昨日は、昼間に観劇した後、突如電池切れになり、お昼寝をして、その後ゆっくり過ごした。疲れたら、休む。あまりにも単純なことだけど、僕は、会社員の時の習性か、疲れていること、つらいことを受け入れられなくて、どうしても無理しようとする癖がある。でもね、頑張っても努力してもどうにもならないことがある。心身ともにあまり無理がきかない人だということはわかってるし、先は長いからね。地球にのっかって、平らかに、穏やかに生きていきます。

時間があるとどうしても読書をしたくなる。読みたい本はたくさんあるけど、当面はチェーホフ戯曲集とチェーホフの妹が書いた伝記、それに翻訳学校のリーディング課題で取り組んでいる心理系の英書を読むことになる。新作として取り組む桜の園は優先してぺろっと読んでしまおう。昨日借りてきたユングの書籍、演出家が帰ってくる前に、ロシア語のあいさつにもとりくもう。命が眠る冬を経て、命が開き、輝きはじめる春がやって来た。ゆっくりと心の底から人生を味わおう、楽しもう。


昨日は、19時から始まる劇団の観劇前に、劇団のスタジオの女性メンバーと某大学の女子大生と下北沢のカフェで一時間ちょっと話をしました。女子大生も演劇経験者。二人とも清楚で、美しい女性。いや~考えられないね、ホント。。。一年前は会社の40過ぎの、毛が頭のサイドにしかない、たとえれば、横山ノックのような頭をした、しかも耐えがたい体臭のおっさんと仕事終わった後飲みに行くのが関の山だったからな笑まあ、このおっさん、性格がとてもやさしい人だったので、仕事の疲れやうっぷんを癒してくれた人でしたが。


が!やはり女性と接するということは全然違いますな。自分のたたずまいってやつを考えさせられます。特に、外見的でも内面でも清楚な女性だと、どうしようもないくらい、自分が汚らわしい動物のように思えて、どう存在すべきなのか、わからなくなり、ただヘラヘラおっさんになるのです。ありがとうございます。人間になります笑


話は、お芝居の話へ・・・どんな流れか忘れましたが、舞台に上がる前の準備についての話になりました。僕も偉そうにそんなことを語るようになったのか・・・先輩方すみません笑。僕たちの劇団では、スタニスラフスキーシステムにのっとって、舞台の1シーンを演じる前に、シーンと似た状況を、自分の経験から思い出して自分の身体、神経に影響を与える作業を行います。そして、僕は、渡部氏の俳優演技の研究会の「想像力」というトレーニングで、毎回色々なことを実験しています。俳優がなぜイマジネーションの訓練をするかを、渡部氏は、シーンと似たような過去の経験のイメージと関係性を作ることで、虚構の世界から真実の世界へ移行できるのだと説明しています。で、問題は、俳優のパフォーマンスの結果としては、イマジネーションから気分や感情を得たいわけですが、そのために、イマジネーションの中の対象、人、空間、ものにどのように働きかけるのかということ、そしてその逆に対象からどのように働きかけられていたかを思い出すかということです。今までは、外的な方法、相手をなぐったり、キスしたり、抱きしめたりすることに頼っていました。が、内的な方法もイマジネーションの中で試してみたいと思いました。たとえば、好きな子に思いを伝えたいとき、いきなり抱きしめたり、キスしたり恥ずかしくてできないから、心の中で「君のことを愛している」という考えをもって、伝わるように働きかけることってありませんか?また、相手は何を考えているのだろうといろいろと観察すること(これは今までもよくやってきましたが)も内的な方法といえるかもしれません。日常生活の中で、内的な方法で対象に働きかけている時の観察も必要かもしれません。明日は研究会。外見的な行動を封印して、すべて内的な行動で相手に働きかけて、どんな気分、感情が生まれてくるか観察してみても面白いかも。記憶やイメージの研究は、ぜひまとまった時間をとって研究したい。そんなことを、下北沢のカフェで話したことを通じて思ったのでした。


それにしても大変驚いたのは、何もしらないはずの女子大生が「自分がイメージしている状況の中にいる人が何を感じているのか、その空気を読もうとしてみる」と勘の鋭い意見をいったことでした。天才女優になるかもな。

今のうちにサインもらっておかなければ笑


想像力


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昨日は、世田谷区内の小学校の音楽室で、声楽のトレーニング。広い部屋で、たくさんの楽器に囲まれて、小さな椅子に腰かけて小学生の時の気分を思い出す。このトレーニングは、劇団からの紹介で、俳優に長く声楽を教えてくださっている先生とは今日が初対面となる。まず、参加メンバーから、音楽の経験と芝居の経歴について話し、先生と声楽のトレーニングの目的について、簡単に意見交換したあと、さっそく実演ということで、先生とみんなの前で歌とセリフを実演する。みんなの前で歌うのをほんとうに楽しみにしていたんです!!一人ではよく歌っているけど、人の前で歌うのは、僕にとって本当に貴重で、喜ばしい機会でうれしい。せっかくなので、グノーのAveMariaを試してみることにする。「gra」のCがうまくでなかったときは、どきっとしたが、曲が進んでいくごとに、どんどん楽しくなる。ただ、楽しみすぎちゃって、楽譜をあまり見なかったので、テンポとリズムはめちゃめちゃで伴奏の先生には迷惑かけたような気もするし、みんなに届ける気持ちが薄れちゃったかな。みんなの感想も聞いてみたい。歌ってても思うけど、この歌って、ひたすら感謝!感謝!って曲なんです。次回、人の前で歌う機会があれば、その精神を大切にして歌いたいです。発声についてはまだまだ使えていない顔や首の部位があるなあと歌いながら思った。


で、セリフですが、やっぱり早口になっちゃっているみたい。セリフのテンポとリズムの意識が足らないのかなあと感じる。セリフにもよるのだろうけど、自分に合ったテンポとリズムがあるんじゃないかと思う。歌っている時の方がはるかに自由で、セリフを言うときは、下半身が緊張して固まっていくのを感じる。


一通り、メンバーの実演が終わってから、先生から、1時間ほど、声についてお話をいただく。声楽を勉強していたのに、今までおおざっぱにしかやってこなかったんだなあと思う。そして、これから僕に求められるのは、声を発見していくことなんだなあと思う。別の所で、声のワークショップを受けていても感じるけど、僕たちは自分が普段話している声だけが自分の声だと思っているけど、本当は、声にはもっともっと可能性があるということ。先生は、普段しゃべっている声は、舞台では使えないもので、舞台に必要なのは、空間を満たすだけの大きな声と声の高さ、そして感情が乗った声を出すことだという。そのために大切なこととして、声楽では母音の響きと、呼吸の深さとタイミング、その他身体的な準備だという。母音は、「え」と「い」が苦手?ってこの前劇団のねえさんにご指摘をいただいているので、普段から意識する。呼吸は、普段、たまに腹式呼吸で話してみるかな?身体的準備は奥が深く、たとえば驚きの感情を乗せたいと思うときは、驚いた時の身体的反応を思い出していくことで、行動を導く準備をするという。感情が乗った時の身体の観察を、今までより、広く詳細にすること。そのためには、身体をもっと知ること。結局は、やっぱり日々の生活が大切ってことですな。声の探求が本格的に始まりそうです。

先日、友人のホームパーティーに行った。僕は受付を手伝ったのだが、なんと総勢50人以上の人が訪れて、びっくりした。つるつるのうどんとおいしい料理を頂きながら、様々な人と話したり、歌を聞いたりしながらゆったり過ごす時間。今思い出しただけでも本当に愉しい時間だった。しかも会費、一人1000円。お金がなくてもこれだけのことができるんだ~って驚く。僕の家にも、この前はじめてお客さんが来た。「モノがなくてシンプルだね」って言われたのは意図通りで、うれしかったけど、これというおもてなしもできず、申し訳なかった。お金がなくても、心に余裕があれば、できることはたくさんある。お酒はほどほどにしよう。こまめに家をきれいにしよう。ハーブティーを買おう。お花を買い替えよう。緑を置こうか。可愛い色の小物を置こうか?まず大切なのは自分自身が落ち着いた生活をすること。もう騒がしいものや熱狂するだけのものならいらない。こんなあわただしい都会だからこそ、落ち着きがある家に人は集まるんじゃないかな。


混乱してもかまわない

気分が落ちたってかまわない

苦しくなってもかまわない

何があっても私は私


人を憎むこともある

格好つけることもある

嫌われたくないこともある

何があっても私は私


大丈夫だから安心して

すべてを私は受け入れるから

生きることはすべて私に

任されているんだと信じよう

今朝、松下裕「チェーホフ戯曲選」の中から、現在取り組んでいる「イワーノフ」を読了。チェーホフは、「イワーノフ」をドラマ版とコメディで書いているが、松下氏が訳したのは、ドラマ版である。私たちの舞台では、ドラマ版は4幕だけで採用しているため、1~3幕については、初めて目にするもので、コメディ版とかぶるところももちろんあるのだが、コメディ版に比べると、人物のキャラクターや内面を象徴するようなセリフが多く書かれているため、役作りの参考になる。ところで役作りというと、どうしても役の人物が出てくるシーンやその役の人物そのものばかりに目がいきがちになるが、それだと役が平面的になり、限界も早い。最近、取り組んでいるのは、自分が研究する役の人物と他の人物の関係性を研究することである。たとえば、他の人物が研究する役の人物をどう見ているか。「イワーノフ」でいえば、シャベリスキーはドラマ版の2幕で、アンナの主治医であるリヴォーフのことを「心の狭い、融通の聞かない医者」と評しているが、イワーノフは「うんざりだけど好感が持てる」と言っている。このセリフの真意や背景をつきつめていくことで、リヴォーフという人間がもっと立体的になっていくし、ひいては他の役のことも今まで以上に見えてくる。

昨日、「イワーノフ」本番。
舞台監督は先輩におまかせして、久しぶりに外から見たが、
本当に素晴らしい芝居で、号泣してしまった・・・
冗談抜きで今年見た芝居の中で一番感動した。
といってもまだ2月ですがね笑
「イワーノフ」ってこんな芝居だったんだなあ・・って、
言葉じゃなくて、からだで一杯感じた、2時間だった。

イワーノフ役の役者が、役の課題に非常に忠実な行動を
とりつづけたことで、他の俳優も、いい影響を受けたのか、
面白いシーンがたくさんあった。本当にみんなに感謝。
そしてまだまだ先があるということに感謝。

次回、3月7日は約1カ月ぶりの本番。
初舞台は感情準備に力を入れて、前回は相手との交流。
そして今回は、自分に向くことを極力少なくしながら、
明確な目的から導き出される課題を正確に遂行することがテーマ。
昨日の芝居の出来が良かったことを、プレッシャーに
しながら力にかえて、そして、芝居をさせていただいている
ことに、そしてそれを支えてくださる人への感謝をこめて
日ごろの成果を、舞台の上で示すだけだ。
からだもだいぶよくなってきたし、少しはいいものがお見せ
できるかも。

3月7日(日) 13:00~
「イワーノフ」
http://www.tokyo-novyi.com/repertory/iwanohu.html
東京ノーヴイ・レパートリーシアター劇場
http://www.tokyo-novyi.com/access.html

前売 3000円なり

ご予約の方

東京ノーヴイ・レパートリーシアター

営業時間 : 月ー土 10:00~17:00
電話 & FAX : 03-5453-4945

唐突だが、今年の読書のテーマのひとつ、「女性の書いた本を読む」。ある人からも、占いからも、神示からも、ことごとく女性性の解放だ~と言われて、ええ、そうなの~と思っていたら、思いついたことだが、、、


先日、江國香織の「号泣する準備はできていた」という短編集を読了。ずっと読みたいと思っていた作家ではあるのだが、


・・・・・・・・


全体を通じて、正直よくわからん笑

女性って男性と全然違う視点、考えをもっているんだなあと。

つまらんと思いながら読んでいたところもあった。

女心わからんからそっち方面だめなのかとネガな方向にいきかけることも。


これじゃあんまりなので、今、この文章を書きながら少しよみなおしてみる。「熱帯夜」という女性同士の愛について描かれた作品がある。最初読んだとき、あ、美しいと思った事を思い出した。お互いを、自分自身以上に愛する関係。だと登場人物はいう。こんなことが男女の間で存在するだろうか。いろいろ反論はあると思うが、女性は、相手のことをすべてわかろうとし、自分のことをすべてわかってほしいと要求する気がする。

僕もこれが「究極」の愛のような気がする。しかし、これはやはり「究極」なのだ。たどりつこうとして、みんな脱落する世界。男性にも、そうありたいと思う人もいたとしても、男性という性質、そして女性との差が理解の壁となる。半分言い訳とひがみですが笑

たしかに、同性同士の方が、お互いが求めることがわかっている分、楽なのかもしれない。そして、この小説のように精神的に深いつながりになることもあるかもしれない。しかし、いうまでもなく、同性間の愛は、長い人生の中で行き止まりにぶつかるのが必然である。しかし、それでもこの禁断を超えようとする本能か、今この瞬間に、愛をむさぼることをただ幸せとする。

うん?もしかして僕やばい世界にいきそう???いやいや、また女性を好きになって、ああでもこうでもないと右往左往して、泣きごとをいうぜ。


今後は、ちょっと時代をくだって、ずっと読みたかった岡本かの子、林芙美子を読んでいきます。



今日も一日一生涯。生きていることを祝い、喜びましょう。



なんだ、そうだったのかあ。

「受容する」ということは他人ではなく、まず自分を受け入れることだったのねえ。


何も変わらなくてよかった

なかなか結果がでなくてあせって自分を責めている自分も

どうでもよくなって酔っぱらってへべれけになる自分も

女性に思いを伝えることが苦手な自分も

あの人が怖くて遠慮してしまう自分も

親に助けてもらって情けないと思っている自分も

寝坊して落ち込んでいる自分も

お金がなくて、先が見えなくて苦しんでる自分も

嫌われたくなくて、言いたいことを抑えちゃう自分も

受け入れられたくて、自由なふりをしたり、格好つけたりする自分も

全部受け入れて

みんな自分だから

書くことだけでも楽になる

ごめんね、認めることができなくて

よかったら、これからは仲よくしてね

でもまた責めてしまったらごめんね

少しずつでも自分を愛せるように

みんなのおかげで僕は生きています

ありがとう


今日も一日一生涯。生きていることを祝い、喜びましょう。

昨日のEdgeProject。久々に「作業」(絶対に制限時間に終わらせなくてはいけない動機を持った何らかの作業をしながらリピテーションする)のトレーニングをやったが、面白かった。作業の設定を本当に信じられると、思いもよらないことがおこるんですね。それは意識的に表現されることよりも、見る側も演じる側もはるかに面白い瞬間。少しは戯曲をやった成果がでてるんかな。


帰り道、少しへこんだ、、、が、へこむということは握っているプライドがあるということ。これは稽古やっていても、思うことだけど、プライドが邪魔して出せない感情って一杯あるんだよね。相手を抑えられなくてどうしたらわからなくて「苦しい」のに、格好悪くて言えない、とか、つらくて落ち込んでいるのに、情けなくなるし、バカにされるから我慢するとかかなあ。前も書いた気がするけど、これが本当につらいことで、なかなか相手に伝えられない。


でも「格好悪い」「情けない」「バカにされる」とか、そう思う自分を握りしめていることは実は表現することより、生きる上でつらいというか悲しいことではないかと、最近日常生活を通じて痛切に感じている。自分が苦しくなって、他人とうまく意志疎通できなかったり、時には傷つけてしまうことさえある。だから、早く救いだして、自由にさせてあげなくてはいけないと思う。そして、ありのままの自分を相手に伝えれば、芝居においては相手のためになる。日常生活でも、自分の気持ちを相手が理解してくれるかもしれない。それは他の人を観ていても感じた。もっとみんなで自由になりたい。そのためにはまずほんとうの自分に誠実であることだと思う。一杯一杯になるまえにひとつひとつ出していくこと。恥ずかしくてつらいけどそれでもやる。それが役者に、そして人間にとって必要なことだと思うから。


今日も一日一生涯。生きていることを祝い、喜びましょう。





昨日今日と、割とのんびりとすごしている。

会社員の時の習性からか、のんびりすることに罪悪感がでてくるの

だが、少しそうさせてほしいという気がしている。

もうそろそろ働かなくてはならなくては経済的にもたないのは確か

なこと。そのことも含めて、本来の自分で生きるにはどうすべきか、

大きな流れを自分のすべてを使って感じながら、心に聞いている。


昨日、東京は寒い上に冷たい雨が一日降りつづけた。

そんな悪天候の中だったが、久々に美術館へ行った。

場所は、白金にある庭園美術館。

イタリアの印象派の作品を集めた「マッキアイオーリ」展である。

この美術館を訪れるのははじめてで、少しわくわくしていたが、正面

玄関ガラス・レリーフ扉にかたどられた天使には癒されつつ、全体的

に重々しい雰囲気だった気がするが、まあたまにはいいかな。

印象派は見慣れてしまって、あきてしまったかな。もちろんいいなあ

と思うものもあるのだけど、自分が勉強不足なのかもしれないが、

絵で表現されていることと解説で書かれていることの関連がよくわ

からなかった。まあ他のこと考えていて集中できなかったというのも

ありますが。


昨日今日は、EdgeProjectの稽古。

昨日の想像力のトレーニングでは、想像力を使いながら、身体

の力を抜いていくことで、かなり深いところから感情を表現できたと

思う。やはり事前の精神集中と発声で、感情が生まれやすい情緒

ができるんだな。呼吸とかイメージとか普段使わない顔や声帯

まわりの筋肉を使って声を出すとか、いろいろ試したい。

ある水準の情緒が作られれば、昔の出来事をイメージするだけで

感情が出てきて、あとは身体の状況を観察しながら、ゆるめていく

だけでよかった。

今日は何を試そうかな。


リピテーションは、自分の中に生まれた欲求にしたがっていろいろな

行動(適応)をしながら、相手との間で生まれる感情をできるだけ細か

く観ていこうと思っている。今は、特にがっちりと課題を設けずにやら

させてもらっているので、余裕をもって気楽にやるという感じ。

うまく表現できなかったが、今までにない感情が出てきたかも。


訓練方法について

http://edgeproject2007.blog116.fc2.com/blog-entry-15.html


終わった後、師匠である渡部氏と映画畑の年下の俳優と

熱く芝居談義をする。こういう機会は最近なかなかないので、

うれしかった。ドラマとは何か?ドラマが及ぼす変化とか何か?

面白いテーマをいただいた。