最近自分が、頭の中で考えたり、本を読んで、思ったことなどざっくばらんに書き記していきます。今日は少しえらそうなことを書くかもれませんが、許してちょんまげ。人間って、どんなことが身に降りかかったとしても、何もかもをあるがままに受け入れることが大事だと思います。所詮、人間が捉えられる範囲には限界があり、それはどんな天才であっても、そうです。世の中で起こりうる全ての現象を捉えることなど、人間である限り、何百年生きようとも、おおよそ不可能で、神とか仙人とか、幻想的な世界のお話に過ぎません。人間は、将来が予想できないという不安を常に抱えながら生きていくのです。よって、不安は、消すことはできないのです。その不安を消そうとしている人はあきらめた方がいいです。また、不安にあわてふためいてたところで、何ひとついいことはありません。僕も、不安にさいなまれて、今思うと、ずいぶんバカなことをした経験がありますが、その結果、自分の不安の元となっているものは、結局何一つ改善されませんででした。不安を軽減するには、その不安を引き起こす原因となるものと、真剣に向かい合って、解消できるように努力するしかないです。これが非常につらい。つらいけど、それ以外に道はないんです。人間は完璧じゃないんです。自分の精神的・肉体的範疇が明確に存在するのです。ゆえに、その限界を超えれば、簡単にシステムエラーを起こす存在なんです。自分が捉え切れない現象が、いつも存在していると思うことです。自分が普通だと思っていることが普通じゃないし、、その逆もあるといることです。死ぬことですら、生きている以上、あたりまえのこと。どんなにつらい人生でもいつかは死ねる。それぐらいで考えていれば動ずることなど何もないし、また、自分以外の世界観にも寛大になれ、いろいろな物事に目が向くようになるので、不安があることをけっこう楽しめちゃうかもしれません。そもそも、不安がなかったら、人間は何もしないでしょうし、そう考えると、不安もけっこういいものかななんて思います。人間にエラーがあることも必然なのです。エラーがあること、すばらしいじゃないですか。エラーは、改善の第一歩です。それを認めないで、エラーしたという事実に執着して、落ち込んで、自分の殻の中に閉じこもっていては、人は成長できないし、そんな人間では、エラー自体に過敏になりすぎて、他人のエラーにも寛大になれないように思います。エラーしたことに執着するのではなく、同じエラーをしないためにはどうしたらいいか考えられるのが人間の人間たる所以なんですね。