今日は、ゆっくりと考える時間がとれました。考えたことを毎日言葉にしていくことが明日への糧となる。人生、自分の思い通りに全て進むはずはないが、だからこそ、毎日、成長の種をつかみながら、明るく生きていきたいと思う。このブログ、放置状態でしたが、創作というテーマで、また書きはじめます。本格的な「創作日記」を書くには、まだ程遠いのですが、本格的な創作をするまでの軌跡を、書ければと思います。たまにテーマから脱線することもあるかと思いますが、あたたかく見守ってください。最近、気分転換はもっぱら音楽です。ゆっくり小説や戯曲を読みたいところですが、どうしても時間がとれないので、春までは、我慢の虫です。しばらく、フランスのピアノソロばかり聞いていましたが、クラシック以外のジャンルにも手を伸ばそうと、今日は、イギリスのジャズアカペラグループ、シンガーズ・アンリミテッドのCDを購入しました。ビートルズの曲を何曲は歌っているようです。歌といえば、休日以外は、なかなか歌う機会も場所も時間もなく、鼻歌で我慢しています。

会社が終わった後、借りていた書籍を返却するために、職場の近くの図書館に行きました。図書館は、静かな上に、所蔵されている書籍などから、いろいろなインスピレーションを得ることができて、考える空間としては、適していますね。(もう少し人が少ないと、なおいいのですが。)おかげで、モヤモヤしていた頭の中が、だいぶ整理されたように思います。会社で考えていると、思考を妨げられる気がするので、会社外で考えるのがミソです。もう少し暖かくなったら、公園もいいかもしれない。時間帯としては、僕の場合、早朝か、夕方から夜の食事前がベストですね。今、考えなければならないことが山積しているので、一日のスケジュールにもよりますが、しばらく、考えることに集中する時間を、一日に一時間程度確保することを、自分に課してみてもいいかなと思いました。今までも、考えることを大事にしているつもりでいたけど、まだまだ、甘かった。今は、周りに考えすぎだといわれても、自分としては、考えすぎていると思うことはないでしょう。きっと、思考という、人間としての活動を成長させるチャンスだと思います。その他は何もないですね。いつも書いている日記も今日は白紙です。

僕が所属するLOCUSの今年4月の演奏会で「Viri Galilaei」という曲を演奏する。僕が担当するパートは、テノールで、いわゆるファルセット区(オクターブFより上)の発声がうまくいかない。先日のLOCUSの発声練習の際も、発声担当のメンバーの方から指摘された。現状はファルセットで出しているつもりだが、それだと音程が安定しない。この課題を根本的に解決するには、ミックスボイスで発声することが求められる。実は、以前からミックスボイスの発声練習は蔭ながら試みてはいた。去年から発声については当間修一氏のサイトを参考にしている。


こちらのサイト↓

http://www.collegium.or.jp/~sagitta/ocm_homepage/html/kouza.html


まずはファルセット区を発声し、その後に実声とファルセットの中間くらいの声を出すつもりで、発声する。そうすると、実声にはない、天まで届かんばかりの「仮の声」が出る。ミックスボイスは別名「ヴォーチェ・ディ・フィンテ」という。しかし、この習得にはいくつかの問題が存在する。


・ファルセットが不完全

多分、今の僕が思っているファルセットは、本物のファルセットではない。


・難しい声帯のコントロール

当間氏のサイトによると、「声帯を「伸張」した状態で、二枚の声帯ヒダの接触部分を強めるための「収縮」を起こす」とあるが、これを実現するには、感覚的な思考が要求される。声帯の動きを感知するなんてことは常人にとって難しいことは容易に想像できる。


・「ヴォーチェ・ディ・フィンテ」だと自分が思った声が本当に「ヴォーチェ・ディ・フィンテ」なのかがわからない

これが一番怖い。先生や周りの人に聞くしかないですね。


・仮に出せるようになったとしても、歌で使えるまでになるためには修練を要す(はず)

歌っているとき、偶然に発声されることがあるが、コントロールできず、声がひっくり返る。

できれば「Viri Gariaei」だけでも使えるようにしたいが、演奏会に間に合うかどうか?


発声以外にも、まだまだ課題は多いのですが、「ヴォーチェ・ディ・フィンテ」を、演奏会までの大きな課題としたいです。ベルカント唱法へのはじめの一歩だ。燃えてきたぞ。


AMAZONで注文した坂本九のCDが昨日届いた。両親と食事しながら、早速、有名な曲をピックアップして視聴。

親父は、「週末、車のなかで聞くから貸してくれ」と、ぽつりもらす。気に入ったようだ。親父は世界遺産学検定の勉強をはじめると言い出した。母も「昔の曲は詩がいいのよね」とうっとり。母は父につられてか、カラーコーディネーターの勉強をするという。ふたりとも前から考えていたことだったのだろうが、坂本九の歌が、「学ぶ」という家族の共有を運んでくれたような、そんな奇跡とつい錯覚しそうになる。やはり、僕が翻訳の勉強をしている影響だろうか。それでも、なんだかうれしかった。「見上げてごらん夜の星よ~・・・ぼくらのように~名もなき星が~ささやかな幸せを祈っている・・・」

昨日、東京フィルハーモニー交響楽団のコンサートに行って来ました。ワーグナー「ローエングリン第3幕への前奏曲」、プッチーニ「トゥ-ランドット-誰も寝てはならぬ」ではじまり、何曲かはさんだ後、ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番第一楽章」、J・シュトラウスⅡのポルカ(チェコの民俗舞曲で速い3拍子のリズム)2曲、締めはストラビィンスキーの「火の鳥」となんともぜいたくな内容。個人的には、ロシアの作曲家、ラフマニノフとストラヴィンスキーを楽しみにしていったのですが、「ピアノ協奏曲第2番第一楽章」はピアノの音が、肝心なところで、よく聴き取れなかったのが残念でした。ピアノ協奏曲を生で聞くのは初めてなのですが、オーケストラの音量とのバランスが難しそうだなと思いました。もしかしたら2階席だったからかもしれませんが。「火の鳥」は哲学的です。曲を聞くというより、曲の世界に入り込んで、あれこれ考えこんじゃう曲です。よって、どんな曲だったか、あまり覚えていない・・・。ワーグナーとJ・シュトラウスⅡは、合わないようです。主題は震えが来るほど、素晴らしいんですけど。曲と曲の間に、指揮者の金聖響さんのお話をうかがうことが出来ました。それにしても、凄い名前です!あたかも音楽をすることを宿命づけられているかのような・・・。大体、次のような内容だったと思います。「基本的に、指揮者は作曲家の書いた楽譜を再現することが使命で、主観は表現の中に含めない。また、お客さんに快い音を聞いていただくために、音の響きやテンポを、状況に応じて調整していく。」この話を聞いたとき、ああ、翻訳の心がけに近いなと思いました。「お客さんにあわせて」というのは、本当に難しい。実務翻訳の場合、クライアントと話を詰めながら進められるから、まだ、ましな気がしますけど、文芸翻訳や舞台芸術は、お客さんが複数ですから難しい。しかも、舞台芸術はその場一回限りですから、さらにシビア。「だから、面白い」っていうプロの方沢山いらっしゃると思いますが。今回、音を聞いていて、どの楽器がその音を出しているのか(だいたい)わかるようになってきたので、今後は、楽器の特徴とか、交響曲の形式とか、専門的なことを調べてから、コンサートに行きたいと思っています。

今日が、正月休みの最終日となった。正月休みは、ゆっくりと体を休めることができた。かといって、正月気分にも浸りすぎず、年始からやりたいと思っていた課題もほぼこなすことができて、いいスタートが切れた。今年は、仕事と翻訳中心の一年になると思われる。この二つのテーマについては、しっかりとした土台を作ること。その他趣味の活動も含めて、忙しい一年になりそうだが、目線は常に高い位置を保って、頑張っていきたい。題名に表したように、今年は「先行逃げ切り!全開!」で余裕を持って、だが、全力で事を行うことを意識する。また、考える時間をとることを、今まで以上に意識したい。また、アイデアをうまく実行に移す方法や、考え方(テーマや時間軸の意識)、考える環境を工夫したい。あとは、自分を信じて、とにかくあせらないこと。

先週の土曜日、12/2に、吉祥寺シアターで「どん底」を上演した、東京ノーヴィ・レパトリー・シアターの公演を再び見に行く。この日は東京ノーヴィ・レパトリー・シアターの本拠地、下北沢。先日の吉祥寺シアターは、300人ぐらいは入れそうな、割と広めの劇場だったが、僕は、舞台と客席が目と鼻の先にある下北沢の舞台の方が好きだ。この日は、チェーホフの「かもめ」を見る。以前、岩波の文庫本で読んだことがあったが、ストーリーは、正直忘れていた。憶えていなかった。4幕構成の戯曲。序盤は、演技のテンポがはやい。セリフが聞き取れない。ストーリーがつかめずいらいらする。ふと、「心で見るしかない」と思った。そうか、戯曲は感情の目で見るんだった。しかし、その日は、午前中は、心の調子が不安定で、自分の感情を見るのに、精一杯になっていた。「今日の僕には、荷が重いか。。。」そんな僕を、車椅子に座ったソーリンじいさんが救ってくれた。隣に座っている人が大笑いしていたのもあるが、ソーリンじいさんの言動に笑った。車いすに座ってぶつぶつ言ってるだけなんだけど、あとからこみあげてくるような笑いを誘う。「ああ、年取ってああはなりたくないな~。でもほとんどの人間ってソーリンじいさんかも?」なんて思う。ところで、戯曲って笑うものだったんだっけ?そういえばこの日は笑い声が起こることが多かった。最後に、トレーブレフという作家が、、悲嘆のあまりピストル自殺してしまう、とても暗い話なのに。不思議だ。そのトレーブレフの母、アルカージナ役の役者さんの感情表現が、多彩で、驚いた。激昂する時、友人を抱きしめる時、息子を慰める時。男に甘えかかる時。どれも違う人のような気がした。それにしても、女って、相手によって変化できる生き物なのか。「女は魔物、妖怪」とひそかに思っている僕だが、その女性のエゴをがつんと見せ付けられた気がして、とんかちで頭をたたかれたようだった。また、僕は実生活の中であんなに自分を表現できないので、なんだか劇中のアルカージナをうらやむような、アルカージナの役者さんをうらやむような、ヘンな気持ちになった。この日感動したシーンは、作家のトリーゴリンが女優のニーナに、作家の仕事について語る場面だ。作家という仕事は人がうらやむほど大していいものではない。という趣旨だったが、ひさしぶりに、人目をはばからず、大泣きする。(まあ、会場は真っ暗闇ですが)僕自身、作家という仕事に憧れがあるので、感情移入してしまったのだろうが、今思うと、仕事って何でもそういうものかなって思う。でも、自分が好きならいいじゃんよ。最後の第4幕は、自分の生活に近いものを感じた。その前の幕と比べて、テンポがゆったりしたこともあるだろうが、人と人のやりとりが淡々としていたからかもしれない。正直、ちょっと長いな~って思うところも少しありましたが、それは普段の生活の中で、無意味に長い話をする人と同じか。終演後、劇に出ていた方、劇団関係の方と飲む。演劇についての話は、素人の僕からすると、レベルが高いが参考になる。誰かが、感情表現についての話で、人間がみずから死に向かう前に、どのようにエネルギーが動くのか?について語ってらしたのが印象的だった。僕だったら自分の中にあるエネルギーを周りのものに発散した後、静かに死んでいくだろう。なぜかそのとき「エントロピーの法則」を連想。たぶん何か関係あるね。プライベートの悩みを聞いていただく。今思えば情けない話だが、情けなくて、うじうじしているのも僕の売りですからね。自分を認識しつづけるために、とにかく毎日文章を書くことを勧められる。実はちょっと前から日記はチョコチョコ書いていた。またたまに、思いついたことをメモ帳に走り書きすることはしていた。しかし、あくまにでも、思いつきで習慣ではなかった。それを毎日やることに意味があるのだろう。創作について興味を持ち始めた当初は、文学的にとか、芸術的にとか、難しく考えていたけど、今は、自分が毎日生活する中で感動したこと、いいことも悪いことも全て思うがままに表現するスタイルが、自然に思えるし、そのことが正しいのだと自信を持てた。これからの生きるうえでのヒントをいただき、とても感謝している。




先週末の出来事をざっとおさらい。


11月30日(金) 夕方。

神楽坂キイトス茶房というカフェで行われた 「ドラ・トーザンのフランス塾」に参加。このイベントは、神楽坂のアートイベントを、インターネットで調べていたところ、たまたま発見。神楽坂はフランスとかかわりが強いと聞いていたが、本当だなとか思いながら参加を申し込む。講師のドラ・トーザンさんは、国連本部で勤務していた経験を持つ才媛で、現在は、ジャーナリスト・エッセイストとして、活躍。日仏学院でも教鞭をふるっておられるので、日仏学院の生徒も参加されていたようだ。あと、大変容姿端麗な方なので、追っかけの方も何人かいたかもしれない(笑)テーマは、「ツール・ド・フランス」の魅力解説と、そのコースになっているフランス各地の魅力について。「ツール・ド・フランス」でフランスを知るというのも、面白いなあとか、「ツール・ド・フランス」には、フランス人の気質が現れているのではないかとか思いながら講演を聞く。だがもともと、僕は、自転車に興味があるわけではないので、細かいところまであまり覚えていません(笑)質問タイムに、僕が「自転車で肩こりなおりますか」という半分受け狙いの質問をした(しかも予想外に笑いがとれた)からか、一人の参加者の方から、自転車について熱心に語ってくださったが、半分くらい上の空で聞いていたくらい。(申し訳ない)。終了後、たまたま日本に帰国されている、オペラ歌手の日本人の女性と少しお話する。日本ではなかなかオペラを歌う場所がないと嘆いていた。次回の「フランス塾」での再開を約束してキイトス茶房を後にする。

http://www.kagulart.com/l_event_top.php?eid=00003



明けて、最後の月となる師走。12月1日(土)。

週の疲れを引きづりながら、力技で午前中の翻訳の授業をなんとかこなす。授業の前から、今日は、絶対美術館いくぞ~と心に誓い、ヒルズの森美術館にいくか、それとも外苑前のワタリウムにはじめて足を向けようかと迷っていたが、授業を受けながら、ワタリウムに心が向かいはじめる。場所確認もかねて、いざ出陣。


ワタリウム美術館「南方熊楠『クマグスの森』展」

http://www.watarium.co.jp/exhibition/0709kumagusu/index.html


南方熊楠が行った生物学や民俗学についての業績や熱意を少しでも知ることができただけでも収穫です。観覧者は、熊楠の写生ノートや展示物に触れることで、学ぶ、知ることへの情熱に圧倒されること、間違いなしです。熊楠が生物学や民俗学についてなぜそこまで執着したのか。生物が生き、死ぬことの不思議。あらゆる事物の融合である宇宙の不思議。もう少し掘り下げたいです。チケットは、パスポート制で、展示期間中は何度でも入場することができる。この制度は大賛成。今回限定ではないことを祈る!美術館まで原宿まで歩く。


12月2日(日)夕方。

14時から、テレビで、ラグビーの早明戦をみていたが、明治のふがいなさにためいきをつきながら、試合終了を待たず、家を出る。FWは、自分たちの実力に過信していたと思う。確かに今年の明治のFWはここ数年のレベルからすると高いが、黄金時代のように、他を圧倒する選手がいるわけではない。しかも、今の早稲田は、FWも強く、昔のような試合展開に持ち込むのは難しいのではないか。BKは、テレビで解説の方が再三指摘していたが、DFラインの形成が遅い。早稲田の攻撃のテンポが早かったし、明治のBK陣もまだ若いメンバーで仕方がない分もあるが。しかし、まだ修正は利くはずだ。がんばれ明治!大学選手権決勝での再戦を期待する!気を取り直して、吉祥寺に向かう。


東京ノーヴィ・レパートリーシアター「どん底」 in 吉祥寺シアター

http://www.tokyo-novyi.com/


最近仲良くしていただいている知り合いの俳優さんが出演する演劇公演を見る。東京ノーヴィ・レパートリーシアターはロシア戯曲の題材を中心に活動されている(監督もロシア人)熱い演劇集団。今年が4年目の活動で、来年の6月まで下北沢にある劇場を中心に、週2回上演している。どん底はロシアの戯曲家ゴーゴリの作品。僕がはじめて見たノーヴィの公演は確か、1年半くらい前の、やはり「どん底」だった。人生についていろいろ考える中で、僕がアートに傾倒し始めた時期である。その時の自分の境遇を反映するとでも思ったのか、題名に強く惹かれた。(まだその後に底があったが笑)涙が何度も頬を伝った。あれほど涙したのは、「バックドラフト」以外記憶にない。あの涙の理由はいったいなんだったのか、いまだに説明できない。言葉では説明できない魂の叫び、悲鳴。なくしていたものへの追憶。今回が3度目で、うちどん底が2回ということになった。吉祥寺シアターのような本格的な劇場で見るのは初めてとなる。今回は、前回のどん底より時間が約1時間ほど短くなっていた。あとで、知り合いの方にお聞きしたが、演出も以前とずいぶん変わったようだ。公演時間は短くなったが、作品に含まれる生きるうえでのエッセンス(生きるとは?人間とは?嘘とは?善悪とは?など)は、その多くが残されていて、楽しませていただいた。個人的には、今までに比べて、冷静に見れた。ぼろぼろとは泣かなかった。演劇を見ている時の自分の感情の起伏を感じるというのが、今回の公演を見るにあたって、なんとなく頭にあったテーマだったが、音楽風にいうと、鳴るところはしっかりなって、落ち着くところは落ち着いて、おだやかな起伏だった。一方、まだ感じ取れていない真実があると思う。それをいかに解消していくか?たぶん、その演劇に触れた人達と交流することだと思う。自分の芸術性(創作鑑賞の両方を含む)を高めることは自分だけの行いだけでは限界がある。自分を高めることを続けながらも、他人と交流しながら高めあうことが必要となる。そのような、本格的な芸術活動の場をどのように求めるか、作るのか?これが演劇を含めた芸術と自分がかかわる上での今後の課題になるだろう。

 翻訳の学習で気づいたことがある。英語を日本語に訳す時に、英語のテキストの意味に適した日本語を思い出すのに苦労することがある。また、難解な言葉に出会ったときに、ろくに調べることもせず、自分勝手な解釈をして、理解したつもりになることがある。英語どころか、日本語でもまだわからないことがあることを実感する。日本人である僕が、こんなことをいうのは、ばかげて聞こえるだろう。しかしこれが現実なのだ。今の自分の現状は、高等教育を受けた人間というにはあまりに遠い。

 今の現状を招いた理由を、学生時代の学習を振り返って、考えてみた。ひとつは、大学受験にあたっての英語の速読学習である。僕が志望した大学では、いずれも、英語の長文問題が多く出題された。得点を稼ぐには、じっくり文章を読んでいては追いつかない。よって、英文の意味をおおざっぱに、しかもなるべく速くつかみ、問題にとりくむことが要求された。Z会の「速読英単語」という参考書が、学校の友達の中で、大変もてはやされたことを覚えている。(今も、書店の参考書のコーナーに行くと、おいてあるようだ。)僕も、その参考書を、カバーがぼろぼろになるぐらい、熱心に読み返したものだ。今思うと、あの学習で、英語のテキストへの恐怖感がなくなり、テキストを自然に受け入れられるようになり、読むスピードもあがったが、反面、言葉の意味を深く追いもとめることを重視しなくなったように思う。わからない言葉は、推測に頼って読んでしまう癖がついてしまった。 

 もうひとつ思い出されるのは、同じく高校時代の古文の学習である。古文とは、名詞の意味や助詞の使い方、動詞の活用などに気をつけて、丁寧に読み進めていけば、日本語を学ぶ上で、大変有益であるはずだ。しかし、私は、古文には、受験科目に含まれていなかったこともあり、興味が向かなかった。また、学校のテストといえば、意味をつかんでいれば、対応できる問題が多く、また、現代語に訳す問題も多く出題されたので、一夜漬けで、原文ではなく、現代訳を丸暗記するというありさまだった。

 この二つの過去のできごとを振り返って思ったのは、文章をゆっくりと口に含むように読み進めた経験が少ないということである。大学の4年間も、ゼミナールに所属しなかったため、何かを研究することもなく、悪癖だけつけて卒業してしまった。そのため、本を読み進めて、その著者の思想に触れて、自分を高めることもなかったし、言葉を深く考えることもしなかった。これは大きな悔いとなっていて、生きている中で、じっくり学ぶ時間を取り戻したいと考えてはいるのだが。

 何の縁か、再び翻訳という形で言葉を勉強することになり、思うのは自分を再教育することである。今まで生きてきたなかで、とくに意識もせず、日々言葉を使っていて、わかっている気になっていたが、その気持ちをすべて素に戻し、言葉と向かい合いたい。言葉について書かれている書物に目を通すことはいいだろう。自分の母語である日本語について考えるために、源氏物語や百人一首を読むのは有意義だろう。論理的で明快な作文について学ぶために、普段から、文章を、論理と表現に着目しながら読み進めたり、作文する訓練もいいだろう。論理的で明快な作文については、芹沢光治良の「人間の運命」によると、フランスでは小学校から高校で強制的に行う教育であることを知り、正直、がくぜんとしてしまったが、遅すぎるということは人生にないと、自分を励ました。また、日本語で論理的で明快な表現ができる人は、日本人でもそう多くはないはずなので、いまからでも、十分に学ぶ価値があるだろう。こうやって、生まれてきた赤子のようになって学習することは、なかなか骨は折れるが、楽しいことである。

昨日、芹沢文学読書会の会員の方々と、初めてお酒を飲む機会を持った。文学や音楽の話、その他、世情の話も含め、二時間強、ずいぶんと盛り上がった宴だった。宴中、私は、美術品や文学作品を収集されているご老人と、話しをする時間が長かった。御年は、80歳は超えておられると思われ、お耳も不自由のようだったが、ずいぶん熱心に私の話を聞いてくださった。「橋口五葉」という版画家の名前は、この方から教えていただいた。大正時代に活躍した人で、「大正の歌麿」と呼ばれるほどの腕だったという。ご老人が橋口五葉を知ったのは、現在も、江戸東京博物館で開催されている漱石展で、「我輩は猫である」の装丁を手がけたと紹介されていた。その後、どういう経緯かはわからないが、町田市立国際版画美術館で五葉の作品が展示されていることを知り、先日、その美術館までお出かけになられたようだ。ご年齢を感じさせない行動力である。知的好奇心は人をここまで生き生きとさせるのだろうか。物事を知ることに、年齢は関係ないことを改めて実感した。美術館で購入された、五葉の「紙梳ける女」が表紙に描かれた、一筆メモ帳を頂く。恥ずかしながら「髪梳ける女」に一瞬にして魅了されてしまった。梳いている髪の付け根の広がりがなんともいえず、美しい。町田の展示会は、今週末まで。私が、付け焼刃の知識ながら、なんとか老人の話についていったことに興を抱かれたのか、「今度会った時に本をあげる」とまでいってくださった。このようなご老人とお話をする機会を持てることは本当にありがたいことだ。まだまだ自分は青二才だと、未熟さを実感するとともに、年輪を重ねながら、知性を高め、なおその生長に意気盛んである生き方に、感銘を覚える。「食べるくらいなら焼酎を飲む」と言い放つ剛毅な姿にも現れている気がして、私もつられて思わず酒が進んだものだった。お体に気をつけて、まだまだ長生きしていただき、色々なことを我々青二才どもに教えていただきたい。