人物の精神世界が面白いのだと、指摘するのです。さらに、ロシアでもいまだこの作品が成立していないのは、ダイヤモンドのような輝きに満ちた、ドストエフスキーという存在の結晶ともいうべきモノローグを、俳優が観客に体感させるように表現できていないのだと重ねるのです。昨日の稽古で最後に読まれたユイシュキン公爵の友人の処刑場での体験に関するモノローグは、人間技とは思えない、様々な感動に満ちた、奇跡のテキストでした。たびたび作品の中にあらわれる長いモノローグの中に、ドストエフスキーの本質がこめられているのです。

しばらく読み合わせ稽古が続くようで、一見退屈に思えますが、ドストエフスキーの世界は、一瞬一瞬集中して、無邪気な驚きをもって様々なディーテルを把握しようと努めるならば、本当に様々な発見があるし、逆にそれを怠れば、即刻追放されるということがわかりました。当然ダイアローグの中にも、人間の面白い要素がたくさんつまっており、しばしば稽古場に笑いが起こっていました。昨日は、繊細で、輝きに満ちた、しかし緊張感を伴うドストエフスキーの世界に圧倒されましたが、「カラマーゾフの兄弟」など、他の作品も味読しながら、感情の色、におい、トーンを繊細につかみとるよう訓練して、徐々に慣れていきたいです。

芸術監督から、ドストエフスキーと似たようなスタイルの作家を、日本人で、それも19世紀の作家から探しだせると理解が速いとアドバイスをいただきましたが、正直ぴんときていません。少しネットで調べてみたところ、二葉亭四迷が、ロシアに造詣が深く、ドストエフスキーにも目を通していたかもしれず、作風に影響があったかもしれません。人間の内面を描く作家といえば、まず夏目漱石が思い当たりますが、ドストエフスキーについていろいろ書いていますが、創作手法については一線を画していたとのことです。誰か詳しい人いたら、ぜひ教えてください。いずれにしても、文学に対する素養が全く足らないと実感します。役者としては、心身のメンテナンスも大切ですが、芸術家を志すにあたっては、映画や美術、音楽なども含めた、芸術作品への鑑賞眼を高めることを、生涯のライフワークとして、常に意識し続けることが必要だと再認識しています。

ポーランドが非常に気になって来ている今日この頃。理由はここではあえて書かないこととする。ポーランド、だけというわけではないが、東欧という地域は、我々東洋人にとって、あまりにも遠く、伝わっていない情報が多いどころか、長く社会主義政権が続いた地域で、日本との政体の違いという政治的な理由から、様々な誤解も多いのではないかと思われる。しかし、実は、プラハが、かつて欧州文化の中心であったように、西欧に勝るとも劣らない、独自の文化を持っている地域であり、演劇はもちろん、芸術も大変盛んな地域である。また第二次世界大戦時の状況を見てもわかるように、周辺地域の利害に挟まれて、自己の存在を迫害されるに至ることを余儀なくされ、また、地域内でもたびたび民族紛争が絶えなかった、軋轢と衝突の歴史を背景とした、どうしようもない、取り返しのつかない複雑な感情を抱えている地域であることに大変興味をひかれるのである。その理由について考えてみるなら、東欧が抱える感情が、自分の抱えている、どうしようもない、命への虚無感と悲しみや怒りと深く共感するから、といっておく。


というわけで、今年中に足を伸ばしたいと熱望しているわけだが、先日の劇団のパーティーで、ロシア語通訳の先生とお話しする機会があり、ポーランドのことについて聞いてみたら、ずいぶん昔に訪問されたそうだが、あまりいいイメージはもってらっしゃらないようだった。それより、僕はまだまだポーランドのことは全然しらないんだなとかなり情けなくなる。首都がワルシャワってことぐらいっていうと言いすぎか笑。あまりの無知ぶりに、先生に笑われながら、映画監督のアンジェイ・ワイダの映画と、政治家のワルサ氏については知っておいた方がいいとアドバイスを頂いた。映画はたぶん入手できると思うが、個人的には、イェジー・カヴァレロヴィチという人の方が興味をひかれるな。ポーランドの政治の情報は、日本でどれだけてにはいるだろうか。当然ポーランド語は多少なりとも覚えて行く必要がある(ロシア語と同じインド・ヨーロッパ語族のスラヴ語派らしく、ロシア語を勉強するなら多少橋渡しになるかも)。本道の演劇についても調べてみたら、興味をひかれるのは、スタニスラフスキーを敬愛していた、イェジー・グロトフスキとその後継者、ヴオジミェシュ・スタニェフスキという名前が出てきた。ヴオジミェシュ・スタニェフスキは「ガルジェニッツェ」という演劇実践センターが運営している。音楽は何と言ってもショパンが有名だが、他にも知られていないだけで、素晴らしい作曲家がいるるのではないか。文学や美術についてもしかり。どんな街があるのだろうか?そして何を信じてるのだろうか。まず、日本でできる限り、ポーランドを旅してみよう。


おととい、我らが東京ノーヴイ・レパートリーシアター芸術監督で、心の父でもある、アニさんこと、レオニード・アニシモフさんが来日されました!!昨日は、アニさんの歓迎パーティーが劇場で催されました。僕は、劇団の先輩と少し遅れて会場入り。すでにいらしていた先輩に挨拶をした後、アニさんがすでにいらっしゃっていることを知らされて、さっそくごあいさつに伺う。アニさんを前にした瞬間、うれしくなっちゃって、ついついアニさんの胸に飛び込んでしまいました~恥ずかしい~心が温まるとともに身の引き締まる思い。入所してもう半年。最初、アニさんから受けた稽古では、僕にとてもやさしく接してくれたのですが、そろそろ愛のムチも飛んでくるかもなあ笑ただ、そうされる時こそが、アニさんが僕を俳優として認めてくれたということだと思うのです。愛のムチ、待ってるぜ!!来週からいよいよアニさんとの時間が始まる。

で、どうしてもこういうパーティーになると、普段仲のいい人と話してしまうのですが、僕の姉のような方と久しぶりにがっつり話しができました。ずっと内緒にしていたこともついにカミングアウト。言ってしまったことで、抱えていた思いに整理がついた気がします。いろいろな才能を持っている方ですが、「俳優しかない」と言われた言葉が重かったですね。僕は演じるだけでなく、歌うことも書くこともしたい、と軽く考えてるからなあ。まあそのうち嫌でも答えがでるでしょう。でも究めることを志すならば、その道に対して、誠心誠意まで、謙虚でなくてはならないし、長い道であることだけは確かなようですね。

例のごとく、飲みすぎて途中からあまり覚えていないのですが、、、
そうそう、みんなの前で歌を歌いました。
カッチーニのアヴェ・マリアと森山直太郎の「さくら」。
カッチーニの方は、どうだったかよく覚えてないのですが、
パンパンイメージが浮かんできたような気もする。
ただ、イメージに陶酔しすぎて、聴いている人に入り込むことはできなかったかな。芝居と同じ課題だ笑いつもヒーリングに使っている曲ですが、神にささげるという気持ちが必要ですな。
「さくら」は・・・歌詞出てきませんでした笑スタジオの女の子に歌詞を小声で教えてもらいながら何とか1コーラス歌いきる。
アニさんに「酔っぱらい~」と言われてしまった・・・
だいぶ僕の泥酔ぶりが劇団にも浸透してきたようですな。
声は、酒パワーでよく通りました。

あ、姉さん、反省しておきましたんで~

楽しい時間はあっという間に過ぎ・・・

今日明日は一日仕事だぜ。

ではでは。

3回目本番。今までで最もよい身体のコンディションで臨むことができた。自分で毎日身体をメンテナンスしてきたことが大きいが、様々な形でその手助けをしてくださった皆様に心から感謝したい。これで、いろいろなことに気を回すことができる(はず笑)。

今回は、あまり細かく考えず、自然体だったせいか、いつもより舞台の上で生活感を感じることができたような気がする。役を自分の体験から考えた、役の大きな課題と思われるものに忠実に行動しようと心がけたつもりだが、どうだったかな。もっと思い切ってやってよかったかな。また新たな、繊細な課題の流れが見えてくるかもしれない。これからゆっくり振りかえってみようと思う。舞台の上で役として生活すると、楽屋でもちゃんと役として生活している自分に気づきました。家で考えている時には、思ってもみなかったことを思いついたりして、楽しいですね。抜き稽古では味わえない、本番ならではの醍醐味ですね。

実は、裏課題(エゴ課題ともいう)として「自分が傷ついたこと、苦しかったことをはきだしたい」というのがあった。4幕の冒頭でかなり吐き出したつもり。最後のシーンまで、舞台裏で自分の記憶を探索していたら、社会に出てから、周りに誤解されて苦しんだ記憶が浮かんできた。まったく予想外のイメージに驚きながら、同時に後頭部がしめつけてきて、イメージの発生を止めようとしていることに気づく。ゆるめようとするが、慣れていないせいか、なかなか難しかった。声の振動が使えないからねえ。さすってゆるむかな。研究課題だな。最後のシーン、なぜか大泣きした。「本当に自分は正しいことだけをして生きてきただろうか・・・」「いや、俺は正しかった。でもなぜ理解されないのだ・・・」なんてねえ。

そして本番後、恒例メンバーと飲み会。
飲みすぎた~ちょっと気をつけないとなあ。
でも仲間と芝居談義するのは最高だね。


今シーズンは、あと一回と思うとさみしい。
とりあえずの集大成を・・・日々繊細に磨いていこう。

次回は4月4日 13:00から下北沢の劇団劇場です。



今日も一日一生涯。生きていることを祝い、喜びましょう。

昨日からビラ配り再開。昨日は異常に低調で、どうしようかと悩んでいたところ、たまたま、ビラ配りがものすごい上手な劇団の先輩から「ビラ配りメソッド」を伝授される。本日は、新装開店の、国立のスタ丼で、「ニンニクパワー」を注入した後、意気揚々と仕事に臨んだ結果、、、おかげさまで受け取ってくださる方の数がかなり増えました!ありがとうございます、先輩☆


それにしても週末の下北のこみ具合はしゃれになりませんわ人が多いのはうれしいけど、かえって配りにくかったりする・・・


明日はいよいよ本番。昨年から大変お世話になっている方に観に来ていただく。まだまだ俳優的になっちゃいないが、とにかく舞台で生き生きとしている姿をお見せしたい。裏課題、エゴ課題も満載に抱えながら生きてやります笑

そして、、、終わったらまたビラ配りか??


下北沢万歳☆

昨日おとといと、研究会、ワークショップ見学、イワーノフ稽古と、密度の濃い時間を送っています。自分自身を省みても、人の話を聞いていても、終わりのない道を進んでいるなあと実感します。みんな、僕も含めて、演劇を通じて、ほんとうの美、善、そして幸せを知りたいということを知っています。でもそれがなんなのかがわからない。あまりに、真実に固執することで苦しみ、悩みもがいている姿をみてきたし、体験してきました。だから僕は、こういうことに今はしています。


「日々真実を学ぼうとして、学んでいます。」


僕は、まだまだほんとうに何も見えてなくて、そのくせ、真実とは何かとわかったよううなことをいって、絶えずよだれをたらしている、身の程知らずです。しかも、癖の悪いことに、少し昔は、中途半端に哲学書や文学をかじっていた影響か、真実は、何か高尚で、とらえどころのないものだと思ってしまい、暗中模索していた時期がありました。しかし、演劇をはじめてからは、あらゆる人間の中に、真実といえるものは存在するんだと、自然と思うようになりました。だから、あらゆる人が僕にとって先生であり、師匠であると、心からいえるのです。

ただ、人の間の中で生かされて、学び、感謝する。そう心の底から思えることが、僕にとって、ほんとうに幸せなことなのかもしれない。もちろん人に認められたいし、もう少し、様々な意味で、よりよい生活をしたいという気持ちもあります。この思いが強いから、役者なんていう、ある意味晒される存在、見られる存在であることを許容しているのかも知れないと思うこともあります。日々学んで、成長しています、なんて、ただの自己満足の何物でもないという人もいるかもしれません。でも、僕に存在価値なんてものがあるとするならば、この与えられた運命の中で、様々な人の中でもまれて、様々な出来事の中で体験する学びの中から見出されるとしか思えません。学校の勉強や本で得る知識ももちろん大事。生きるための知識を十分に身につけて、そして、知識を磨く上で身に付けた知性を生かし、一分一秒、どこで、何をするか、その行動はどこへ向かおうとするものか、そして何を課題として克服しようとするか、思考、イメージ、感情、行動など、様々な現象をヒントに、細かく分析していく。シンプルにいうと、役者は、そんな自分の日常を、そのまま役という自分ではない人間の姿を表現するにすぎないと思うのですが、それだけに、この日常が、本当に自分自身であることが非常に大切になってくると思えてなりません。

「真実だけが人の魂を癒す」アントン・チェーホフの言葉です。私という人間の日常を観ていただくことで、観客の精神に新たな命を吹き込もうとするならば、それは、どこまでも真実であることを究極の課題としなくてはならないのです。そのために、自分であるとは何かを、ロシアの演劇理論である、スタニスラフスキーシステムを通じて、学んでいるのです。最近は、正直存在価値なんてものもどうでもいいんですけどね。すべての人に、間違いなく存在価値はある。演じるのではなく、生きる、と決めた瞬間から、光は見えるのではないか、と、自分自身にも、すべての人に演じることで伝えたいです。


役者は、とにかくからだが資本。僕の知っている役者さんでも、ジムワークやったり、ダンスやったり、からだを動かすことを習慣づけている人が多いのですが、僕が昨年10月からボディワークとして取り組んでいるのは、高岡英夫さんが提唱された「ゆる体操」というものです。名前の通り、全身をゆるめるのが基本コンセプトで、まず、からだをさすりながら、気持ちよさを体で感じて、さすったところを、声を出しながら動かします。気持ちよく~とか、ねばー、ねばー、プラプラとか、こぞ~こぞ~とか、声に出しながら体操している姿は、はた目にはかなり怪しいのですが、この体操を継続して続けていくと、確実に今まで固まっていたからだの部位が徐々に動き出します。特にインナーマッスルという深層にある筋肉に刺激がいくようです。何よりいいのは、からだ一つあれば、どこでもいつでもできて、しかも何の道具も必要ないことです!体操の種類は、全部で百種類以上あるそうですが、10種類くらい覚えれば、初心者には十分ですし、単純な体操なので、簡単に覚えられます。各地で、ゆる体操講座が催されているようですが、僕がときどきメンテナンスで通っているのは下記の教室です。


戸山ゆる体操教室

http://d.hatena.ne.jp/yuru-mamechan/


からだがゆるんでくれば、呼吸もしやすくなり、リラックスした状態が続くだけでなく、ストレスに強くなるので、会社で働く人にもおすすめです。


僕も、半年近く続けて、だいぶゆるんできましたが、まだまだ先は長いです。ゆるんできたせいか、逆に、顔、首、背中、肩にコリが根強く残っているのが無性に気になり、気持ち悪いのではやくゆるめたいのですが、心のしこりも関係しているようですな。日々調律しつづけること、これしかないようですね。


もう少しゆるんだら、ヨガやストレッチ、軽いダンスもやってみたいなあ~と思う今日この頃。


ゆる体操

http://yuru.net/yuru_taisou.html