昨日からビラ配り再開。昨日は異常に低調で、どうしようかと悩んでいたところ、たまたま、ビラ配りがものすごい上手な劇団の先輩から「ビラ配りメソッド」を伝授される。本日は、新装開店の、国立のスタ丼で、「ニンニクパワー」を注入した後、意気揚々と仕事に臨んだ結果、、、おかげさまで受け取ってくださる方の数がかなり増えました!ありがとうございます、先輩☆


それにしても週末の下北のこみ具合はしゃれになりませんわ人が多いのはうれしいけど、かえって配りにくかったりする・・・


明日はいよいよ本番。昨年から大変お世話になっている方に観に来ていただく。まだまだ俳優的になっちゃいないが、とにかく舞台で生き生きとしている姿をお見せしたい。裏課題、エゴ課題も満載に抱えながら生きてやります笑

そして、、、終わったらまたビラ配りか??


下北沢万歳☆

昨日おとといと、研究会、ワークショップ見学、イワーノフ稽古と、密度の濃い時間を送っています。自分自身を省みても、人の話を聞いていても、終わりのない道を進んでいるなあと実感します。みんな、僕も含めて、演劇を通じて、ほんとうの美、善、そして幸せを知りたいということを知っています。でもそれがなんなのかがわからない。あまりに、真実に固執することで苦しみ、悩みもがいている姿をみてきたし、体験してきました。だから僕は、こういうことに今はしています。


「日々真実を学ぼうとして、学んでいます。」


僕は、まだまだほんとうに何も見えてなくて、そのくせ、真実とは何かとわかったよううなことをいって、絶えずよだれをたらしている、身の程知らずです。しかも、癖の悪いことに、少し昔は、中途半端に哲学書や文学をかじっていた影響か、真実は、何か高尚で、とらえどころのないものだと思ってしまい、暗中模索していた時期がありました。しかし、演劇をはじめてからは、あらゆる人間の中に、真実といえるものは存在するんだと、自然と思うようになりました。だから、あらゆる人が僕にとって先生であり、師匠であると、心からいえるのです。

ただ、人の間の中で生かされて、学び、感謝する。そう心の底から思えることが、僕にとって、ほんとうに幸せなことなのかもしれない。もちろん人に認められたいし、もう少し、様々な意味で、よりよい生活をしたいという気持ちもあります。この思いが強いから、役者なんていう、ある意味晒される存在、見られる存在であることを許容しているのかも知れないと思うこともあります。日々学んで、成長しています、なんて、ただの自己満足の何物でもないという人もいるかもしれません。でも、僕に存在価値なんてものがあるとするならば、この与えられた運命の中で、様々な人の中でもまれて、様々な出来事の中で体験する学びの中から見出されるとしか思えません。学校の勉強や本で得る知識ももちろん大事。生きるための知識を十分に身につけて、そして、知識を磨く上で身に付けた知性を生かし、一分一秒、どこで、何をするか、その行動はどこへ向かおうとするものか、そして何を課題として克服しようとするか、思考、イメージ、感情、行動など、様々な現象をヒントに、細かく分析していく。シンプルにいうと、役者は、そんな自分の日常を、そのまま役という自分ではない人間の姿を表現するにすぎないと思うのですが、それだけに、この日常が、本当に自分自身であることが非常に大切になってくると思えてなりません。

「真実だけが人の魂を癒す」アントン・チェーホフの言葉です。私という人間の日常を観ていただくことで、観客の精神に新たな命を吹き込もうとするならば、それは、どこまでも真実であることを究極の課題としなくてはならないのです。そのために、自分であるとは何かを、ロシアの演劇理論である、スタニスラフスキーシステムを通じて、学んでいるのです。最近は、正直存在価値なんてものもどうでもいいんですけどね。すべての人に、間違いなく存在価値はある。演じるのではなく、生きる、と決めた瞬間から、光は見えるのではないか、と、自分自身にも、すべての人に演じることで伝えたいです。


役者は、とにかくからだが資本。僕の知っている役者さんでも、ジムワークやったり、ダンスやったり、からだを動かすことを習慣づけている人が多いのですが、僕が昨年10月からボディワークとして取り組んでいるのは、高岡英夫さんが提唱された「ゆる体操」というものです。名前の通り、全身をゆるめるのが基本コンセプトで、まず、からだをさすりながら、気持ちよさを体で感じて、さすったところを、声を出しながら動かします。気持ちよく~とか、ねばー、ねばー、プラプラとか、こぞ~こぞ~とか、声に出しながら体操している姿は、はた目にはかなり怪しいのですが、この体操を継続して続けていくと、確実に今まで固まっていたからだの部位が徐々に動き出します。特にインナーマッスルという深層にある筋肉に刺激がいくようです。何よりいいのは、からだ一つあれば、どこでもいつでもできて、しかも何の道具も必要ないことです!体操の種類は、全部で百種類以上あるそうですが、10種類くらい覚えれば、初心者には十分ですし、単純な体操なので、簡単に覚えられます。各地で、ゆる体操講座が催されているようですが、僕がときどきメンテナンスで通っているのは下記の教室です。


戸山ゆる体操教室

http://d.hatena.ne.jp/yuru-mamechan/


からだがゆるんでくれば、呼吸もしやすくなり、リラックスした状態が続くだけでなく、ストレスに強くなるので、会社で働く人にもおすすめです。


僕も、半年近く続けて、だいぶゆるんできましたが、まだまだ先は長いです。ゆるんできたせいか、逆に、顔、首、背中、肩にコリが根強く残っているのが無性に気になり、気持ち悪いのではやくゆるめたいのですが、心のしこりも関係しているようですな。日々調律しつづけること、これしかないようですね。


もう少しゆるんだら、ヨガやストレッチ、軽いダンスもやってみたいなあ~と思う今日この頃。


ゆる体操

http://yuru.net/yuru_taisou.html

昨日は、昼間に観劇した後、突如電池切れになり、お昼寝をして、その後ゆっくり過ごした。疲れたら、休む。あまりにも単純なことだけど、僕は、会社員の時の習性か、疲れていること、つらいことを受け入れられなくて、どうしても無理しようとする癖がある。でもね、頑張っても努力してもどうにもならないことがある。心身ともにあまり無理がきかない人だということはわかってるし、先は長いからね。地球にのっかって、平らかに、穏やかに生きていきます。

時間があるとどうしても読書をしたくなる。読みたい本はたくさんあるけど、当面はチェーホフ戯曲集とチェーホフの妹が書いた伝記、それに翻訳学校のリーディング課題で取り組んでいる心理系の英書を読むことになる。新作として取り組む桜の園は優先してぺろっと読んでしまおう。昨日借りてきたユングの書籍、演出家が帰ってくる前に、ロシア語のあいさつにもとりくもう。命が眠る冬を経て、命が開き、輝きはじめる春がやって来た。ゆっくりと心の底から人生を味わおう、楽しもう。


昨日は、19時から始まる劇団の観劇前に、劇団のスタジオの女性メンバーと某大学の女子大生と下北沢のカフェで一時間ちょっと話をしました。女子大生も演劇経験者。二人とも清楚で、美しい女性。いや~考えられないね、ホント。。。一年前は会社の40過ぎの、毛が頭のサイドにしかない、たとえれば、横山ノックのような頭をした、しかも耐えがたい体臭のおっさんと仕事終わった後飲みに行くのが関の山だったからな笑まあ、このおっさん、性格がとてもやさしい人だったので、仕事の疲れやうっぷんを癒してくれた人でしたが。


が!やはり女性と接するということは全然違いますな。自分のたたずまいってやつを考えさせられます。特に、外見的でも内面でも清楚な女性だと、どうしようもないくらい、自分が汚らわしい動物のように思えて、どう存在すべきなのか、わからなくなり、ただヘラヘラおっさんになるのです。ありがとうございます。人間になります笑


話は、お芝居の話へ・・・どんな流れか忘れましたが、舞台に上がる前の準備についての話になりました。僕も偉そうにそんなことを語るようになったのか・・・先輩方すみません笑。僕たちの劇団では、スタニスラフスキーシステムにのっとって、舞台の1シーンを演じる前に、シーンと似た状況を、自分の経験から思い出して自分の身体、神経に影響を与える作業を行います。そして、僕は、渡部氏の俳優演技の研究会の「想像力」というトレーニングで、毎回色々なことを実験しています。俳優がなぜイマジネーションの訓練をするかを、渡部氏は、シーンと似たような過去の経験のイメージと関係性を作ることで、虚構の世界から真実の世界へ移行できるのだと説明しています。で、問題は、俳優のパフォーマンスの結果としては、イマジネーションから気分や感情を得たいわけですが、そのために、イマジネーションの中の対象、人、空間、ものにどのように働きかけるのかということ、そしてその逆に対象からどのように働きかけられていたかを思い出すかということです。今までは、外的な方法、相手をなぐったり、キスしたり、抱きしめたりすることに頼っていました。が、内的な方法もイマジネーションの中で試してみたいと思いました。たとえば、好きな子に思いを伝えたいとき、いきなり抱きしめたり、キスしたり恥ずかしくてできないから、心の中で「君のことを愛している」という考えをもって、伝わるように働きかけることってありませんか?また、相手は何を考えているのだろうといろいろと観察すること(これは今までもよくやってきましたが)も内的な方法といえるかもしれません。日常生活の中で、内的な方法で対象に働きかけている時の観察も必要かもしれません。明日は研究会。外見的な行動を封印して、すべて内的な行動で相手に働きかけて、どんな気分、感情が生まれてくるか観察してみても面白いかも。記憶やイメージの研究は、ぜひまとまった時間をとって研究したい。そんなことを、下北沢のカフェで話したことを通じて思ったのでした。


それにしても大変驚いたのは、何もしらないはずの女子大生が「自分がイメージしている状況の中にいる人が何を感じているのか、その空気を読もうとしてみる」と勘の鋭い意見をいったことでした。天才女優になるかもな。

今のうちにサインもらっておかなければ笑


想像力


http://edgeproject2007.blog116.fc2.com/

昨日は、世田谷区内の小学校の音楽室で、声楽のトレーニング。広い部屋で、たくさんの楽器に囲まれて、小さな椅子に腰かけて小学生の時の気分を思い出す。このトレーニングは、劇団からの紹介で、俳優に長く声楽を教えてくださっている先生とは今日が初対面となる。まず、参加メンバーから、音楽の経験と芝居の経歴について話し、先生と声楽のトレーニングの目的について、簡単に意見交換したあと、さっそく実演ということで、先生とみんなの前で歌とセリフを実演する。みんなの前で歌うのをほんとうに楽しみにしていたんです!!一人ではよく歌っているけど、人の前で歌うのは、僕にとって本当に貴重で、喜ばしい機会でうれしい。せっかくなので、グノーのAveMariaを試してみることにする。「gra」のCがうまくでなかったときは、どきっとしたが、曲が進んでいくごとに、どんどん楽しくなる。ただ、楽しみすぎちゃって、楽譜をあまり見なかったので、テンポとリズムはめちゃめちゃで伴奏の先生には迷惑かけたような気もするし、みんなに届ける気持ちが薄れちゃったかな。みんなの感想も聞いてみたい。歌ってても思うけど、この歌って、ひたすら感謝!感謝!って曲なんです。次回、人の前で歌う機会があれば、その精神を大切にして歌いたいです。発声についてはまだまだ使えていない顔や首の部位があるなあと歌いながら思った。


で、セリフですが、やっぱり早口になっちゃっているみたい。セリフのテンポとリズムの意識が足らないのかなあと感じる。セリフにもよるのだろうけど、自分に合ったテンポとリズムがあるんじゃないかと思う。歌っている時の方がはるかに自由で、セリフを言うときは、下半身が緊張して固まっていくのを感じる。


一通り、メンバーの実演が終わってから、先生から、1時間ほど、声についてお話をいただく。声楽を勉強していたのに、今までおおざっぱにしかやってこなかったんだなあと思う。そして、これから僕に求められるのは、声を発見していくことなんだなあと思う。別の所で、声のワークショップを受けていても感じるけど、僕たちは自分が普段話している声だけが自分の声だと思っているけど、本当は、声にはもっともっと可能性があるということ。先生は、普段しゃべっている声は、舞台では使えないもので、舞台に必要なのは、空間を満たすだけの大きな声と声の高さ、そして感情が乗った声を出すことだという。そのために大切なこととして、声楽では母音の響きと、呼吸の深さとタイミング、その他身体的な準備だという。母音は、「え」と「い」が苦手?ってこの前劇団のねえさんにご指摘をいただいているので、普段から意識する。呼吸は、普段、たまに腹式呼吸で話してみるかな?身体的準備は奥が深く、たとえば驚きの感情を乗せたいと思うときは、驚いた時の身体的反応を思い出していくことで、行動を導く準備をするという。感情が乗った時の身体の観察を、今までより、広く詳細にすること。そのためには、身体をもっと知ること。結局は、やっぱり日々の生活が大切ってことですな。声の探求が本格的に始まりそうです。

先日、友人のホームパーティーに行った。僕は受付を手伝ったのだが、なんと総勢50人以上の人が訪れて、びっくりした。つるつるのうどんとおいしい料理を頂きながら、様々な人と話したり、歌を聞いたりしながらゆったり過ごす時間。今思い出しただけでも本当に愉しい時間だった。しかも会費、一人1000円。お金がなくてもこれだけのことができるんだ~って驚く。僕の家にも、この前はじめてお客さんが来た。「モノがなくてシンプルだね」って言われたのは意図通りで、うれしかったけど、これというおもてなしもできず、申し訳なかった。お金がなくても、心に余裕があれば、できることはたくさんある。お酒はほどほどにしよう。こまめに家をきれいにしよう。ハーブティーを買おう。お花を買い替えよう。緑を置こうか。可愛い色の小物を置こうか?まず大切なのは自分自身が落ち着いた生活をすること。もう騒がしいものや熱狂するだけのものならいらない。こんなあわただしい都会だからこそ、落ち着きがある家に人は集まるんじゃないかな。


混乱してもかまわない

気分が落ちたってかまわない

苦しくなってもかまわない

何があっても私は私


人を憎むこともある

格好つけることもある

嫌われたくないこともある

何があっても私は私


大丈夫だから安心して

すべてを私は受け入れるから

生きることはすべて私に

任されているんだと信じよう

今朝、松下裕「チェーホフ戯曲選」の中から、現在取り組んでいる「イワーノフ」を読了。チェーホフは、「イワーノフ」をドラマ版とコメディで書いているが、松下氏が訳したのは、ドラマ版である。私たちの舞台では、ドラマ版は4幕だけで採用しているため、1~3幕については、初めて目にするもので、コメディ版とかぶるところももちろんあるのだが、コメディ版に比べると、人物のキャラクターや内面を象徴するようなセリフが多く書かれているため、役作りの参考になる。ところで役作りというと、どうしても役の人物が出てくるシーンやその役の人物そのものばかりに目がいきがちになるが、それだと役が平面的になり、限界も早い。最近、取り組んでいるのは、自分が研究する役の人物と他の人物の関係性を研究することである。たとえば、他の人物が研究する役の人物をどう見ているか。「イワーノフ」でいえば、シャベリスキーはドラマ版の2幕で、アンナの主治医であるリヴォーフのことを「心の狭い、融通の聞かない医者」と評しているが、イワーノフは「うんざりだけど好感が持てる」と言っている。このセリフの真意や背景をつきつめていくことで、リヴォーフという人間がもっと立体的になっていくし、ひいては他の役のことも今まで以上に見えてくる。

昨日、「イワーノフ」本番。
舞台監督は先輩におまかせして、久しぶりに外から見たが、
本当に素晴らしい芝居で、号泣してしまった・・・
冗談抜きで今年見た芝居の中で一番感動した。
といってもまだ2月ですがね笑
「イワーノフ」ってこんな芝居だったんだなあ・・って、
言葉じゃなくて、からだで一杯感じた、2時間だった。

イワーノフ役の役者が、役の課題に非常に忠実な行動を
とりつづけたことで、他の俳優も、いい影響を受けたのか、
面白いシーンがたくさんあった。本当にみんなに感謝。
そしてまだまだ先があるということに感謝。

次回、3月7日は約1カ月ぶりの本番。
初舞台は感情準備に力を入れて、前回は相手との交流。
そして今回は、自分に向くことを極力少なくしながら、
明確な目的から導き出される課題を正確に遂行することがテーマ。
昨日の芝居の出来が良かったことを、プレッシャーに
しながら力にかえて、そして、芝居をさせていただいている
ことに、そしてそれを支えてくださる人への感謝をこめて
日ごろの成果を、舞台の上で示すだけだ。
からだもだいぶよくなってきたし、少しはいいものがお見せ
できるかも。

3月7日(日) 13:00~
「イワーノフ」
http://www.tokyo-novyi.com/repertory/iwanohu.html
東京ノーヴイ・レパートリーシアター劇場
http://www.tokyo-novyi.com/access.html

前売 3000円なり

ご予約の方

東京ノーヴイ・レパートリーシアター

営業時間 : 月ー土 10:00~17:00
電話 & FAX : 03-5453-4945

唐突だが、今年の読書のテーマのひとつ、「女性の書いた本を読む」。ある人からも、占いからも、神示からも、ことごとく女性性の解放だ~と言われて、ええ、そうなの~と思っていたら、思いついたことだが、、、


先日、江國香織の「号泣する準備はできていた」という短編集を読了。ずっと読みたいと思っていた作家ではあるのだが、


・・・・・・・・


全体を通じて、正直よくわからん笑

女性って男性と全然違う視点、考えをもっているんだなあと。

つまらんと思いながら読んでいたところもあった。

女心わからんからそっち方面だめなのかとネガな方向にいきかけることも。


これじゃあんまりなので、今、この文章を書きながら少しよみなおしてみる。「熱帯夜」という女性同士の愛について描かれた作品がある。最初読んだとき、あ、美しいと思った事を思い出した。お互いを、自分自身以上に愛する関係。だと登場人物はいう。こんなことが男女の間で存在するだろうか。いろいろ反論はあると思うが、女性は、相手のことをすべてわかろうとし、自分のことをすべてわかってほしいと要求する気がする。

僕もこれが「究極」の愛のような気がする。しかし、これはやはり「究極」なのだ。たどりつこうとして、みんな脱落する世界。男性にも、そうありたいと思う人もいたとしても、男性という性質、そして女性との差が理解の壁となる。半分言い訳とひがみですが笑

たしかに、同性同士の方が、お互いが求めることがわかっている分、楽なのかもしれない。そして、この小説のように精神的に深いつながりになることもあるかもしれない。しかし、いうまでもなく、同性間の愛は、長い人生の中で行き止まりにぶつかるのが必然である。しかし、それでもこの禁断を超えようとする本能か、今この瞬間に、愛をむさぼることをただ幸せとする。

うん?もしかして僕やばい世界にいきそう???いやいや、また女性を好きになって、ああでもこうでもないと右往左往して、泣きごとをいうぜ。


今後は、ちょっと時代をくだって、ずっと読みたかった岡本かの子、林芙美子を読んでいきます。



今日も一日一生涯。生きていることを祝い、喜びましょう。