4月初旬は、一息つけるかなと思ったら、仕事で大きなチャンスが2つ舞い込んで来ました。なかなか神様は休ませてくれませんね。今がきっとがんばり時なんでしょう。努力していれば必ず時が来ることを実感しています。でも忙しいことは本当に有難い事です。むしろ、人間、忙しくないとだめなのかもしれません。時間に追われながらも、自己研鑽の時間を捻出して、勉強すること。日々の生活から、自分の課題を見つけて、解決する方法を考えて、次の日の生活から実践していくこと、このように考え続けて動くことは、、暇にのうのうと暮らしている人とは、時間の感じ方が違うのではないかと思います。忙しくなることは、自由なことが出来なくなるから嫌だと少し前は思っていましたが、今は、忙しくないと嫌です。とはいえ、まだ、大丈夫だろうか、これから、やりたいことをこなしていけるだろうかと、少し戸惑っている、半信半疑の自分がいます。限界ではないか、と思ったときの状況を「あたりまえ」にし続けることが、課題ですね。限界を決めた時、人間は守りに入る。今は攻め、攻め、攻め一辺倒。自分を変え続ける。自分を変え続けることの限界なんて、凡人の僕が考えなくていいこと。

肩こり、首のハリ、腰の痛みは、現代人の誰もが多かれ少なかれ、持っているものだと思います。これらの痛みのやっかいなところは、病院にいっても、その原因を特定しきれず、根本的治療が難しいし、なにしろ費用がかかることです。しかし、痛みが起こる時に、自分の身体、もしくは心に何が起こっているかを意識し、様々な対策を実践することで、病院に通院するのと同じように、体の痛みを軽減でき、長期的に続ければ、根本的回復につながる可能性があるかもしれません。自分の姿勢は、長年の生活習慣の影響で、知らず知らず身に付いているので、意識していないと、なかなか気づけないものです。 例えば、パソコンを使って、作業をしていたら、知らないうちに、肩に力が入ってしまっていたり、体が前かがみになりすぎていることってありませんか。まずは、自分が生活の中で、どのような姿勢で暮らしているのかを見直し、自分の身体に、負担をかけている姿勢を知ることです。そして、正しい姿勢を学び、その姿勢を保持するための方法を知ることです。正しい姿勢については、身体について書かれている本で紹介されていますので、参考になるでしょう。一方、痛みが起きる時の、心の状態というのは、悪い姿勢による痛みよりも意識化しにくいものです。心の状態というのは、「内観」することであり、日々時間におわれて生活している人が大半を占める現代においては、なかなか難しいことです、また、心の状況とは、様々であり、また移ろい行くものなので、痛みが起こった時の心の状況と言われても、表現することが難しいのです。ここで考えたいのが、痛みが生じる「状況」についてです。痛みが生じるときによく起こる状況を特定化してしまうのです。仕事で時間に追われている時なのか?他人に中傷されたときなのか?悲しいことがあった時なのか?きっと、人それぞれでしょうが、こちらなら心の状況よりも比較的特定化しやすいのではないでしょうか?痛みが生じる状況が特定化できたら、その状況が起こったときに、心の状況がどうなっているか、考えましょう。そして、常に言語化できるとは限りませんが、できれば単語レベルでもいいので、言語化してください。例えば「不安」とか「怒り」とか「虚しさ」とかという単語です。複数の感情があると自分で感じたなら、列挙できるだけ、言葉にします。言語化できないときは?信頼できる人とその時の状況について話してください。話している人が言語化してくれるかもしれません。あとは、その感情をコントロールするためには、どうしたらいいか考えるのです。なかには、感情を消すことが難しいものもあります。その場合はあえて逆らわずに、中和しようとするのです。痛みが生じる状況が起こらないようにするために、「起こらないように痛みが生じると思われる状況を避け続ける」という裏技もありますが、それは、自己を主張して、堂々と社会を生きていくことを志す人にとっては、かえって苦痛を伴うことでもあります。痛みが起こる状況を作り出すのは、多くは、他人との関わりだからです。一番大切なのは感情のコントロールですが、それに身体の痛みが伴う場合は、感情のコントロールが難しくなります。身体の痛みを軽減する過程の中で、自分の感情の流れの傾向をつかんで、それらをコントロールする術を学びたいものです。身体と心についての小論考でした。論点が不足しており、深みもまだまだ足らないし、間違いもあるかもしれません。今後の学習を通じて、少しずつ埋めて、解消していきますので、お見逃し下さい。身体と心の問題についての学問は、身体と心が、人それぞれであるがゆえに、完全な処方箋の提示は、不可能です。学説も多数あり、スプリチュアルブームの現代人ならご存知の通り、まがい物も多く存在し、学問的意味を問われることも多いのですが、語る価値もしくは学ぶ価値があると思われることについては、今後もブログに書いていきます。

最近自分が、頭の中で考えたり、本を読んで、思ったことなどざっくばらんに書き記していきます。今日は少しえらそうなことを書くかもれませんが、許してちょんまげ。人間って、どんなことが身に降りかかったとしても、何もかもをあるがままに受け入れることが大事だと思います。所詮、人間が捉えられる範囲には限界があり、それはどんな天才であっても、そうです。世の中で起こりうる全ての現象を捉えることなど、人間である限り、何百年生きようとも、おおよそ不可能で、神とか仙人とか、幻想的な世界のお話に過ぎません。人間は、将来が予想できないという不安を常に抱えながら生きていくのです。よって、不安は、消すことはできないのです。その不安を消そうとしている人はあきらめた方がいいです。また、不安にあわてふためいてたところで、何ひとついいことはありません。僕も、不安にさいなまれて、今思うと、ずいぶんバカなことをした経験がありますが、その結果、自分の不安の元となっているものは、結局何一つ改善されませんででした。不安を軽減するには、その不安を引き起こす原因となるものと、真剣に向かい合って、解消できるように努力するしかないです。これが非常につらい。つらいけど、それ以外に道はないんです。人間は完璧じゃないんです。自分の精神的・肉体的範疇が明確に存在するのです。ゆえに、その限界を超えれば、簡単にシステムエラーを起こす存在なんです。自分が捉え切れない現象が、いつも存在していると思うことです。自分が普通だと思っていることが普通じゃないし、、その逆もあるといることです。死ぬことですら、生きている以上、あたりまえのこと。どんなにつらい人生でもいつかは死ねる。それぐらいで考えていれば動ずることなど何もないし、また、自分以外の世界観にも寛大になれ、いろいろな物事に目が向くようになるので、不安があることをけっこう楽しめちゃうかもしれません。そもそも、不安がなかったら、人間は何もしないでしょうし、そう考えると、不安もけっこういいものかななんて思います。人間にエラーがあることも必然なのです。エラーがあること、すばらしいじゃないですか。エラーは、改善の第一歩です。それを認めないで、エラーしたという事実に執着して、落ち込んで、自分の殻の中に閉じこもっていては、人は成長できないし、そんな人間では、エラー自体に過敏になりすぎて、他人のエラーにも寛大になれないように思います。エラーしたことに執着するのではなく、同じエラーをしないためにはどうしたらいいか考えられるのが人間の人間たる所以なんですね。


阪神タイガース、今日も勝ちました!今日はKF、昨日はJFKで締めました。まわりには、今年もJFK頼みかといわれそうですが、タイガースが勝利をものにし続けるためには、先発が6回まで投げて、JFKにつなぐかたちを作るのがベストなのです。相手チームに、JFKが出てきたら、「もうあかんな」と思わせることができれば、しめたものです。ただ、JFKとはいえ、人間ですから、いつもうまくいくとは限りません。昨日も、久保田は、相手のホームランバッターに高めの棒球を放り、ボールをスタンドに運ばれていました。ツーアウトをとって、気が抜けたのか、そこが久保田らしいともいえますが、長いシーズン、ジェフだって、球児だって同じことが起こりうることを覚悟しなくてはなりません。特に藤川は、昨日もランナーを許し、今日もいい当たりを打たれたのを見ると、他球団にだいぶ研究されているのではないでしょうか。そうなると、渡辺、江草、ハシケンあたりの奮起が必要です。先発ピッチャーがなるべく長い回を投げることが必要です。打線が打って、相手との点差を早い回で広げて、JFKが出なくてもすむようにすることが必要です。去年はそれができなかった。今年は、JFKという最大の武器をシーズン最後まで活かしていくために、JFK以外の選手達がどんなプレイをするかが、優勝への鍵です。どんなスポーツでも、勝つチームには、JFKのような「勝利の要素」がありますね。ラグビーでいえば、マイクロソフトカップのサントリーがそうでした。三洋有利の下馬評を覆したのは、サントリーの、FWにこだわった連続攻撃でした。FWでボールを支配し続けることで、三洋のランニングラグビーを封じたのです。細かくパスをつなぎながら、トライをめざす三洋のラグビーの方が面白い。そんな声が上がったことも事実でしょう。ラグビーも、プロ化を進めていく中で、観客に魅せるラグビーを求められていることも確かでしょう。しかし、マイクロソフトのサントリーは、三洋に「勝つ」ことに全てを求めたのです。そのために、自分たちに有利で、なおかつ相手の長所を封じるという戦略目的の上に、FW偏重の攻撃を試合を通じて続けるという戦術を選択したのです。きっと、そんなサントリーのラグビーに、観客からブーイングもあったでしょう。しかし、その日のサントリーにとって、勝利を必ずつかむという、彼らの存在をかけた戦いだったのです。勝利を追い求めることに愚直になることとは、愚かであることではなく、周りからの風評をおそれず、勝利への鋼のような強い意志をもって、戦略を構築し、その戦略から得た戦術をあくまで実践し続けることなのです。

ついにプロ野球が開幕してしまいました。我が阪神タイガースは、初戦の接戦を制し、目下ヤクルトと並んで、首位です。このままペナントレースを首位で終えてくれれば、正直、それでいいと思っています。クライマックスシリーズ、日本シリーズは短期決戦で、運の要素が入ってきますから、興味ありません。チームの実力は、多くの試合を経た中での勝利数に反映されると考えるのが、確率論的にも当然ですよね。大差を付けられた試合で、1イニングに10点とって逆転したり、9回裏、ツーアウトから逆転したりと、信じられない勝ち方をするのがタイガースの魅力であり、ファンを辞められない理由ではありますが、今年は、そんな大味なことよりも、1試合1試合、勝つことに飽くまで執着し、結果として、シーズン通じて、安定した戦いを続けた、といわれるような、「精密機械タイガース」を見せて欲しいと思います。球団の伝統からすると酷な要求かなとも思ったりするんですが。ていうか、今年は、個人的に様々な生活のためのよしなしに忙殺されるので、あまり心を騒がされたくないだけだったりするだけなのですが。期待する選手は、野手では、今岡。昨日さっそくやってくれました。打率3割、30本、100打点を期待してます。投手はなぜ?っていわれそうですけど、杉山。毎年期待しているんですけど、なぜか成績はいまいち。自信を持てばお前は大丈夫。出来る子や~!俺も頑張る!

サッカーの日本代表、バーレーンに負けてしまったみたいですね。翌日、つまり今朝、5時に起きるつもりで、12時前には床についていたため、試合自体はほとんど見ておらず、よって、プレイに関することは、何もいえませんが、バーレーン、オマーンあたりの中東の中堅国と戦うと、いつも苦戦しますね。中東独特の応援歌に、洗脳されてでもいるかのようですね。昨今、欧州のクラブチームに所属する日本選手が非常に多くなったため、日本のサッカーのレベルは上がったように錯覚しますけど、実際は、アジアサッカー界における日本サッカーの相対的レベルは、1996年、フランスW杯以来、そんなに変わっていないんじゃないですか?中東だけでなく、東南アジアの国、タイ・ベトナムも頭角をあらわしつつありますね。うかうかしていると、足元をすくわれることもあるかもしれません。日本経済と同様。まあ正直、日本のサッカーなんて、僕のスポーツに関する好奇心の中では、どうでもいい存在です。グラウンドに簡単に倒れる選手を見ると、そう思います。身体を使うことを生業としているのにしてはあまりに弱すぎやしませんか?最近じゃわざと倒れる選手もいるっていうから、スポーツマンシップもくそもあったもんじゃありませんね。サッカー選手が、ラグビーやったら、死ぬんじゃないかと、試合を見ていて、いつも思います。

先週の木曜日から日曜日まで、郷里の伊豆に滞在しました。都会の喧騒を離れて、からだを休めながら、合間をみて、墓参したり、読書したり、勉強したり、親戚のおじさんとお酒を飲みながら、話をしたりしていました。特に、墓参は、今後も、遠い所ではないので、面倒くさらず、折を見て、行くべきだと肝に銘じています。先祖のお墓では、、線香やお花を手向けて、見守ってほしい、という気持ちを込めながら、祈りを捧げました。また、日曜日には、沼津市にある、作家の芹沢光治良さんのお墓を訪れました、人間・神・世界・宇宙とは何かを学び、考えることの大切さを教えてくれた人です。感謝の気持ちを込めて、祈りを捧げました。この世にいない人に対して、祈りを捧げることは、当然、コミュニケーションの不可能性からは、逃れられないけれど、言葉にならない感情や思いは、やり取りできる気がして、神聖に思います。芹沢文学館のある我入道から臨んだ海は、静かな波をたたえつつも、なぜか僕の胸に熱い心の鐘を鳴らすのだった。
日曜日の夕方に訪れた秋葉原。ゲームセンターやら電気屋の宣伝やらで、本当に騒がしい街です。消費が刺激されるだけで、何のありがたみもない。静かな伊豆にいた人間には刺激が強すぎたのか、本気でウツ状態に陥りましたよ。合唱の練習がなければいきたくもないんですけどね。

仕事で余裕かましてたら、今週は、しっかり仕事が舞い降りてきました。人生こんなものです。我慢の2月が、ついに到来です。いかに重要なことに集中できるか、それと、社内でのコミュニケーションですね。今日は、完全に集中力がきれたので、明日、朝早く会社に来て仕事しようっと。先週末、合唱サークルの合宿でした。一言でいうと、ただ「歌う」ことから「合唱」することへの転換を迫られた、そんな2日間でした。いや、前から迫られていたのですけど、今までは、サークルのメンバーの暖かいまなざしに甘えていました。また、レッスン受けたことで、少し歌えるようになったことで、調子にのってました。まだまだまだ未熟きわまりない。テーマは、ハーモニーとピッチ。サークルの先輩からいただいた言葉じゃないけど、2ヶ月間悩みます。悩みは宝だ。4月の演奏曲のひとつである「Stabat Mater」という聖歌曲では、チェロと一緒に演奏するのですが、今回の合宿で、初めて合わせて練習しました。初めて間近で、チェロの音色を耳にしましたが、トリルに思わずしびれました。あと、合宿の発声練習でならったこんにゃく体操が、肩こりに効くことがわかり、思わぬ収穫です。Sさん、ありがとうございます。ではでは。

今日の仕事が終わりました。雑用だらけで、ホント疲れます。今日は、社長が早く帰ったせいか、同僚も、さっさと帰って、周りには誰もいないので、このまま会社でゆっくり、ブログを書き綴りたいと思います。朝方、二日酔いもあってか、頭痛が酷かったのですが、今はようやく小康状態です。これも、居酒屋で意気投合した同世代の男性の、音楽、映画についての語りを、2時間強も聞き続けたからだな。ものすごい知識量で、参考にはなったのですが、昨日は長居するつもりはなく、1時間くらいで帰るつもりだったのです。帰りたいときに「帰ります!!」とごり押しする強引さが必要だな!もっとはっきりと自己主張しないとな。僕のよくないところなんですけどね。仕事は、はっきりいって、楽チンです。来月は、3月の展示会の出展準備で、帰りが遅くなりますけど、たかが1ヶ月の我慢です。1年を通じて、特別忙しいのは、2月だけで、あとの週は、残業代も頂いておりませんので、正直、身を削ってまでは、働くのは嫌で、せいぜいサービス残業2時間が妥協の限界。このワーキングプア状態から抜け出したいです。節約とともに、小遣い稼ぎも考えなくてはいけないかもしれません。ただ、現在は、実家暮らしをしているため、生活の負担は少ないのが、本当に救いです。両親には、心から感謝の気持ちでいっぱいで、早く、親孝行できる身にならなくてはと思います。そのためにも、今一番考えたいのは、自分の将来のことです。5年後先ぐらいまでは、目標とその目標達成に必要なことをざっくり考えて、具体的な行動は、その都度考えていきたいと思っているのですが、そのためには、いかに考える時間をとるかが本当に重要です。日常生活で時間をとることを意識づけることはもちろん必要ですけど、誰にも邪魔されない旅先で、まとめて考えるのもいいかもしれません。今年は、3月に郷里の伊豆に、3日間滞在することにしました。その後は、余裕がもてるなら、金沢・山口に、数日滞在したいと思っています。一方、人と会う機会も惜しまず、作っていきたいです。ひとりで考えていてもだめなときがあって、そんなとき、人の助言、苦言が、人生をよりよくすることにつながることを僕も経験してきました。会いたい方がたくさんいます。人との出会いを本当に大事にしたいです。今は、学習についての計画を考えています。学習の中心は、語学です。言語表現を創作の中心にしたいと考えていることが大きな理由ですが、当面の収入源にするつもりなので、絶対はずせません。これはあくまで希望ですが、短期でも留学したいくらいだし・・・この5年間は、英語とフランス語の取得が目標です。英語は、今年の10月まで翻訳学校のカリキュラムをこなし、その後は、翻訳検定の級取得、TOEICスコアアップを目標に、英文解釈とライティング、英訳などを学習していくつもりです。会話は、今年いっぱいは、英会話喫茶か、知り合いの国際交流イベントに参加するぐらいにとどめて、来年から2年くらいかけて、会話のレッスンを受けようと思います。お金が許せば、大手英会話学校に通うのがいいんでしょうけど、英会話学校も、某社の不祥事以来、金回りの面で信用が置けないですからね。さいわい、職場の近くに安価な英会話学校を見つけたので、そこにしばらく通うかもしれません。フランス語は、基本的な文法書はだいたい目を通したのですが、まだ身にはついてないです。さらに、覚えておくべきこともまだまだあるでしょうし、さらに、会話もとなると、当面は英語の比重が高いので、厳しいですね。時間があるときに、仏語の短めのテキストを探してきて、文法書と辞書片手に読むのが一番いいかな。今年に関しては、今まで触れたことを忘れない程度に学習するつもり。学習には欠かせない読書についても、計画を練っています。翻訳の学習をしているうちに、言語そのものにも興味が出てきて、今年になって、比較的簡単に読める言語に関する入門書に数冊目を通しました。いきなり、言語学の大家にいくと、たぶん昔みたいに自滅するのが目に見えているので。言語について考えていると、おのずとコミュニケーションについても考えることになるんですね。コミュニケーションについて考えると、心理、論理、思考・・・と考えていく。もっとひろがるんでしょうけど、これ以上考えると、絶対もてあますのでやめときます。今年は、3月までは、時間もあまりないので、家に買い置きしてある、言語、コミュニケーションや論理、心理、思考に関する書籍を中心に読み進めていくと思います。4月からは、年末まで使う覚悟で、難書と取り組みたいですね。可能ならですが、フランスの哲学者、アンリ・ベルクソン「創造的進化」が今、一番じっくり読みたい本です。芹沢光治良が大学時代に読んだ書籍ということで興味を持ったのですが、芹沢光治良が読んだときの雰囲気を少しでも味わいたいと思い、思わず、神田の古書店で、戦前のものを買ってしまいました。今使われていない漢字表現があって、大変よみにくいんですね。新書と買い換えるのもばかばかしいので、我慢。分野は、3月までの継続と、本当に余裕があれば、戯曲、シナリオ、芸術関連書籍と。ビジネスにおいて、マーケティングの仕事に興味があるのですが、たぶん、マーケティングに関するビジネス書はそれほど読まなくて大丈夫ですね。これから読んでいく書籍で、マーケティングの仕事を遂行するために、必要なノウハウも十分カバーできる気がします。読書による学習において追究する目的については、まだあいまいで、これからというところですね。実際読んでいるだけではだめで、言葉にしなくてはならない。様々な分野において、別々の目的を追究していくことが、いつか、ひとつの思想になり、自分の創作における土台となると思います。その言葉にする行為を続けることを、このブログの目的としたいと思います。あれ?創作活動は?気晴らしに、ぼちぼち続けていきます。これだけのことをやろうと思ったら、時間もそんなにないでしょうしね。全てやりつくすことはできないかもしれない。予定通りにいかないことで、苦しみ、悩み、迷うことはあると思う。その時、何を選んでいくか?というよりも、何を捨てていくかはそのときに考えればいい。今は、一喜一憂せずに、大きな目標を達成するのだという強い意志をもって、無理せず休み休みしながらも、確実に自分の道を進みたい。

昨日はお酒で小休止。孤独に耐えられないだめな私。でもいいんです!そのかわり、飲んでいる途中に、自分が前に書いた文章を読み返したいと思い立ち、今朝、出勤中の電車で読み返してました。美しいものって、何かな?ってわからなくなってた時期があることを思い出しました。美しいものって、きっといろいろな感情がつまっているんですね。喜びも悲しみも怒りもすべて。「G線上のアリア」の旋律の中にそんな美しさがつまっていて、いいですね。バッハはやっぱすごい。