愛という関係に縛られて自分を見失うことから自由になる。

ただ愛するということ、それだけだ。

そして愛するというのはただ二人で共にいるということではないということ。

時には別れること、突き放すことも愛することだ。

自分で自分自身であること、相手も相手自身であるということ。

それが何よりも大事だ。




下北沢でのビラ配りを終えて、声のワークショップに向かう。

電車の中で、しばし休んでいたら、

となりに、フランス語の本を読んでいる女性がいる。

へえ、すごいなあ。僕も少しだけフランス語をかじったことがあって。

テキストをのぞき見する。少しわかる気がする。ああ、フランス語

勉強したい。教えてほしいなあ。うん?やばい?なんだろう???この気持ち。

抑えられない。どうしてもこの人と話がしたい。

「あなたは運命の人だ」

いや笑、それはやばいだろう。確実に拒まれる。ていうか恥ずかしい。

でもでもでも。。。

ふっと横を見る。ていうかfrancaiseやん笑

フランスは愛の国。大丈夫。


「vous avez Francaise?」

そんな唐突な質問の瞬間、はじめて彼女の顔をまじまじと見た。

美しい。こんな美しい女性がいたのか・・・(大げさ)

フランス語はそんなに知らないと思ったのだろうか、彼女は

英語で話しかけてきた。英語もハッタリだったりするのだが笑

フランスに興味があるとか、フランス語を勉強したことがあるとか、

何とかかんとか伝えていた。

「ホント急にごめんなさい」「ううん、ぜんぜん大丈夫」話がとぎれる。

でも、間に流れている空気が僕と彼女を優しく包んでくれる気がして、

とても幸せな気持ちになる。

彼女は何かを話したがっている気がする。でも・・・

「ここで降りなくてはいけない」「ありがとう」「また会いましょう」

ドアが開く。もう一度彼女の顔を見る。


声のワークショップ、最高に面白い。

ぜんぜん声帯使えてないんだなあ、と実感する。

いろいろな声を出してみることで、自分の可能性を開く。

発声練習を重ねることで、顔の緊張もかなりほぐれるだろう。

芝居に必要な即興力も鍛えられるワークショップ。


夜は、経堂でパーティー。幸せな瞬間を過ごす。

欲張って大盛りにしたカレーの味。

今も頭の中で歌ってくれた人の声がこだまする。

そして聞いている人たちの幸せそうな顔。

涙が出そうになる。昨日は旧暦の大みそか。

今日から新たな気持ちで生きる。


今日も一日一生涯。生きていることを祝い、喜びましょう。





紀伊国屋サザンシアター、初見参!!

劇団銅鑼の「はい、奥田製作所。」


http://www.enjoytokyo.jp/OD004Detail.html?EVENT_ID=309749


思っていたよりぜんぜんよかった~

まあ、人の芝居、あらさがししたらきりがないんですけどね。

他人の中で気になることは自分の中にもあるってことで。。。


ストーリーが、失業者の僕には厳しくも優しくて笑

ほんとうの悲哀、喜び、いくつか感じさせてもらいました。

仕事って、きついし、苦しいし、でも本当は愉しくて、わくわくするもんなんだなあ。

今日が楽日。ぜひぜひ見に行ってみて!!!!


ビラ配りしていて思ったこと。

ほんとうの自分で配りたい。そしてそれは相手に伝わるのだということを信じたい。


今日も一日一生涯。生きていることを祝い、喜びましょう。



昨日も下北沢でビラ配り。

月曜日から4日。。。本当になれてきた。

最初は心がおれそうだったけど、昨日は

1時間強で80枚近く配る。

声を出しながら元気よくやっていると、

とってくれるんだなあ。

とってくれなくても笑いかけてくれる人もいる。

下北沢ありがと~

でも少し雑になってきたかな???

渡すことで満足しちゃうんじゃなくて、

劇場に来て下さいという心をこめて。

とりあえず今日あと一日。。。



銀河鉄道の夜を見る。

教会にいるかのような神聖な瞬間を味わう。

思わず祈りたくなる。

「あなたのほんとうの幸いってなんですか?」

ああ永遠だな。



今日は、劇団銅鑼の芝居を、劇団の人と観にいくぞ~

他の劇団の芝居、久しぶり~

楽しみだ。




今日も一日一生涯。生きていることを祝い、喜びましょう。

昔好きだった女と飲んだ

気が楽だ、たのしい
あなたは意志の人だ
愛されていたことを思い出します
好きだったことをはじめて告げる
驚きとはじらい
再び求める
拒まれる
落ち込む
タクシーで家に着いたのは4時
寒い、静かだ
財布の中はからっぽ
でも感謝しかない
僕が生きていること
人間的課題を単純にみただけではわからない。
むしろ逆説的になることもある。

世界的に有名な劇作家、アントン・チェーホフと同じ世代に活躍した、ロシアの演出家、コンスタンチン・スタニスラフスキーというひとがいます。この人は、天才的な俳優を研究して、俳優における創作方法を研究した人です。現在、「スタニスラフスキーシステム」と言われ、ヨーロッパ、アメリカ、もちろん日本の演劇界に大きな影響をあたえ、現代演劇の源流といわれています。現在、私は、このシステムをベースとした俳優教育を行う劇団のスタジオに所属しています。

俳優の創作活動において一番大切なことは何か?スタニスラフスキーはいろいろな視点から、そのカギについて説明していますが、私は役者である以上、「シーン、作品における役の人物の行動課題」、つまり何のために行動するかが大切であると考えています。そして、スタニスラフスキーは、この課題が、役を演じる人間の真実、「人間的課題」でなければならないと言っています。私は、この人間的課題を導くための方法を具体的に知りたいと考えて、スタニスラフスキーが書いた「俳優の仕事(俳優修業)」を昨年からよみ始めました。

その中で「適応」という対象への作用の手段について、書いています。

スタニスラフスキーは、適応の目的について次のようにいってます。
・内面の感情や全体的な状況をできるだけはっきりと示そうとする
興味深いのはもう一つの目的です。
・自分の感情や状況を隠し、カムフラージュする

日常生活では、感情や状況を隠そうとすることが無意識に行われています。たとえば素晴らしい芝居を見たときに、人間は席を立ち、賞賛するが、一方で、圧倒されて打ちのめされた気分があったり、俳優であれば、自分にはとてもこんな芝居はできないという絶望感にかられるかもしれないということ。賞賛するという行動によって、それらの気分は隠される。いや隠されたに見えるだけではないか。身体器官もしくは細胞のレベルでは、隠された気分が何らかの作用をしているのではないか。要は、人間は、これら無意識的な、有機的な自然がある、という仮説です。

俳優は、舞台上でしばしば意識的な適応を行おうとします。対象を笑わせるために変な顔をしようとか、説得するために厳しい顔をしようとするということです。しかし、変な顔とはなんだろう?そして厳しい顔とは?やがて適応だけが目的になり、酷い時にはそれを観客にみせようとする余興になるのです。そして、自分の真実ということからはまったく離れてしまう。 適応は、なるべく無意識的で、人間の有機的な自然が生み出されるべきだと、スタニスラフスキーは言っています。だから俳優は、意識だけでなく、有機的な自然に従った、本当の人間でなくてはならないと。であれば、人間的課題も、意識レベルでは計り知れない、隠された気分から発掘されるのではないか。
隠された気分は何か?シーンごと、または作品全体と、似たような自分の体験を引き出し、細かく思い出して、考えていく作業が、スタニスラフスキーシステムにのっとって、創作活動を行う俳優の大切な仕事です。

BLOG運営者のKOTAROADです。昨年から「創作日記」というブログ名のまま1年以上休止しておりましたが、この休止中に、ある劇団とご縁があって、俳優として創作活動をスタートすることとなりました。よって本日2月10日より「俳優修業中!!KOTAROADの珍生活」という名前で再スタートします。なるべくたくさん更新できるよう、努力していきますので、よろしくお願いいたします。


KOTAROAD


創作日記
東京ノーヴイ・レパートリーシアターです。

http://www.tokyo-novyi.com/
演劇の街・東京下北沢を拠点として
日本演劇界では異例の長期連続公演を実践
3年連続文化庁及び藝術文化振興基金の支援獲得
ロシア、韓国などでも高い評価
演劇サイト「CoRich」でも大きな反響
http://stage.corich.jp/stage_detail.php?stage_id=11448


第6シーズンが11月6日よりスタートします!


そして、


この第6シーズンから新しくレパートリーとして加わった
ロシアの文豪、アントン・チェーホフが生んだ名作!

東京ノーヴイ・レパートリーシアター付属 第1スタジオ公演
アントン・チェーホフ「イワーノフ」
http://www.tokyo-novyi.com/repertory/iwanohu.html


「昔のイワーノフが語り始めたぞ」
絶望の淵からイワーノフが見つけたものとは?
そして、あなたは劇場で何を見つけるだろう?

シリアスだけどなぜだか可愛くて、笑えるコメディ。
付属スタジオの俳優が新鮮で、心のこもった演技を見せます。


観劇ご希望の方は、
劇団事務所へ直接連絡または下記申し込みフォームでお申込みください。
申し込みフォームはこちら→http://www.tokyo-novyi.com/postmail/postmail.html
劇団事務所営業時間 : 月曜日ー土曜日 10:00~17:00 
電話 & FAX : 03-5453-4945  
皆様のお越しをお待ちしております。


【日時/場所】
11月8日(日)昼13:00開演(開場は開演の30分前より)
東京ノーヴイ・レパートリーシアター劇場

【チケット料金】
通常 前売3,000円 当日3,500円 学生・子供2,500円

【劇場所在地】
東京都世田谷区北沢2-13-6 第一マツヤビル3F

創作日記

限定26席の臨場感あふれる劇場。
芝居のエネルギーがじかにつたわってきます。


【道順】
下北沢駅南口に出ていただくと、正面に商店街がありますので、
直進してください。入口にマクドナルドがあります。
ゲームセンターを通り過ぎると、ソフトバンクのお店が
ありますので、その角を左へ曲がってください。曲がって
すぐの右側に、カラオケ館の看板があるビルがあります。
3階が劇場です。


あけましておめでとうございます。新年初の映画鑑賞は、成瀬巳喜男の「乱れる」です。成瀬作品は、昨年から鑑賞し続けてきましたが、「乱れる」は、「浮雲」に負けるに劣らない、素晴らしい作品でした。舞台は昭和30年代の静岡県清水市。戦死した夫の代わりに、夫の実家の酒屋を18年間切り盛りしてきたレイコ(高峰秀子)。そんなレイコの長年の働きにもかかわらず、時代の流れか、近くにできたスーパーマーケットでの安売り商法もあって、客足はぱたととだえがちになる。この状況をみて、酒屋からスーパーマーケットへの業態変更を計画する夫の親族達は、レイコの存在をうとましく思い、他家に再婚させて、穏便に家から出て行かせようとする。一方、レイコの亡くなった夫の弟であるコウジ(加山雄三)は、大学を卒業したものの、半年で会社をやめて、マージャン、パチンコ、酒と放蕩三昧。店の仕事も、使用人に任せきりで手伝おうとしない。しかし、実はコウジは11歳離れた兄の妻であるレイコを愛していたのであった。会社をやめたのもレイコのそばにいたいという一心からだった。ある日、コウジはその思いを、レイコに打ち明ける・・・・

このときのレイコの気持ちを考えると、胸が苦しくなりました。突然の告白に対する驚きの一方、コウジに対する愛の思いも確実に芽生えたはずなのです。しかし、その思いを表に出すことを許さない周りの目と自分自身の中にある倫理観。結局、居たたまれなくなったレイコは山形の郷里へと帰ることを選択します。コウジは、レイコへの思いを捨てきれなかったのでしょうか。レイコと山形へ旅路を共にするのです。レイコは、コウジと同じ電車に乗っているうちに、ついに我慢していた思いが頂点に募り、涙を流しながら、郷里の駅に着く前に、途中下車しようと、コウジを誘います。途中下車して降りた駅でレイコは一言「私だって女よ。コウジさんに好きっていわれて、正直にいえばとってもうれしかったわ」とついに自分の本音を明かすのでした。そして、宿泊した温泉宿で、クライマックスを迎えます。お互いの思いがはじけます。(あ~もう一回みてみよう)レイコの女である部分、なんと言葉にしたらわからないが、いじらしさ、せつなさなど、様々な感情が見えたり、隠れたり、「乱れる」。コウジはただ翻弄される。結局レイコは、乱れきらずに、コウジを突き放します。そして、「浮雲」同様、最後に悲劇が訪れる。高峰秀子は、本当に幅がひろい女優ですね。今まで見た高峰秀子とはまた違う姿を見た気がして、やはり日本の名女優にふさわしい方だと再認識しました。普通の恋愛映画じゃもう物足りないという人は、ぜひみてほしいですね。特に、女性がどんな見方をするのか非常に興味がありますね。
一方、今回、僕は「家族」という形式に注目しながら見ていました。心理学を学習する上で、家族関係をテーマに研究していきたいと考えています。この作品についても、母‐娘、母‐息子、義母‐嫁といったそれぞれの関係が、シナリオの進行に微妙な影響を与えているのではという仮説をもって見ていたのですが、今回の鑑賞ではその根拠をうまく拾いきれなかったので、今後の課題としたいと思います。そんなことを考えてたら、クライマックスの理解がおろそかになってしまいました。本当にある作品を様々な角度で分析しようと思ったら、数回見直さないとだめですねえ。あといくつか家族におけるモデルケースを知識として詰め込まないとダメですね。

久しぶりにブログを更新してみました。今年も今日1日。ようやく少しは実感が沸いてきています。

昨日から、とあるレポート作成のために、3年ほど前に書いたブログを読み返していたら、自分が今、心理学や演劇に関わっている理由がよくわかってきました。なぜって、心の持ち方とかコミュニケーションにおける心がけを書いた記事がほとんどだったからです。この頃の私は、「起業家」にあこがれていて、そのためには社会に貢献するという志が大事と、「起業家」が書いた本や自己啓発の本をよく読んでいました。そんな本から、きっと影響を受けたのでしょう。「起業家」目指すなら事業アイデアとか事業プランをもっと考えろというところですが、この頃会社で、人間関係で悩んでうつ状態になっていたり、ちょうどどんなご縁か忘れてしまったけど、哲学者のブログを読み始めたこともあって、心と哲学の道に引き寄せられていったのでした。とはいえ、何冊か哲学書といえる本は読みましたけど、哲学を語るレベルには到底およびません。でも、少なくとも人間が人間らしく生きるということはどういうことか考えることは、誠実に生を全うする上での義務だと私は思います。こんなことは欧州なら、初等教育で終わっている話。心理学を修めたいと思ったのも、臨床心理士の資格を取得して、自分が経験した体験を活かしつつ、様々な人間の心の問題の解決に貢献したいという、自分のキャリア形成における目的が第一なのですが、心理学を理解することで、哲学や文学、演劇を深く追求するための目を養うという目的もそれに劣らず大きいのです。今日、本棚を片付けていました。心理学の学術書をたくさん買おうと、収納のスペースを多めにとりました。どっちみち近いうちに、家は出ますが、これは気分の問題です。専門科目の概要整理のために、東京大学出版社の「認知臨床心理学入門」を、図書館から借りてきて、科目やテーマごとにノートを作る予定ですけど、臨床士が書いたものや、研究テーマの検討の参考になりそうなものは積極的に購入しようと思います。それよりも、来年は、語学が課題です。翻訳もビジネスレベルにのせたいので、また学校に行くかもしれません。文庫本もだいぶたまりましたが、購入書を見る限り、浅いなあとわれながらちょっとがっかりしてしまいました。散らばりすぎだし、テーマが見えないんですね。年末、シェークスピアの四大悲劇やフロイトの著書を読みすすめていましたが、これはなかなかいい傾向です。今後は、深く、つながりがわかるような読書法を心がけていきたいですね。あと、あっちこっち飛び過ぎないように注意。落ち着きのない性格なのか、ついつい飛びすぎてしまうんでね。