あけましておめでとうございます。新年初の映画鑑賞は、成瀬巳喜男の「乱れる」です。成瀬作品は、昨年から鑑賞し続けてきましたが、「乱れる」は、「浮雲」に負けるに劣らない、素晴らしい作品でした。舞台は昭和30年代の静岡県清水市。戦死した夫の代わりに、夫の実家の酒屋を18年間切り盛りしてきたレイコ(高峰秀子)。そんなレイコの長年の働きにもかかわらず、時代の流れか、近くにできたスーパーマーケットでの安売り商法もあって、客足はぱたととだえがちになる。この状況をみて、酒屋からスーパーマーケットへの業態変更を計画する夫の親族達は、レイコの存在をうとましく思い、他家に再婚させて、穏便に家から出て行かせようとする。一方、レイコの亡くなった夫の弟であるコウジ(加山雄三)は、大学を卒業したものの、半年で会社をやめて、マージャン、パチンコ、酒と放蕩三昧。店の仕事も、使用人に任せきりで手伝おうとしない。しかし、実はコウジは11歳離れた兄の妻であるレイコを愛していたのであった。会社をやめたのもレイコのそばにいたいという一心からだった。ある日、コウジはその思いを、レイコに打ち明ける・・・・

このときのレイコの気持ちを考えると、胸が苦しくなりました。突然の告白に対する驚きの一方、コウジに対する愛の思いも確実に芽生えたはずなのです。しかし、その思いを表に出すことを許さない周りの目と自分自身の中にある倫理観。結局、居たたまれなくなったレイコは山形の郷里へと帰ることを選択します。コウジは、レイコへの思いを捨てきれなかったのでしょうか。レイコと山形へ旅路を共にするのです。レイコは、コウジと同じ電車に乗っているうちに、ついに我慢していた思いが頂点に募り、涙を流しながら、郷里の駅に着く前に、途中下車しようと、コウジを誘います。途中下車して降りた駅でレイコは一言「私だって女よ。コウジさんに好きっていわれて、正直にいえばとってもうれしかったわ」とついに自分の本音を明かすのでした。そして、宿泊した温泉宿で、クライマックスを迎えます。お互いの思いがはじけます。(あ~もう一回みてみよう)レイコの女である部分、なんと言葉にしたらわからないが、いじらしさ、せつなさなど、様々な感情が見えたり、隠れたり、「乱れる」。コウジはただ翻弄される。結局レイコは、乱れきらずに、コウジを突き放します。そして、「浮雲」同様、最後に悲劇が訪れる。高峰秀子は、本当に幅がひろい女優ですね。今まで見た高峰秀子とはまた違う姿を見た気がして、やはり日本の名女優にふさわしい方だと再認識しました。普通の恋愛映画じゃもう物足りないという人は、ぜひみてほしいですね。特に、女性がどんな見方をするのか非常に興味がありますね。
一方、今回、僕は「家族」という形式に注目しながら見ていました。心理学を学習する上で、家族関係をテーマに研究していきたいと考えています。この作品についても、母‐娘、母‐息子、義母‐嫁といったそれぞれの関係が、シナリオの進行に微妙な影響を与えているのではという仮説をもって見ていたのですが、今回の鑑賞ではその根拠をうまく拾いきれなかったので、今後の課題としたいと思います。そんなことを考えてたら、クライマックスの理解がおろそかになってしまいました。本当にある作品を様々な角度で分析しようと思ったら、数回見直さないとだめですねえ。あといくつか家族におけるモデルケースを知識として詰め込まないとダメですね。